その32 対馬の風


 

 対馬は、九州の北西部、朝鮮半島の南東というその位置から風の強い島である。とくに冬は朝鮮半島からの身を刺すような北風が吹きつける。厳原町の西海岸、佐須地区には、平たい石の屋根を積み重ねた石屋根という穀物の貯蔵庫がある。これは、風の強い対馬の地域ならではのつくりである。
 対馬の風はいろいろな想い出を作った。まだ眠い朝に釣り道具を準備して磯釣りに向かった想い出、健診会場での目をこすりながらの冷たい朝の想い出、遺体の死亡確認に風の強い日に民家に出かけていった想い出、暴風雨の中無医地区の診療所に向かった想い出、吹きすさぶ北風の中上対馬比田勝の町を歩いた想い出。いろいろな場面が思い起こされる。
 この風は、時には身を切るような風になり、時には生暖かい海の香りを運んでくる。春になると、磯の香りとこれから動き始める海の生物の息吹が聞こえてくる。夏は、火照った体に心地よい天然のクーラーとなる。秋には、紅葉に色づいた山の美しさを知らせ、近づいてくる冬の到来を告げる。
 私は、今でもこの対馬の風が忘れられない。対馬を離れてみると夢の中にまで対馬の島は出てくる。そしてその風が私を引き寄せる。今、その対馬はどうなっているのだろうか。もう4年も訪れていない。
 

 
椎根の石屋根