世界の車窓へ(2003年12月分)

2003/12/31 (Wed) 160

.「12月31日(水)」.
■思えば今年は、ボクデス名義の活動が少なかった。3月に「誰ピカ」やって(放送は7月)、4月に「カラオケ」ビデオ、5月&7月に「河童次郎」。この4回だけ。「誰ピカ」は周到に準備したはずなのに散った。一方、カラオケと河童に関しては、頭打ちの切羽詰まりでやったのだが、なんだか好評だった(一部で)。「ランコントル」はどっちの方向で行こうか。『BOKUDEX』はある意味、ベスト版的作品で、初演は2002年11月。今の僕の志向とはやや異なる位置にはある。でも、あえて、そこから創めてみる。

■夕方、いつも通り劇場入りし、クリストフのクラス後、アレックスからの最後のノート。残念な怪我から演出補になったわけだが、僕たちにとっても、彼女にとっても、このノートは大事な時間だった。スペインでのファッキン・バックを待ち望み、皆でアレックスにお礼を言う。その後、僕は劇場付き衣裳スタッフ部屋に行き、毎日、羽織袴を着るのを手伝ってくれたベルナールとクロエに、感謝の意を込めて、ミニ・ダルマを渡す。願掛けのやり方を説明したが、伝わったかは分からない。

■で、千秋楽の本番。日本だと、町は12月24日を過ぎてからは年末ムード。31日を過ぎて、1月1日から新年ムードになるが、この国では、全部一所くたみたいで、店にもクリスマスの飾りが付いたままだ。なので、冒頭の挨拶も「Bonne Annee!(=A happy new year!)」で構わないらしいが、日本語で新年の挨拶は変なので、そこは年の瀬の挨拶に変える。日本人のお客がいるかどうか分からないが、そういうことにはこだわりたいっす。楽日の昂揚感で感極まるかと思いきや、通常進行。何度目かのカーテンコールで、ステファンとオリーブが隠し持った長い銃を撃ち放すと、紙吹雪や紙テープが舞った。皆が袖に戻り、ステージに残されたカラフルな残骸は、パーティ−・イズ・オーヴァーの合図みたいでもあった。

■終演後、すぐに着替えて、衣裳部屋へ急ぐ。バラシ&搬出は年明けの1月2日だが、僕は出航日なので来られない。そのため、羽織袴を今日のうちに仕舞わなければならない。山口で撮影した「たたみ方ビデオ」を見ながら作業。袴の帯の出世たたみは難しく、ダルマのように手も足も出なかったので諦めていたが、フランス・スタッフが興味を持ったらしく、やってもらっちゃった。最後まで困った日本人だ。あと、日本から持ってきた脚立、ウルトラ影絵用のスケボーも無くてはならないものなので、舞台監督のラルーに忘れないように念を押す。うっかりしてると作業に使われている脚立は特に置いてこられる可能性が高い。これらを、DCAの倉庫に保管してもらい、6月のスペインに持って来てもらう。

■楽屋を片付け、いつも「脚立」をやるホワイエに行くと、既に年越し打ち上げ会は始まっていた。DCA関係&劇場関係で400人参加の大レセプション。フランス人気質なのか、ダンサー気質なのか、よく分からないが、皆、踊っていた。煩悩よ、散れ!とばかりに。エッフェル塔のイルミネーションも周辺の花火も11時57分頃、うやむやに打ち上がったのでカウントダウンもなく、済し崩しに年を越す。これもフレンチ・スタイルのひとつか?宴は朝まで続きそうな勢いだったが眠くなってきたので、踊る群れの中から、『イリス』メンバーを一人ずつ探し出し、お礼と「See you SPAIN!」を告げる。英語というのは、ど真ん中な言語で、ど真ん中に「It’s my pleasure to work with you」と言われると、ど真ん中に嬉しいね。なにしろ、「私の喜び」だよ。

■こうして、『イリス』パリ公演は閉幕。貴重な体験をさせてもらった。海外で活動する日本人も多いが、皆、語学が堪能だ。喋れない僕が、こんなことするなんて滅多にないことだと思う。「出来ないこと」が常に僕の武器だが、6月のスペインまでに、少しは勉強して来なきゃな。また、ゴム付き扇子とか、新たな小ネタも仕込んで望もうかなと思ってる。あと、ケーシー高峰ネタね。本場で「セニョール、セニョリータ!」とか「グラッチェ!」とか言えるのが待ち遠しい。そういえば、キャタツダ・ファミリアも出来るし、コモエスタ赤坂もある。酔いしれてみたいものだ。


2003/12/31 (Wed) 159

.「12月30日(火)」.
■これでもかというくらい白湯を摂取して寝たので、大量に汗をかく。午前中、空港に行く用事があったが、大事をとって寝ていたので、体調は回復した。

■15時半から、2004年のツアーのミーティング。6月のスペイン公演、今期と同じ時期のパリ公演は決定だが、10月にロンドン公演が入りそうなので、皆の予定を確認する作業。イギリス行きが初めての僕の頭の中では、早くも脚立に時計をつける妄想が浮かぶ。

■ミ―ティング後、クリストフのクラス。クロアチアの本家は欠場らしいが、うちのミルコは相変わらず、意外性の男で面白い。松竹生タイプ。で、本番。「脚立」にしろ、冒頭の「デタラメ・ジャパニーズ」にしろ、28回もやっていたのかと思うと、楽日を前に早くも感慨深くなる。「ウルトラ影絵」も楽日を前に少し調整。道化過ぎていたので、原点に戻す。そういえば、『イリス』サントラCDはどこで手に入るのかという質問メールをいただいたが、今のところ、公演劇場のみの販売で、ゆくゆくは通信販売、店頭販売もされるみたいだ。店頭にしても日本の場合、海外自主盤のショップ売りになると思います。


2003/12/31 (Wed) 158

.「12月29日(月)」.
■オフ。■日本に電話して、大晦日格闘技チャンネル戦争のビデオ手配。はー忙しい。■昼間、土産物を買いにLes halles駅の地下街を探索していたら、急に寒気がしてきた。朝も起きたら、喉が痛かったし、風邪かもしれない。最後の最後になんてこった。■予定を切り上げ、ポンヌフ橋の横にあるデパート、sammaritaineに行くが、屋上テラスは冬季休業中だった。珍しいplaymobilがあったのでつい購入。■で、ポンヌフ橋を渡り、ホテルに引き返そうと思っていたのだが、気がついたら、セーヌ川の川下り遊覧船に乗っていて、どういうわけか、夜景を見ている自分がいた。まるで観光ではないか。風邪なのに。■そういえば、セーヌ川で「ハムレット」を読むという指令を出されていた気もするが、すっかり忘れていた。そもそも「ハムレット」を持参してないし、冬のセーヌは画的にも、いまいちなので、6月のスペインツアーの際に、「闘牛の上でハムレット」を読むというのでどうだろう。■あと、セーヌ川に来ると、どうしても僕はネプチューンマンのことを思い出してしまうが、彼が身投げしたのはイギリスのテームズ川で全く違う。間違ってると知りながらも、つい連想してしまう、個人だけで持つ思い込み連想記憶ってある。「ハリー」って聞くと「ああ、蘭丸か」と思うように。こんなことを考えるのは体が弱まってるからだろうか。■最後のオフだから、ディナーにフレンチでもと思ってはいたが、風が体を切り刻むように痛いので、今度こそ引き返す。■早寝。


2003/12/31 (Wed) 157

.「12月28日(日)」.
■「ガストル」という、冬のこの地方、特有のウィルスがあり、それに感染すると、体の中のものを上げたり下したりしてしまうらしい。フェイ・ボーを初め、何人かがこれにやられ、体調不十分だ。テクニカルな不備もあり、本番はけして良い出来とは言えなく、また、客の反応は正直で、如実に現れた。僕も脛を「脚立」で打ったり、「ポワント」の暴れるシーンの、ヘッドバンキングで立ち眩みがしたり。あと2回、気を入れ直そう。そういえば、「ポワント」で使う映像を編集して、一度練習で流して見たものの、本番で一度も使ってないのは、「トゥナイト2」みたいになったからだろうか、次郎さん?

■夜、メンバーの家族や恋人たちも同席したDCA主催の忘年会が中華料理屋であった。御大は生け簀にいた鯉の丸焼きを注文。鳩料理もあったが、それはチョットね。あと、衣裳のJがゲイということは、前にも書いたが、この日も僕を寂しそうな目で見ていたらしい。まだ、諦めてないのかよ!


2003/12/31 (Wed) 156

.「12月27日(土)」.
■「ランコントル」本番(1/10)の順番が決まった。Time and locus –ルーデンス-(休憩)-岡本真理子-小浜の順。岡本さんは、おそらくインスタレーション的なものを持ってくると思うから、休憩後なのかな、とか推測。僕の順番は、ルーデンスの次の方があえて正反対で作戦的には良かったのだが、あと、「やり逃げ」ボクデスが〆というのも、イベント的にどうなんだろう。コンペジションなのに興行のことをつい考えてしまうのは、僕がプロレス者だからだろうか。また、以前お知らせした横浜STスポットで開かれる『Dance and Media (video exhibiton) yokohama/hongkong/newyork』の日程も出た。残念ながら、「ランコントル」の本番&ゲネプロと丸被りなので、見に行けないが、皆さんは9日の昼に2年前のボクデス・デビュー作が見れます。よろしくです。

「ダンスとメディア」詳細
http://dance.pao.to/page/dmj_yokohama.htm


■26回目の本番。いつも書く「冒頭」というのは、日本人の僕、フランス人のステファン、中国人のルーが、母国語や外国語を使って、3人同時にマシンガンのように喋るシーンのことなのだが、もちろん、大半を占めるフランス人の客は、日本語や中国語を理解できない。それを分かったうえで、「イリスじゃなくて、子リス!」、「おでんが美味しい季節になりましたね〜」とか、大晦日に言おうと思っている「美空!」や「まずは、少年隊の仮面ライダー!」というセリフには、どういう意味があるのかと考える。メトロで隣り合わせになる人の会話も、テレビから流れてくる言葉も、ほとんど意味は分からない。毎日が字幕なし外国映画を見たときの感覚と言えば、分かってもらえるだろうか。ダンサー間でもそうだが、言葉の意味が分からない場合、喋ってるその人自体の体に注意がいく。体から出る「何か」を見ている。では、「イリスじゃなくて子リス!」と言ったときに出る「何か」とか何か?思うに、これは、もう駄洒落を口にした者が持つ特有の恍惚感ではないだろうか。駄洒落を口にした者に、他者性は皆無だ。その言葉は内なる自分へ放たれ、そして、至福の光が彼を包む。言葉の意味は伝わらないから、何故、この人が至福な時間の中にいるのか、観客には分からない。つまり、観客は、「至福の光に包まれた存在のみ」を見るのである。って、駄洒落で至福かよ、俺。


2003/12/27 (Sat) 155

.「12月26日(金)」.
■早目に劇場入りして「忍者ビデオ」の撮影。コンビニのオニギリが開けられないフランス人役をステファンに出演依頼したところ、軽く承諾してくれ、予想通りサービス演技をしてくれた。

■クラス後、フィリップから皆にCDが配られた。『イリス』のオリジナル・サントラ、17曲入り。当初は世界初演で販売するはずだったが、延びに延びて、やっと完成した。思えば、『イリス』で使ってる曲は、クレールとタオが全曲作曲&編曲しているのだが、僕の「幽霊」だけは、稽古で僕が選んだ原曲のままなので、未収録。悲しむべきか、世界的にもOKな選曲感を喜ぶべきか。

■で、本番。「受験生の皆さん、今が勝負の時です。頑張ってください!」とか言って、前半はいつもより肩の力を抜いて出来た。というのも、後半の「ミヤ・ダンス」という群舞パートに、急遽、僕も出ることになったからで、緊張は後半に向かっている。難しいんだよ。下手な人が一生懸命やってる「だけ」の踊りっていうのは、倫理に反するから、「だけ」じゃ無いようにやってみる。やってみたが、明日の風はどこに吹くか分からない。気づけば、あと、4ステ。


2003/12/27 (Sat) 154

.「12月25日(木)」.
■本番は「クリスマス・バージョン」ということで、何シーンかオリーブやステファンがサンタの帽子を被る。僕も冒頭では「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス!」と言ってみる。また、今日は日本からプロデューサーのSさん、照明のAさん&Mさん、通訳のAさん&Hさんら、大勢の日本人スタッフが見に来てくれた。羽織袴を指導してくれたHさんにも安心してもらえた。内々の話になるが、「日本公演よりも皆、楽しそうで良かった。それが伝わった」と言ってくれた。いや、楽しいんだよね、実際。「ドデスカデン・ウォーク」とか「袴でアギト・変身ポーズ」とか、気ままに。ただ、ウルトラ影絵を一緒に作った照明Aさんは「フランス人はスペシウム光線の概念が分かってない」だって。相変わらず面白い。


2003/12/27 (Sat) 153

.「12月24日(水)」.
■クリスマス・イブなのでオフ。「忍者ビデオ」の撮影で、シャンゼリゼ通り、凱旋門、エッフェル塔に繰出す。忍者が町にやって来た。ただ、雲が空を蔽っていて、塔の半分上は見えない。一番上の展望台に行って見たものの真っ白で、何も見えない。言ってくれよ、係りの人。


■夜、ドミニクの家で食事会。皆でワインとチーズを持ち寄る。料理はステファンが仕込んでくれた。アントレに生牡蠣。メインはポークとソーセージと野菜を煮込みに煮込んだ男の料理。とても美味く時間を忘れる。忘れて、メトロの最終に乗り遅れ、中国チームとレピュブリック広場から4駅分歩く。シュワイヨー・ノエル!


2003/12/27 (Sat) 152

.「12月23日(火)」.
■変な夢を見た。

死期が迫っている友人がいて、彼は毎日、儀式のように薬を飲んでいる。その最後の儀式の日、つまり明日、どういうわけか死ぬことが分かっているのだが、僕は泣きながら彼をビンタした。力一杯叩いた。彼の死は、とても悲しいもので、涙が溢れてくるが、それと同時に、彼の表現者としての「死」の扱いかたに憤りを感じた。人は誰でも死ぬ。死ねる。儀式なんかじゃない死を見せろよ、と本気で怒ってる自分がいた。

どうして、こんな夢を見たのか分からない。夢の中のことなので放っておいてください。


■昼間、「忍者ビデオ」の撮影予定だったが、雨だったので延期。コンコルド広場付近の高級ブランド街を歩く。いわゆる、銀ぶら。ある化粧品ブランドのフランス人店員の日本語はやけに流暢で、「ザイコ、シラベテキマス」と言ったのは驚いた。在庫だよ。あと、「オツリアゲマシタッケ?」というのもびっくりした。マドレーヌ教会の前を通り、カツカレーを食べ、コメディ・フランセーズの前の駅からメトロに乗って、劇場入り。

■23回目の本番を「シルク13」(フィリップが演出したサーカス学校の卒業公演のメンバーで作られた集団)の金井君が見に来てくれた。彼とはビデオWSで一緒だったのだが、「ブラボー!」だけじゃない、率直な細かい感想をもらい嬉しかった。


2003/12/27 (Sat) 151

.「12月22日(月)」.
■オフ。
■パリ最大規模のマルシェ(市場)、クリニャンクールの蚤の市に行く。3年前の夏に来たときも少し覗いたが、そのときは絨毯類が多いと思った。今日来たら、時代の流れか、携帯電話のカバーや、ヒップホップの大き目の服がやけに目に付いた。■あと、パリの歩行者は信号を見なく、信号を守るのは自動車の運転者側だけで、常に歩行者とクルマのチキンレースが行われているのだが、今日はそのレースに危うく負けそうになった。■クリニャンクールからメトロに乗り、『アメリ』で御馴染みのモンマルトルに向かう。坂道を登り、丘の上に建つサクレ・クール聖堂に向かう。今日は天気もよく丘の上からはパリの町が見晴らせた。壮観。でも、「悲しいとき」とよぎったのは、ハーブを弾くストリート・ミュージシャンが『カノン』を演奏していたからだ。■そんなことはどうでもよくて、パイプオルガンの単音が厳かに響く、この白亜の聖堂の中は、外とは全く違う空気が流れていた。聖なる気がそうさせたのか、個人的なあることを誓う。■そのあと、似顔絵書きの画家がたくさんいるテルトル広場をウロウロ。「ニガオエ、ゴフン」と日本語で話しかける画家たち。上野か。あと、切絵似顔絵の人もいたが、厳密には画家ではない。■夜、寿司を食う。やっぱり米が好きなんだなあ。


2003/12/23 (Tue) 150

.「12月21日(日)」.
■日曜公演だから、やはり子供が多い。子供のケラケラ笑う声で証明されたのだが、『イリス』ってやっぱり、ドリフだったんだ、と。「イリスだヨ!全員シャイヨー!」だったんだ、と。

■メールチェックすると、有難いことにサブライムのYさんから、今見られる芝居&ダンスの情報が届いていた。以前から気になっていた、馬が走り回るジンガロの舞台もやっているが、見れそうにない。来年日本公演の噂もあるらしくそれを待つか。

■夜、マレ地区のショッピングエリアをうろついたあと、ポンピドゥーへまた行く。昨日見れなかった「ソフィー・カル展」を見たかったが、間に合わなかったので、地下のインタラクティブ・アート展を見る。面白かったのは、箱の上に、何も書かれていない白紙の本があり、天井のプロジェクターから言葉が映写されている。で、ページをめくると、その言葉も進む。どういう仕掛けか分からないけど、ページを戻すと、言葉も戻る。10ページめくると、言葉も10ページ先に進む。単純なアイディアゆえ、意図が明確に伝わる。だから、好き。箱の中の人に「お疲れ様です」と言い去るって中に人はいないけど。お土産にエッシャーの「Other World」が、飛び出して見えるステレオ3Dカードを買う。ほんとに飛び出して来るんで、ビックリ。


2003/12/23 (Tue) 149

.「12月20日(土)」.
■朝早めに出て、ノートルダム寺院へ向かう。観光ではなく「忍者ビデオ」の撮影。何シーンか撮ったが、雨が降ってきたので、後の予定を変更してポンピドゥー・センターへ行く。企画展では「コクトー展」「ソフィー・カル展」をやっていたが、時間の都合もあり、常設展だけ見る。ひとつ笑ったのがあった。パフォーマンス・アートの記録ビデオみたいのだが、大きいキャンバスを持った男が、消防署に入っていく。何をするかと思うと、でかいバーナーの火をキャンバスに近付け、燃やす。で、隣の消防士に消火させて、焦げ目を作る。つまり、「焦げ目アート」。他にも、ボディ・ペンティング・ライブの様子もビデオにあった。その絵自体も展示されていたが、こういう「行為」ものって、記録が伴ってないと全くお話にならないものだと知る。そういう意味でも、面白かった。「パフォーマンス」って、その場より、時間が経ってから知った(見たり聞いたりした)ほうが面白い場合が多く、考えポイントではある。

■夕方、劇場入りしてクラス。書き損じていたが、1月のために、最近は頑張って、ソフィーのクラスを受けている。なんとなく付いて行けるようにはなってきた。そのあと、アッレクスからのノート。フィリップは出演に回っているので、本番を見てない。アレックスからの駄目出しはフィリップより細かく、幸か不幸か適任。で、本番。早起きしたせいか、いつもよりパワーが漲る。「脚立」もいつもより多く回ったし、「冒頭」でも扇子を放ったって、放っちゃいけない。事故。気づいたら、飛んでちゃった。ピューンて。

■終演後、「忍者」のロケハンも兼ねて、凱旋門に向かう。夜のシャンゼリゼ大通りのイルミネーション。ひとつひとつのプラタナスはチープ目だが、1700m並ぶと壮観。でも、一番派手で笑ったのは、ルイ・ヴィトン本店の装飾。10階建てくらいのその建物は、ヴィトン・バッグの形をしてて、牛久大仏が持てば、丁度良いという巨大さ。ヴィトンってブランドは、冗談ということをしたくて、わざとやってることに気づく。ホントは笑ってほしいんだよ、ヴィトンって。


2003/12/23 (Tue) 148

.「12月19日(金)」.
■ノート前、昨日の「変なオジサン」から皆に感謝の言葉があった。「僕は少ししか出なかったけど、皆、こんな大変なことを毎日やっているのかと、初めて分かった。どうも、ありがとう」と。■で、今日も出た「変なオジサン」。アレックスの代役として、ジョン・バティストや郁女がやっていた「心臓」のソロ・ダンスも、フィリップがやる。昨日の反省をしたのか、「町」のシーンでは、比較的、皆の動きに合わせて動いていたので、大丈夫だ〜。■自分の話をすると、「脚立」では、2日前からニーパッド&エルボーパッドを装着してやっていたのだが、それを今日はし忘れたことに気がついたのは、膝に脚立がぶつかったときで、もう遅かった。■帰りに、ホテルの近くのバーでビールを飲んでいたのだが、近くに大きなドラム缶で飲んでる人がいるなと思ったら、近くの劇場で公演をしている「七人の俳優」の一人だった。


2003/12/23 (Tue) 147

.「12月18日(木)」.
■ホテルのすぐ近くにも劇場があり、「白雪姫と七人の小人」を上演してるのだが、特筆すべきことは、小人役を本物の人が演じているということだ。リアリズムを追求しているのかと思えば、白雪姫役はオバサンなので、あながち、そうとも言えない。

■昼間、オペラ・ガルニエの中をちょっと見て、パレ・ロワイヤル庭園を抜け、メトロで劇場へ。今日の本番は、いつもと違う出演者が一人踊る。御大・フィリップ・ドゥクフレの『イリス』初出演。「町」のシーンで、皆が規則的に動く中、即興で縦横無尽にノビノビ動くその姿は、「変なオジサン」だった。当初は、「脚立」でもチュチュを着たダンサーに交じり、スワンを付けて自分も踊る、と言っていた。その案も「東村山1丁目音頭」で、まさしく志村だ。あいにく、前半戦終わりで「家」は回転しなかったけど、ダッフンダ!

■終演後、チケットを大量に購入してくれた企業のためのレセプションがあった。コスチューム・デザイナーのJさんは、ゲイなのだが、前から僕を見る目が特別だなと思っていたら、シャンパンが手伝ったのか、「結婚してくれ」と言われた。丁重にお断りしたら、悲しい目をした。本気かよ!


2003/12/18 (Thu) 146

.「12月17日(水)」.
■去年の今日は、『トーキョー・ボディ』パフォーマンス班の稽古で下北沢にいた。演出助手の服部が「加瀬沢さんを駅まで迎えに行ってきます」と出て行ったが、実はそれはナチュラルな騙し演技で、服部はケーキを買いに行き、稽古場の照明が消えたと思ったら、ケーキの蝋燭に火を灯し、「♪ハッピ〜バ〜スデ〜、ツ〜ユ〜」とぼそぼそ歌いながら戻ってきた。それが1年前のこと。周りの環境は変わったが、やってること、考えてることは何も変わってない。いや、1年じゃなく10年前、20年前から変わっていないかも。■18回目の本番、冒頭の3ヶ国挨拶では、今朝、思いついた台詞を言ってみた。「『イリス』というのはですね、眼球の虹彩、カメラの絞り、虹の神という意味のほかに、森などにいる小さな動物で、ドングリや木の実をこうポリポリ食べる、ってそれは『子リス』だー!」と。ね?変わってないでしょ。大変さも多々あるけど、自分が楽しいと思うことが出来て、それが仕事になってる、その状況を幸せだと思ってます。感謝します。えーと、成せば成るよ。そんなことを思う、36回目の誕生日。


2003/12/18 (Thu) 145

.「12月16日(火)」.
■行きがけのメトロで偶然、フィリップと一緒になった。車内で御大は、オールカラーのフレンチ・SFコミックを読んでいたのだが、新聞やペーパーバックスを読んでる乗客は目にしても、日本と違いコミックを読んでる乗客はいないので、「それ、子供用の本?」と聞くと「いや、一般用」と答えてくれた。フランス語はチンプンカンプンだが、英語のリスニングは日々向上してるように思われる。ただ、言葉が分かってくることで、耳にしたくない言葉も分かってくるという弊害が無い訳ではない。■劇場に入り、抜き稽古中、ある捨て言葉が耳に入った。動揺する自分。動揺しながらも、「家」の2階で自主練してると、1階の天板を開けて上がってきたステファンに気づかず、足を滑らす。流血。軽く挫く。■やや痛みを感じながらも、時間のない中、チュチュを着たダンサーを交え「脚立」の稽古。とりあえず稽古して、とりあえず本番もやってみた。豪華にはなったが、やや未整理かも。

■東京から嬉しいお客が来てくれた。お土産はミル・マスカラスが表紙の雑誌だった。ビバ!アミーゴ。


2003/12/18 (Thu) 144

.「12月15日(月)」.
■オフだが、日本では赤レンガ倉庫で「ランコントル」の技術打ち合わせがある日。代理出席してもらった太野垣らに連絡を入れる。ある虚仮威し効果も含め、概ねこちらの要望通り、出来そうだが、事務局では蟹汁を懸念してるそうで、出演の順番は最後になりそうだ、と。僕も人様の舞台に迷惑になることはしたくないし、決まり後連絡が入る。また、下のリンク先を見ると、「ランコントル・コレグラフィック・アンテルナショナル・ドゥ・セーヌ・サン・ドニ」の位置付けが分かると思うが、パリに行く「ヨコハマプラットフォーム」のために、パリから指示を出すという変な状況ではある。

「ヨコハマプラットフォーム」詳細
http://www.city.yokohama.jp/me/yaf/ydc2004/platformtop.html

■夜、制作のドミニクの自宅に、お呼ばれされ食事。ペール・ラシェーズ墓地方面にある、その家は、洋裁工場を改良したアトリエ風の建物で、暖炉の火が暖かく燃える。日本好きのドミニクらしく、至る所に「和」が置いてあった。奥さんの手料理は、パリに来て初めて食べる家庭料理だったが、とても美味しかった。


2003/12/15 (Mon) 143

.「12月14日(日)」.
■市川新之助の11代目・海老蔵襲名披露公演を、来年10月にパリでも行うらしいが、その劇場は、毎日『イリス』を公演しているここ、シャイヨー劇場だ。聞くところによると、客席に花道も作るらしいが、だったら僕も2代目・蟹蔵襲名披露でもやろうかなと思う。先代の遺志を継ぎ、花道は横歩き。先代って誰だ。

■後半戦最初の本番は昼公演。オープニング後、僕は「家」のベッドで横になっているのだが、クレールが奏でるギターのうねりが凄く気持ちよく、体が溶けそうだった。


■今週も皆でクスクスを食べに行こうという話になり、先週の店に再集合ということになった。場所も同じだし、地図も持たず、店の名前も通りの名前も覚えずに向かったのが間違いだった。また迷う。行きたい場所の名前も分からないから、人に聞くことも出来ない。この道を行くと、あの道辺りに出るから、こっちの道を行こうと進めば、さらに迷う。迷宮の扉、全開パリパリ。記憶を再生&巻き戻し&消去。この道は「先週、歩いた道か?さっき、通った道か?」とか考えながら1時間位、行ったり来たりし、やっと店を見つけるエトランゼ。でも、今日は比較的、暖かいこともあり迷うことが苦では無かった。目的地に辿り着けないことで発見するものが無いわけじゃない。見たことない大きい塔も見たし、パリの横道は真横に延びてない、ということも分かった。蟹歩きには不向き。


2003/12/15 (Mon) 142

.「12月13日(土)」.
■昼、出掛けにフロントから封筒を渡される。何だろう?と開けると、それは東京の実家からのファックスで、小1の姪からの文もあった。書き出しはこう。

「おいちゃんへ さんすうできる? はるこは、できるよ!! はとが、3ば すずめが、16わ あはせてなんわ? すずめが、19わ はとが、6わ どっちのほうがなんわおおい?」

小1にとって、「は」と「わ」の区別は大変難しいので、許してほしい。このあと、計算問題が続き、イラスト入りの応援メッセージが添えられている。また、4歳の甥が書いた不思議な似顔絵も一緒に海を渡ってきた。以前、『イリス』YCAM公演を見た、未知の方から「ウルトラ影絵、感動して笑いながら涙を流していました。(笑い泣きではないですよ。)」というメールを頂いたが、それに近い感覚。いや、泣いてないですけどね、僕は。

■パワーを貰い、劇場へ。ノート、クラスの後、本番。本番中、下袖で待機してると、5歳くらいの小さな男の子がチョコンと舞台を見ていた。最初、座敷童かと思ったが、違った。坊主頭、黒い眉毛でクリンとした瞳の男の子が、行儀良く座っている。何故いるのか分からない。そのあと、何シーン後かには、上袖に移動して座っていた。で、分かったのだが、この子は照明スタッフの子供で、お父さんが下袖から上袖に移動すると、一緒に移動して、黙って座っているのだった。とても可愛かったので、一緒に舞台に出ちゃおうかと思い、誘ってみたが拒まれた。舞台の怖さを知る良識ある子だった。

■終演後、日本文化会館(ニブロールや珍しいキノコ、青年団などがパリ公演をしているホール)のYさんを紹介され、いろいろお話した。また、制作スタッフのアンヌロレーヌから「マサ、子供がバットマン最高!バットマン最高!だって」と言われたものの、最初、何の意味か分からなかった。次第に紫外線マンのことだと分かったが、聞けば、「幽霊」で笑いの止まらなくなった子供は、前の客の頭を叩き出したという。こっちでも子供は「コドモ身体」だ。そんなわけで、中日の今日は子供エピソード中心でお送りしました。残り、半分でちゅ。


2003/12/15 (Mon) 141

.「12月12日(金)」.
■「車窓」と銘打ってるのに、その描写をしてない。山口ライフでも自転車通いで「窓」は付いてなかったし、自分でも書いた覚えがあるのは、バスの車窓から見た巨大大仏くらいだ。なので、今日は車窓からの風景をリポートしようと思う。えーと、灰色のコンクリの壁が見えます。メトロだからね。


■オペラ座界隈の日本食品スーパーに寄り、寿司と日清焼きそば黄と白のWからしマヨネーズと缶チューハイを買って、劇場へ。■着いてすぐにノート。この国では「イエス」「ノー」も大事だか、それよりも、その答えを導くまでの過程が重要だということが少し分かってきた。つまり、問題に対してどう捉え、どう話すかが大事で、フィリップから「脚立」にチュチュを着たダンサーを二人追加したい、と言われたが、自分の見解を告げる。今現在、脚立×作業員(小浜)×バレエダンサー(フェイ・ボー)の関係は程好く調和されている。これにチュチュを着たダンサーを入れることによって、変わる関係性はどうなのか、と。とりあえず明日、稽古してみることになった。■そのあと、シンクロ「シネマ」ネタのアイディア出しミーティング。僕もいくつか「視界の変容」の方法を発表したが、フィリップは生中継を入れるというアイディアを持ってきた。結局決まらず、来週以降に撮影の予定。つづいては、クラスだがソフィー先生の日なのでばっくれて、自主アップ。■あっという間に本番。なんだろう、昨日以来、反応が凄い。カーテンコールの大拍手と大歓声で、疲れが全部放たれる。アリガタイコトデス。


2003/12/12 (Fri) 140

.「12月11日(木)」.
■え?ヤワラちゃんがセーヌで挙式?何で?■14時から劇場で整体師・ジョンのマッサージを受ける。楽屋から離れたその部屋は薄暗く、蒲団が敷いてある。その上にパンツ一丁で寝そべり、オイル・マッサージ。それは揉むというより、骨や筋肉を平らに伸ばすという手つきで、少々痛いがメンテにはなった。■15時から、今や演出補であるアレックスからのNOTE。その後、来年以降のスケジュールの話。フランスだけでなくイギリス、アジアなど各地からのオファーは2005年秋分まで来てるらしいが、全員の予定を調整しなければならない。各々が日程、意思を告げるが、皆、多忙。僕自身も個人的に日本からいくつかお誘いを受けているが、今は『イリス』という作品に、とことん付き合ってみようかな、という気分だ。■あと、中国という国の大変さを知る。ヤンらは皆、国の団体から派遣されているので、長い期間、この公演が続くのなら、国を出なければならない。今すぐに決定出来ることでは無いので、その件は保留になった。■13回目の本番。終演後の拍手、歓声はこっちの涙腺が弛みそうになるくらい、いつにも増して凄い。フィリップやアレックスも今までのベストだと言う。演ってる方は、分からなかったが、アレックス曰く「個々がピースで無く、流れていて、大きなエネルギーを生んでいた」と。■終演後、フランス演劇を研究している日本人のYさんという方を紹介されるが、開口一番「遊園地再生、見てます」と言われ驚く。で、この「車窓」も山口編の頃から見てると言われ、また驚く。この「車窓」で興味を持って貰い、公演に足を運んでもらうのは、目的の一つだったから、素直に嬉しいが、まさかパリで見てる人はいないと思っていた。で、話をしていると、宮沢さんの富士日記に、度々登場する「サブライムのYさん」と、同一人物であることが分かり、またまた驚いた。そんな話ばかりで、フランス演劇の話をひとつもしなかった。しまった。■そう言えば、今期の追加公演は無くなり、予定通り、「ダイナマイト馬鹿男祭り」の大晦日が楽日に決まった。1月3日に帰国だが、すぐに「ランコントル」の準備をしなければならない正月。


2003/12/12 (Fri) 139

.「12月10日(水)」.
■東京でも出不精の人間は、パリでも出不精。こっちの日の出時間を調べたら8時40分。日の入りは16時50分。8時間しか太陽は出てない。出ても、空は雲で覆われている。出不精度が増すわけだ。

■起きて身支度を整え、すぐ劇場に向かう。昨日は欠席したクラスだが、今日は参加。オリビエというフランス人の先生のカニングハム式エクササイズ。ミュリエルのクラスに共通したものが多くあり、比較的やり易かった。クラス後、何人かは「ポアント」シーンに映す新映像の撮影。フィリップ、クリストフ、オリーブがカメラをなめる様に回す。僕は本番に備える中、アレックスが買ってきてくれた味噌汁を飲み、色々休める。そのアレックスだが、膝の怪我はメスを入れなければならないほど重症で、復帰はまだまだ先になりそうだ。本人が一番、ショックを受けており、掛けてあげる言葉が見つからない。

■本番。10月14日付けの本欄で、僕がやってきた方法は<相対的なもの。「何か」があって成立する。その「何か」が何なのかをしっかり掴まないと、どうにもならないことを思い知った>と記したが、その「何か」とは「異邦人」で、僕「ジャパニーズ」だ、と今頃に思う。客もスタッフもフランス人。その他者に囲まれた環境でやっと自分の置かれてる立場に気づく。日本公演じゃ気づかなかった。それ、今日の発見(の第一歩)。

■ホテルに帰ると、テレビで小津の『彼岸花』を放映していた。ストーリーはご存知のように、いつの世も「大人は分かってくれない」だが、フランス語字幕版のそれは、新鮮だった。(笠智衆の詠う詩吟にもフランス語字幕。)新鮮ではあったが、訳された俳句のように、翻訳というものの不可能性を知る。あと、この映画って、構図だけじゃなく時間の経過も特別で、うっかり見てると、いつの間にか数日後とかになってる。「省略」技法のひとつではあると思うが、面白かった。モンタージュとか、映像術の本がまた読みたくなる。そういえば、ボクデス的というか、ドメスティックな「影絵」ネタがたくさん浮かんではいる。


2003/12/12 (Fri) 138

.「12月9日(火)」.
■パリの位置は北緯48.5度。43度の札幌より北にある。そりゃ寒いはずで、サンドイッチや寿司のネタなどに鮭が多く見られるのも頷ける。で、昨日の朝、サーモンサンドを食べて以来、腹の調子が悪く正露丸を服用。■午後3時から、新しい先生のクラスだが参加せず、一人でアップ。NOTE(いわゆる、駄目出し)の後、日曜の公演の「町」のシーンをプロジェクターで大写しにし、速度の変化をいろいろ確認&抜き稽古&各所、照明改善。■で、本番。上演中は、気づかなかったが、終盤近く、いつもより時間の流れが長いように感じる。演ってることは同じなのに、なんだろう、この感覚は。本番が始まる頃には、腹の調子も問題なかったはずだが、体内時計に変化が起きたのかなあ。よく分からない。■終演後、観客とのアフター・トーク。出演者が舞台に直に座り、マイクも使わず、ざっくばらんな雰囲気。質問は作り方や意図など、日本でもアフター・トークでよく聞かれる素直なものが多く、もっとアーティシカルに来るかなと思ってたから、意外だった。そんな感じで11ステ目が終わる。


2003/12/12 (Fri) 137

.「12月8日(月)」.
■オフ。日増しに突き刺さるよう寒くなっていく。

■パリの生活で困ることの一つに公衆トイレ事情がある。まず、「どこにあるか分からない」。日本だと、なんとなくありそうな場所が見当つくが、ここでは分かりつらい。また、見つかったとしても、ほぼ有料で、「小銭を探さなきゃならない」場合や「鍵をもらって入る」場合があり、急を要してる場合はヤバイ。で、無事入れたとしても「使い勝手が違う」。どうすれば水は流れるのか?とか、どうやって座るの?とか。尾篭なことなので詳しいことは省くが、腹の調子が悪い今日は、外に出るのが怖い。そういえば、以前、間違えて女性側を使っていたこともあった。日本のトイレだと、概ね、男が青色、女が赤色で表示されているが、そこのトイレの女性側は「青い、スカートを穿いた人」で表示されていて、後から分かった。擦れ違ったマダムが怪訝そうな顔をしてたが、そりゃそうだ。


2003/12/09 (Tue) 136

.「12月7日(日)」.
■日曜だからメトロの中は親子連れが多い。僕の前に双子の男の子が座る。とても愛らしい。天使が子供の姿をしているのも納得いく。日本ならお地蔵さんか。そういうわけで、昼公演の劇場にも子供が多かった。

■ルーティン・ワークのルーティンというのがフランス語のroutine、「踏み固められた道」という言葉が由来であることを今日、知ったが、脚立も導入までの構成を少し追加することを指示される。時間がなかったので、思いついたことを客前で試す。脚立とソロでインプロ。踏み固めず昇降。

■終演後、楽屋通路に「ビデオダンスWS」「空中WS」スタッフで、現在、世田谷パブリックシアターに勤務しているMさんがいたのは驚いた。イスラエル出張経由で見に来てくれたらしいが、昨日のアーノルドさんといい、多くの人が世界を行き来していることを知る。こうなってくると、日本のどこの劇場でも会うバッカス編集長・堤さんの姿が見えないのが変に思えてくるから、贅沢だ。

■また、終演後、観劇した親子(6歳以上の子供と親、20組)対象の「親子ワークショップ」が開かれた。出演者と直に触れる機会を設けるために、劇場が主催してるのだが、今日はヤンと郁女が講師を務める。僕は見学のつもりで様子を見ていたのだが、「パラパラ」を踊る羽目になった。

■その後、一旦、ホテルに戻り、20時にバスティーユ広場近くのアラビア料理店に赴く。ミュリエル&フェイ・ボー&タオの合同誕生食事会が開かれるのだが、凍てつく寒さの中、また道に迷った。零下でほんとに凍てつくかと思ったが、クスクスを食べて回復。クスクスってパサパサしてて、あんまり好きじゃなかったのだが、ラム肉などのコッテリした味と食べると、美味しいということが分かる。いつも、パサパサばかり食べていた。


2003/12/09 (Tue) 135

.「12月6日(土)」.
■最近は見なくなったが、パリに来た当初、毎晩、日本にいる夢を見ていた。で、今朝、久しぶりに日本の夢を見る。ごく個人的なものなので詳しいことは省くが、泣いた。涙を流したことで体に溜まっていた疲れもろもろが解ける。体って不思議ってことが言いたいだけなので、心配は御無用。

■本番前、フィリップと話したことは興味深かった。「途中で席を立つお客を、僕はまだ一人しか見てない。毎晩、お客さんが全員、『ブラボー!ブラボー!』と諸手をあげて喜んでるステージなんておかしいし、興味無い。もっと色々な反応があって良いはずだ。だから、マサ、もっとビザールにクレージーにやらかしてくれ」と。その思考は意外でもあったが、収まりを求めてないことを知り、心強く思えたし、出鱈目免罪符をもらった感じでハッスルする。

■舞台で「電線音頭」を踊ってみたが、あいにく途中退席する人はいないまま、本番を終える。ホワイエで、日本語ペラペラ、新潟在住のドイツ人写真家・アーノルドさんと再会。アーノルドさんは横浜公演の舞台写真を撮っているのだが、今日は客席で見たそうで、横浜より世界がいろいろ混じり合ってるし、オープニングも良くなったと言ってくれて安心した。フ〜。あと、舞台写真界もデジタル化が進んでおり、デジタルカメラで撮影し、データで世界に送信していることを知る。もう、ネガ・ポジじゃ追い付け無い業界らしい。

■瘡蓋を数えたら、全部の肘膝に1〜2ヶ所、計6ヵ所あった。どうしてと思うかもしれないが、パリの舞台は堅い。そういえば、フィリップからあるアイディアを求まれた。シンクロ「シネマ」ネタでは、山口のスーパーや横浜中華街といった日本の町なかで踊るフランス人が映っているのだが、新たにパリにいる日本人の映像も入れたいらしい。で、その構成を考えなくては、ならないのであった。が、俺もやるのか、シンクロ・ネタ。だから、あれは相当、大変としか言いようがないものなのに。でも、いい機会だから新機軸を考えよー。


2003/12/09 (Tue) 134

.「12月5日(金)」.
■日本の演劇関係者から「芝居に比べて、どうしてダンスの公演は期間が短いの?」とよく質問されるが、それは単に市場というか観客動員数の違いに思える。実際、『イリス』横浜公演では約4000人弱の動員だったが、こっちでは約3万6千人の動員が見込まれている。お蔭様で連日、公演は盛況なのだが、僕にとって29ステというのは初めて体験する長丁場でもあり、お恥ずかしながら芝居でもこれほどの期間はやったことがなく、朝来て昼は夜の本番に備える毎日を、「仕事」と言っちゃえばしょうがないが、この状況に戸惑いを感じている自分がいた。舞台人の生活ってこういうものなのかと思うと、どうして、こういう生活を選択したのかという疑問も生じていた。まあ、ただ疲れていたのかもしれないし、いわゆる「自由業」が陥る不覚というやつだが、今日は、午後3時入り。朝と昼に、自分の時間が与えられた。

■で、「ランコントル」資料をやっと書き上げ、メールで日本に送る。また、受信トレイをチェックすると緊急を要するメールがいくつか届いていた。その内の一つに横浜・STスポットのOさんからのものあったのだが、来年1月9日〜11日に同所で開催される『ダンスとメディア』というビデオダンス上映会でボクデス『フライング・ソーサーマン』が上映されることになりそうだ。ニューヨーク、香港、横浜という3つの都市の作家を結ぶ企画らしい。これまでにも、いくつかビデオダンスの上映会は開催されているが、客の見る環境を考慮してない企画が多く見られた。ST企画室の手腕に期待したい。

■で、午後3時劇場入りして夜の本番に備える。フィリップとオリーブも現場復帰。ソロ公演は好評だったらしいが、五日ぶりに会うフィリップは少し肥って見えた。カンヌから直行のオリーブの方がお疲れ目。「やること覚えてる?」と聞くと「全部、忘れた」だって。

■20時の脚立では、今日もスタンディング・オーベーションを受けるが、端から座席は無く全員立ち見だ。昨日くらいからだろうか、脚立にしても、本編にしても、いろいろ発見でき、少しずつ楽しみを見つけている。カーテンコールでもお客さんの顔を見るようにしている。一人一人の顔を見ることで、マスでは分からないもの、「ここ」でしか知りえないものを感じなければならない、と思ってる。ライブなんだから。


2003/12/05 (Fri) 133

.「12月4日(木)」.
■ほんとは巴里になんかいなくて、日暮里とかに潜伏してたら驚くかなあ。でも、ほんとにパリからです。

■で、「いい顔」をしたオヤジというのは、どこの国にもいるもので、メトロに「いい顔」をしたオヤジが乗ってきた。明らかに他の乗客とは一線を画してると思っていたら、一人で何か喋りだした。で、周りの客は退いていった。どこの国でも「いい顔」をしたオヤジは、共通した何かを醸し出している。あと、このオヤジとは、全く関係のない話だが、毎日、「食を乞う」人を目の当たりにしている。ホームレスと言うよりも、能動的に食を乞う。乳母車と一緒にいつもホテル近くの花屋の前にいる。誰がいけないの?シラクがいけないの?補聴器の調子が悪いの?都市の象徴なんて乳母車の前では聞こえない。

■休憩時間を利用して「ランコントル」の資料書き。劇場スタッフのSさんに英訳を協力してもらった「BOKUDEX」解説は、こんな感じに↓

(body × animation images × things)/3 = Bokudes’s World.
But in fact, we can not divide this World. So this is how I try to define this World.

■フィリップ、オリーブのいない2日目だが、色々順調に事は運んだようだ。日本から来たミヤのお姉ちゃんは「パリまで見に来た甲斐があった」と言ってくれた。探せば¥6万台のディスカウント飛行機もあるそうですよ、日本の皆さん。


2003/12/05 (Fri) 132

.「12月3日(水)」.
■もう直したけど「クイズ・ミリオネア」を「クイズ・ミネオリア」って書いてた。そんなことはどうでもよくて、やっぱ、大したもんだよ、クリストフ。今日はフィリップとオリーブのいない日。二人だけいないのかと思ってたら、照明のパトリス、ビデオ操作のローランも連れていかれたらしく、その部分は別のスタッフが代行する。で、昼にオリーブ抜きバージョンの通し稽古。オリーブは本番時、カメラマンも担当していたので、今日はクリストフが務める。また、オリーブが発案した「シネマ」という映像とのシンクロ・ネタもクリストフがやる。時間も限られてるし相当、大変な作業でナイーヴになっている。あれ、ほんと、大変だよ。僕も「トーキョー・ボディ」でシンクロネタは少ししたが、大変としか言いようが無い。でも、流石のクリストフ。上手くやっていた。

■で、20時。フィリップから電話で「Merde!」と言われた後、脚立に向かう。トロカデロ公園にあったイベント用のプレハブ小屋も撤去され、エッフェル塔の全身が見える風景。最初、いつもよりギャラリーは少なかったが、徐々に集まって来、最後にはいつも以上の拍手と歓声をいただく。落ち着いて出来た気もする。で、本番。「4つのデュオ」というパートはステファンが代行。それにより、その後の「幽霊」の始まるタイミングが変わる。ステファンの動きを気にしながら、「幽霊」。そのタイミングのほうがいつもよりウケが良かった。で、「シネマ」。袖でステファンがクリストフの肩をほぐす。皆が見守る中、舞台に一人走るクリストフ。大したもんだよ、クリストフ。ズレもなく映像とシンクロしていく。オリーブがやるよりもウケがいいのは、気のせいか。で、その後は、「3ギャルソン」(テツ&トモの「笑点」のテーマ曲に合わせて顔芸するのに似たやつ)という3人フランス男のシーンだが、今日は「2ギャルソン&1マドモアゼル」。と言うのも、膝の怪我は支障ないので、このシーンのみドクター・ストップ中のアッレクスが出演する。アッレクスにしても、久々の本番でパリ公演初登場。同じく皆が袖で見守る中、ドカンドカンやっていた。お客さんの反応も良くうまく乗せられた面もあるが、演る側が一丸となれたステージだった。

■ステージには毎晩、四つの月が出てるが、本物はいつも空が曇っていて見れなかった。で、今日、こっちに来て初めて月を見る。この月は、日本で見る月と同じということが不思議だ。


2003/12/05 (Fri) 131

.「12月2日(火)」.
■休み。サイバーカフェの近くに、MICHELINショップがあり、タイヤ人間のグッズがいつも可愛くディスプレイされているので、前を通るたびに覗いていた。で、それがクリスマス風に変わったので、師走になったことを知る。

■季刊誌『舞台芸術』の次号に掲載されるであろう桜井さんの原稿がメールで送られてきたので読む。前回の「コドモ身体ということ」の続きだが、今回は話題のKHATYのほか、土方巽、芦川羊子、田中泯など舞踏手の名前が多く出てくる。で、「技術」も「立派な身体」も何も持ってない僕の名前もどういうわけか出てくるのだが、あきらかに場違いな感がする。来た先も行く先も別だし、多分。俺のしてることはダンスなのか?

■一昨日のクラスに衣裳スタッフの女の子が皆と一緒に参加していた。上手に踊っていたので、クラス後「ダンスしてるの?」と尋ねると、「プロではないけど、小さなカンパニーで踊っている」と答えてくれた。この国フランスにも、日本と同じようにプロでは無いダンサーがたくさんいて、小さな集団が無数にあることを知るが、では、どうして、フランスで僕が「ダンスの舞台」に立っているのかが、未だに分からない。


2003/12/03 (Wed) 130

.「12月1日(月)」.
■オフ。昨日からの雨は止み、天気は曇り。毎日ホテルと劇場のメトロ往復のみなので、極寒対策で大量に持ってきたホカロンを使ってないことに気づく。

■観光したくないわけじゃないが、ホテルで「ランコントル」用の構成資料を書いていた。英文資料も添付しなければならなく、「壁男」の「WALL」という単語を調べていたら、「舞踏会で相手のいない婦人」という意味もあることを知って嬉しくなる。

■テレビで「クイズ・ミリオネア」が日本とほぼ同じ形式でそのままやっていた。スタジオ、バックに流れる音楽やライフラインのアイコンも全く同じ。ただ、違うのは「みの待ち」がナイというとこだけ。あれだけがオリジナルなことを知った。あと、朝のテレビで「日本で人気者のボブ・サップ」を特集していたし、スポーツチャンネルではK−1もやっていて、また、黒沢清の「CURE」や「風雲たけし城」も見れて嬉しくなる。夜中にやってたイタリアのテレビ局が作った、日本の老人が「死」について語る番組は、最初、溝口健二の映画か何かと思ったが違った。イタリア語のナレーションに、フランス語のテロップ。で、映像はゴチック風な陰鬱白黒映像で語ってる人物の顔が見えなく、ぼそぼそと日本語が聞こえるというひどく不気味なものだった。



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