彼氏彼女の事情(その1)
1999年頃作成
最終更新日 2002年10月9日

キャラ別感想
宮沢雪野  有馬総一郎  芝姫つばさ

宮沢雪野編
7巻  8巻  9巻  10巻  11巻  12巻

有馬総一郎編
13巻  14巻  15巻  16巻

『きっかけ』

 『彼氏彼女の事情(以下「カレカノ」)』と知るきっかけは雑誌『オリコン』のコミック紹介に載っていた記事を見て気になったので、まずはアニメを見てみた。そこで繰り広げられる騒動があまりに面白かったので原作の方も読んでみようという気持ちになった。

『一通り(9巻まで)読んでみて』

 「宮沢雪野(以下宮沢)」のあくまでも前向きに生きる姿勢も好きだけど、個人的には邪悪な心をひたすら隠そうとして苦悩する「有馬総一郎(以下有馬)」の方により親近感を感じる。また、人物の内面を鋭く丁寧に描いていて、一つ一つの内容も充実しているのでつい時間を忘れて読みふけってしまう。


【キャラ別感想】

宮沢雪野

『一筋縄ではいかない大した性格の持ち主』

 一見すると勉強がもの凄くできてスポーツも万能、その上人当たりもいい完璧な優等生に見える。しかし、実際は「己の欲望を満たすために優等生を演じる見栄王」という大した性格の持ち主だった。そんな彼女が有馬と出会うことで見栄をやめて素の表情を見せるまでの過程は非常に面白かった。人前で仮面をかぶらなくなった宮沢を見ていると本当に生き生きとしていることがそこかしこにうかがえる。
 それからいろいろと経験していくうちに優等生をやっていたことが本当に良かったのかという疑問すら持つようになるんだけど、偽りの優等生でも演じてもらえると非常に有り難いこともある。それが教師であれば尚のこと、生徒に対する負担が著しく軽くなるというのはかなり大きい。さすれば授業もスムースに進むので、当時宮沢を担当していた先生は今でも心から感謝していると思う。

『井沢真帆(以下真帆)に敢えて情けをかける』

 真帆との対決(3、4巻)に宮沢が勝利した後、話の最後に真帆に情けをかけるシーンには大いに感心させられた。「情けは人のためにならず」という諺は現在「情けを掛けることは相手の為にならないからかけるべきではない」というのが一般的な解釈だ。
 しかし、本当は「善行は巡り巡って自分自身に返ってくるものである。だから情けは掛けた方がよい」という意味である。宮沢は後者の意味を知ってか知らずか、彼女なりの情けを真帆に掛けたのである。
 これによって新たな友達を得ただけではなかった。困ったとき一緒に悩んでもらったりアドバイスをしてもらうなど宮沢にとって心の支えの一人になったからだ。それもこれも真帆に同情したことによる結果であることは言うまでもない。

『今後の焦点』

 これまでの様子を見る限り、宮沢は愛情に恵まれていることが随所に伺われる。だからどんなことでも自分の力で乗り越えていける強さが彼女にはあると思う。ただし有馬が絡んでると話は別かもしれない。この問題に宮沢はどう立ち向かうかが今後の焦点になるだろう。


有馬総一郎

『宮沢以上に気になる存在』

 彼も表面的には勉強、スポーツ、性格等、すべての面において優秀な人物を装っている。そのあまりにも隙がない完璧さは現実を考えれば「そんな馬鹿な」と思うことがある。それなら何故有馬が気になるのかというと、彼は無理をして優等生を演じていることが判明したからだ。
 そもそも有馬は生い立ちが複雑だ。本当の両親はどうしようもない人達でしょっちゅう彼に暴力を振るっていた。ある日、親戚のお金を盗み、まだ幼い息子を残して蒸発してしまう。実の両親に捨てられた有馬はしばらくして親戚夫婦に引き取られる。それからは育ての両親に大切にしてもらえた。おかげで幸せな気持ちになる時もあったが、一方で実の両親に虐待された記憶がトラウマのように蘇ることもある。こんなことがあってか自分の気持ちを押し込めてしまいがちになる。
 有馬が優等生を演じるのは自分を見下す親戚を見返すためもあるが、彼を本当の息子のように育ててくれた里親のために恩返ししようという気持ちの現れもある。
 それにしても有馬の親戚は嫌みな人間が勢揃いしている。産みの両親がどうしようもない性格というだけで実の子が非難される。あれだけの罵倒を純真な子供相手によく出来るものだ。質の悪い親戚からいわれのない誹謗中傷を聞かされるうちに心の傷とともに、もう一人の人格「ドッペル有馬」が現れたのではないだろうか。
 この別人格は物事を悪い方に考える危険人物だ。「ドッペル有馬」が今後彼にどう影響するのだろうか。そして、もうひとつ気になるのは、この嫌みな親戚と宮沢がいつ対面するかだ。有馬と付き合いが深まればいずれ出会うことになるはずだ。もしそうなればお互いどんな反応をするのだろうか。いずれにせよ興味がある。

『なかなか気づきにくい有馬の感情』

 有馬はあまり感情を表に出さない。そのめた、どうしても彼の気持ちを見逃してしまいがちになってしまう。2巻で「浅葉秀明(以下浅葉)」が有馬を巡って宮沢とけんかしている時も内心快く思っていなかったことに気がつかなかった。このことに気づいたきっかけは7巻で「十波健史(以下十波)」が宮沢と楽しそうにお喋りをしているときである。側にいた有馬はあからさまに憂うつそうな表情をしていた。これを見て、そういえば浅葉が宮沢といたときも有馬は同じように影から様子を眺めていたように思えてならない。その直後、宮沢は浅葉との関係を有馬に聞くと非常に冷たい反応を示した。彼女にしてみれば単にクールな態度に見えただけかもしれないが、有馬にとっては内心面白くなかったはずだ。実はこれが彼なりの嫉妬心だったと考えれば納得出来る。

「今後の動向も気になる」

 有馬が単に完璧な優等生だったら『カレカノ』は普通のラブコメ漫画と決めつけていたと思う。しかし、彼には心の傷を背負う程の辛い思いを背に生きていた。このことを知ってからというもの、やるせない気持ちに駆られっぱなしになった。
 それからというもの、有馬が落ち込むシーンではついつい感情移入するようになった。大きな不安を抱えながら生活しているからか、普段は感情を抑え込んでしまう。それがある日突然爆発してみさかいなく暴走してしまう可能性を秘めている気がしてならない。彼についてはまだまだ予断を許さない状況が続いている。


芝姫つばさ(以下つばさ)

『有馬と同じくらい気になる女の子』

 さて、過去に心の傷持っているという点ではつばさも負けてない。彼女は生まれたときに母親を亡くしている。それからは唯一の肉親である父親に育てられてきた。父親はあまりにも芝姫を可愛がるので彼女は自分だけが一番愛されていると思っていた。けれど、本当の意味での愛情には恵まれなかった。友達である『佐倉椿(以下椿)』が「感情の基本的なところが満たされていない。−中略−みんなが当たり前に与えられるものを、生まれつき与えられなかったやつっていうのは、それをどうにかして自分で埋めていくしかないんだよな。そういう戦いをしなきゃならないんだよな−−−そういうのってなんか−−−きついよな」という台詞には共感させられた。
 そんなつばさを救ったのは再婚相手である池田裕美の息子である『池田一馬(以下一馬)』である。一馬の素直な気持ちを聞いて、つばさは自分と同じ境遇にいることを察した。彼のマンションに遊びに行ってもその気持ちは変わらなかった。部屋が乱雑だったり、一人で家事をやってる姿を自分と重ねることで片親しかいない寂しさをより実感していた。こうして同じ悩みを分かち合うことでつばさの心が少しずつ満たされていけばいいなと思う。


『感情表現が非常に上手い』

 こうしてみると『カレカノ』に登場する人物は有馬を除き皆感情をむき出しにしているのが分かる。うれしさ、悲しさ、怒り、呆れ返り、どの表情も読み手に気持ちが伝わってくる。特に嬉しさの表現は群を抜いている。
 宮沢と有馬の恋愛にしても二人の気持ちの揺れ具合というものがよく分かる。好きだという気持ちでうれしくなる一方で様々な不安に苛まれる。カレカノの恋愛は『新明解国語辞典』にあるような心境をそのまま漫画にしているといっても過言ではない。


【宮沢雪野編】

『7巻について』

 さて、二学期になると転校生として『十波健史(以下十波)』が登場する。彼も有馬と肩を並べるほどの学力と体力がある。宮沢と似たような努力を積み重ねているところはすごいと思う。ただし、頭の回転はあまりよくないように感じた。椿に対する復讐一つを取っても行き当たりばったりで、計画性というものはまるでない。これでは人を陥れるなんてことは無理というものだ。
 しばらくして十波と宮沢が意気投合することで再びドッペル有馬が現れた。「それ見たことか、お前が幸せになんかなれるわけないだろ」みたいな事をいってきた。2人の事情が分からないだけに不安な気持ちだけが増大してしまう。このまま精神的に徐々に追いつめられてしまうのかと思う心配になってくる。
 元々有馬は自分の気持ちを一人で抱え込もうとするところがある。もちろん、優等生だということも感情を押し殺してしまう原因の一つかもしれない。宮沢はほっといても大丈夫そうなんだけど、有馬の情緒不安定さを見ているとこの先どうなってしまうんだろう。


『8巻について』

 ここでもドッペル有馬は時折登場する。そして、有馬を闇の方に引きずり込もうとしているように見える。いや、実際は彼自身の欲望なんだろうけど、ただそれを認めたくないだけかもしれない。それでも宮沢一家と一緒に過ごしている時の有馬は本当に幸せそうだった。

『本筋とはそれるが』

 読書感想での作者特有の発想に興味を惹かれた。これをきっかけに『十五少年漂流記』を買ってしまった。この本を通じて作者の気持ちが少しでも理解できればいいなと考えていたからだ。それで実際に読んでから改めて感想文を読むと、奇想天外な発想をしていることがわかる。人間の醜い部分を上手に皮肉ってるところも面白い。
 もうひとつ『モンテ・クリスト伯』も読んでみた。これは十波が椿に復讐する決意を聞いた宮沢が「エドモン、エドモン・ダンティス」と叫び、その隅にモンテクリスト伯と出ていた、ただそれだけで購入したようなものである。あとは作者の心理をより理解したいから、という気持ちがなかったわけでもない。読んでみて分かったのは、エドモンのすさまじいいまでの執念である。やるからには徹底的にしないと気が済まない性格なのだろう。復讐もここまで来ると芸術ではないかとさえ思えてくる。

『ふと思うこと』

 有馬はともかく、宮沢の悩みというのは贅沢なのではないか。理由は彼女は素敵な家族に恵まれているからだ。そのうえ、成績はトップクラス、運動神経も抜群で彼氏もいる。とても幸せな状況なのにこれ以上何を望むというのだ。ただ、逆に言えばこの飽くなき向上心が宮沢のいいところなのかもしれない。


『いよいよ文化祭突入(9巻)』

 宮沢達が演じる芝居がなかなか凝っていていろいろと興味をそそられた。せっかく天才的な頭脳を手に入れても幸せになれずに苦悩するところは「アルジャーノンに花束を」を彷彿させる。その中でも気になるのは有馬だ。劇中で博士が抱え込む悩みと有馬が抱えている心の傷は非常に似ている。彼は自分の事をいわれているような錯覚に陥ったはずだ。
 さらに追い討ちをかけるように宮沢が有馬以外のことで浮かれたようにはしゃいでしまう。そう、彼女は演劇をつうじて周りの世界に向けて、今まさに羽ばたこうとしていた。これはともすれば、有馬がいなくても生きていけるかのような…という不安が彼に押し寄せたのだろう。有馬の中で心を許せる人というのは宮沢だけで、彼女以外に本心をさらけ出すことはどうしても出来なかった。やはり、子どもの頃に受けた心の傷はそう簡単には癒えないということなのだろう。未だに本当の自分を他人にぶつけられずに悩み続けている。

『ますます有馬が心配になる』

 出会った当初は二人だけの世界だった。だからお互いの気持ちも理解しあえた。ところが、付き合っていくうちに彼女の方がドンドンと変貌していった。そのスピードは有馬とは比べ物にならないくらいだった。気がつくと宮沢は一人でも平気なのに彼は彼女なしでは生きてゆけないという強迫観念に駆られてしまう。それほど宮沢が好きだという意志の表れではあるが、同時に彼の心の悩みが依然として解決していないことも示唆している。
 思えば付き合う当初から有馬は不安がっていたけど、今ならその気持ちが分かったような気がする。最初は自分の考え方に同調してくれていたのに、気がつくとその考えには異を唱えたかと思うと目の前から消えてしまう。嫌な予感が今まさに的中してしまったと有馬は思いつめたに違いない。ものすごく心配だ。
 最後の方に出てくるドッペル有馬の不気味なまでの表情が全てを物語っているように思えてならない。後ろから抱き付くドッペル有馬はまるで「ほらごらん、やっぱり俺の言ったとおりになったろ」と囁いているかのようだ。台詞がないのでいろいろと想像できてしまう分、恐怖が倍増している。今後彼は一体どうなってしまうのだろう。宮沢を束縛しようとするのか、それとも自暴自棄に陥って自殺なんてことにまで発展するのだろうか。そして、ドッペル有馬はどこまで成長(?)し、彼にどのくらい影響を及ぼしてくるのか。これまで以上に今後の展開が気になってしまう。


『これまでと比べると今一歩な内容だった(10巻)』

 真秀編では純文学風の雰囲気が個人的にはあまり好きなテイストではないんだけど、なんだかんだいってまとまった内容にはなっていた。
 続いて修学旅行編ではこれといって何かが進展した訳ではないが、宮沢を中心に個性溢れるキャラ達による騒動はそれなりに楽しめた。ただ、大きなトラブルが起きなかったせいか、ちょっと物足りなかったように思う。ドッペル有馬もおまけ程度にしか登場してないし、9巻で宮沢が言っていた「もの凄く後悔することになる」こともどうやらもっと先の話になりそうだ。
 最後に宮沢が高校受験するところを描いたACT.0はどうだったかというと、以前ほどの勢いは残念ながら感じられなかった。初めて宮沢を見たときはインパクトあったけど、今となっては昔を懐かしむ思い出くらいにしか感じられなかった。


『一馬は気づいてしまった(11巻)』

 つばさを一人の女性として愛してしまったこと、そしてつばさが一馬に向ける愛情はあくまで無垢な子供がしていること(現時点では勘違いという可能性も否定は出来ないが)に。互いの気持ちのギャップに一馬は思い悩む。
 それからというもの、頭では優しくしようとしても途中でやめてしまったりするようになる。一馬の気持ちの不安定はつばさを不安にさせる。この状態に耐えられなくなった彼はバンド仲間のところに助けを求める。

『ふと、思ったこと』

 それにしても、どうしてつばさと一馬の話をしているのだろう。考えられるのは精神的に成長した一馬が有馬の心を癒すという展開を描こうとしているからではないだろうか。確かに恋人である宮沢は有馬が抱く暗い感情を和らげてくれた。しかし、いくらなんでも彼女一人では限界がある。そこで宮沢に比べれば近い境遇にいる一馬が必要になったのだろう。彼らが素直に感情をぶつけ合って、最後にお互いの気持ちを理解し合うことで有馬の重荷が取れるようになればいいなと思っている。
 ただ、そうなると有馬も宮沢同様自由に飛び立てるようになってしまう。そうするとアニメのオリジナルストーリーみたいに互いが2人でいる必然性を失ってしまうなんて思うようになるかもしれない。そうなるとちょっと悲しいけど、大事なのは2人が出会ったことなのであって、いつまでも一緒にいることが必ずしも幸せになるとは限らない。たとえお互いに違う道を歩くことになったとしても、納得のいく生き方をしてくれればそれでいい。それこそが本当の幸福なのかもしれないのだから。


『今回もつばさと一馬の内面を丁寧に描いていた(12巻)』

 前半は一馬がいかに音楽的センスが優れているかということを上手く表現していた。特に、彼の頭上に音楽のシャワーのようなものに包まれて涙するシーンは秀逸だった。このことで音楽的センスを飛躍的に向上させただけでなく、つばさに対する愛情も歌で表現できることに気づかせてくれた。
 後半は一馬が家出したことに悲観したつばさが徐々に荒んでしまう様子を鋭く描いていた。姉弟としての愛情が満たされないうちに離ればなれになってしまったことで彼女はこれ以上ないくらいの寂しさで一杯になってしまう。一馬のことが忘れられず日に日にやつれていくつばさの痛々しい姿は見るに耐えなかった。そうこうして心身共に疲れ果てて彼女が病院にかつぎ込まれた時はどうなることかと心配したけど、急遽駆けつけた一馬がつばさの不安を全て癒してくれたことで一件落着した。
 こうしてお互いの距離が縮まるまでの道のりは遠く険しかったけど、本来は幼い頃に獲得するはずだった信頼関係の第一歩をようやく手にしたのだから幸せもひとしおではないだろうか。

『次回からはいよいよ物語の核心に迫る』

 あとはちょっとしたキャラ紹介編といった内容の「りかちゃんライフ」があったけど、そういうのもあったかな程度の内容だった気がする。
 それはともかく、これでようやく番外編はおしまい。次回からはいよいよ物語の核心である有馬を中心とした話になるようだ。9巻の終わりから待たされていただけに、どんな展開になるのか非常に楽しみだ。


【今回読んだコミック】
タイトル作者 出版社第1巻出版年度
彼氏彼女の事情
1〜13巻
津田雅美 白泉社1996年


【参考資料】(その1)
『辞典』
タイトル出版社第5版 発行初年度
新明解国語辞典(第5版) 三省堂1997年

『本』
タイトル作者 出版社出版年度
十五少年漂流記 志水辰夫、文
原作、Jベルヌ
講談社1997年
モンテ・クリスト伯 村松友み
原作、Aデゥマ
講談社1998年
アルジャーノンに
花束を
ダニエル・キイス
小尾芙佐=訳
早川書房1989年

『雑誌』
タイトル 〜/〜号 出版社出版年度
オリコンウィーク ザ・1番 10/26号 オリコン1998年

『DVDビデオ』
タイトル 発売元op.1発売年度
彼氏彼女の事情 op.1〜6 キングレコード 1999年