隣でコタツに座った男が、惚れ惚れするような長くて形のいい指で蜜柑を剥いている。
(………なんか……)
 綺麗に放射状に剥かれた皮が机に置かれて、丁寧に取り除かれてゆく白い筋がその中に落ちてゆく。
 伏せ目がちのどこか色っぽくも見える表情とその動きだけを見れば様になっているような。
 けれどその炎を思わせる茜色の瞳がみつめているのが蜜柑であると言うことを考えれば何だか妙におかしいような。
(…………チョー、似合わねー……)
 思わずそんな台詞が脳裏に浮かんで、葛馬は眉を眇めた。
「……ん、どうしたの?」
 視線に気付いたのか男がゆるりと顔を上げて小さく首を傾げる。
 蜜柑を見てた時とは違う、どこか甘い視線が向けられて慌てて何でもないと頭を振った。
 すごく、大事なものを見るみたいな。
 見られてるだけで溶けてしまいそうな彼の視線に晒されるのにはいつまでたっても慣れない。
 付き合い始めたから半年以上経つ訳だし、そろそろ慣れても良さそうなものなのだが……スピット・ファイアがスゴすぎるからなのか、葛馬が無類の恥ずかしがり屋だからなのか……多分、両方だろう。
「………終わった。あんま自信、ねーけど……」
 解答欄を埋め終わった問題集を相手の方へと押しやり、ぼそぼそと口の中で小さく呟いて両腕をコタツの中へと突っ込む。
 受験まで残すところ、2ヶ月あまり。
 折角の二人きりの正月ではあるけれど、受験のキモは冬休みにあると散々言い含められてきたし、今年だけは……ひょっとしたら三年後もだが……ちゃんと頑張らないと、と思う。
 でないとこうやって勉強に付き合ってくれているスピット・ファイアにも面目が立たない。
「………………」
 真面目な顔でノートに視線を落とし、回答と見比べている男の綺麗な顔を盗み見て、葛馬は小さく溜息を吐いた。
 ほんの半年前の葛馬の成績では行ける高校なんかどこにもなかった。
 流石に不味いと思って勉強を始めたのが何もかも片付いた夏休み明けで、でも当初は惨憺たる状況で。
 落ち込む葛馬にスピット・ファイアは『一対一の方がよくわかるだろうし、カズ君と一緒に居る時間が増えるの、嬉しいし』とかなんとか言って家庭教師を買って出てくれたのだ。
(……んと、俺って迷惑かけてばっかだよな……)
 それさえも楽しいといってくれるのだからありがたい限りではあるのだけど、でもやっぱり負い目のようなものはあるわけで……。
「ん……大丈夫、あってるよ。よく出来ました」
 伸びてきた大きな手がくしゃりと髪を撫でる。
 その優しい感触が好きだと思ったけれど、子供染みていると思われるのが嫌で葛馬はわざと眉を顰めてみせた。
 多分、それでもきっと彼には全部お見通しなのだろう。
 その証拠にスピット・ファイアは酷く嬉しそうな、幸せそうな表情で葛馬を見下ろしてきている。
「はい、ご褒美」
 そう言って綺麗に剥いた蜜柑を差し出されて。
 葛馬は両手をコタツに突っ込んだまま僅かに首を伸ばしてそれを受け取った。
(……んま)
 もむもむと口を動かして甘みたっぷりの蜜柑を楽しむ。
 自分で剥いたのより美味しいのはきっと剥き方が全然違うからだ。
(多分………)
 自分で剥く時は面倒臭いから適当に筋をとって口の中に放り込んでしまうから。
 決して、彼に食べさせてもらっているからではないと、思う。
 其処までじゃない、と思いたい。


「ただいま〜」
 鍵を開けて、久し振りの自宅の扉を潜る。
 慣れた光景と、慣れた観葉植物の香りを吸い込んでほうと小さく息を吐く。
 家を空けていたのはほんの3日でそれほど長い期間ではないはずだし、旅行でもっと長く空けたことだってあるはずなのに、何だか妙に懐かしく感じて思わず顔が緩んでしまった。
(……気持ちの問題、なのかしらね)
 今年は初めて友達と年を越した。
 大学のサークルのメンバーなので当然アルコールも入ったりなんかして、始終笑いの堪えない大騒ぎで、それはそれで楽しかったけど、でもやっぱり正月は家族で過ごすものと言うイメージが強くて少し落ち着かなくて。
 これからお茶を飲んで帰ると言う彼らと別れて一足先に帰ってきてしまったのだった。
「よいしょっと」
 数日分の荷物の入った重たいキャリーカートを廊下に上げて、リビングへと向かう。
(カズ君大丈夫だったかしら………)
 スピット・ファイアと言う大人がついていてくれているのだから大丈夫だろうとは思う。
 あの人見知りの葛馬が全幅の信頼を置いている相手で、行き付けの美容院のオーナーで、しっかりとした信頼のおける人だ。
 AT関連の知り合いだと聞いて驚いたのを覚えている。
(人当たりが良くて……暴風族って雰囲気じゃないものね……)
 最初に大人の人もやっているものなのかと驚いて、そっちの道で凄い人でいろいろ教えてもらっているのだと聞いてなんとなく納得してしまった。
 今ではATだけでなく中学の勉強の家庭教師までしてもらってしまっていて、一時は進学さえ危ういかと思われた葛馬の成績も驚くほど上がった。
(まだいらっしゃるのかしら……)
 いよいよ受験も大詰めでこれからますます葛馬がお世話になりそうな気がするし、ここ数日のお礼もしたいし、居てくれればいいのだけどとリビングに続く扉を開いて。
「……あら」
 葛馬の姉はハタと足を止めた。
 リビングではちょうど件の人、スピット・ファイアが葛馬を抱き上げて立ち上がったところだったからだ。
「あぁ、お邪魔しています。」
 所謂花嫁抱きで、横抱きに葛馬を抱えたまま穏やかに笑う男に一瞬二の句が告げなかった。
「………………」
 何が起こっているのかわからなくて、言うべき言葉を捜して視線を彷徨わせる。
「…………あ、えっと……葛馬がその、随分お世話になったみたいで……」
 結局口から出たのはそんな無難な台詞だった。
「……あぁ、すみません。コタツで眠って風邪を引くといけないと思って」
 困惑に気づいたのだろう、男が困ったように言うのにその腕の中を見れば葛馬はくったりと瞼を閉じていた。
 姉の良く知る、無防備で気負わない表情ですやすやと寝息さえ立てて、スピット・ファイアの胸に顔を摺り寄せるのを見て思わず顔が赤くなるのがわかった。
「す、すみませんこの子ったらもう! ほらカズ君、起きて、ご迷惑でしょ!」
「大丈夫ですよ、さっきまでずっと問題集とにらめっこしてましたから、疲れたんでしょう」
 穏やかに笑って、寝かせてきますと言う男にますます恥ずかしくなる。
 この様子だと自分の居ない間にたくさん迷惑をかけてしまったのかもしれない、と。
「んー……?」
 頭上のやり取りに刺激されたのか、葛馬が唸り声を上げて。
「カズ君!」
「……わっ!?」
 目を瞬いたかと思うと予想外に素っ頓狂な声を上げた。
 まさか自分が帰ってきているとは思わず驚いたのだろうと思ったのだが、それにしても一瞬、不思議な間があった気がする。
(あら……?)
 何か、違和感を感じて首を傾げる間もなく我に返ったらしい葛馬が男の腕を押しやって慌てて床に飛び降りた。
「……カズ君、その調子でご迷惑かけたんじゃないでしょうね?」
「な、ないない、ないっ、つ、つか姉ちゃんなんでこんなに早く帰ってきてんだよ? つーかオマエも、抱き上げてんじゃねーよ!」
 失態が恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして口篭る葛馬の額にこつんと手の甲を当てる。
「カズ君っ、スピット・ファイアさんに失礼でしょ?」
 お礼のつもりで着て頂いたんじゃなかったの、と言われて、葛馬は慌ててこくこくと頷いた。
 自分が眠ってしまっていたことも驚きだし、予想外に姉が早く帰ってきていたことも驚きで、スピット・ファイアが自分を抱き上げていたことも……おそらくベッドに運ぼうと思ってくれたのだろう……彼と姉が話をしていたことも驚きで、軽くパニック状態だ。
(…………ぁ……)
 後ろから、大丈夫と言うようにさり気無く背中に大きな掌が当てられて。
 じんわり伝わってくる体温にほっとして、同時にちくりと胸が痛むのを感じる。
 スピット・ファイアのことが凄く好きだと思って。
 けれどそれを、彼と付き合っていることをとてもじゃないが姉には言えないと思ったからだ。
「カズ君、聞いてるの?」
「わーってるって!」
 いつか、言える日がくるんだろうか。
 ぼんやりと考えながら、ちらりと後ろの男を見やる。
 スピット・ファイアは何もかもわかっているみたいな少し困ったような、柔らかい笑みを浮かべていて。
 それに少しだけほっとして、でも同じぐらいすまない気分になる。
(……姉ちゃん、ごめん……)
 いつになるかわからない、けれど。
 いつか、ちゃんと話せるといいなと思いながら、葛馬は心の中で小さく呟いた。

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 ぎりぎりどうにか、1月中に終わりましたお正月ネタ。
 時間が空いたせいか予想外にちょっぴりシリアス風味……カズ君チキンだし、きっと話せないだろうなあ……。
 さー、次はバレンタインだ!!(笑)

2008.1.30

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