お星さまになったジュリ





時は、人を癒してくれるというけれど、深い悲しみの中で、時は止まる。
今、この一瞬の出来事から人は過去を振り返り、
あの日あの時の思い出の中に生きるのだ。

5月3日の夜、ジュリはお星さまになりました。
それは、あまりに突然で、淋しい死でした。


人は、「ジュリちゃんはいっぱい愛されて幸せだったのよ。」とか
「一生懸命やってあげたじゃないの。」と、
慰めや励ましの言葉を言ってくれたけど、
どんな言葉もむなしく通り過ぎていくだけだった。

確かにジュリは幸せな一生だったのかも知れない。
でも、それは私が決めることじゃない、ジュリが感じられればそれでいいことだ。
私の悲しみは、もっと違うところにあった。


私の中で時が止まっているにもかかわらず、時は確実に流れていく。
そのことに気が付いたのは、ジュリの死から一週間目だった。
時の流れの速さに愕然とした。
心は、まだここにあるのに
時は、一日一日と私からジュリを遠く離していく。

時の流れを意識したその日から、私の時はまた刻み始めていった。
私は、時の非情さを感じていた。


それから10日後、ジュリの夢を見た。
夢の中でも私は泣いていた。
ベッドにもたれかかり泣いていると、すーっと部屋のドアが開き、ジュリが入って来た。
驚いて、「ジュリ!」と呼んだが、聞こえないのか
ジュリは、首をうなだれてソロソロと歩きながら、私の前を横切って行く。
何度も呼んでみたが、声はジュリに届いていないかのようだった。
ジュリは、そのまま陰に回り、ベッドに跳びあがって私の背後から近づいてきた。
そして、前足を私の肩の上に伸ばして座り、私の首に頭を寄せてきた。
私は嬉しくて、左肩に手を伸ばしジュリの頭を思いっきり撫で回した。
その時、誰かが部屋に入ってくる気配がした。と同時に、ジュリは消えてしまった。
結局、私はジュリの顔を見ることは出来なかった。

目が覚めて、夢の中のジュリのことを考えた。
呼んでも私の顔を見ようとしないジュリが気がかりだった。
自分の死が、こんなに私を悲しませていることを申し訳なく思っているのだろうか・・・
自分の死を受け入れてくれない私を嘆いているのだろうか・・・・
何故、私はジュリの死を受け入れることが出来ないでいるのだろう・・・・


ジュリの死を受け入れられない私の悲しみは、
日ごとその輪郭をはっきっりとさせてきた。
そうだ、あの日なのだ。5月3日は、ジュリの手術の日だった。
手術は無事終わり、心配されていた全身麻酔から覚醒し始めたジュリは
保育器のようなケースに入れられ、弱々しいがかわいい声で吠えつづけた。
ジュリの新たな生命が誕生したかのような感激の中で、私は家に帰った。

その数時間後だった。先生からのTEL・・・・
「心停止を2度起こし、蘇生したんですが・・・・・」
最後まで聞かずに家を飛び出し、病院へ着いた時にはもうジュリは息耐えていた。
冷たい処置室のベッドで、一人淋しくジュリは旅立っていってしまったのだ。
病気になって、私のそばを離れようとしなかったジュリが、たった一人で・・・・・
どんなに不安で淋しかったことだろう・・・・・
最期を看取ってあげられなかった私は自分を責めることしか出来なかった。

黄色い花がついたリボンを首につけられ
白い棺に入れられたジュリを連れて家に帰った。
「ただいま〜!やっと、おうちに帰ってこれたね。」
明るく言ったが、ジュリは無言のまま横たわっている。
退院したら、お散歩に行こうねと言ってたのに・・・・

死んだら、もうお散歩に行けないなんて、ジュリがあまりにもかわいそうだ。
いたたまれない気持ちで、家に駆け込み
バスタオルでジュリをくるみ、そのまま夜の外へ出た。
ジュリと歩いた道を歩きながら
これがジュリにしてあげられる本当に最後のことなんだと心でかみしめた。
限りなく涙が流れた。
気が付いたら、後ろからねぎが泣きながらついてきていた。




ジュリの一生が幸せ?私が一生懸命やった?
そんな言葉は人間の世界の言葉で、ジュリには通用しない。
全くの無意味だ。
そんな言葉を聞くたび、私の心は周囲から閉鎖的になっていった。

犬には、言葉はない。あるのは、心だ。
飼い主と一緒ならどんな境遇も受け入れることだろう。
犬には、「過去」も「未来」もなく、あるのは「今」だけなのだ。
一瞬一瞬のきらめきの中にその生命がある。
それは、私にとって大きな癒しだった。
愚かな人間は、過去を振り返り、まだ起きもしない未来を案じて苦悩する。
そんな私をいつも「今」に引き戻してくれるのがジュリだった。

私には、思い出がある。
でも、ジュリは一生がたとえ幸せだったとしても
「過去」を生きないジュリの最期の一瞬を共にしてあげられなかったことは、
すべてが無意味な気がしてならなかった。
そんな悲しみの中で、
たくさんの癒しを与えてくれたジュリの思い出を
一つ一つ拾い上げては、涙する日々の繰り返しをどうすることも出来ないでいた。




あの日から一ヶ月が過ぎようとしていた。
ある晴れた日、私は海へ行きたくなった。
場所は、湘南の鵠沼海岸
去年の夏、ジュリと最後に遠出した場所だ。
まだ夏は遠いのにサーファーや犬とお散歩をする人でにぎわっていた。
右には遠く富士山、左には江ノ島が見えるいい所だ。
なんだか久しぶりに新鮮なところに来た感じがした。

目の前に広がる青い空と海
自然の中の大気を感じながら、ジュリのことを思い出していた。
私は、その時、このどこまでも続く澄んだ大気の中にジュリがいるような気がした。
死が避けられない宿命だとしたら
この広い大気が、ジュリの魂を吸い込んでしまったのだろうか。
また涙がこぼれた。
目の前に広がる自然の中で、私はいつしか謙虚な気持ちになっていた。


私は、今まで何故こんなに悲しんできたんだろう・・・・
この自然がジュリを吸い込んでしまったのなら
それは、純粋なジュリにとてもふさわしい場所のような気がした。
痛みを伴う肉体から解放されたジュリが幸せでいるような気がした。



死は、いつだって容赦なく突然やってくる。
生あるものは、いつか死を迎える。
それが、自然の掟なのだ。
自分の思いにとらわれ、受け入れられずにいた私は、
この雄大な自然を相手に何を闘おうとしていたのだろうか。
自分の傲慢さと無力さを感じずにはいられなかった。

空に向かってジュリにそっと話しかけた。
「ジュリ、この世に完全無欠なものは何もないんだよ・・・
そして、私は本当に無力なんだよ・・・
助けてあげられなくて、ごめんね・・・。」

その時、私は初めてジュリの死を受け入れることが出来たような気がする。
そして、目の前に広がるこのおおいなるものに
私もまた受け入れられたような気がした。



去年、ジュリと遊んだ海、
今年も、そして来年も
何事もなかったようにこの自然は悠々としていることだろう。
時の流れの中で、悲しみも痛みもすべて飲み込みながら
「今」というきらめきの中に、この自然もまた存在しているのかも知れない。
生きるということは、たぶんそういうことなのだろう・・・・

もう泣くまいと心に誓った日から今日まで
私は、少しずつ少しずつ「今」を取り戻している。









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