螺旋回廊
第一章 変遷
私はご主人様の…… 先生の家に住んでいる。
以前のアパートは、人間としては最低な、奴隷としては幸せだったであろう生活とともに既に引き払った。
だが、誰もいないリビングで時間を過ごしているうちに
「宙さんが先生だったら以前の生活も楽しかったかも……」
と、ついついそんな事を考えてしまった。
例えば、そう……
どんな場所、どんな時でも身体を許す。
部屋のいたるところに設置されたカメラに自分でスイッチを入れ、私の全てを見てもらう。
見知らぬ人に抱かれる。
それら全てが先生に出された命令であったら、私はどんなに幸せだっただろうか?
「こんな事を考える私は少しおかしいのかな……」
けど、間違ってはいない。
それはご主人様の望む事だから……
心が満たされる私がいるから……
命令を出してくれる相手が違うだけで、幸と不幸が入れ替わった。
想像でしか許されなかった先生との生活は意外な形で手に入り、続いている。その生活は性欲と悦楽にまみれたものではあったが、幸せに違いなかった。
そして……
「なにより…… 私は葵とは違うんだ……」
葵の事を考えると口元に笑みが浮かんでしまう。
お金持ちで料理も勉強も性格も、そして人間としても私より上回っていたであろう彼女は、先生に歯牙もかけられない存在になった。
彼女より私の方が上の存在だ。
それは先生の奴隷であるという事より、幸せな事かもしれなかった。
――しかし、その生活も変わる日を迎えてしまう。
確かに、その日の午後はいつもと違っていた。
一人で食べる不味い食事を終え、片付けをすませると、私はリビングの床にだらしなく座りこんでいた。
「いつもなら…… 先生がいるのに……」
朝、先生は行き先を告げずに出かけてしまった。
今までもそんな事がなかったわけではないが、その時は信頼できる人に私を預けて、決して一人になる事はなかった。
けっして他の男の調教が嬉しいわけではないが、この不意に訪れた孤独に比べたらましに思える。
「この部屋は…… 広すぎるから……」
私が前にいたアパートに比べたら、格段に広いそのマンションの一室は、一人で過ごすには寂しい空間だった。
しかも、こんな空間では前のことを思い出して…… 辛い……
(どこからかカメラが私を捕らえる音が聞こえてきそう……)
(誰かが…… この部屋になだれ込んできたら……)
両手で肩を抱きしめ、身を震わせる。
気を紛らわせようと何かする事がないか考えてみる。
(掃除……)
既に終わらせてしまった……
(料理……)
先生が帰ってこないのに必要があるのだろうか?
(後は……)
しばらく考えては見たものの、結局、いつものように何も思いつかない。
テレビを見る事もなく、雑誌を読む事もない。
先生の与えてくれる命令に比べたら、それが何になるというのだろう?
世の中にある数々の娯楽は、私にとって娯楽ではなくなっていた。
「こんな時、普通の女の子なら何か暇つぶしがあるんだろうな……」
そう口に出して、自分が普通の女の子でないことを改めて知る。
「私は先生の奴隷……」
その言葉は甘美に響き身体中を火照らせ、朝の事を思い出させる。
「先生……」
……
「留守は大丈夫だから……」
先生は不安げな私を見透かしたかのようにそう言った。
「はい……」
心配させちゃいけないと思いつつも、言葉の端に寂しさが出てしまう。
「それとも…… こっちが我慢できないか?」
微笑みながら先生はスカートの中に手を入れる。
「んっ……」
期待と、その手が与えてくれる快感を思いだし思わずうめきを漏らす。
なにせここ三日ほど私に対して手も出してくれなければ、他人に任す事もしなかったから……
だけど先生の手は、唯一秘部を守っているレザーの上をなぞり、期待を裏切るようにそのまま引き出された。
手には愛液が絡まり、朝日の光を反射してテラテラと光っていた。
「すごい濡れようだな……」
飽きれたような声が頭上から響く。
からかうようなその声に頬が染まっていくのが分かるが…… 下半身はそれ以上に反応していた。
私が少し動くたびに愛液がふとともを伝い、流れ落ち、床を濡らしていく。体の疼きはもはや自分では止められなくなっていく。
先生はその様子を見ると笑みを浮べ、幼い子供を叱るように諭す。
「少し触っただけなのにな…… だらしない……」
「で、でも…… す、すみません」
反論しようとした自分をたしなめ、身体の疼きを押さえつけるように手を握り締めた。
「バイブのせいにはしないのか?」
「くっ、あっ。い、いいえ……」
実際、二日前まではレザーに隠された二つの穴には、私のために作られたバイブが挿入され細かい振動を与えていた。
それでだらしなくイクことはできたんだけど……
既に電池が切れたバイブはむずがゆい刺激を与えられるだけで、絶頂を迎える事が出来るほど強い刺激は与えられない。
(ただ、身体をほてらしていくだけ……)
今は先生が与えてくれたかすかな刺激が大事だった。
「ならどうしてだ?」
「せ…… 先生が触ってくれたから……」
「違うな。僕が触る前から濡らしていたろう? 我慢できないのか?」
図星を指され焦る。本当に先生に隠し事はできないし、嘘をついてしまった自分はなんて愚かなのだろうと思った。
「す、すみません…… 私…… いやらしいことが好き、大好きなんです。だからっ……」
「イカせて欲しいか?」
「は、はいっ」
再び期待して先生の顔を見る。
先生は腕時計を覗き込み、軽くため息をつくと絶望的なことを、淡々と私に告げた。
「残念だな…… 時間がない。僕が帰るまで我慢できるな? 葉子は僕の奴隷だしな。もちろん出来るだろう?」
(嘘)
それはわかっている。けど、私に逆らう事は求められていないはずだ。
躾けられた動物が先生の理想の姿だろうし、そうありたいと思う私もいる。心の動揺をなるべく表に出さないように服従の返事を告げた。
「は、いっ……」
「一人ですることも許さない」
「……はい……」
その一言は私の最後の望みまで断った。
(やっぱり、先生は厳しい……)
ただ、その事が私にどれだけの快楽を与えてくれるか考えると、心は狂おうしく先生を求めてしまう。
「はい、大丈夫です」
その意思を込めるように返事を繰り返した。
「じゃあ、留守中頼む。人が来るかもしれないが…… 僕が頼んだ人だから、入れてやってくれ。話し相手くらいにはなるだろうから」
(知らない間に誰かを選んだのかしら……)
「安心しろ。安全な奴だから」
「はい」
先生が言うなら安心だろう。
「じゃあ、行って来る。土産くらいは買ってくるかもしれない」
「お気をつけて…… はやく、帰ってくださいね……」
先生は軽く微笑むと、頭に大きな手を置いて行ってしまう。
昨日から降り始めた雪が、いっそこの疼きをとめてくれればと思いながら、私はその背中を見送った。
――
ふと気がつくと、指が股間へと伸びようとしている。
慌ててその手を止めると、立ち上がりなにも考えないように部屋を歩き始める。
(なんで、私…… 我慢できないのだろう……)
先生の言うとおりにするなら、そんな油断さえ許されないはずだし、そんな約束も守れない自分を恥かしく思う。
先生の命令が矛盾しているのは分かるが、私にとってそれは些細な事だった。
気がつけばそんな事を考えながら部屋の中を歩き回っている。
なぜ、我慢するとき部屋をウロウロするんだ?
そう先生に聞かれたことがあった。もちろん気を紛らわすためだったけど、もう一つ理由がある。
カメラから逃れるためだ。
今はそんなものはないけど、まだ私が宙さんの調教を受けていた時、その行為自体に嫌悪を抱いていた時の癖かもしれない。
「……止めなきゃ行けないんだろうけど……」
気を紛らわすために言葉に出してみる。
その時、チャイムが鳴った。
・・・続く。