野生図鑑 鳥を訪ねて南へ北へ
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ALASKA  旅行記

私の最も好きな旅行地アラスカの思い出を書いてます。


 
デナリ国立公園(1999年8月末)
 

目的は野生動物ウォチングと北米最高峰のデナリ山(マッキンリー)を見ること。地球の歩き方やアラスカ関係のサイトでの予習の結果、デナリを拝める可能性は8月末から9月初旬以外では非常に低いことを知りこの時期の訪問となった(デナリは9月の10日過ぎにもう長い冬休みに入る)。当初の予定では公園入口で1泊し、鳥、ビーバー、リスなどの小動物を見ながらハイキングを楽しむ計画だったが予期せぬトラブルのため、出発が1日遅れカンティシュナへの2泊3日の旅だけとなってしまった。バックパッカー用のシャトルバンで朝の7時前にアンカレジを主発し、約6時間で公園入口に着く。キャンパー以外の観光客は通常、公園入口のロッジに宿泊し、公園のシャトルバスでアニマルウォチングへ出かけるが、自分は公園の最奥にあるカンティシュナ地区のロッジに宿泊するため、ロッジの送迎バスにて5時間半のバス旅へ出発。しばらくして森林地帯を抜けると景色は一変し高地ツンドラとなる。まもなく最初のターゲットのカリブーが登場。その後もカリブー、グリズリー、キツネなどが50mから200mの距離でひっきりなしに現れ、興奮覚めやらず。ドルシープやマウンテンゴートも遠くの急斜面に見られたが、肉眼では白い点、1100ミリで撮った写真を目一杯トリミングしても証拠写真程度にしかならず。また、途中何度か猛禽類の巣の所でバスを止めてくれたが、いずれも留守にて対面できず。飛翔は何度となく目撃。シロハヤブサも数度目にするも、日本で言う所の淡色型や暗色型とは大きく異なり全面灰色だった。鳥を見るには少し時期遅れの感は否めず。繁殖期に雛に給仕する猛禽や無数の沼地に繁殖するアビ、カモ、カイツブリの姿を想像するだけエクスタシーに。ほとんどのバスの折り返し点であるビジターセンターまで来たが目の前に見える筈のデナリ山はまったく見えず。そのかわりにかわいい北極地リスが盛んに愛嬌を

振りまいていた。

さらに奥へ進むに連れグリズリーとの遭遇頻度も高くなった。6時半を過ぎ空腹感を覚えたころ、一台のキャンピングカーが行く手を塞いでいた。勘弁してよーと口に出かかったとき、道路脇の彼(ムース)とそれを見守る人達に気づいた。グリズリーやカリブーより一回りでかい。この日、一番の感動。その後、ビーバーを見て、7時半近くにやっと今日の宿カンティシュナロードハウスに到着。私の大きなバックパックを持って部屋まで案内してくれたお兄さんはどう見ても日本人にしか見えない。後で聞いたところでは、ここは何とか族(名前は忘れてしまいましたが、いわゆるインディアンの一部族)の特別居留区になっていて、ロッジの仕事を手伝っているらしい。長い冬の間、白人のオーナー一家が町で暮らしている間も彼らはここで生活するとのこと。アメリカの先住民の複雑な歴史を考えさせられた。

 2日目 早朝から起きだしロッジの周りを徘徊するも鳥影なし。天気がよいので、1, 2キロも歩けばマッキンリーの日の出が見えるのではと考え歩き出す。8月だというのに吐く息は真っ白で、手袋をつけた手や裸の耳が凍てつく。ツンドラの草原は朝霜で一面の銀世界。昨日、この辺にはよくカリブーがいるとドライバー(兼ガイド)が言っていたあたりに着くも姿なし。1時間程歩いてやっとオレンジ色に輝く山頂が見えてきた。急に速足になりさらに30分進むが、どこまで行っても見えるのは山頂のみ、朝食の時間が1時間後に迫って来たので、諦め、帰路を急ぐ。朝食後は各自の選択したアクティビティへ出発。一番人気の遊覧飛行をはじめ、1日ハイキング、半日お気軽ハイク、砂金採りなどがあり、宿泊料に含まれている。私は本来なら迷う事無く1日ハイクなのだが、怪我をしていたので小さい子や御年寄りでも大丈夫という半日ハイクを選択した。我々のバンは先ずマッキンリーの眺望が素晴らしいという池に向かった。池が見えてくる同時にデナリがはじめてその全容を現した。神々しいという表現がぴったりの威容。運良く無風でさざ波もなく逆さデナリもバッチリ。ここまで遥々来た甲斐があった。憧れの風景を堪能した後、ハイキング地へと向かう。途中何度か道路脇の草むらへ逃げ込むライチョウを見る。デナリの懐の山岳ツンドラ地帯をハイキングする。草花の説明を受けながらのんびりハイクだが、三脚を担いだ私ともう一人、一脚をつけたキャノンの望遠を持ったカーボーイハットの白ヒゲのおじさんの二人は説明をほとんど聞かずに植物や風景をパチパチ。

開けた所に出てヒグマをじっくり観察。最も近い個体で200メートル、遠い個体では500メートル以上と距離はあったが、自動車という鋼鉄の檻から出て、クマと同じ大地に立ち同じ空気を吸い、満足感に包まれ帰途につく。午後はオーナーの姉(妹?)のおばちゃんの犬ぞりのデモンストレーションに参加。冬期にここの居留地で病人が出て、飛行機も飛べない時、おばちゃんが町から犬ぞりでオーロラの下を3日がかりでアスピリンを届けた時の体験談にはワクワク。しかし、あまのじゃくで、かつ話の内容も半分程度しか聞き取れない私は次第に飽きてきて、独りロッジの周辺をぶらつく。朝は全く鳥影がなっかたのに、小鳥が盛んに餌をついばんでいる。カラ類、ムシクイ類、カケスの仲間等が主なもの。特に真黄色のアメリカムシクイ(英名のかってな直訳で本当の和名は知らない)がかわいい。夕食後は、犬ぞりのおばちゃんのスライドショーの後、バンで夕陽を見に行く。おばちゃんの話が長引いた為、デナリはもう闇の中に溶け込もうとしていたが、反対方向の日が沈んだ当たりはまだオレンジ色に輝いており、その後30分近くアラスカの日没を堪能できた。

3日目 真っ暗なうちに朝食を済ませ、夜明け前にロッジのバスにて長い帰路につく。すぐに薄暮に浮かぶカリブーやムースを目にする。星野道夫の写真から抜け出てきたような光景だ。まもなく昨日の池に到着、朝日に輝くデナリを拝むことができた。その後道路脇をうろつくヒグマに遭遇、バスの周りを半周し大サービスしくれるが、近すぎて、望遠ではシャッターが切れない。離れて行く後ろ姿をやっと撮影できた。その後も、往路で見た動物達のオンパレード。しかも、距離が断然近い。野生生物の観察にはやはり早朝が一番のようだ。そして、往路では見ることのできなかった狼も出現。

正午に公園入口に着く。アラスカ鉄道に乗り換えアンカレジへ向かう。アラスカ鉄道には各旅行会社の所有する豪華2階建て車両が沢山連結されているが、わたしの乗った一般車両には数家族が乗車するのみで、コンパニオンの御姉さんはいないが実に快適だった。アラスカ鉄道の速度は遅くシャトルバンの1.5倍も期間がかかるが、車窓風景は時の経つのを忘れさせてくれた。アラスカ鉄道の車窓風景は、私のかってなランキングではダントツの世界一。ちなみに二位はスイスの山岳鉄道、三位はプロバンスの田園地帯を走るTGV。



北米大陸最北の町 バロー(2001年7月)
 

準備編 旅の目的は1)シロフクロウを見ること。2)しろくまくんに出会うこと。3)毎冬納沙布岬に通ってまだ一度もみたことのないコケワタガモ、そして以前にアンカレジの動物園で見て絶対に野生の個体を見ようと誓ったケワタガモを見ること。4)そして極北の地で繁殖する多くの鳥を見ることでした。広いアラスカの極北地帯のなかでバローへ行こうと考えた理由は、北米最北の地を訪ねエスキモーの人々の生活文化に触れる為のツアーで多くの人が訪れる観光地であるため、中型の定期便が日に数便飛び宿泊施設も数軒あり、町の周辺を足の向くまま気 の向くままに自由気ままな探鳥が出来るのではないかと思ったからです。北極の扉国立公園など他にも行きたいところは何ヶ所かありましたが、行くには秘境ツアーのようなものに参加するしかなく、自由度が大きく制限されるため、今回は断念しました。本来私は観光客の少ない山の中やジャングル、離島の一軒宿が好きなのですが、このような条件にぴったりのカナダ等の北極圏のロッジはどれも非常に高額(セスナ機での送迎付き4−6泊で2,3千ドル)であるため、論外でした。宿はインターネ ットで見つけた、King Eider (ケワタガモ) INN <http://www.kingeider.net/>に決めました。

7月25日 6時半アンカレジ発フェアバンクス経由のアラスカ航空便で10時少し
前にバロー空港到着。
ほとんどの乗客はツンドラツアーと書かれた灰色のバスに乗り込み行ってしまう。こ
んなに地味な観光バスを見たのは初めてだ。空港のすぐそばにあるはずのKing
Eider Inn を目で捜すがわからない。空港の真ん前のInfo. Center も閉まってい
る。適当な方向に歩き出すと、民家の庭先を飛び回る小鳥が目に入る。ユキホオジロ
だ。庭の廃材と高床式になっている家の床下の間を行き来している。おそらく床下に
巣があるのだろう。”所変われば、・・・”とはいうものの、日本とは大きな違いで
ある。私の知っている北海道の飛来地は何処も荒涼とした荒れ地で冬場は熱心な鳥屋
以外には地元の漁師もほとんど近寄らないような所ばかりで、人の気配を察すると直
ぐに群れで飛び去ってしまうのに。イヌゾリに止ったところを1枚撮影すると、”北斜面郡なんとか”と書いたミニパトのような車に乗ったおじさんが近付いて来ていきなり ”おまえ、何やってんだ?何処から来た?誰の許可をもらって、写真を撮ってるんだ!”と怒鳴られた。旅行ガイドに、許可なく民家の軒先に干してある白熊やア
ザラシの毛皮の写真を撮らないようにとの注意が書かれていたので、極力人家の方に
は目をやらないように注意していたのに。私が、”撮影しているのは鳥だけで私有財
産は撮影していない”というと、”個人の所有地にあるものは全て撮影禁止だ。”と
言い、しゃがれ声でまくし立てはじめた。私はすいませんと謝り立ち去ろうとするが
おじさんは構わずまくしたてている。このまま、立ち去るとおじさんがぶちきれてま
ずい事態になりかねないので、その場に残りおとなしく説教を聞くことにする。おじ
さんは怒りのため早口になり、私の英語力では何を言っているかまったくわからず、
おじさんが怒鳴り疲れるのひたすら待つ。5分ぐらい怒鳴り続けるとさすがのおじさ
んもエネルギー切れの為かだんだんとトーンダウンしてきて、次第に私にも言ってい
ることが理解できだした。おじさんは、私のような’よそ者’が先住民の権利を侵害
したり、プライドを傷つけたり、先住民との間でトラブルを起こすのを未然に防ぐた
めにパトロールしているのだという。最後に、今後気をつけろよと言い残し、走り去
っていった。
 Info. Center のおばさんにホテルの場所を聞き、チェックイン。ホテルの前には
灰皿代わりの大きなカンが置いてあり、内部は完全禁煙とかかれている。玄関は北海
道の家と同じような2重構造になっており、最初のドアを入ったところでブラシで靴
の泥を落とし、2つ目のドアの内側のスノコ板の上でで靴を脱いで、初めて入館でき
るようになっている。土足厳禁のせいもあり、館内はいたって清潔だ。ゲストブック
には、舳倉島程ではないにしろ、その日のBird List が書き込まれている。しかし、
ピークは7月始めあたりまでで、この2週間はほとんど書き込みがない。やはり、探
鳥には時期が遅すぎるのか!ゲストブックには日本人の名前も2,3あり、漢字で山
階......の文字も。
 不要の荷物を部屋に置き、散策開始。街を抜け海を目指す。途中の民家にはカリブ
ーの角が屋根や玄関に飾られていたり、解体途中で毛革だけ剥されたカリブーが玄関
先に放置されていたり、興味をそそる物だらけであったが、先程のこともあり近付い
て見ることもせず通り過ぎる。真夏の北極の海は、私の生まれ育ったオホーツクの冬
の海とそっくりであった。

肉眼では氷以外なにも見えないが、双眼鏡で捜すと遠くの氷の切れた海面に黒い鳥が数羽浮いている。近付いて見るとコオリガモであった。図
鑑で見たような赤い部分は見られないが、はじめて目にする黒いコオリガモに感激。
土手を滑り降り、砂浜を歩いてゆくと、巨大な足跡を発見。白熊だ。胸が躍る。双眼
鏡で丹念に海上の氷の上を探すが見付からない。10分程度歩くごとに双眼鏡で沖の氷
上をサーチするがいない。さらに小一時間程歩き続けるが、双眼鏡の視界にとらえら
れたのは沖合を飛ぶカモメと豆粒ほどにしか見えないスノーモービルに乗った人間の
みで、時折アザラシを撃つ銃声が聞こえてくる以外は静寂の世界であった。小雪が舞
いはじめたので 2,3視界に見えている内陸側の建物を目指して歩き出す。ガスもかかり視界が悪くなり、身体が冷えてくる。極地ツンドラの大地はぬかるんでいて水の多いところを避けながら大回りしながら進なければいけないのでなかなか距離がかせげない。アラスカをなめちゃいけないと反省するが、10分おきぐらいに土砂を積んだ大型車両が走っていくのが見えるので、目指す方向に道がある筈なので安心だ。もちろん、背後にはバローの町並みも見えているので、海沿いに引き返しいれば、とっくに帰り着いている。日本を立つ1週間前に三番瀬でお会いしたMさんにバロー周辺の探鳥地で良いところがありますかとお聞きしたところ、全てが素晴らしい探鳥ちだが、敢えて言うなら......と教えていただいたのが、ちょうど目指すあたりなので、一度町に戻って行くより早いと考えたのが誤りだった。ようやく砂利道にたどり着いたころには天候も回復し薄日もさしていた。道沿いに歩いて行くと、時折シギ類の飛翔姿が見られるが、まだまだ鳥見歴の浅い私には識別できない。シギとは少し異なる鳥影が目の前の水たまりに着水する。ヒレアシシギだ。どっちだ。赤い部分が広いので”ハイイロ”の方だ。和名より英名の "Red"の方がしっくりくる。周囲の水辺を注意しながら歩いて行くと結構いっぱいいる。ほとんどがハイイロだが、”アカエリ”もいる。路上をちょこちょこ動くホオジロぽい鳥影がみえたので、慎重に近づいて行く。ベニヒワだ。全然私を恐れず近く飛び回り楽しませてくれる。その内にハマシギも道路上に出てくる。日本で見るのとは全く違い、真っ黒なお腹がなければ、私にはハマシギとは判らなかったろう。これが、日本では極く稀に観察されるというアラスカ型の亜種なんだ。日本でもお馴染みの鳥達ではあるが、こんなに間近でジックリ見たのは初めてだ。上空を見慣れない大きな鳥が長い尾をひらひらさせながら飛んでいる。long-tailed Jaeger、 シロハラトウゾクカモメだ。今日最初のライファー。飛翔と休息を繰り返しているがなかなか近くに来てくれない。さらに行くと道路脇に大きな立て看板があり、この辺りは世界的希少種であるコケワタガモの繁殖地であることといくつかの注意事項が書いてあった。周囲を何度見渡してもコケワタはおろか1羽のカモもみえない。出発前から半分覚悟はしていたが、彼らは既に子育ても終わり移動してしまったのだ。それでも諦めきれない私は、はぐれ者が1羽くらい残っているのではと、万に一つもない可能性を求めて、来た道を町とは反対方向に引き返す。先程通り過ぎた三差路を細い枝道のほうへ進んだ。おそらく何かの通信施設であろう小さな小屋を通り過ぎようとしたとき、突然、白い大きな影が上空を翔び、思わず首をすくめる。憧れのSnowy Owlだ。おそらく小屋の屋根に止まっていたのであろう。まったく気づかなかった。かれは50m程先の草地に舞い降りた。

こっちがゆっくり慎重に距離を20メートル程詰めるとまた50メートル後方まで翔んでしまう。どうやらこの距離が彼の許容限界のようだ。チェクインの後、16時発の現地ツアーに申し込みをしてあるの 空腹に耐えられなくなったので、彼に別れを告げ帰路を急ぐ。3時過ぎ、町外れの海岸沿いに’北極ピザ’と書かれたレストランを見つけて飛び込む。インド人の夫婦が食事をしている。どうやら彼らが経営者の様だ。中国人とインドは世界中何処にでもいるが、まさかこんな地の果てでまで商売しているとは。(ちなみに、翌々日に昼食をとったレストランは中国人がやっていた。)日替わりランチを頼むが、もう終わったと言われ、仕方なくハンバーガーを注文する。奥の方の席でひとりでチビチビとグラスを傾けていた客と目が会い、どきりとする。先刻どやされたおじさんと瓜二つだ。だが、よく見るとこちらのおとうさんの方が一回りくらい年齢が上のようだ。着ているウインドブレーカーには”クジラ船クルー”の文字が。しわがれ声で何か言っているが、聞こえないので聞き返すと、グラスをちょこっと掲げ、’バローへようこそ’と言ってくれた。みんながみんな観光客を拒絶しているわけでもないのだ。ちょっとホッとした。
 ホテルの玄関で現地ツアー(名前は忘れたが、最果て探検ツアーのような名称だった気がする)のピックアップを待っていると、装甲車が走って来て、目の前で止った。中から出てきた白人がMr.フクダかと聞くので、そうだと応えると、手で乗るように合図する。乗り込むと内部には無駄な装飾は一切ない。おそらく軍の払い下げ品なのだろう。これなら、北極グマに襲われても安心だ。途中であと二人拾っていくと言っていたが、車はあっと言う間に町を通り抜け砂浜沿いに10分程走って止まった。そこにはバスが1台止まっていて、多くの観光客が写真を撮っていた。あるのは北米大陸の最北端であることと、これより先はシロクマの出没地域であることを示す大きな看板のみ。ここがバローポイント、日本で言えば宗谷岬の様な所だ。ガイドブックに載っていた看板は文字だけで、Welcome to Top of the Worldと大きく書かれていたから、新しい看板に替わったようだ。まもなく観光バスは町の方へ引き返していったが、数人の観光客が取り残されており、不思議に思って見ていると、装甲車の運転手が近づいて行ったので、事情がのみ込めた。彼らはパッケージ旅行のオープションとして、我々のツアーに参加するのだ。スペイン語なまりの強い英語を話すご夫婦が我々の車に乗り込み、他の観光客はいつの間にか後ろに停車していた同じ型の車に乗り込み、最果て探検に出発。ここから先は漁師の人と我々の様なツアー以外には入れない。車は砂洲上を左手に海を見ながら進む。たまにアザラシが氷の上にいるのが見えるが遠い。コオリガモの小群もポツリポツリ見える。同乗の女性が“あのカモは?”と尋ねるとドライバーは“カモだよ。カモはカモだよ。”との答え。駄目だこりゃ!“この前までは他の種類のカモもいっぱいいたよ。どっかにいちゃったみたいだね。”‘何ガモ‘か知りたかったが、尋ねても無駄と思い聞かなかった。Artic Oceanと Beafort Seaの境で海水の色がはっきり違っていた。砂浜のクジラの骨に、
シロカモメとトウゾクカモメが群がっていた。

水揚げしたその場で解体し、残りは放置して完全に白骨化してから運ぶそうだ。アラスカの写真集等でイヌイットの人たちが何十人係りでクジラを砂浜に引き上げている写真を見て、密かに同じ光景に遭遇する幸運を期待していたのだが、そうは問屋が卸さない。この時期、シロクマは何キロも沖合いの氷上にいるが、クジラが上がると遠くから血の臭いを嗅ぎつけてやって来るそうだ。水揚げ後、数日間は確実に見られるらしい。もう少し早く来れたら、シロクマもコケワタガモも見れたのに・・。我々が近付いたので、50羽以上のシロカモメと20羽強のトウゾクカモメは離れた砂浜に飛び去ったが、3羽のトウゾクカモメがまだがっついていた。遠くのトウゾクカモメのなかに2羽だけ、真っ黒いのがいた。図鑑によるとこの辺りにいるJeagerはトウゾクカモメ、クロトウゾクカモメ、シロハラトウゾクカモメの3種だが、いづれも暗色型と淡色型がいるので判断が難しい。1羽は英名のlong tailが確認できたので、’シロハラ‘とわかったが、もう1羽は遠くて’クロ‘か’タダの・・‘かわからなかった。更に進むと、ハイイロ&アカエリヒレアシシギの群れやクビワカモメ、そしてハジロウミバトが見えて来た。砂洲の先端近くで停車して、北米大陸の地の果ての雰囲気を満喫する。

ハジロウミバトの口のなかが真っ赤なのや、飛行するクビワカモメの初列風切の黒いのが非常に印象的だ。キョクアジサシがダイブしている。名前には極と付くが、こんな北にまでいるとは思っていなかった。帰路、民家の庭に掘られた天然の冷蔵庫”室(むろ)”を見学して、ツアー終了。永久凍土をこの目で実感できた。スーパーで食料調達。大きなスーパーやCD機の存在がここが米国であることを思いださせてくれる。

2日目。ホテルにレストランはないが、ロビーにサービスで置いてあるコーヒーとブルーベリーマフィンと昨日買ったフルーツで朝食。昨夜から何度かバローで鳥と野生動物のガイドをしているAlaskan Arctic Adventuresに電話をするがつながらない。9時を過ぎやっとつながると、留守電で今日から2週間夏休みで愛車で鳥見旅に出掛けるとのメッセージが・・。キャタビラーのついた特殊バンでしかアクセスできないところで、何処か鳥のいる所に案内してもらおうかと考えたのだが・・。Info, Centr.でもらった地図には昨日探鳥した道に矢印が書き込まれていて、この先にはFresh Water Lakeがあり、バードウォチングの好適地と書いてあるのでハイキングがてら行ってみることにする。出がけにオーナーに今日の予定を聞かれたのでこのことを話すと、奥からブルーベリーマフィンを2個もってきてくれて、“彼は鳥や動物のことを本当によく知っているのでお薦めだよ。でも、そう、バケーションに行っちゃった。”とのこと。途中、民家の軒先にカモが何匹も吊下がっているので見ると、KING EIDER(ケワタガモ)の幼鳥だった。猟が始まり、残りはもう安全な所へ飛び去ってしまったのだろう。昨日、シロフクロウを見たあたりを見渡すが今日はいなかった。しかしこの辺りは鳥の多いところで、昨日同様、シギ類、ヒレアシシギ類、ツメナガホオジロ等を沢山見かける。そこから1キロ弱進んだ所に灯台へ向かう別れ道があり、そこにシロフクロウが止っていた。Silverかredかわからないが、道路上にはキツネの足跡がずっと続いている。更に1キロ行くと巨大なパラボラアンテナ群があり、その先の墓地を過ぎると、真直ぐに延びた道とツンドラの大地以外は何も見えなくなる。暫く行くと別のシロフクロウがいたので、写真を撮らせてもらう為に近付こうとするが、湿地帯の水の少ないところを探しながら進まなければならないので、なかなか距離は縮まらない。長いゴム長が必要だ。15分ぐらいかかってやっと撮影可能な距離まで近付いたところで飛ばれてしまう。さらに1キロ強行ったところで別のシロフクロウの写真を撮っていると、2メートル横から急に大きな鳥が飛び立ち肝を冷やす。コミミズクだった。シロフクロウに気を取られていて、こんな間近にいたのに全く気づかなかった。逆にシロフクロウは地上にいる場合は、かなり離れた所からもよく目立つ。また沼地にはアビ、シロエリオオハムも見られたが、こちらもなかなか近付かせてもらえなかった。写真を撮るにはアンカレジ近郊の公園等の方がよいようだ。3時間かかって、この道の終点の湖に到着。ガスがかかっていて見通しが悪く、見える範囲には鳥はいない。湖畔で昼食をとっている間に急速に天候が回復してきて、湖に陽がさし真っ青な青空に低い雲、心が洗われるような風景に変わった。天気が悪かったので標準レンズを付けた風景撮影用のカメラを部屋において来てしまった。悔やんでも悔やみきれない。湖にコオリガモの群れが飛来した。首から上を水の中に突っ込み、イギリス英語名になっているLong tail を高く大きく振っている。北海道でも、長い尾をしなやかに振る様はよくみるが、このように真上に高く上げるのは初めてみた。湖岸にもヒレアシトウネン、ヒメハマシギ等のシギ類、ヒレアシシギ類が沢山飛んできた。帰路、往路とほぼ同じ位置にいたシロフクロウ達を見ながら戻る。バローの街の近くまで来たとき、新たなシロフクロウを見つける。空港の滑走路の延長線上にある誘導灯の上に止っていた。この個体は唯一、私が比較的傍まで近寄ることを許してくれたので、20分くらいじっくり観察させてもらった。半分寝ているのであろうが、数分置きに首をくるくる回して周囲を警戒している。じっとしてSnowy Owlを観察していると、ハマシギ、チュウシャクシギ等がむこうから寄って来る。直ぐ近くの池のずっと奥の方にコオリガモに混じってアビがいるのを発見する。もう少し近寄りたかったが、空港の施設内で立ち入り禁止の立て看板があったので、その場で暫く観察する。
ガスがかかって見通しが悪かったが、英語名のRed throatを長時間観察できた。コケワタガモの看板の辺りの小さな水辺にはハイイロ&アカエリヒレアシシギがいっぱい泳いでいて、巣立ちした幼鳥も混じっている。雛に給餌している親がいたので、その個体に的を絞って暫く双眼鏡で追いながら観察する。何度か給餌の様子をじっくり観察できたが、雛自体の姿は全く見えなかった。おいそれと顔を出す様では厳しい生存競争を生き残れないか。ホテルの部屋で暫く休息した後、海岸にあるクジラの骨で作ったバローの街のモニュメントを見にいく。ガイドブックに載っていた写真とは少し違っていたが、青空と白い氷の海に映えていた。暫く砂浜を散歩する。氷の周りの海水だけグリーンでマリン ブルーの海との相乗効果で氷の白を引き立たせていた。遥か遠くの氷の上にアザラシが見えた。街の中には大きなラグーンが2つあるのだが、水鳥の姿は全くなかった。海岸を離れ街の東端の方(昨日・今日の午前とは町の反対側)へ行くと、道の上をミズカキチドリがちょこちょこ歩いていた。どれだけ日数が経っているかわからないが、路上にシロクマの足跡があった。こんなに民家に近いところをうろうろされたら、夜おいそれと外出できない。

コベニヒワの群れ、ヒメハマシギ(自信はない)の親子連れも直ぐ近くで見つける。さらに3羽のシロフクロウが周囲にいるのに気付く。これまで見た個体は何れも単独で、他の個体と1.5〜 2キロ以上の間隔をとっていた。ここだけ密集している理由はわからないが、ゴミ置き場が近くにあるので、ネズミが多いのだろうか?町のなかを歩いていると小学生達に呼び止められ、鳥は好きか?と聞かれた。首肯くと、自慢気に手の平のなかのコベニヒワを見せてくれた。放してやれとは言い出せなかった。ホテルに戻り、玄関で靴を脱いでいると幼児を連れた夫婦がクジラのヒゲ等を載せたソリを引いてやって来て、ホテルのお客さんにお土産品を売りたいと申し出て、ホテルの奥さんにあっさりと断られて出ていった。交渉の間、真っ赤で少したれたほっぺたの男の子はずっと私の方を見ていた。モンゴルの男の子と言ったほうがピッタリくる顔立ちだった。赤い糸で伝統的な模様の入ったアザラシの毛皮で作ったフード付きの上着を着ていた。三十数年前、私が彼より少し大きい頃に脳裏にインプットされたエスキモーの男の子のイメージ、そのままであった。私がバローの町で見た他の子供たちは皆アメリカ本土や日本と変わらない服装で、マウンテンバイクに乗ったりしていた。追いかけて行って写真を撮らせてもらおうかと思ったが、躊躇してしまった。自分の気持ちに素直に行動できない己を恥じる。

 3日目、今日はパイプライン沿いに南に走る道をハイキングがてら歩くことにする。バローの町から外へ向かう道は今日歩く道と、昨日行った湖への道、一昨日行ったバローポイントや軍の施設への道の3つのみで、どれも途中で行き止まりになっている。家がまだ点在している辺りで淡色型のクロ&シロハラトウゾクカモメの撮影に時間を費やすがなかなか上手くいかない。その行動パターンはミミズク類やチュウヒ類
等の猛禽とそっくり。通りがかりの人がみて、なんだイエガーを撮ってるのか、とあきれ顔。ちょうど日本でカラスの写真を撮る様なものなのだろう。さらにしばらく歩くと、道路沿いの電柱と遥か遠くに見える空港の施設以外には見渡すかぎりのツンドラの草原となる。鳥影は多くはないがたまにシギ類、ホオジロ類が飛ぶのが見える。しかし、直ぐに茂みに入ってしまうのと、場所柄アメリカの種に加えてユーラシアの種も除外できないので、種の特定までにはなかなか至らない。ホオジロ類は自信を持って判定できたのは、ツメナガホオオジロとヒバリツメナガホオジロのオスのみ。どう見てもカシラダカのメスにしか見えない個体や、居るはずのない種の冬羽にしか見えない個体など、よくわからないものばかり。一度この目で見たことがあれば違うのだろうか。シギ類も、アメリカウズラシギやアメリカヒバリシギ等々、90%の確率で判断できるが、それぞれのユーラシア型の近種もここにはいるので短時間見ただけでは判断できない。例えば、この写真の個体はシギ類に弱い私にはヒバリシギにもアメリカウズラシギにも見える。干潟と違って単独なので大きさもよくわからないし。真っ赤な小型飛行機がこっちに向かって高度を下げて来る。一瞬、電線の下をくぐる曲芸をやらかすのかと思ったが、電線のすぐ上を通過して、翼を振って上昇していった。パイロットが手を振るのが見えた。私に挨拶するためか、あるいは何者か確かめるためにわざわざ降下してきたのだとわかった。シロフクロウは、湖への道と同様、1キロ強行くごとに1個体が見える。さらに数キロ行くと水たまりに毛が生えた程度からち直径50メートル程度までの無数の沼が見えてくる。しかし双眼鏡で探して見えたのは、シロフクロウとトウゾクカモメと、あとずっと遠くにアビ類の様な鳥影が1つ見えるだけだった。通りかかった白人のおじさんがバンを止めて声を掛けてくれた。鳥を探していると言うと、“10日前にはこの辺に は水鳥がいっぱいいたのに、何処に行っちゃったんだろうね。カリブーの群れもいたんだけど、今は10マイル先に移動してしまったらしいよ。道がないから車では行けないけどね。”とのこと。ここで、引き返し、最初の(一番はずれの)民家の前から、バスに乗 って町まで戻る。公共サービスだから、家のあるところまで路線があるのだろう。住民料金は数十セントなのだろうが、よそ者の私の料金は1ドルだった。小型飛行機での遊覧飛行に心が揺れるが、他の客が来るのを待った上で、しかも大枚が飛んで行くので踏みとどまる。氷の北極海を眺めながらぼーとする。その後降り出した小雪が雨に変わったので、ミュージアムへ行くことにするが、途中で雨が本降りになってきたので空港で時間を潰すことにする。

(以上でバローの項、終了)



カトマイ国立公園(2001年7月)
 

滝で鮭をとる熊を確実に見ることができるカトマイ国立公園のBrooks Campへ日帰りの強行軍で出かける。(アンカレジ空港を6時過ぎ発・23時前着)ペン・エアーの定期便(20人?乗りのプロペラ機)でキングサーモン空港へ到着、マイクロバスで数分の移動で川岸にある旅行会社の事務所へ到着。手荷物の計量と体重の自己申告をして12人?乗りの水上飛行機で出発。これぞアラスカという風景を眼下に眺めながら30分の飛行で、ナクネック湖に着水。飛行機が湖上を岸に向かっているとき、最初のベアーが見えてくる。湖畔で遊ぶ親子熊を数人の人が見ていた。自分も直ぐにその仲間に加わりたかったが、後ろ髪を引かれる思いでビジターセンターに行き、受付を済ます。レクチャールームでビデオを見る。熊の生態等の教育的内容も含まれているものと思っていたが、内容はこのキャンプでの注意事項(熊に襲われないor熊を驚かせないための注意事項)に限られたものだった。見終わった後にレンジャーが内容の確認する。釣り道具を持った人たちに釣りの際の注意点、キャンプをする人達にはその留意点等に付いて質問する。私は大口径のレンズを持っていたので、写真をとる場合の注意点について聞かれた。全員正解で、”熊の学校”の卒業試験に無事合格。修了証替わりのバッチをもらって、いきなり実社会に放り出される。外に出ると何人かの人が何かの写真を撮っていた。北極地リスだった。何度見ても本当にかわいい。先程見た親子熊が湖畔にまだいたので、ちょっと眺めて滝へ急ぐ。が、この親子熊が行く手の河口の方に移動してきたので、レンジャーが通行止めにする。ここでは熊が一番エライので、彼らが離れたところに行ってくれるまで待つことになる。母熊は河口の堰のところで潜って器用に鮭を捕まえている。熊を全く恐れずにカワアイサの一家が泳いで行く。通行止めのため光線のよい位置へ回り込めず無念。20分程で川止めは解かれる。熊に襲われないように”檻”状になった木製の橋を渡って、森のなかに入る。実に美しい森で、カラ類なども目に入ったが、クマのでる森なのでのんびりする余裕はない。森のなかのトレールを十数分歩くと、クマの頻繁に出没する地帯に着く。ここからは”檻”状になった木道の中を行くことになる。木道はクマの通行を妨げない様に1mほどの高床式になっている。20−30mおきに両側からカンヌキがかかるドアが着いていて、万が一、木道にクマが入り込んでも安全が確保される様になっている。滝見台には一度に二十数人しか入れないので、数十メートル手前のスペースしばらく待たなければならない。滝見台を後にした人数をレンジャーが無線で確認して、その人数だけ通行許可がおりる。小さな滝見台は観光客でいっぱいで人の頭の間からのぞき込む様な感じになる。レンジャーが、”混雑しているので、長時間最前列にいないで、後ろの人に場所を譲るよう”促している。最前列に行くと写真やテレビで何度も見た光景が広がっていた。10分でフィルム一本半を写し、他の人に場所を譲り最後列の端から観察する。じっと観察しているといろいろなことがわかって来る。熊達の間には、厳然たる順位が存在し、順位が高いものから良い場所を占めていて、けしてそれを犯そうとはしない。熊達の身体は生傷だらけなので、順位が確定するまでは、激しいバトルが展開したのだろう。手前の滝の上にいる個体が最高位で、滝の上の奥が第2位、ともに鮭が飛び越せることができる場所、いいかえると通り道にいて、鮭が口の中に飛び込んで来るのを待っている。次が滝の下の個体で、滝を飛び越すことができずに落ちてきた鮭を上から押さえ込もうとしているが、なかなか上手くいかない。最下位がそのまた後ろの個体で、ただ見てるだけ状態。滝の上の個体はかなり頻繁に鮭を捕まえているが、その場で食べることはせずに陰の方の川岸まで持っていって食べる。その間、滝の下の個体が上に上がってきて鮭を待っているが、上位の個体が戻って来ると直ぐに場所を譲る。気づくと、滝見台の観光客が減っている。ランチに戻ったのだろう。再び最前列で鮭を獲る熊のショットを狙う。そのうちに、滝見台には私を含めてカメラマンが3人残るだけとなった。空港で6時前に朝食をとってから何も食べていないので空腹だったが、他の観光客を気にせず撮影に専念できるは今のうちだけだろうから、観光客が再びやって来るまで粘り、キャンプに引き返す。

昼食後、キャンプ近くで別の親子熊や風景や花を撮影した後、再び滝見台へ向かうが、満員で落ち着いて観察できなかったので直ぐに出る。滝の少し下流にある観察台から双眼鏡で観察する。カワアイサが流れてきて、岩の上にとまった。湖畔まで戻ると午前中に見た親子が遊んでいた。実にのどかな光景に心が洗われる。そのうち、親子熊がこちらに近付いてきたので橋は閉鎖され、通りがかりの人や釣り人に非難命令がでる。避難所兼観察台に全員避難する。母熊は水のなかに潜りいとも簡単に鮭を捕まえ、2、3口で骨だけにしてしまう。子供達も母親からもらった鮭をほお張っている。釣り人に加え、滝の方から戻ってきた人達もどんどん増え、先程までのようには写真をとれなくなる。今回の通行止めは一時間半ぐらい続き、帰りの飛行機になんとか間に合う。往路よりもさらに小型の水上飛行機でブルックス・キャンプをあとにする。(Katmai National Parkの項、終了)