2004年「waiwai隊」 夏の山歩きの記録
・7月31日(土) 【熊ノ平(テント)〜三峰岳〜間ノ岳〜北岳山荘】
昨日は昼からは、十分な時間があった。雨が弱くなった時間を見つけてテントの設営、カッパの乾し場所の確保が済み。相棒は、テント場に広がる“お花畑”の撮影に出掛けた。その間、私はウトウトと眠ってしまっていた。そのうちに相棒の撮影会が終わって、夕食の準備である。夕餉は質素なのだが、今日のワインは格別である。そのうち、に先ほどまで収まっていた天候が荒れて来た。ふと気付いた、カッパを乾したままだった。「今から入れても同じじゃねぇ〜、カッパも無いし〜」と、こういう事では相棒は腰を上げない。
結局、何箇所かある広いテント場は私達が独り占めだった。そして、風雨は時々激しくなったりして夜中中吹き荒れていたのだが、ここのテン場では、私達の場所は風が当たらない一等地だった。昨日、小屋のおやじさんの「テント場を見てきたか?」に「直ぐの、水場のある処にします」と応えたのだが、「うん、そこがいい」との推薦どうりの場所だった。
朝早くから起き簡単に食事すませて、外で乾していたカッパは昨日からの雨で濡れてしまっているので、バーナーの火で乾かしたりと忙しい。しかし、テントを乾かす事はできなかったのだった。トイレを済ませて、小屋に“北岳へ向かう”と告げ、とにかくパッキングを済まして出発である。7時半だった。
今日は縦走路上の道にも関わらず、600mを上がるみたいだ。直ぐのお花畑を通って、道はガレ場の場所(井川越えだろうか?)を越えると、ジグザグに昇っていた。しかし、体調が“イマイチ”なのだ。濡れたテントを入れたザックの重量のせいか?いや、この感じは、いつぞやの“剣沢小屋の事件”と同じ感覚じゃないか?
とにかく“ユックリと歩けばいい”と数歩上がっては立ち止まる状態である。その様子に「息を吸うたらいかんよ、吐いて!」と後ろから叱咤の声である。私は「知っとるわ!喋らんといてくれ!」と、つい声を荒げてしまった。自分自身が情けなかった。
樹林の中に“お花畑”が現れたが、もう見飽きたのだろうか(?)相棒のストップの声も無い。いつまで歩いても霧(雲)の中である。風雨の中なので、今日も立ち止まって水を飲み、口の中へ行動食を放り込むだけで進む。三国平を見送ってハイマツの中に道は続いていた。時折り、風の合間に前方の景観が現れるが、それも一瞬である。やがて、岩尾根風の場所にかかった。「今日は誰にも遭わんなあ!」一人呟いていた。この頃には、体調も戻ってきたみたいだった。
四国の前赤石や八巻山みたいな感じだ!高度とスケールが違うだけで、どうって事ないじゃないか!
自分自身に言い聞かせながら、慎重に岩を越える。三峰岳への昇りは進行方向の右手(東側)に道はついていた。やがて霧の中に大きなケルンが現れた。そこが三峰岳だった。9時35分だった。この体調でコースタイムと変わらなかったのか?ここが仙丈への分岐(仙塩尾根)だったが、我々は間ノ岳を目指すので、東へと道を採る。
相変わらず峪から吹き上げてくる風雨は、狭い岩交じりの尾根を越えて吹き抜けている。慎重に足場を拾いながら昇って行くと前方から人が現れた。道を譲ってくれるみたいだが、私のほうが譲った。ちょっと一休みしたかったのだった。先頭は青年で、ツアー客との事だった。18名のグループで、中高年が多数を占めていた。「間ノ岳は直ぐ先ですよ」「頂上は風が強いです」との事だが、ここまでとここから先とどちらが困難なのかぐらいは頭に入れといて!と言いたかった。
とにかく、風雨の中の間ノ岳に立ったのは数分後の10時35分だった。
間ノ岳からは大きなアップダウンは無いので“北岳山荘まで降りて昼食にしよう”と、先を急ぐ。北へと向いた道はおおむね西側に付いていて、風がまともに当たってこなくなった。軽装の人たちと次々と出合った。ここは北岳から間ノ岳を結ぶ“100名山コース”なのだ。一時間ほどで中白根山だった。そして、霧の中に北岳山荘の屋根が現れたが、カメラを取り出すと又、霧の中だった。
山荘に着いたのは12時15分だった。
小屋の傍らの風の当たらない場所で、今朝作ったご飯を腹に収める。袋から手づかみである。下着までズブヌレの状況なので、ブルブルと自然に体が震えていた。さて、今回の行動中の食事(?)に加わったのが、甘納豆を一つまみカップに入れて湯を注いで食べる。冬場には何度かこれを食べていた(加藤文太郎の本の食事に出てくる)のだが、夏場でもおいしかったのだ。
落ち着いたものの、このズブヌレの状況では「肩ノ小屋までは無理だろう」と、山荘の受け付けに向かった。
受け付けの若い女性は「とにかく、受付はストーブで温まってからでいいですから、それでは字を書けないでしょう」と、声を掛けてくれた。こういうちょっとした心遣いが忘れえぬ思い出として残るものである。しばらく温まってから、受け付けを済ませて、荷物を部屋に置いて濡れ物を乾した。
小屋のストーブにあたっていると、傍に座っていた青年が声を掛けてきた。「熊ノ平で会った人ですよね」と相棒に話し掛けたのだった。私の顔は覚えてなくても、“年齢不詳の女性の顔”を覚えていたのだ。彼らは、熊ノ平の小屋で停滞していた青年二人だった。青年達は「6時半に小屋を出て、三国峠からは三峰岳への稜線を避けて、農鳥への道から北岳山荘へ来た」そうである。そして、「昨日、例の退職テントおじさんがズブヌレでやってきたが、小屋に泊まった。今日は小屋で停滞みたいです。」との情報だった。
小屋での食事は久しぶりだったが、たまたま隣になった美しい女性が「独りで山へ行っている」との話しには、相棒も驚きを隠せない。とにかく、一昨日・昨日に続いて、今日も山小屋のキャンセルは続いていて、ゆっくりと休めた。
お花畑を見飽きたのではなくて、湿気でカメラの調子が悪かったんじょ。マルバタケブキの登山道を登るといい所があったのでシャッターを押すと、18枚しか撮ってないのに巻き戻ってしまって・・・、雨でフイルムを交換できんかったんじょ。31日は全然写せず、フイルムを交換しようと開けると、巻き戻しの途中だしねぇ・・(>_<)、金庫(?)があったはずなのに・・ (^_^;)
とにかく、ザックの中もカバーをかけていても水が入って“STUFF BAG”に入れていた衣類は大丈夫だったけど、ゴアテックスの袋に入れていたのは濡れていたわ、なぜかしら?。昨日まではそれほどでもなかった靴の中も、あっと言う間にビチョビチョになって・・、スパッツをカッパの上から着けたのが悪かったわ〜、先にスパッツじょ。!!
・8月1日(目) 北岳山荘〜八本歯ノコル〜北岳 〜左俣コース〜広河原
相棒がトイレから帰って来て「水でも飲む?」と話しかけてきて眼をさました。「星が綺麗に見えるよ!」と、小声で囁きかける。3時半だった。
昨晩は大量のキャンセルのお陰かどうか判らないが、私達の部屋でも一人一枚のふとんでも使用しないふとんがあったので、ぐっすりと眠ることが出来た。朝食時間は5時なんだが、そろそろと起き出している人もいる。朝陽をねらっての、朝食抜きの人たちだ。
私達も、昨日の乾かし物を整理して出発の準備にかかる。大きな山小屋ではいろんな騒ぎが起こるものだ。「靴を間違った人はいませんか?」の放送が二度もあり、年配のオジサンは今朝もウロチョロしていた。夕食前には「同行の人が未だ着かない!」と、小屋のスタッフに訴えていた人もいた。
朝食を食べている時に朝陽が射してきた。急いで朝食を済ませて、相棒はカメラを抱えて小屋を出た。最後のパッキングをしていると「綺麗に山が見えるよ!」の相棒の声だ。山荘の裏手に出てみると富士山が雲海に浮かんでいた。
小屋の前でデジカメのシャッターを押してもらって出発である。5時40分だった。今日は大樺沢へと降りるので、八本歯ノコルへのトラバース道から北岳を目指す。雲に浮かぶ富士を右手に見ながらの登行だ。背中には、重いザックと昨日まで歩いた縦走路を背負っての道である。辺りの景色が開けている分、足取りも心なし軽やかに感じる。分岐には6時半ころ着いた。先着のザックが二個デポされていた。私達も傍らにザックをデポして、軽くなった足を北岳に向ける。
池山吊尾根を背に縦走路との出合いへと進むのだが、重いザックさえ担いでなかったら私達の足は速い。昨日までの鬱憤を晴らすようにシャッターを押しながら、頂上に着く。7時過ぎだった。分岐から30分ほどだった。
頂きでは360度の展望を楽しんだ。「私達は降りは早いから、バスの時間まではゆっくりと時間はある」と、昨日相棒が計算していた。こういう計画変更の事態でも大体の予定を組めるのは、“進歩と言えるのだろう”と自画自賛である。
北岳の頂上には、昨日までの縦走路のピークとは違う雰囲気が漂っていた。若い女性がケータイを取り出しているし、次々に登山者が訪れていた。雰囲気が違うのはそれだけじゃなかった。四方八方が見渡せる事だった。
さて、頂上を後にして往路を下山である。デポしたザックを背負って、大岩の中を八本歯ノコルへと降りる。段差のある岩には梯子が架かっているので安心である。左手にパットレスが見えてきた。予想していたより壁は立っていなかった。私でもとりつけそうである。よく見るとクライマーの姿が見える。
コルからは大樺沢へと降りるのだが、ボチボチと下から上がって来る人と出会うようになる。梯子が次々に現れるので、「大きなパーティに出会わなかったらいいなぁ〜」と内心思いながら降る。その梯子には手摺がついているのだが、上がる時に丁度良いように付けているのか、手摺の位置が中途半端だった。やがて、先ほどまで見下ろしていた雲海の中へ降りてきたのか、青空が雲に遮られた。そして、大樺沢の左俣の源頭部に着く。雪渓も残っていた。このころになると、登山者と次々と行き違うようになった。
二股には大勢が休んでいた。ここで、私達も小休止である。ここでも例の青年に遭った。熊ノ平の小屋にいた青年である。名前も知らないし、素性も判らないままであるが、何処かの山で出会ったら“歳のわからない顔の相棒”には声を掛けそうである。
10分ほどの休憩で再出発だが、道はほぼ左岸へと続いていた。相棒は岸に咲く花を撮りながらの下山である。淡々とした下山である。白根お池への分岐で腰をおろして、直ぐに広河原山荘に着いた。11時前だった。
山荘で“生ビール”で乾杯後、衛星公衆電話で“無事下山”の連絡をする。20分ほどゆったりして、バスの切符(12時半発)を買うために、食事を後回しにすることとしてアルペンプラザへ向かった。私は、レリーフの裏でザックから濡れたままのテントを広げた。時々ガスの切れ間に北岳が顔を見せた。
・エピローグ
天日で乾かしたテントを又ザックに詰め込み、バスに乗った。北沢峠・戸台口・高遠・JR伊那北と乗り継ぐ。そこで事件は起きた。高遠では同じバスだが、一旦降りて乗りなおすという厄介な事になるのだが、出発後「待合室にフィルムを忘れてきた!」と、相棒の顔が曇った。運転手に訳を話すと、ケータイで問い合わせてくれ、とにかくJR伊那北からタクシーで取りに戻った。
私は一人、駅の待合室で帰りを待つことになった。電車の発車時間までは45分ほどである。その発車時間の5分ほど前にタクシーは戻って来て、相棒の安堵の顔を見た。JRの伊那大島には5時頃に着き、ほぼ予定通りの山行の終わりとなった。
今回の計画では、下山口から駐車場までのアクセスの悪さかげん(は予想外だった。もう少し計画が練れていたら、もっと快適な山行だったと思う。しかし、縦走の楽しみは充分に体感できた山行だった。
天候には恵まれなかったものの、だからこそ最終日のような感慨も経験出来る・・との感想である。
窓から星が見えて、間ノ岳方面に月が見え、ヘッドランプをつけて登って行くのが見えた。私も行きたかったけど、みんな寝静まっているのに仕度をする訳にもいかず・・諦めたけど、食堂から日の出が見えた時は、朝食はお弁当にすべきだったと後悔したんじょ。
下山路に咲いていた初めて見ることができたハナシノブ、グンナイフウロ、ヤナギランは綺麗だった〜。
熊の平から携帯の通じる所をさがして、下山後に泊まる予定だった松川町営“清流園”に「台風で行けなくなった」と連絡すると、「こちらは何の影響もないのでキャンセル料4800円いります」との返事じょ。待合所で時間があったからフイルムの整理をしたばっかりに・・、バスの運転手さんが「誰かに持って来て貰うから」との親切が(そんな事出来るの〜と思ったけど、やっぱりね)仇になって、結局タクシーで往復6130円じょ。両方足しても温泉宿泊料の半分ですんだので「まっいいか!!」となったんじょ。
おっちゃんが短い準備期間で練った『マイカーで縦走計画』の最後、各駅停車のJR飯田線はのんびりしてて意外によかった♪ 温泉のかわりに、名神高速の多賀サービスエリアのお風呂じょ〜。 (^_^)/~
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