白河のだるま市
(平成20年2月11日
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平成20年3月7日更新
 
東北の玄関、白河市は歴史の古い城下街である。度々の訪れで気になるのはこの街もドーナツ現象化が進んでいるようで普段の街中は人通りも少なくシャッターの閉まった通りが目につくことである。 一昔前の城下町らしい風情が年々失われていくのが寂しい。しかし古いながらの伝統ある行事も多く、中でも立春過ぎの2月11日に開かれる、恒例のだるま市の一日は近郊の町村からの人出も多く大賑わいを見せて昔の活気が戻る一日であった。

 



横顔表情
白河だるま市藩主丹羽長重公時代(1627年―寛永4年)から始まったといわれるが、現在のだるまの型は松平定信公(1783年-天明3年)が藩主の頃に出来たという。「白河鶴亀松竹梅だるま」と呼ばれて知られるようになり、特徴は眉毛は鶴・ひげは亀・もみあげは松と梅・あごひげは竹を表しおり、福相を描いているという。

市内でだるま製作、匠の技を伝えるのは「渡辺家」と「佐川家」の2家であるが、これより仕入れをした露天が目抜き通りにいっぱいに展開する。 一つ一つのだるまは形も表情も違いを見せて、好み好みで品選びをされる、目出度く売買成立すると握手と拍手が起こる。求めに応じて祈願のことばを記してくれる。

普段は遠慮がちに構えている町中の社でもこの日は大きな神楽殿を築いて大大神楽が奉納されていた。ユーモラスなゑびす様の舞の後餅まきに人々が集まる。 最後は氏子や来賓が登壇して、餅まきで締めくくり、縁起物の餅やミカンほかの景品を沢山拾おうと袋や帽子を広げて受ける人々、思うように受けられないで残念がる声が入り混じる。

 

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