昭和59年(1984年)老人保健法に基づく地域検診が始まった。これは、40歳以上を対象とした、心電図や血液尿検査、一般診察などである。だがこれに加えて、腹部エコー検査と眼科検診を含めたいづはら病院方式の検診を対馬の各地域に出かけていって行った。検診は月に2-3回行われた。それも日曜日である。島内に眼科医は私だけなので、私はほぼ24時間、休む間もなく働き続けた。これは、検診が対馬の医療砂漠を解決できる唯一の方法だと信じていたからである。
昭和59年度より当院に赴任した副院長が、バイタリティがあり検診や予防活動に熱心だったため、その旗印のもと、病院の職員もいやいやながらついていったのである。もちろん、時間外手当のないボランティアであった。対馬の地域は遠い。眠い目をこすりながら、朝7時の出発だ。厳原、美津島、豊玉の3町だけとはいえ、タクシーで1時間半かかる地域もある。タクシーは山道がつらい。何度も吐きそうになる。とくに当直明けの検診のときは、現地に着いたときは、ボーッとしてしばらく何もできなくなる。しかし、そういうときに限って受診者の数が多いのだ。一番つらかった思い出は、11月下旬の連休が2日間とも検診でつぶれたことだ。家族からもぶつぶつと言われ、連休も休めない2日連続の検診はさすがにこたえた。
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