82歳のF.I.さんが当院を訪れたのは、1997年4月22日のことである。田島の人の話を聞いて当院を訪れたらしい。当院のお隣の理髪店でまえだ眼科はどこか訊ねて来院した。しかし、行き方がわからないらしく、また、戻ってきて同じことを聞いたらしい。そして、午後からもまた訊ねたので理髪店のおかみさんもよく覚えていたという。
とにかく目が見えないと言う。小さい頃からトラホームなどにかかって病気をしたという。しかし、角膜はきれいでトラホームのあとはない。が立派な老人性白内障である。(核は硬そう)しかし、眼瞼がつっぱったようになっていて、眼球結膜が腫張している。内斜視もあり、手術で視力は出ると思うものの手術して良いものか少しためらう。手術の話をすると、息子が反対するという。どうも、金銭的な面らしい。老人は1カ月1020円という事を知らないらしい。(手術はお金がいると思っている。)お金のこともお話ししたら、本人は手術を受けたいということでいよいよ手術をすることになった。
しきりに、『注射はしないでくれ』『痛くないか』と言う。『注射はしないから、大丈夫』と説得したので点眼麻酔で手術をすることにした。点眼麻酔手術は他の手術患者さんには一般的に行っている麻酔法だが、少しボケた状態の人には念のためにテノン嚢麻酔をしている。患者さんとの約束で注射は絶対にしないことになった。手術は、下を向いてとか上を向いてとかいう命令がうまく伝わらず、眼球運動がうまくできず、点眼麻酔では大変だった。手術中にも『これは何の手術ですか』と3回も聞かれた。『白内障の手術です。』というと『白内障ですか。』と返答があった。核が少し硬く苦労したが、なんとか手術は終了した。術後穴のあいた保護カッペをして、帰宅させるのだが、手術したとわかると長男に怒られるので眼帯はしないと言って帰った。飲み薬と点眼薬は一応持って帰った。
次の日、いくら待ってもF.I.さんは現れない。気を揉みながらとうとうその日は過ぎていった。電話をしようにもF.I.さんの家には電話がない。ゼンリンの住宅地図で家を調べ様子をみてきてもらうようにした。書き置きがしてあって、お参りに行っているという。夕方には戻ると書いてある。どうも、一人暮らしらしい。
昨日手術をした患者さんの術後が診れない。医者になって初めての経験であり、あってはならないことである。いてもたってもいられず、診療が終わって午後7時過ぎに、私は往診セットを持ってF.I.さんの家に向かった。狭い路地を通ってF.I.さんの家に着いた。古い家の裏にF.I.という表札が手書きで書いてあった。F.I.さんは家の中にいた。今にもくずれそうな6帖ほどの一間に一人暮らしで住んでいた。壊れかけた壁、汚れた床。一瞬靴をぬいで上がるのをためらうほどだった。F.I.さんは、『よく来てくださった』と汚れた座布団を出して歓迎したが、『どうして今日診察に来なかったのか』問いただすと、『よく見えるのであまりのうれしさに有頂天になっていました。調子が悪かったら行きますよ。』と答えた。台の上には、昨日渡した飲み薬と目薬が封も切らずにそのまま置いてあった。やはり手術するべきではなかったか、しかし、こんなに嬉しそうにしているF.I.さんを見ていると、手術して良かったのか。振り子のように頭の中は揺れ動いた。診察の後、台の上の目薬を点眼してあげて、飲み薬も飲ませてあげた。しかし、その後、薬は放って置かれるかもしれない。術後感染もあり得る。と思うと背筋が寒くなってきた。子供たちからも見放された状態のこのお婆さんをどうしたらよいのか。でも、目が見えるようになったらこのお部屋もきれいになるかもしれない。もっと生き甲斐のある生活ができるかもしれないという望みを持ちながら、F.I.さんの家を後にした。『明日は必ず診察に来てくださいよ。』という言葉を残して…。