世界の車窓へ(2003年11月分)

2003/12/02 (Tue) 129

.「11月30日(日)」.
■本番5日目の開演時間は15時。で、朝からソフィー先生のクラス。穏やかな表情から早口の英語に豹変する姿はビンス・マクマホンを連想させる。あと、クラス中、「ブワッファーア」「ブワッファーア」と大きな呼吸を常に要求させられるが、僕は体に力が入り、つい肩が上がってしまう。「それだと、肺と心臓を圧迫して、あなたは死ぬ」と言われる。死ぬのか、俺。DANCE or DIEなのか!

■本番。昼公演ということで子供の客が多かった。冒頭の挨拶では「ピカチュー!」とサービス。それはサービスと言えるのか分からないけど。で、「家」のベットに寝てる間、「グレート・カブキ問題」についてまた少し考えた。で、Tという何年か前、アメリカのTV番組か何かで売れた日本人の女性コメディアン(ヌ)のことを思い出した。彼女は全米で受けたネタというのを持って帰国。それを日本でやった。内容ははっきり覚えてないが、大昔の笑いというか、時代錯誤の「古典」だった。えーと、好みの問題もあると思うが、はっきり言うと、面白くなーい。で、これを自身の問題として考えると、トンデモ・ジャパニーズも外国人だけでなく、日本人が見ても面白いかどうかが問題なわけで、「誰に向けての表現」問題というより、個人的な倫理に重きがある気がしてきた。「世界標準」という罠を横目に、また考える。

■終演後、フィリップたちと劇場近くのカフェに行く。フランスのオールド・スタイルだという「ピトン」という飲み物を飲む。ビールに混ぜるとそれは、フルーティーな味になり、美味しかった。そのあと、ホテルの前の店で初めてパリのスシを食べる。日本と同じ味でこちらも美味しかった。

■脚立が腕に激突したり、「ウルトラ影絵」で腰を打ったりで、体のあちこちが痛く、痣にもなってる。見た目よりハードで、徒花がちょっと咲きかかっているが、明日から二連休。ゆっくり休ませる。


2003/12/02 (Tue) 128

.「11月29日(土)」.
■本番4日目。「ドリルキング社歌」を聞きながらメトロ出勤。ソフィー先生のモーレツ・ダンス教室のあと、駄目だし。フィリップ曰く「皆、疲れているのかパワーダウンしていた。毎日、新しい観客の前に立つということを自覚して欲しい。当たり前のことだけど」と。舞台に携わる人間の心構えには、洋も和も違いは無いことを再認識。また、初日に見に来た『デリカテッセン』『アメリ』などの映画監督ジャン・ピエール・ジュネと電話で話したらしく「色々な心を奪われた」と感想を告げられたらしい。来てたのか、ジュネ。会ってみたかった。

■本番前、劇場スタッフのパスカルから「あの振り付けは素晴らしいが君が考えたのか?」と聞かれる。「幽霊」と呼ばれる手だけのダンスのことを言ってるのか思ったが、どうも違う。よく聞くと、オープニングのデタラメ・ジャパニーズの動きのことだった。羽織袴&扇子でテキトーに天晴よろしく動いてる箇所だ。それで、「東洋の神秘」と言われ80年代に全米を賑わしたプロレスラー、グレート・カブキのことを考えた。連獅子または鎧兜で入場し、顔は隈取、口から毒霧を吐き、ヌンチャクを振り回すデタラメさ。TVでもプレステ2や日本のアニメが頻繁に流れているが、やはり『座頭市』『千と千尋の神隠し』というオリエンタルなものが、受け入れられる土壌。それは、「いまの日本」の姿では無いかもしれないが、簡単には崩れないイメージとして存在する。では、オリエンタルの権化、グレート・カブキ(や今で言うWWEのTAJIRI)は退行した姿なのか?「デタラメなんですよ。すいません。よく知らないんです、作法」と自覚して動く体は、360度回転してアリと言えなくもない気もし、スノッブな西洋人が陥る安易な東洋趣味の舞台にはなってないと思うが、御免、考えがまとまらない。考えなくてはいけないのは、「誰に向けてのものか」ということなのかなぁ。よく分かんないや。「無意味」をやるには、「無意味の意味」を伝えなきゃいけない、というのは宮沢さんから教わったことだが、K−1に参戦する曙の所属は「チーム・ヨコヅナ」。この事実をどう捉えよう。

■で、本番。昨日起きた、気分が晴れない「ちょっとした事」はクリアしたが、いつも通りの間で出来なく、今ひとつ、タイミングがずれてしまった舞台ではあった気がする。


2003/12/02 (Tue) 127

.「11月28日(金)」.
■本番3日目。

■12時からロビーで駄目出しの後、ミーティング。実は来週の月曜12月1日から木曜4日まで、カンヌでフィリップのソロ公演がある。フィリップは勿論カンヌ行きだが、ビデオ・スタッフであるオリーブも帯同される。で、「イリス」。月&火は休演だが、水&木には公演がある。そこで、オリーブのパートの代役を誰がやるかという振り分けミーティング。アレックスも欠場中で中々難しいが、皆で分担。でも、僕は特に変化ナシ。御免。また、好評に付き、劇場から追加公演を依頼されてるらしい。決定になると、帰国は1月6日になってしまい、「ランコントル」の調整が難しくなる。同じく、「ランコントル」にノミネートされている郁女共々、「ノー」と主張する。

■ミーティングの後、クラス。今日から週に何度かクラスを専任するソフィーという年配の在仏アメリカ人の先生のクラス。これまでのクラスは仲間内で比較的、穏かに行われていたが、全然違う雰囲気。スパルタ・バレエ教室に通う子供の気分になった。ひー。

■少し抜き稽古の後、オリーブ・パートの振り写し。振り写しの無い僕ら日本人組は、制作のドミニクと来年以降のスケジュールの話。6月のスペイン&ルクセンブルグ&モンペリエ公演は知っていたが、今年と同じく、来年12月にも1ヶ月、シャイヨー公演が決定し、また10月中旬からの欧州ツアーも内定したらしく、各々の予定を聞かれる。んー。日本でやりたい他の事もあるし、何に値を見出すか悩む。

■20時、脚立スタート。いつの間にか、照明がグレードアップしていて、天井にプロジェクションされた雲の映像も映える。で、本番。一般客が多いせいか、固唾を呑んで見てる感じだが、反応は良い。でも、カーテンコール時、大きな拍手と歓声にかき消されて、僕には聞こえなかったが、フィリップ登場の際、ブーもあったらしい。先述した日本の観客の方がシビアという認識は、早くも消え失せる。何かの前線に立っている感じに近いものがある。あと、個人的に本番中、ちょっとしたことがあり、気分が晴れているわけではなく、中々眠れない。


2003/12/02 (Tue) 126

.「11月27日(木)」.
■朝、メトロで劇場へ向かっていると、どこかの駅からアコーディオンを持ったオジサンが乗って来て、一曲演奏し、終わった後、端の乗客からお金を貰いに行く。一昨日は、同じようにバイオリンを弾く人を見た。で、分かったのだが、僕が先日見た何かをまくしたてて喋っていた人は詩人だったのだ、と。分からなかった文化を独学で日々知る環境ではある。

■駄目出しの後、昼間は何ヶ所か抜き稽古。その後、休憩。本番では気づかなかったが、体のあちこちを打ったらしく、体のあちこちが痛い僕は楽屋で昼寝。

■で、脚立後開場。客入れ音楽でフィリップの好きな(氷川)「きよしのズンドコ節」がかかり、ここは新宿コマか?と勘繰る。本番は初日よりは色々スムーズに事が進んだ感じ。反応も良く、カーテンコール時での「ブラボー!」も多い。ただ、昨日&今日は、関係お偉方というか年配者の客が多いらしく、明日以降、一般のお客さんが増えるそうだ。

■終演後、フランス日本国大使館・特命全権大使のHさんと面会。デタラメにやってるので、叱られるかと思ったが、たいそう喜んでくれていた。また、昨年の「空中ワークショップ」で教わったイルマ(DCA「トリトン」で空中リングをやったダンサー)とも再会。今、昨年と書いたが、遥か昔に思えるほど、昨年から今年にかけて色んな事があった。


2003/12/02 (Tue) 125

.「11月26日(水)」.
■本番初日(パリ・デビュー当日)の朝。脚立ロビーとエッフェル塔の間にあるトロカデロ庭園に何かのイベント用テナントが建設されてるのが、ロビーの窓から見えた。塔の下側が隠れてしまう景色。脚立との邂逅において、少し残念ではある。そういえば、先述した客入れ時間90分というのは誤りで、シャイヨー宮自体に入れるのが90分前からで、客席に入れるのは30分前。つまり、日本とほぼ同じだ。

■クラスの後の駄目出しで、蒲団回しにはNGが出た。何か別案を考える。また、紫外線マンでいる時間が短いので、後半のシーン(今まで普段着だったシーン)は、紫外線マンでいることになった。で、テクリハ中心の最後の通し稽古。中国刀の群舞にまざる紫外線マン。「パラパラ」で踊る紫外線マン。「誰ピカ」を見る紫外線マン。「家」の屋上に立ちマントを広げる紫外線マン。なんだか自由にやらせてもらっている。通し後、楽屋に戻ると、初日にプレゼントを渡す習慣があるらしく、劇場側から赤い薔薇とTシャツ、衣裳チームから「家」型のキャンドルが届いていた。Merci!

■20時。舞台でアップしてる皆の声援を背に、フェイボーと二人、ロビーに向かい、脚立バレエ。自分のネタでパリジャンに挑んだ訳だが、終わって何だか大きな拍手をもらい、馬鹿馬鹿しさが伝わったのか、やや不安にはなった。終わって、場内に戻る。すぐには着替えず、舞台上で例の儀式。皆で円を作り、カウントアップし、「Merde!」と互いの尻を叩く。で、その後、急いで羽織袴に着替え。日増しに短時間で着れるようになってるが、袴の帯できれいな十字型を作るのに、いつも梃子摺る。

■20時35分、開演。冒頭の日仏中レツゴー三匹の挨拶、開口一番は僕の役目。3ヶ国語の挨拶が三ヶ国語の「携帯電話の電源は切ってください」というジェスチャー付きの案内に移行していく。え?前説か。で、いろいろスタート。全体的には自分の満足行く出来ではなかったが、反応は好感触というか温かく、「ウルトラ影絵」も伝わったみたいで安心した。日本公演時と違うのは、上演中に拍手が度々起きること。日本の観客がシビアなのか、作品自体の質が変わったのかは分からない。変わったといえば、ラストの「暗い日曜日」のシーン。日本公演では、最後まで皆、俯いていたが、最後の最後に笑顔で上を見上げることになった。受け取られるイメージが全く異なると思う。フィリップの心境の変化か?

■終演後、ロビーでレセプション。知らないフランス人200人位の中、シャトーバロン公開リハのスタッフたちと再会。あと、ヴッパタール舞踊団の青山さん、フィリップのお母さんとも初対面。フィリップのマミーはメイ牛山を20倍大きくしたような人だった。いい意味で。そんな初日。


2003/12/02 (Tue) 124

.「11月25日(火)」.
■11時から久し振りのミュリエル・クラス。山口ライフでほぼ毎日やってたせいか、やっぱり僕にはミュリエルのテンポが、しっくりくる。夜に関係者のみの公開ゲネがあるので、昼はそれに向けての稽古。20時。本番と同様、ロビーで脚立。シャイヨー宮には3つの劇場があり、「イリス」は一番大きい劇場で行われるのだが、今日は他の2つの劇場に来ている客&関係者に向けてやった。ある意味、ストリート・パフォーマーになったような気分だった。脚立後、大急ぎで袴に着替え、20時半、公開ゲネ開始。チケット(1200人×29ステ)はほぼ完売らしく、チケットを取れなかった関係者が150人来た。日本と似たようなシステムではある。ゲネでは、トゥーシューズを使ったシーンの後半、「家」で大暴れをするのだが、止むに止まれない衝動に駆られ蒲団を振り回してしまう私であった。埃が舞う舞う。


2003/11/25 (Tue) 123

.「11月24日(月)」.
■テクニカル・スタッフは劇場入りしているが、ダンサーは休み。僕は買出しに行ったり、たまっていた洗濯をしたり、って何でこんなこと公開してるのだろう。メトロに乗って、サイバーカフェの回線を使って。そのマメさが自分でもよく分からない。

■カフェでは、メールチェック&編集者のKさんが、個人ネット上にアップしてくれた「忍者ビデオ」の編集チェック。その状況が妙ではある。

■ちなみに、初日は26日(水)です。


2003/11/25 (Tue) 122

.「11月23日(日)」.
■今日は12時入り。晴れていたこともあるが、パリに来て初めて太陽を見る。日曜日ということで、19時に劇場がクローズしてしまうので、16時から通し。構成はやっぱり昨日から変わっている。また、昨日やらなかった「脚立」も今日はやる。それが終わってすぐに作業着から羽織袴に着替える。時間が無いのであせるが、8分で出来た。本番はもう少し余裕が取れると思う。本編でもいろいろ、やることが増えている。中国刀の群舞にも出ている俺。騙し騙し、後ろの方で隠れて中国刀を振り回す。

■稽古後、皆でメトロを乗り換え、3号線パルマンティエ(Parmentier)駅付近に食事に行く。DCAチーム、お馴染みのフランス料理の店らしい。僕は、ステファン薦めの蛙料理を注文してみる。ヒキガエルみたいな大きい蛙かなと思っていたが、アマガエルみたいな大きさの蛙が20匹位、山盛りに来た。でも、足だけなので見た目それほどグロではないし、美味しかった。歯ごたえは鶏肉みたいで、味付けは鮑の塩蒸しみたいな感じ。両生類特有の生臭さを消すためか。

■ホテルに帰ると東京から嬉しい電話があった。


2003/11/25 (Tue) 121

.「11月22日(土)」.
■朝食べた「どん兵衛」が悪かったのか、腹をこわしたので正露丸を飲んで稽古。パリ入りして初の通し稽古が夜にあるので、昼はそれを見据えての稽古。「心臓の大使」に関わるシーンで「は?」と思えることをフィリップから言われた。日本公演時の演出補だった千枝から「3歩歩いたら黒が白に変わってる場合があるから、気をつけて」と言われていたが、それを目の当たりにした感じ。日本では千枝が防波堤になっていたことを思い知る。

■夜の通しは、いろいろ押して22時から始まった。時間に余裕があったので一人で羽織袴を着てみる。15分くらいかかったが着れた。で、袴で初めて通し稽古をしたわけだが、着ると自然に体が動いてしまう。気がついたら、扇子を刀代わりに袈裟斬りしていた。インチキ・ジャパニーズみたいだ。通しが終わったのは、23時半。着替え、駄目出しをして、劇場から出るときは24時を回っていた。朝から夜まで劇場内にいるので太陽をしばらく見てない。


■そういえば、招待客リストが楽屋の通路に貼ってあるのだが、そこにピナ・バウシュの名前があったということは、ピナは俺の幽霊ダンスを見るというのか。


2003/11/25 (Tue) 120

.「11月21日(金)」.
■今日も一日稽古。アレックスの怪我は予想以上に重症で、初日から5ステージ、ドクターストップという緊急事態だ。そのため、色々変更。ミュリエルやヤンが代わりを務める。ヤンはクリストフの代わりも色々務めるので八面六臂、独り大汗をかいている。出来るものなら代わってあげたいが、無理だ。

■今日の僕は「町」と「脚立」の日。全員で「町」の稽古後、僕はフェイボーと二人きり、夜に光るエッフェル塔の前で脚立の稽古。その後、フィリップがチェック。尺が少し長すぎたかと思ったが、「OK」をもらう。配置など少し手直しされた後、三人で脚立の上でポーズし取材用の写真を撮る。バカにしか見えない画だが、日仏中に梯子がかかりました、とさ。

■夜、舞台ではバティストらが稽古。僕は衣裳部屋に行き、YCAMで撮ったビデオを見ながら、羽織袴を着てみる。通訳兼の日本人スタッフSさんは所用でいなく、フランス人衣裳スタッフ6人に囲まれる日本男児。30分かかったがナントカカントカ着れて、一安心。馬子の晴れ姿、貴方にも見せてあげたい。



2003/11/25 (Tue) 119

.「11月20日(木)」.
■朝、劇場に向かうメトロの中。どこかの駅で一人の男がドコドコ乗り込んで来た。で、乗客らに向かって大声で話し出す。何事かと僕も振り返る。他の乗客も皆、一瞬見るがすぐに目を離す。あーどこにもいるおかしな人かと思う。男はまくしたてて喋った後、端から一人一人に近づいていく。で、無視する人が殆どだが、お金を渡してる人もいる。よくわからない光景だった。

■11時から、全人口10億の中国ダンス界第7位ヤンのクラス。いつもはハイレベルなことをやるが、今日はストレッチ中心。
■今日はフィリップが午後入りなので、クラスの後は「スピードのトリオ」を自主練習。僕&ルー&フェイボー&クリストフでやったパートは、膝を負傷したクリストフの代わりにヤンが入る。当初はアレックスの予定だったが、昨日怪我した場所は思い以上に悪いらしく、足をひいて歩いている。

■ランチはケータリングのピザを、脚立をやるロビーでエッフェル塔を眺めながら。このロビー、90分という長い客入れ時間中はレストランになるので、いくつかテーブルと椅子がある。空はドンヨリとまたしてて、塔の先も見えない。

■午後からは「影絵」のシーン。僕は「ウルトラ影絵」まで待機。殆どの観客は「ウルトラ」を知らないので、変更するかと思ったが、とりあえず日本と同じままやることに。照明のパトリスが苦労しながらスペシウム光線の位置を合わせてくれる。舞台監督のラルーも、スケボー用のバリアフリーな台を作ってくれていた。

■夜休憩を挟んで、映像の動きと舞台上の動きがシンクロする「シネマ」の稽古。「トーキョー・ボディ」でやったビデオ映像とシンクロする場面との類似を指摘する人が多いが、「シネマ」はオリーブが発案したアイディア。動きによる視界の変化が要なので、僕には「トーキョー・ボディ」とは全く違うものに思えるのだが、どうでしょう。


2003/11/25 (Tue) 118

.「11月19日(水)」.
■相変わらず暗い空模様。10時にホテルを出、行きがけにクロワッサンを買ってメトロ9号線に乗り劇場へ。(先述の6号線というのは誤り。パリ通の方、御免。)脚立バレエをやるロビーのすぐ下に仮設のリノが別に敷いてある。そこで、エッフェル塔を向こう正面に、11時からアッレクスのクラス。クラスでは大抵、左右、それぞれ同じ動きをするのだが、左手の感覚がどうも変だ。公演後、左手を使ってないことを再認識する。クラスの最後、アクシデントがあり、アレックスが膝を負傷してしまった。大事に至らなければ良いが、クリストフもYCAM公演で膝を負傷し、手術しなければならないほどの状態のまま現在参加してる。なぜか人格者ばかり怪我をしてる。

■昼にケータリングの中華料理を食べ、実は昨日も一昨日も夕食は中華だが、米を食わないと食べた気にならない。

■14時から舞台で稽古。思ったより構成は変わらない、と先述したが違った。「家」で寝ていることが多かった僕だが起きることになる。で、完全に忘れていた「心臓の大使」ネタが復活。舞台で各々の「臓器のダンス」ソロが行われてるとき、ステファンと僕でなんかやってることになった。そのなんかを色々試す。

■「臓器のダンス」の構成を変えながら何度も通す。照明も音楽も映像も一緒に稽古。どんどん変わる構成に、ダンサーたちは慣れてきて、すぐに順応できるようになってるが、現地スタッフにはやはり慣れないことらしく、中々、フィリップの思い通りには進まない。虹彩のような幕の開閉も大変そうだ。あっという間に19時。夕食休憩を挟んで、20時からビデオ映像を使うシーンの稽古があるが、出てない人は本日終了。

■僕は、一人、オペラ座付近のサイバ−カフェ(ADSL回線&ノートパソコン持込可)にメトロで行く。乗り換えが必要だが、オレンジカードというフリーパス券を使ってるので、それほど不便でない。ADSL回線だと簡単に繋がった。で、メールチェックと「車窓」の更新。すぐにやったのは、14日付けの文の直し。最後の「行ってきまシュワッチ」という一言が、どうも解せなくて早く直したいとずっとマゴマゴしていた。何故あんなこと書いたか分からない。なので、書き改めた。今度のは、どうでしょう?


2003/11/20 (Thu) 117

.「11月18日(火)」.
■ホテルフロントに14時に集合して皆で劇場に行く予定だが、13時半に1Fに降りるとミュリエル、アレックス、ジャン・バティストと再会。アレックス、バティストは同じホテルに滞在だが初めて会う。ミュリエルはパリ市内に住んでいるが、迎えに来てくれたらしい。同じく、迎えに来てくれた日本人スタッフSさんも一緒に向かいのカフェでサンドイッチを食べる。14時、全員集合してメトロで劇場に向かう。パリ通の方に報せると、9号線のグラン・ブルヴァ−ル(Grands Boulevards)駅から乗り、トロカデロ(Trocadero)駅で降りる。

■劇場では既にフィリップがオリーブらとビデオの実験をしていた。15時、舞台に全員集合。スタッフは全員フレンチ。改めて自己紹介する。その後、今後の稽古日程、新構成の打ち合わせ。構成だけ聞くと、思ってたほど大きな変化は無いが、各シーンで新映像が多用されそうだ。ミーティング後、各自作業に入る。15時半から僕とフェイボーは、エッフェル塔の前のロビーで早くも「脚立」の練習。思い出しながら、ステファンも一緒に新たに作り直す。16時半から冒頭の挨拶の練習をステファン&ルー&僕で。とりあえず、千枝のマネをしてみる。アウトラインは分かったので、今後、俺流に練り直して行く。その後は「4つのデュオ」のシーンの練習。日本で僕は紫外線マンの格好で靴を履くという動作をしていたが、ここでは羽織袴から全身タイツに着替えるという動作をすることになりそうだが、今日は説明だけだった。

■18時から歓迎レセプション。紹介される人、紹介される人、全員フランス人。名前が覚えきれない。20時頃からDCA部屋に行き、電話回線を使い、PCを繋げてみる。というのもホテルの回線はべらぼうに高いので使えない。で、試したのだがDCA部屋というかシャイヨー宮は高速回線ではない。結局、2時間いろいろやるが繋がらなかった。今日は。

■ともかく、始まった。


2003/11/20 (Thu) 116

.「11月17日(月)」.
■夜が明けてないのか、曇天なのか分からないが、午前8時まだ暗い空。8時半頃、薄っすら明るくなるが、快晴ではない空。近所のパン屋でクロワッサン三個買って、部屋で食す。午前中は部屋で色々整理。昼過ぎにピザを食べに行った後、町を少しうろつく。昨日は日曜でどこもシャッタ−が降りていたが、今日は違った。幾つか面白そうな店が周辺にあることを発見する。

■13時45分。アンヌロレーヌに案内され、僕とミヤは健康診断を受けに行く。パリで働く芸術系の人は、皆来なければならない病院らしい。生年月日、タバコを吸うかどうか、大きな手術をしたことがあるか等の簡単な質問にパンツ一丁で答えたあと、触診。健康らしい。そういえば、「How are you?」の質問に「Fine thank you. And you?」と答えていた俺。医者に質問し返してどうする。

■一旦、ホテルに戻り郁女&チャイナ・チームと合流し、劇場に向かう。3年ぶりにメトロ乗車。2000年にニブロール「東京第2市営プール」でアビニョン演劇祭に来た際、パリに3日いた。それ以来のメトロであるが、これからは毎日利用することになる。15分くらいでシャイヨー宮のある駅へ着く。駅から出てすぐに宮はある。1937年のパリ万博時に建設されたダイナミックな建物で、内部は現在、博物館、美術館、劇場になっている。リハーサルは明日からで、今日は中の案内のみ。で、150人が勤務するそこの通路は迷路のように複雑だ。迷わないように着いて行く。B3Fに楽屋、B4Fに舞台口がある。舞台ではクレールがサウンドチェックをしていた。客席は1200席と壮観だが、舞台は思ったより小さい。YCAMと同じくらい。既に「家」や「電柱」が完成している。日本公演時そのままあった。鯱丸にも見せてあげたい。また、日本公演では床が黒いリノリウムだったが、ここの床は渦巻き模様が書いてある板目だ。でも、実は僕にはあまり関係ない。急斜面の客席に座って見る。ミニマルなことは伝わりつらい気がする。改めて、舞台の大きさで「演技」は形成されると思った。舞台を後にして、豪華なロビーに行く。エッフェル塔が目の前に見える。絶好のスポットだ。で、そのロビーに黒いリノリウムが場違いに敷いてある。「?」と思うがスグに「!」となった。「!!」くらいなった。つまり、ここで「脚立バレエ」をやるわけだ。聳え立つエッフェル塔の前で脚立。なんだ、その状況は。自分で言うのもあれだが、僕は場違いな状況ほど楽しめる性分。なんかワクワクしてきた。本格的なリハーサルは明日からスタートだ。


2003/11/20 (Thu) 115

.「11月16日(日)」.
■目を覚まし時計を見ると「4時」を指している。窓から覗く外は雨空らしく真っ暗だ。今日はオフなので、時間を気にすることはないが、今が何時か分からない。つまり、日本の朝4時なのか、夕方4時なのか、パリの朝4時なのか、夕方4時なのか、「4時」の時間が分からない、という奇妙な感覚。結局は日本時間の午後4時、パリの午前7時だった。

■今日の予定は特に無い。雨だし寒いし日曜で店はどこも閉まってるし部屋にいようかとも思うが、腹が減ってどうしようもない。11時まで耐えたが、早くも米が食いたくなったので、日本食屋に一人で行く。ウインドウから割烹着を着た日本人らしい店主の姿が見えたので「開いてますか?」と言って入るが、フランス語が返ってきた。日本語は全く喋れないみたいだが、暖かく迎えてくれた。キル・ビルみたいな店内に客は僕しかいない。フランス語の本を片手に焼き鳥定食を頼む。オードブルでかっぱえびせんが出る。つづいて、スープのように味噌汁が出た。出る度に軽いフレンチ・トーク。運んでくれる奥さんも日本人のような顔をしてるが日本語は喋れない。身振り手振りなどの態度や表情は日本人そのものだが、言葉はフランス語。そういう人が数多くいることは知っていたが、慣れない僕には不思議な感じがした。そして、態度や表情は環境で生まれるものじゃないことを知る。

■焼き鳥もライスも味が問題じゃない。米を食うと力が出る、気がする。力が出たので、雨の中、歩く。まずは、近場のオペラ座へ向かう。向かいながら、脇道に入って行ったりし迷う。迷いながらも分かる大きさと外観の建物。寒空の下でトイレに行きたくなり、ホテルに引き返そうと思うが、また迷う。気づくと同じ道を何度も歩いていた。メトロ脇の有料トイレ(使用料は0.4ユーロ。約50円)を使ったあと、メトロの通路の壁をふと見ると、「イリス」のポスターが貼ってあった。横浜版とも、生意気が作った目玉ポスターとも違うパリ版。よく見ると、MASAHIRO KOHAMA の文字もある。帰ろうと思っていたが、小躍り気分になり、オペラ通りをまた歩き出すことにする。気がついたら広い公園にいた。苦悩してる彫刻像が並ぶが、どこだか分からない。分からないまま、歩いてるとガラス張りのピラミッドが見えた。ルーブル美術館の敷地内に来ていたわけだ。中は見ずに、セーヌ川沿いを歩き、芸術橋を渡り、シテ島の先端に立ち、トンガリキッズの寄り処、ポンヌフ橋で戻る。このあとが、大変だった。向こう見ずに歩いたわけじゃ無いが道の名前が分からない。迷いに迷って、レピュブリック広場という場所にいた。ホテルに戻ってから、その場所の名前を知るが、そのときはそんな広場にいるなんて思いもしないほどの見当はずれの場所にいた。で、どうにかこうにか帰り道を見つける。途中、2度ほどトイレに寄るが、知恵を付けた僕はマクドナルドのトイレを無料で借りて、ホテルに戻った。部屋に凱旋し、歩行距離を地図で測る。雨と寒さの中、約15km歩いていた。歩いて分かったことは、パリジャンは雨でも傘を差さないで歩くということだ。

■まだ、夕方だったが疲れて寝。あと、少しフランス語の勉強。リハ−サルは英語で行われる予定だが、仏語も少しは喋れないとお店で困ることを知ったから。部屋でノンビリしてると、美術のPJと夕飯の約束をした郁女から電話があり、一緒に行くことにする。公衆電話からPJに連絡を入れるが繋がらない。しょうがないので、アンヌロレーヌが勧めてくれたレストランに行く。行ったら、偶然、フィリップ&アンヌロレーヌ&ルー、そして今日来仏したヤン&フェイボーがいた。相変わらずのテンションのヤン&パーマをかけていたフェイボー(機内で23歳の誕生日を迎えた)らと一緒に食事。徐々に集まる「イリス」のメンバー。皆、同じホテルに宿泊する。パリに住んでないフランス人メンバーも同じホテルに滞在するが、まだパリ入りしてない。そんな感じのパリ・ライフ、2日目。とりあえず、歩き疲れた。


2003/11/18 (Tue) 114

.「11月15日(土)パリ編スタート」.
■朝7時に起床し、8時40分上野発の京成電鉄に乗車。1時間後に空港着。搭乗手続き、出国審査を澄ませ、「制限エリア」で日本からのメンバー郁女&ミヤと合流。11時10分離陸。で、早くも憂鬱になる。落ちる落ちないの心配でなく、狭い座席に同じ姿勢で居るのが、どうも苦手だ。脚と尻が痛い。僕は尻の肉が薄いので骨が当たる。今日のフライトは13時間弱。何も考えずに(無我で)眠る。あと、機内で映画「ミニミニ大作戦」を5回見る。というのも、いつも途中で寝てしまって、全部見れてない。5回でやっと全編見た。また、座席に付いてるTVゲーム(テトリス、オセロ等)で無駄に過ごすしかない。語学学習という手もあるが、僕には勉強出来る環境ではない。遠藤ミチロウじゃないが「勉強が出来ない!」と叫びたくなる。現在地と到着までの時間を表示する画面を見ながら、じっと耐える、尻と脚の痛みに。

■日本時間24時、フランス・シャルル・ド・ゴール空港着。現地時間は16時。8時間前に戻る。つまり、僕にとって、今日は32時間ある。空港には、国立シャイヨー劇場の日本人スタッフSさんが迎えに来てくれていた。実は、Sさんとは昔からの知り合いで、下北沢小劇場界隈でよく呑んでいた。僕が初演出して大惨事を起こした「alt.2」(‘99、渋谷space edge)の制作を手伝ってもらったこともある。今は文化庁のフランス派遣を経て、シャイヨー劇場で働いている。で、空港からタクシーに乗り、ホテルのある市街地へ向かう。天気は曇っていて、あいにくの空だ。

■17時。ホテルに着く。車からトランクを出そうとすると、背の高いおっさんが立っている。邪魔だなあ、と思って見上げるとフィリップ・ドゥクフレだった。ここから歩いて5分のところに住んでるらしい。1時間後に会う約束をして別れ、部屋に荷物を置きに行く。フロントも眼鏡をかけた黒人紳士だったが、部屋もアフリカン・ティストだ。ゼブラ模様のソファーやベッド。3つあるスタンドのカヴァーもゼブラ。でも、黄色いゼブラなので、虎縞とも言える。けして広いとは言えない、この部屋で1ヵ月半暮らすことになる。バスタブは無いので、熱いシャワーを浴びて疲れを流す。

■18時。フィリップが待っているカフェに行き、そこから家まで歩く。ほんとに近くのマンションだった。家では8月の山口であった愛娘とも再会。6Fの部屋からは、1時間毎に点滅するエッフェル塔のイルミネーションが見える。部屋にあった赤い花柄のソファーは、どこかで見たことのある柄だなと思っていたら、フィリップが夏に着ていたアロハの柄だ。余った布でシャツを作ったらしい。(ヤン曰く「中国では死人が着る服だ」と言っていたシャツ。)シャンペンとパンをご馳走になってると、DCAスタッフのアンヌロレーヌも合流。軽いミーティングの後、ルーがホテルで待っていると言うので、オイトマする。

■20時。ホテルに前の路上でルーと再会。寒空の中、何故か外で待っていたルー。夕食を誘うが、ぶらっとしたいらしく、中国語通訳でもあるアンヌロレーヌと一諸にぶらっとしに行ったので、日本人組だけで食事。どういうわけかアメリカン・ティストの店に入ってしまった。ダンス系ライターでもあり、パリで映画を作っているWさんも合流。気がつくと、21時。非常に眠い。日本時間だと、朝5時。Sさん曰く「そろそろ、『せっちゃん』に移動して、段ボールを敷く時間だね」と。これ、伝わるかなあ。下北沢で始発近くまで飲んだ演劇人は、その後、西口のおでん屋「せっちゃん」に移動する。で、人数が多い場合、他の店の閉まったシャッターの前に段ボールを敷き、宴を続けるという慣習があった。今となっちゃあ、下北沢で朝まで飲むなんてしなくなったが、そんな遠くの日々がフラッシュ・バックするパリの夜、日本の夜明け。

■23時(日本時間、16日午前7時)、朝なのか夜なのかその曖昧さに耐えられなく就寝。そんなパリ・ライフ、1日目。


2003/11/15 (Sat) 113

.「11月14日(金)」.
■パリに行くまでにしたい10のこと。したいって言うか、しなきゃならないことの方が多く、見たい日本映画もたくさんあるが、ごめん全然無理だ。明日出発につき終日準備。帰国は来年1月3日。一ヵ月半もパリに滞在するのは初めてのケース。「ランコントル」の準備もしなきゃならない。おまけに、今冬のパリは極寒らしい。が、ケ・セラセラで。何が起こるかパリ・ライフ。何が待ってる?パリ・ライフ。えーと、パリは燃えているのか?(いい意味で。)どうなんだ、パリ。聞いているのか、パリ。パリパリパリパリうるさいが、最重要任務はもちろん↓この人たちとの作業。行って来るザンス。

http://www.theatre-chaillot.fr/public/20032004/spectacl/07_decouf/photos.htm


2003/11/14 (Fri) 112

.「11月13日(木)」.
■「ランコントル」事務局のKさんと、やっと連絡がとれた。ただ最初、話しが合わなかった。事務局の別の方に「12月中旬の技術打ち合わせに参加出来ない」という旨の伝言を頼んでいたのだが、Kさんには「1月の公演に参加出来ない」と伝わっていた。危ない危ない。知らない間に棄権になってるところだった。「やる気マンマンです」と改めて伝える。

■そんな最中、「世界の車窓へ」バックナンバー・ページを修正。これなら大丈夫のはず。
http://www6.plala.or.jp/BOKUDEATH/sekainosyasoue/index.html


■夜、中目黒で地鶏鍋。鶏レバーが美味かった。関係ないけど、中目黒に住んでる友人から「コーネリアス見た。TSUTYAで。CD借りてた」って聞いたことを思い出した。ちょっと驚いた。




2003/11/14 (Fri) 111

.「11月12日(水)」.
■体内の風邪菌は大分、死んできた。

■午前中、眼科医の定期検診を受けた(何年か前に網膜剥離になったので)後、渋谷でいろいろ買い出し。そのあと、昨日聞いたMさんの助言をもとに、「ランコントル」用の技術プランを作成。昨日、書いた「動機」の作業を別の言葉で表すなら、たとえば、(A)地点から(B)地点に行くとします。で、その行き方は、「徒歩で」「タクシーで」「笑いながら」「怒りながら」「読書しながら」「猿を抱いて」「へソで茶を沸かしながら」と無数にある。その無数の中から、省いて省いて省いて省いて「こうするしかなかった行き方」を見つける。そ−いう作業。生を承知で言うと、駄目ダンスの人って、「ああも出来る」「こうも出来る」って思って作っている場合が多く、結果、他者の(曖昧な)感覚に委ね過ぎの「なんとなく」なものが出来る。パフォーマンス・アート?っていうやつもそう。何でそうするか分からない。

■夜、作成した技術プランをもとに、太野垣+C子と打ち合わせ。12月中旬の技術打ち合わせに行ってもらう彼らに、僕の意思を全て伝える。また、出席出来ないことを、事務局のKさん、舞台監督のAさんに改めて挨拶しときたいと思うが、なかなか連絡がとれない。



2003/11/12 (Wed) 110

.「11月11日(火)」.
■全身が菌に蝕まれて朦朧としてるのに、脳の中の小人が「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と自転車を漕ぐ。ハムスターのように。

■午前中、雑務をこなし、病院に行き、「風邪です」と言われ、家に戻って、また雑務。そのあと、雨の中、三軒茶屋へ向かう。三軒茶屋では「忍者ビデオ」をまた撮影。本来なら2ヶ月に一度のペースだが、年末進行+年末は日本不在なので、今日しか撮影出来なかった。これ、来年2月号用のやつ。

■撮影後、「ランコントル」のアドバイスをもらいに、山口ライフで一緒だった照明家・Mさんの事務所がある笹塚に向かう。笹塚と言っても、中野富士見町、方南町の中間地点辺りにあるので、タクシーを使うが、この運転手にやられた。全然違う場所で降ろされた。新宿駅でたとえると、西口スバル・ビルに行きたいのに、東口ドン・キホーテで降ろされた感じ。全く違うじゃん。禅僧からの挑戦状かと思った。で、降ろされた場所から、いわゆる「世田谷ラビリンス」じゃなかった中野ラビリンスに迷い込み、泣きながら目的地の灯りを探す。「友達のうちはどこ?」と心持ち、10キロは歩いた。

■事務所では、まずMさんから「基本仕込図」の読み方を、合流した太野垣と教わる。この公演では、具体的な専門的照明プランを提出しなければならないからだ。次に、僕が用意したイメージ案に必要な照明を教えてもらう。で、そのあと、上演予定の「BOKUDEX」のビデオを見ながら、再検証する作業。Mさんから、いろいろ具体的なアドバイスをもらい、とても助かった。ありがとうございます。僕からMさんへの説明を聞いていた太野垣にも、代理出席を前にいい機会になったのではないかと思う。

■ただ、Mさんから出た案で、ひとつ保留のことがある。「BOKUDEX」は6個のショート・ピ−スから出来ているが、全てのピースに「動機」がある。この動機を曖昧にするとあんまり宜しくない、と考えるのです。先の案、今の段階では、まだ曖昧。そういう意味において、まだ保留なのです。も少し考えよう。脳の中の小人も一緒に考えてくれ。


2003/11/10 (Mon) 109

.「11月10日(月)」.
■脳が朦朧としてる中、写真入りの「世界の車窓へ」バックナンバー・ページを作った。脳が朦朧としてるので、今ひとつ、イメージ通りに出来てないから直したい部分があるが、出国前に直す時間があるかどうか。ただ、間違ったタイトル「世界の車掌へ」という箇所は直した。どんなページだ。「世界の車掌へ」って。


2003/11/10 (Mon) 108

.「11月9日(日)」.
■「生温いオンリーワンなど必要ナイ。俺が欲しいのはナンバーワンだー!」というのは、PRIDE−GPのキャッチフレーズですが、今、見てきた、決勝を、生で、東京ドームで。演出も含め、いろいろ楽しんできたわけですが、体調最悪なので、「俺が欲しいのは、風邪薬だー!」という気分です。
■DSEも、大晦日興業戦争に参入するとの正式発表があったのが、今ひとつ、相関図が読めない。

■で、会場で偶然、和久田、秋山、笠原という伝説の演劇ユニット・TBプラネット三人衆とバッタリ。容姿はお互い変わっていたが、キャラ割りは昔と変わらずだった。秋山は「一軒家プロレス」のスタッフもやってるらしい。時間が出来たら遊びに行きたい。


2003/11/08 (Sat) 107

.「11月7日(金)」.
■「ランコントル」の日程が決まった。ボクデスの出場は初日、1月10日(土)。同日上演は、岡本真理子、ルーデンス、高野美和子さんの正調組です。(11日が康本、伊藤郁女、アンサンブル・ゾネの三組)作戦的には2日目がよかったが、しょうがない。自分の仕事をするだけ。チケットは発売中。今年はワン・ドリンク付きらしいが「生温いドリンク・ワンなど必要ナイ。俺が欲しいのはナンバーワンだー!」

■でも、おいしく冷えてると思いますよ、ビール。



■曙K−1参戦に乗れない自分がいる。日本に居れないのもあるが、大味過ぎやしないか。DSE、FEG、NTVの水面下行く年来る年攻防の方が気にはなる。



2003/11/06 (Thu) 106

.「11月5日(水)」.
■朝、起きぬけにニブロール「ノート」越後妻有アートトリエンナーレ版のビデオを見る。本番の8月末当時、僕は山口ライフ中だったので、やっと見れた。見て、行き成り感を思い出した。ビデオ作品だから細かい部分は分からないが、相変わらずの行き成りな感じだった。前回のランコントルでナショナル協議員賞をもらったニブロール。何かの参考になるかなと思って見たけど、なりそうもなかった。特別過ぎる。ちなみに、その賞をとったニブロール「駐車禁止」には僕も出てたんですよ、オバアチャン。

■フランス大使館にビザを取りに行く。無事、取れたはずだが、僕が払ったのは100ユーロ。同じビザを申請した郁女は40ユーロだったらしい。少し不安になる。

■夕方、太野垣と「ランコントル」の打ち合わせ。僕がパリ滞在中の間、日本での作業を彼にやってもらうからだ。事務局とはメールでもやりとり出来るが、実際に動ける人がいるといないでは大違いで、心強い。12月中旬の打ち合わせにも太野垣に行ってもらうことにした。新婚の奥さんの機嫌が気になっていたが、大丈夫とのことで、安心した。

■夜、山口で書いたメモを見ながら、「世界の車窓へ」を一気に書く。山口では、疲れて書けなく、メモだけを残していた。何か溜まった夏休みの宿題を仕上げたみたいな気分だが、とりあえず、書かないといられない体になってしまった。今後、どーなるか分かりませんが、できるだけ書きます。


2003/11/06 (Thu) 105

.「11月4日(火)」.
■ステファンらフランス・チームは新幹線で大阪に向かい、一泊した後、関空からパリに飛ぶ日程だそうだが、僕ら日本人&東京で別件のあるフィリップは11時にホテルをチェックアウトし、宇部空港に向かう。で、14時には羽田に着いていた。10日後、郁女、ミヤとはフランスでの稽古が始まるが、千枝、通訳のSさんとはここでお別れ。伊藤千枝と初めて作業したのは、01年のフィリップ・ドゥクフレ・ビデオダンス・ワークショップが初めてだった。それから2年間、日本のコンポラ・ダンスのボスの姿を見させてもらった。この人と共同作業出来たことも、フィリップとの作業と同様、恵まれていたことだと思う。そんなことは言わず、別れだけを告げる。バイバイバイキン。山口での作業から生まれた「イリス」が、パリでどーなるのか?どーもならないのか?期待と不安のまま、「再び山口編」はここで終わり。僕は「ランコントル〜」の打ち合わせで、横浜・赤レンガ倉庫に急がなければならない。というわけで、ここからは同時進行、「ランコントル必勝大作戦!編」のスタートでもある。




■18時から赤レンガ倉庫ホールで説明会。知った顔も何人かいる。康本雅子、岡本真理子、伊藤郁女って、郁女とはさっきまで一緒だった。ちなみに、この3人は河童次郎と共演している。僕を除く参加者6人中、3人が河童次郎と共演経験アリという、画期的な今度のランコントルではある。
横浜市芸術文化振興財団のIさんから開催趣旨、ここまでの選考の経緯が告げられたあと、舞台監督さんから、舞台設備の説明が行われた。細かい個別の打ち合わせは12月中旬にあるが、当日、僕はパリにいるので誰かに代わりに行ってもらわないとならない。あと、本番当日も音響、照明のオペはホールの人がしてくれるが、キュー出しをする人間を各自で連れてこないといけない。どこかに誰かいないだろうか。今月、15日に日本を発つ前にやっておかなきゃならないことが沢山ある。
あと、出演日はまだ未定です。今週中には決まるらしい。しばらくお待ちください。

「ランコントル・コレグラフィック・アンテルナショナル・ドゥ・セーヌ・サン・ドニ・ヨコハマプラットフォーム」
http://www.city.yokohama.jp/me/yaf/ydc2004.html



2003/11/06 (Thu) 104

.「11月3日(月)」.
■非常に疲れている体なのに、何故か朝早くに目が覚める。何かが気にかかってる脳。あ!と思い出し、スポーツ新聞をホテル横のコンビニに買いに行く。そして、ハッピーエンドに終わらなかったみちのくプロレスの大会の詳を知る。知ったあと、昨日撮った羽織袴ビデオを見ておさらいをする。今日、一人で着てフィリップにお披露目しなければならない。で、二度寝。

■クラスのあと、駄目だし。客入れ中の紫外線マンを見て泣いてしまった子供がいたそうだ。「本当の恐怖に落とし入れてはいけない」だって。ごめんね、子供よ。何ヶ所か抜き稽古をして本番に備える。早速、僕は紋付羽織袴を着る。自力で全部着れたわけではないが、衣裳のSさんのアシストを受けながらナントカカントカ80%くらいは一人で着れました、僕。で、フィリップに見せに行く。パリに着いてからNGを出されるわけにはいかないからだ。緊急の用事があったらしく、少し呆気なかったが、OKをもらう。

■で、開場&開演。今日も満員の客席を、子供を泣かさないようにウロウロ。舞台上も調子に乗れてきたというか、客席に乗せられたというか、子供たちの喜ぶ声が耳に入ってくる。それが基準ではないが、いい感じで山口公演楽日を終えられた気がする。カーテンコール時、客席一番前に座っていた子供たちから花束をもらった。子供たちの笑顔を見て、やっと報われたと思った。やっと終わったと思った。横浜公演では感じなかった感覚。

■終演後、舞台スタッフはバラシ。美術セット&小道具&衣裳&脚立、全部パリに送る。「家」は解体して空輸する。日本人スタッフは最後の大仕事に取り掛かる。オツカレサマデシタ。僕は私物を持って、一旦、ホテルに引き上げる。何故か無性に疲れたぁって思う。打ち上げはYCAMのスタッフが仕切ってくれた居酒屋。やはり、横浜公演の打ち上げとは違い、皆「何かが終わったぁ」という開放感のある雰囲気。今月15日すぐにパリ入りする僕も、とりあえず「何かが終わったぁ」という感覚。日本人スタッフらは、パリに行ってからの方がハードになると思うよ、と言う。一体パリでは何が待っているのか?小浜はどこまで凹むのか?何も知らない僕は、打ち上げの席でヤンのモテモテ話を皆で聞いていた。内容とは別に、英語でのエロ・トークを理解し笑ってる自分に少し感激したりしてる小浜であった。ごめん、こんなシメで。



2003/11/05 (Wed) 103

.「11月2日(日)」.
■本番二日目。クラスの後、駄目出しの前に、パリ公演での説明がフィリップから少しされた。国立シャイヨー劇場のロビーは物凄く広いらしく、「開演前終演後にも、劇場内のいろいろな場所で何かをやっていたい。たとえば、脚立。」へ?すっかり忘れ去られていたと思っていたが、どっこいガシャンと生きていた。というわけで、脚立バレエをご覧になりたい方はおいでませパリ。日本でやれよ、と御批判もあるでしょうが、おいでませパリ。また、千枝はパリ公演に出演しないため、冒頭の三ヶ国語挨拶は僕がやることになりそうだ。紋付袴姿で。「みんな〜やってるか!」みたいに。で、駄目出し。昨日の舞台には、やはり「熱」が少なかった、と。みんな〜やってるか!と行くために何ヶ所か直し。

■儀式のあと、開場。いつものように客席をうろつく。「あ、吹越さん!」と言われ微妙な気持ちになるも、幕は今日も開く。客席は昨日より沸いていた。素直に見てくれた印象。演者にも皆、熱がある。熱くなり過ぎて僕は、「家」のベッドを壊してしまった。暴れるシーンがあるのだが、そこでベキッとやってしまった。鯱丸に修繕してもらう。

■終演後、NHK教育「芸術劇場」の取材を受ける。インタビュアーは、かつて遊園地再生事業団の制作だったHさん。初めて出た遊園地再生の作品「ヒネミの商人」の制作がHさんだった。感慨深いものがあったが、インタビューでは少し語ってしまった。恥ずかしい。しゃべり場と間違えた。嘘。
あと、「ウルトラ影絵」の制作秘話も話したが、NHKで「ウルトラマン」という言葉は放送できないらしく、撮り直しになった。で、思いついたのが「怪獣と戦う場面」という言葉。「怪獣、怪獣」と連呼する俺。バカか俺は。そんなオンエアは12月14日(日)、22:00〜。ボクデスの様子もオンエアされるみたいです。
■で、↓の12月14日放送予定分を見て、ビックリ。俺とピナが並んでる。ごめんね、ピナ。
あと、「放送内容の詳細」に飛ぶと、またビックリ。「小浜を中心にIRISを紹介」だって。俺中心でIRISを紹介してどうするNHKという気がしないでもないが、もしかしたら来てんの?プチ小浜ブーム。

「芸術劇場」放送予定
http://www.nhk.or.jp/art/yotei/yotei.html

■取材後、衣裳のSさん、通訳のHさん(元・合気道部)と羽織袴を着る練習。日本人舞台スタッフは、フランスへ誰も行かない。フランス衣裳スタッフはいるが、羽織袴の着せ方は無理だということで、僕が一人で着れるよう練習。初めて着た羽織袴。帯の締め方が難しいが、なんとか着れそうではある。 あと、たたみ方も難しい。出世だたみというのがあるが、これがマスターできないと出世できないらしいが、まだマスターできてない。

■終わって、また舞台スタッフと魚。舞台監督のSさんから、まさしくイリス、眼球の虹彩のように開いたり閉じたりするカーテンの仕組みを教えてもらう。何でも特許がとれるほどの発明らしいが、手動で行うその方法を、フランス人舞台スタッフでも出来るかは相当難しいらしい。そんな二日目。


2003/11/05 (Wed) 102

.「11月1日(土)」.
■鈴木慶一さんからのメールに驚いた初日の朝。「いても立ってもいられなく行って来ましたよ、高層大仏に」と。ほんとに行ってしまったのか、あの人は。そんなに行きたかったのか、牛久に。それほどまでして巨大仏を見たいのか。同志よ!高層大仏を見て「おったまげた」慶一さんは、そのあと、岡倉天心の別荘や野口雨情記念館にも行き、風船爆弾の実物(紙製)を見たり、いろいろたまげて来たらしい。同志の行動に、わけの分からない興奮を胸に抱き僕はYCAMに向かう。

■YCAMは本日オープン。館内には一般のお客さんがたくさん来ている。これまでのようにホワイエは使えないので、舞台上でアレックスのクラス。そのあと、休みなく、直し&テクリハ中心の最後の通しをして本番に臨む。開場前、横浜公演でもやった儀式を舞台上でする。まず、出演者&スタッフが手をつなぎサークルを作り、自分の国の言葉でそこにいる人数分の数を数えながら手を振る。その振りは数が大きくなるにつれ大きくなっていく。で、最後の数で手を離してジャンプ。そのあと、「Merde!」と言いながら、お互いの尻を触っていく。merdeというのは「くそっ!」「fuck!」という汚い言葉だが、「舞台では骨の一本でも折ってきやがれ!」という意味で、これを言って互いの尻を触るのはフランス舞台人の古くからの習わしらしい。

■で、開場。僕は紫外線マンで客席をウロウロ。客席は三階席まで満員。ウロウロした後、ダーッて本番突入。でも、なんだろう。客席は硬い気がした。椅子が、と言う意味ではなく、見慣れてないものを緊張して見てる感じ。去年、「踊りに行くぜ」仙台公演でボクデスをやらせてもらった時、「見慣れてないもの」をやらせてもらったのだが、異常に盛り上がった。だとしたら、演者側の問題でもある。横浜初演時のときは、2ヶ月稽古した後のある意味、わけの分からない衝動と瞬発力がもっとあった気がする。気を引き締めなきゃアカン。

■終演後、YCAMオープニング・セレモニーの目玉である「アモーダル・サスペンション」の中継イベントを見に行く。参加者がメールをセンターに送信する度に、そのメッセ−ジがサーチライトの光に変換され、山口の夜空に飛び交うというインタラクティブ・アート。20台のライトから放たれた光は単純にキレイだったが、思うことも多少ある。館内の至る所で行われてる「メディア・ソケット」というインスタレーションも、双方向性アートと言われるものが主で、こういうものって「あ〜そうですか」で終わってしまうパターンが多い。作家の作品に対するパワー、思い入れほど(ナンダカンダ言って)受け手側である側にはパワーは無い。こういうものを作る作家ほど、作品に向かう思考以上に受け手側の思考を考えて欲しいと少し思う。受け手を侮っちゃアカン。

「アモーダル・サスペンション」詳細
http://www.amodal.net/index.html

■点灯式、開館レセプションに参加したあと、舞台スタッフが初日打ち上げしてる店に行き、技術監督のYさんにコクられる。変な意味でなくてね。オペラやバレエの巨匠たちとの仕事が多いYさんとの話は面白かった。「何かせずにいられない身体と、何もしなくてもいい身体があって、マサは何もしなくてもいい身体なのに、何かしてるでしょ?」と。いや、自分でも得意分野は分かってるんですけど、いろいろ事情があって、ゴニョゴニョと答える。パリ公演には出演しない千枝が続けて言う。「いろいろ気をつけてね」と。そんな初日の夜。


2003年12月 --+-- 2003年10月
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