螺旋回廊







第二章 流転



 以前の私は普通の男から見ればさぞ生意気な女に思えた事だろう。

 男のような言葉遣い、ヘビースモーカーで酒好き。料理も出来なければ掃除も苦手。人に対する接し方もどこか距離をおいていた。

 人に対する態度も一番良いと言えたのは佐伯先生に対してだけで、それも女と言う立場ではなく対等な友人として……

 女を意識する事がなければいまいましい過去の記憶から逃れられると、そう自分では思っていた。

 しかし……

 それすらも偽りの仮面である事に気付いてしまった。

 本当の私は責められる事、屈辱的な行為を強制される事、快楽におぼれる事を求めるだけの牝に過ぎなかった。

 以前の私が最も嫌悪し、そして気がつく事を恐れていた自分が今の私だ。

 それを認める事が出来たのは、元教え子の宙様のお蔭。

 彼は私のご主人様となる事を求め、そして狡猾にその地位についた。

 私などの女のどこがいいのかわからないが、時々こうもらす。

「お前みたいな生意気そうな女を従える事がどれだけ楽しいか分かるか?」

 確かにそうかもしれない。

 私はその以前の仮面を痛みで忘れた。

 痛みを伴う快楽、もしくは痛み自体がもたらす快楽がどれだけ私を貶め、破壊した事だろう。

 そしてそれが心地良い。

 けど、まだ足りない。

 確かに宙様やその知り合いの方から受けた責めは、普通の女性では耐えきれないような事に違いない。

 けど、宙様も私も知らない私の心の中のなにかが、もっとひどい責めをそして苦痛を求めている。

「……もしかしたら、私は……」

 殺されたいのかもしれない……

 安楽死等ではない、切り刻まれ、臓腑を引きずり出される。そう考えるだけで達してしまいそうになる。

(いや……)

 天啓のように一つひらめく。

(もう一つの可能性がある……)

 今まで考えなかった事ではないが、宙様の与えてくれる快楽はそれを上回っていたからその考えを放棄していたのだ。

 けど、それは終わりを迎えようとしていた。

 宙様は私を服従させた事を悟ると、以前のような苦痛を与えてはくれなくなったから……

(苦痛を与えてくれる人が変われば……)

 どう変わるのだろうか?

 もちろん宙様以外にも調教された事はあるが、全て監視のもとでだ。

 その監視から解き放たれた他人は、私にどんな苦痛を与えてくれるのだろう?

 心がざわめく。

(一人。いや二人、心当たりがある……)

 気がつくと、私は宙様の目を盗み以前の同僚の携帯を鳴らしていた。

 心当たりの中の一人である佐伯先生は、私の願いを叶えてくれる。

 何故かそんな気がした。

(出てくれ……)

 すっかり疎遠になった彼は電話に出てくれるだろうか……

 そして携帯の無粋な呼び出し音は、運命を変えるように途切れた。


――

 その電話からいくどめかの夜。

 飲み損ねた精液が口を伝い、数々の責めを受けてきた胸へと落ちる。

 私は絶望的な気持ちで目の前に座っているご主人様を見上げた。

「舐めとれば許してやる」

「ありがたく…… 頂戴します」

 今日は宙様の機嫌が良いらしい。

 いつもは全ての精液を飲み干さないと、更に責めを続けられる事になる。

 中途半端な苦痛と、中途半端な快楽。

 あの電話の後、私は宙様の責めをそんな風に捕らえるようになってしまった。

 ピアスをされた乳首がその責めを受けたがるように尖っているが、ご主人様の命令は私にとっては絶対だし……

 責めを受けても、望んだものを与えられるとは限らない。

「んっ……」

 精液というのは本来味がしないものなのに、なぜ私を責めてくれた人が出してくださったものはこんなに甘美な味がするのだろう?

 傷だらけの胸に落ちた精液を、ご主人様が喜ぶようになるべくいやらしく舐めながら私はそんな事を思っていた。

「なんだよその目はっ! 気にいらねー」

「申し訳ありませんっ」

 多分、私がどんなにうまく奴隷であったと、牝豚であったとしても必ず一回は叱られるだろう。

 私はどんな人間よりも下の生き物らしいから。

(なら、そう扱ってくれればいいのに……)

 心の中の不満が表に出たが、宙様は気がつくことなく奉仕を受け続ける。

(本当に私は最低の生き物なのに……)

 これからのご主人様の事を思うと多少心が痛む。

 少なくとも、本当の私に気がつかせてくれた人なのだ。今は精一杯の奉仕をしてそれに報おう。

 それが贖罪になるとは思わないし、そのつもりもない。

 いや、罪の意識が心の負担にもたらしてくれる苦痛も楽しみとしてとっておこう。

(最低だな私は……)

「お前を手に入れたお蔭で葉子はいなくなっちまったけどな。葉子を取っておいた方が良かったかもしれねーよ?」

 確かにそうかもしれない。

 私なんかよりよほど従順で、今私が考えてるような事は思いつかなかっただろうから。

「……」

「ん? お前自分のほうが葉子より上だと思ってんの? 乳首にこんなモノつけててよぉ」

 答えられずにいるとご主人様の手が乳首に突き刺さったピアスをつかみ弄ぶ。

「あっんっ!」

「しかも、感じるときている。それでも上なのか?」

「い、いいえっ。わ、私はっ…… うっあ!」

 突如、胸に爪をつきたてられパニックにおちいる。考えは霧散し変わりに激しい苦痛が、つまり快楽が体を襲った。

(そう、そのまま引きちぎってくれ、私を、苦痛に……)

「物覚えのわりぃ牝豚だなぁ。誰が私だ? ああっ!!」

「か、香乃は、葉子…… 様より、どんな人間よりも下の生き物ですっ……」

「わかってるじゃん」

 そう言うとあっさりと手を離す。

 心の中に安堵とともに期待を裏切られた失望感があふれた。

 そういえば、プライドなどというくだらない意地を忘れさせてくれたのも宙様だった。

 以前は調教そのものが屈辱的であり、その事が快感をもたらしてくれたものだが……

(やっぱり、足りない)

「でもなあ、半年前にその事に気付いてくれれば紫苑にも勝ってたのによぉ。物覚えが悪いってのは困るよなぁ?」

「はい。香乃は物覚えの悪い牝豚です。お許しください」

 確かに半年前の私はまだ少し、人間としての抵抗感が残っていた。とても葵君のような事は出来なかっただろう。

 けど、今は……

「なあ、香乃。お前葵が半年前に出来た事ぐらい出来るよなぁ?」

「はい。もちろんです」

 私は迷い無く答えた。

「まあ、そう言うだろうな。けどな、俺にはそうは思えないんだよ」

「そんなっ。信じてくださいっ!」

 ここにいたって私は、苦痛を与えられないのは自分の至らなさがもたらしたものではないかと考える。

 もしそうなら、私はどう考えても……

「そこでだ。また、面白い事を考えたんだ。明日でかけるぞ?」

「はい、わかりました。だから……」

 いや、考えるのはよそう。

 今は、今だけは命令に従う事が与える快楽に身を任せよう。

(全て佐伯先生に任せたように……)

「ああ……」

 全ては明日。明日決まる。

 ただ、それが起こるまでは宙様の命令を聞くだけだ。

 ふと見えた窓に白い雪がつき、流れる。

(あれから一年……)

 私の生活が変わる前触れのように思えた。







・・・続く。