2004年「waiwai隊」 夏の山歩きの記録

 

・7月28日(水)    【鳥倉林道ゲート〜登山口〜三伏峠(テント)】 

 

 風の唸り声は周期的に強まったり弱くなったりして、遠くの方からその不気味な唸り声が近づいてきて通り過ぎて行く、その後にテントがユサユサっと揺れる。その唸り声とフライシートを叩く雨音に目を覚ましたのは、10時過ぎだった。 風と共に、雨音も強弱を繰り返していた。それから長い夜が始まった。

 

 

  今日は、“日本一高い峠”と云われる三伏峠(2,560m)でのテン泊である。

 計画段階で、登山口の伊那大島へのアクセスを調べるのだが、大阪からの手っ取り早い方法は自家用車での中央高速の利用だった。松川ICを降りるとJRの伊那大島は目と鼻の先である。吹田から5時間程度の所用時間が必要なので、伊那大島からタクシーを予約したのだが、途中でコンビニに寄ったにも関わらず、予定より一時間以上早く9時半には着いた。 

 タクシー会社の裏手の市営無料駐車場へ愛車を停めて、タクシーは私たちと重いザックを乗せて鳥倉林道を目指した。運転手の話しでは、「塩川へのバスを利用して、直接峠を目指す登山者は学生さんくらいです」とのことで、計画段階での私の判断は賢明だったと納得した。林道のゲートには一時間ほどで到着した。小型タクシーの料金は丁度10,000円だった。

 

   

 林道歩きは40分程で、足慣らしには丁度良い時間だった。登山口で「さ〜出発!」と、腰を上げる頃6名のグループが到着した。以後、我々と前後しながら三伏峠へと歩を進める事となった。重いザックに相棒が遅れがちなのだが、整備された登山道は森の中に続いていた。

 

 

 

 

 やがて、下山者と行き違うようになる。こちらからの登山者は自家用車を利用してのピストンの人たちが殆どを占めているようだ。登山口には10数台の車が停まっていたので、20名以上は山へ入っている筈だ。

 

 

  「今日は峠までなので、ゆっくりでいい」と、相棒と話しながら植林された“カラマツ林”を抜けて高度を稼ぐ。塩川道と交わる手前の水場で、何度目かの小休止。例の6名のグループが追いついて来た。「先に行ってもらおう」の相棒の耳打ちで道を譲ったが、再出発をすると彼らも直ぐ先で腰を降ろしていた。「三伏小屋で泊まるの?」に「いえ、テントです」に返ってきた言葉が「さすが、登山家!」だった。

 

 

 私達は、登山家なんてもんじゃ〜ない!ただ、山が好きで歩いているだけなんだが・・

 

 

 

 塩川への分岐は直ぐだったのだが、私たちがゲートに着いた時に出発した夫婦連れが休んでいた。直ぐ先に9/10の標識がある。階段状の道は歩幅が合わないとツライものである。また直ぐに9/10の標識が掛かっていた。この最後の1/10で、一気に汗が吹き出たようだが、三伏峠には重いザックを担いでの登行の割りには、コースタイムよりさほど遅れる事なく着いた。

 

 

  

 小屋のバイトらしい青年と二言・三言言葉を交わして、テントを設営する。先着のテントは二張りだけだった。

 お花畑の脇を通って「三伏小屋(現在、テント場と共に使用禁止)」の近くにある水場で、今日と明日の水を確保してテントで寛いでいると「明日の夕方には天気が崩れるから、早い出発の方がいい」との声が聞こえた。質素で簡素な夕食が済めば、私たちが出来る事はただ眠るだけである。

 

 

 

・7月29日(木)     【三伏峠(テン泊)〜塩見小屋(素泊まり)】  

 

 

 眠れない夜が未だ明け切らないうちに、目覚ましの音でゴソゴソと起きだした。外は真っ暗闇で、月明かりもない。昨日の夕陽は、夕食後にテントでウトウトしている間に小屋泊の女性の騒ぎで知ったのだが私がデジカメを取り出すと既に終わっていた。もちろん相棒は“しっかり”とカメラに撮っていた。それはそうと、今日の天気を気にしながらの朝食は簡単に終わったのだが、問題は風と雨だった。テントを叩く奴らは時々強く、また弱くと私たちの判断を惑わすばかりだった。

 

 

  相棒と「どうしようか?」と相談するも、私たちの判断の基準なんてたかがしれていた。こういう場面に出くわしていない・・経験不足なのである。「とにかく様子をみてからにしよう!」と、隣のテント(私達と同じルートを辿るとの事だった)の単独者に相談しようとするが、寝ている様子だった。縦走を終えてテントを張っていた三張のテントの人たちは次々に下山して行った。

 

 

 5時間の出発遅れだが、テン場を出たのは9時40分だった。10分も登れば三伏山だった。そして、もう下山者に出合う。先を急ぐが、次々と下山者と行き違うようになる「昨日は、30人ほどの宿泊だった」などの小屋での情報を仕入れながら小屋を目指す。“お花畑”を過ぎて本谷山までは一ピッチで、11時だった。もちろん、その間に“撮影会もどき”が含まれてはいる。その上に、雲の中なので展望は無いので、ただ歩くだけである。風雨の中なので、ゆっくりとは休憩も出来ないが、適当に行動食を腹に収める。

 

 

 

 

 

  樹林の中をしばらく誰にも出会わなくなった頃、若者の4名のグループに出会った。「縦走ですか?」に、「〇×沢から来ました」と女性が応えたのだが、そこがどこかは私達には判らない。

 

 

 

  立ち枯れの樹林帯や、シラビソだろうか小生えがある中に道はトラバース気味に続いていた。道が勾配を増した頃“塩見小屋”が現れた。12時50分だった。受け付けは青年で、小屋には7〜8名の宿泊者が居た。私達はラッキーにも、個室風の区切られたスペースが当てられた。カッパを乾燥場所に置き、遅い昼食を摂る。小屋でしばらくゆっくりして、コーヒを沸かそうと準備をしていると青年が上がって来た。   

 

 

  「塩川から上がって来た」との事で「コースタイムで歩けたので、明日は北岳山荘まで縦走する」と凄い青年だ。「私達は、朝のバスの時間が早いので、鳥倉林道を利用して三伏峠でテン泊して今日はここでお世話になるんですが、一日でここまで上がってくるのは凄いですね」と、感心しきりである。相棒が「一緒にコーヒでも飲みませんか?」と、若い青年には親切である。コーヒが沸いた頃「夕食の準備が出来ました」との案内がある。我々は「ザックの重量を減らさなきゃ」っと、自炊である。夕食は、初めて試す中華丼である。

 

 そう云えば塩見小屋の『トイレのシステム』は、一風変わっていた。トイレ小屋は昼間は鍵が掛かっていて、小屋に無断では使用出来ない事となっていた。使用するには、管理人に鍵を開けてもらって、簡易トイレ用の袋を買ってそれに用を足すシステムになっている。女性と男性の“大”用である。方法は、便座に袋を敷いて用を足す訳なのである。使用済みの袋は紐で括って箱に入れればいいのだ、

 

 これはとってもいい、もちろん有料なんだが、大掛かりな施設を準備しなくてもいい訳で、相棒も納得顔だった、もっとも男性の小は“垂れ流し”だったのが残念なのだが・・・

  

 小屋の宿泊客の殆どは、塩見岳へのピストンで“仙塩尾根”の縦走の中高年・二人と“逆縦走”の形の我々二人と青年という顔ぶれだった。昨晩のテントと違って、風雨の音や揺れに惑わされる事もなく熟睡である

 

 

 

 

・7月30日(金)   【塩見小屋〜塩見岳〜北俣岳〜北荒川岳〜安倍荒川岳〜熊ノ平(テント)】 

 

 

 小屋の朝食は4時30分だったので、我々もその時間に合わした。ピストン組みは、ザックを小屋にデポして次々に出発して行く、我々も記念撮影をして出発。5時40分である。風雨は昨日とさほど変わらないのだが、今日からは今までと違って岩稜である。それも3000mの稜線を歩く事となる。

                                         

 

 

 道は直ぐに尾根歩きとは呼べない道になり、それは急勾配の路で以前歩いた北穂高から涸沢岳の縦走路のような路だった。ガラ場を上がった所が“天狗岩”と呼ばれる所らしいが、視界が10m程度ではその全貌は望めない。稜線で踏み跡を探そうと絶壁を覗き込んだ時ザックが押された。慌てて四つん這いになり「伏せ〜!」と、相棒に合図した。突風だった。「直ぐに止むから、そのままで動くな!」稜線上の風雨は時折激しくなっていった。その風雨の中に“雷鳥”を見つけた。

 

  

 

 塩見岳の頂上直下ではもう、二組の中高年ペアが降りてきた。突風の合間を衝き、西峰に辿り着いたのは6時55分だった。相棒を写真に納めて、5m高い東峰は3分である。一昨日の駐車場から一緒の行程となったご夫婦が上がって来た。嬉しそうである。このご夫婦は小屋で“今日は自重してもう一泊して明日にするか?それとも今日中に頂上へ行って、下の温泉に泊まってユックリするか?”で迷っていたのだった。お互いに写真を撮り合っていると、青年が上がって来た。「それでは、お気を付けて!」と、それぞれの道を採る。

 

 

 切れ落ちた細い稜線を渡る場所ではタイミングを測って、急ぎ足で通過する。そんな場所ではガスは真下から吹き上げて来る。ふと、眼鏡が曇っているのに気付いた。それからは眼鏡をポケットに仕舞っての歩行となった。降りになると青年に追いつき、登りには青年が前を行くという格好で暫らく行くと「お先にどうぞ」と云われて、我々が先行する事となった。暫らく降りると北俣の分岐があった。相変わらずの天候なので、辺りの山々は望めない。

 

 

 樹林帯に入って“お花畑”に出会った。「私達は、しばらく撮影しますので、お先にどうぞ」と、青年に云って撮影会の始まりである。

 

 

 15分から20分の撮影会だっただろうか。稜線近くの樹林に咲く“マルバダケブキ”の群落は見事な競演だった。風雨に揺れながら咲く黄色い花たちと、ぐにゃぐにゃと曲がって伸びているダケカンバの木々は、私達にその姿を誇らしげにさらしていた。“ヤマケイ”8月号には『・・秘密の花園。そして、楽園を闊歩する美女。』と記述されているが、今ここにはカメラを構えた“オバサン”が嬉しそうにシャッターを押している。

 

 

    

 

 道はどんどん降っていた。先ほど分かれた青年は、もう随分先に行っている筈である。今日も、腰を降ろして休む天候ではないので、ゆっくりと進むだけである。テント場らしい処に降り付いた。ここにもお花畑が広がっていた。ここら辺りは踏み跡が交錯していて、暫らく道を探してウロチョロとする。青年の足跡らしきものを見つけて、しばらく行くと稜線へと続いていて、ザレた道端に可憐な花が咲いていた。「あっちのほうが撮りやすいよ!」との相棒の言葉は、私に“デジカメで撮れ!”を意味しているのだが・・小さな花は自信が無い。 

 

 

 すると雲の中から青年のグループが現れた。相棒が「この花はなんという花ですか?」「タカネビランジです」との応えである。「お気をつけて!」と、お互いに言葉を掛けて分かれたのだが、相棒は「近頃の女の子は顔が小さいねぇ」と歓心しきりだ。そしてここが北荒川岳だった。この辺りからは、同じくらいの高度のピークを何度か登ったり、降りたりしながらの道だった。

 

 

 

 前方の雲の中に岩峰が現れた。重いザックを担いでいるので、手を使って登る道のほうが楽なのだが、そうそう上手くはいかないもんだ。階段上の登りが足には堪える。登り着くと、今度は降りが待っていた。今日は“ズゥ〜ット”腰を降ろしての休憩は無しだ。何時ものコーヒータイムもなくて、水をのんで行動食を放り込みながらの前進である。  

 

  

 

 やがて一気の降りで、ガスの中に小屋の屋根が見えた。写真を撮ってザックを置き、「公衆電話はありますか?」と小屋のバイトの青年に聞く。実は、明日は“温泉に浸かってゆっくりと・・”の思惑で、下の宿泊施設を予約していたのだが、“この状況では山中でもう一泊必要だろう”という事で、連絡が必要だった。「電話は無いですが、ちょっと歩けば携帯が通じる場所がある」との事で、まずは予約のキャンセルを連絡をした。テン泊の手続きを済ませば、カップ麺「赤いきつね」とビールで寛ぐ。小屋には青年二人と中高年の夫婦がいた。 

  

 

 

 ラジカセから森山良子の「さとうきび畑」が流れている。雑談をしている中で、小屋のおやじさんに「あなたたちは命がたくさんあって、いいねぇ」「塩見の主人は何にも云ってなかったか?」と、話しかけてきた。察するに、ここの小屋に停滞している人たちには“自重”を進言しているようだった。もっともである。だから、私達も迷ったんだし、一泊余分の行程に変更したのであった。

 

 

 

 

 テントで縦走はトムラウシへ一泊で行って以来だったので、大丈夫かな〜と心配だったんじょ。それで、なるべく軽量になるように心掛けて準備。ビール500mlとゼリー4個で900gは重かった〜〜。 林道歩きの後すぐに、ゼリーは食べたんじょ。  

 マルバダケブキの“秘密の花園”はよかったわ〜、もう少しゆっくり撮りたかった!!  

 熊の平のテント場も一面、マルバダケブキじょ。お水もすぐそばにあって美味しいし、静かだし(こんな日にテント張る物好きはwaiwai隊だけ ^_^; ) なぜかワインが安くてハーフボトルが600円、小屋のおじさんがワイングラスまで貸してくれたんじょ♪ ムードの無い二人なのにね〜。「奥さんは歳の分らん顔しとるね〜」には笑ったわ!! どういう意味〜?