天空の佛都ラサ
12月17日

北京から丸々2日の47時間4064、kmの列車の旅で到着したラサ市は標高3650mの高山都市、ラサ駅に出迎えてくれた現地ガイドのバチさんは「重い荷物はポーターに任せてゆっくり歩いていきましょう」と走らないように注意していた。富士山の高度に匹敵する高地で列車から急に酸素の希薄な市内へ降りて高山病に罹ることをことを心配してのことであった。一行は高齢ではないが若くもない年齢、飲酒も控えめにとのアドバイスもあり我慢の2日間となる。
ラサは、又日光の街とも称され日照時間は年3000時間にも及ぶという。強い紫外線による害はどうなのだらうか?また街路樹の柳は枝を上向きに延ばすという説明もあったが確かめられなかった。
市内の人口は14万人程というが青藏鉄道の開通によって日々数千人の観光客が出入りするようになり、今後どんな変貌をを辿っていくのであろうか。古い歴史と伝統を守りながらの発展を強く望んだ旅であった。

ポタラ宮は1642年チベットの仏教と政治の拠点として10年以上の歳月をかけて造営されたという。標高3700mの高台にあり、延べ面積13万㎡の広大な造りでその威容はラサ市内のどの場所からも望見できる
ポタラ宮に向かって五体投地の祈りを捧げる人々、早朝からポタラ宮の周りを右回りに回り此処で五体投地を捧げる。 祈りは奇数回捧げられ、普通は3回程だという。

マ二車を手に回しながらポタラ宮を巡る仏教徒、マニ車は経蔵のミチュア判で側面に祈りの言葉と経文を内蔵しているという。ポタラ宮を右に見ながらの右回りで歩みを進める。 五体投地で一歩一歩寺院に向う、遙かな遠方より何カ月もかけて祈りつつこの地へ上って来る熱心な巡礼の仏教徒もいるという。苦行を支える強い信仰心に敬服する。

大昭寺門前で五体投地の祈りを捧げる女性仏教徒。この寺は7世紀半チベット王ソルツェンガンポに嫁いだ唐の太宗の娘文成公主によって創建された。
青く澄んだ空にくっきりと美しい線を描く大昭寺の屋根、唐時代の建築様式にインドやネパール様式を取り入れているという。文成公主が嫁ぐ際唐から持参した釈迦牟尼像がまつられている。
ノルブリンカはチベット語で「宝の宮殿」の意味、18世紀半ばダライ・ラマ7世が創建後ダライ・ラマの歴代の離宮として避暑に使われ夏宮と呼ばれた。ダライ・ラマ14世最後の住居「タクテン・ポタン」のみ解放され入園できる。 ノルブリンカ園内は市内に緑が少ないのに対して大木の緑が豊富である。花壇にはアジサイ、ベコニア、ゼラニウムなどなじみの花も、樹木はアカシア、ヤナギ、ポプラ、百年を超える赤松の大木等多種の植物類。
ラサ市内街角のスケッチ
バスの車窓より市内の一角に集まる人々の賑わいが見えた。カラフルなテント店舗に衣類や食料品等の市場、雑多な中にも活気が見える。 宿泊のホテル「新鼎大酒店」に隣接する鉄工所、間口の数だけ工場があるのか、早朝から溶接の炎が見える工場もあった。開発ブームで仕事は忙しいか? 早朝暗いうちから炎が見える鉄工所の溶接工の姿。着古した背広姿と簡単な保安装備で、格子組の工作物を造っている、小動物の飼育檻の様に見えたが?。 市民の足三輪タクシー、此処では嘗ての日本の「輪タク」が生きている。車体も塗装もまだ新しく奇麗に見えるのは観光ブームに乗って最近増車されたものか?
富士山とほぼ同じ高さのラサではホテルに有料の酸素ボンベが備えられていた。が15ℓの容量で40元(日本円約680円)は医療用のもので容量100ℓで200元(約3400円)であった。私達も高山病予防のためにと小ボンベを一本用意したが就寝中寝苦しさを覚えたとき管を鼻に入れて2~3分程度の吸引で楽に休むことが出来その効果を実感した。使用の時間は15分とあったが2日の滞在でまだ残っていた。消費はわずかだった。
しかし高山病に取りつかれ大型ボンベを1本飲み干しても快癒せず平地へ下ってようやく平常に戻ったという人もいた。高山病はいろいろな症状を見せることを知った。
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