TeaParty ~紅茶のお茶会~

『峠のお茶会』

「星空の下で」

逢いたい人。でも逢えない人。
それはまるで川を隔てた二人のように。
次に逢う日を待ち焦がれて。
ただ逢いたいと、想いだけが募って・・。


 部屋の窓になんとなく寄りかかるようにして見上げた空は、満天の星空だった。
 空なんて久し振りに見るかもしれない。星がまだ見える時間に起きだす毎日でも、こんな風にゆっくりと眺めたのは本当に久し振りだ。昼間だって、空を見上げる余裕がない。
 働き始めて、プロジェクトDも始まって、なんだかあっという間に月日が流れている。
 ちょうど一年位前のあの夏から、オレの中の時間は今までと比べ物にならないくらいのスピードで進み始めた。怖いくらいに、自分も物事も、そして周りまでもがどんどんと進んでいる。決して順調とは言えなかったかもしれないけれど、でもよい方向に進んできたと、今なら思える。
 だけど。ひとつ不満をいってしまえば・・。涼介さんに逢えなさ過ぎる。
「今、一番逢いたい人になってるのになぁ」
 思わず口をついて出てしまうほどに、逢いたい人。
 すごい人だっていう印象はあった。車を速く走らせる人、その運転がとても上手い人、そして、かっこいい人。それだけだった人が、今は逢いたい人に変わっている。
 この気持ちを伝えたいと思う。まだ寒い季節に聞いた涼介さんのその気持ちにオレはまだきちんと言葉にして返事をしていない。待っていると言ってくれた涼介さんに、だからこの気持ちを早く伝えたい。
 でも、時間がオレ達を隔てている。そしてやっと逢えてもいつも言うタイミングを逃している。逃して、次に逢う日はまだまだ先だ。
 カレンダーに直接書き込んだ予定は今日よりもずっと後で、オレはなんだかため息をついてしまった。

 そのまま、別に何をする訳でもなく星空を眺めていると、階下から電話の音が聞こえてきた。昼間出掛けたらしいオヤジが帰ってきた気配はない。オレは仕方なく一階へと降りて行った。
「はい、藤原豆腐店です」
 この時間、豆腐屋に用事で電話をかけてくる人もいないだろうと思いつつ、オレはそう答えてしまう。それだからといって名乗らないわけにもいかず、結局うちの電話はいつだろうと豆腐屋の電話なのだ。
『もしもし、藤原?』
 こんな時間に一体誰だよ・・などと思っていたオレの耳に届いたのは思いがけない声だった。
「涼介さん!?」
 まさに今まで考えていたその人からの電話で、オレは思わず声を上げてしまった。
『すまない、こんな遅い時間に・・。もう寝ていたか?』
 凛とした涼介さんの声はそんな風にちょっと申し訳なさそうで、オレは慌ててしまった。
「いえ、大丈夫です、起きてました」
 電話に出たときのその声の調子を反省しながらオレはそう答えた。さっきの声はきっと眠そうで何も考えてなさそうだったのだと思う。
『そうか、それなら良かった』
 聞こえたその安堵したようなその声にオレも一緒に安心していた。
 涼介さんのその声だけで、こんなにもあせったりしたり安心したりしている自分は、なんだか不思議な気もする。そんな風に気持ちが揺れてしまうくらい、オレは涼介さんの事を考えているんだ・・。
『藤原・・』
 そんな自覚をしたとたんに耳元で聞こえた涼介さんの声に、オレは本当に飛び上がりそうなくらいドキッとした。
 名前を呼ばれただけなのに、ただそれだけなのに、オレはこんなにも動揺している・・。
「あ、あの。急にどうしたんですか?」
 何を言っていいのか分からなくて、とりあえず思い付いたその言葉をオレは何も考えずに口に出していた。急に、それもこんな時間に突然かかってきたその電話の理由が分からない。
『急に藤原の声が聞きたくなってな』
 真っ直ぐに、その言葉はオレの耳に届いた。
「え・・?」
『窓を開けたら満天の星空だったんだ。だから、藤原に逢いたくなった』
 カッと、オレは自分の顔が真っ赤になるのを感じた。あまりにも、涼介さんの今の言葉はあまりにも・・。
「な、急に、言って・・」
 言われた言葉はすごく嬉しかった。けど、ホント急に言われて、なんか、すごく恥ずかしい・・。
『今日は年に一度の逢瀬の日だろ?』
 オレの動揺とは正反対な落ち着いたその声に、オレはハッとしてカレンダーに目を向けた。さっき自分の部屋で見た筈なのに、あの時は気付かなかった。
「今日って、七夕だったんですね」
 年に一度の逢瀬の日。涼介さんが言ったその言葉が、今のオレにはやけに印象深く残った。
『せめて声でも、と思ってな』
 小さく、自嘲気味に笑っている涼介さんを受話器越しに感じた。
 逢いたいと、涼介さんは思ってくれている。オレに逢いたいと、そう思ってくれている。
 オレも逢いたいと思っているのに、だけどオレはこの気持ちさえもまだ涼介さんに伝えていない。
「涼介さん・・オレ・・」
 今、逢えないのならせめて自分の気持ちを伝えたい。ずっとずっとなんだか怖くて伝えられなかったこの気持ちを、涼介さんのことを想う気持ちを・・。
「オレ・・」
『今から逢えないか?』
 意を決したその時、静かな涼介さんの声が聞こえた。
『声だけじゃ我慢できなくなった』
 はっきりとそんな風に言われ、オレは決心よりも何よりも、恥ずかしさの方が込み上げてきてしまった。
 どうして涼介さんは、こうもあっさりとなんでもないように言ってくれるのだろう。オレが言えないような言葉も。だけど本当は言いたくて仕方ない言葉も・・。
「あ、でも今、ハチロクなくて・・」
 そして肝心なことを思い出し、オレは思いっきり気が沈んでいくように思えた。
『オレが言い出したんだ。大丈夫、オレがそっちに行くよ』
 そんなオレに涼介さんは優しく言ってくれた。
「え、でも・・」
 だけどなんだか悪い気がしてオレはすぐにそう答えていた。
『オレが行ったら迷惑か?』
 そうするとそんな言葉を返され、オレは言葉よりも先に首を思い切り横に振っていた。
「そんな、迷惑だなんて思う訳ないじゃないですか!」
 嬉しいと思っているのに。思いがけず涼介さんと逢えることになって、嬉しくて嬉しくて仕方ないというのに。
『良かった』
 その涼介さんの言葉は、なんだか微笑んでいるように感じた。
『ところで、明日は配達か?』
 急に問われたその質問を不思議に思いながら、それでもオレはもう一度首を振った。
「いえ、明日は配達ないです」
 オレが働き始めて一日おきになったおかげで、ちょうど明日はオヤジの番だった。
『そうか・・。じゃあ今から迎えに行くから』
「はい、ありがとうございます」
 電話が切れてしまうのはちょっと淋しい。だけどこれから逢えると思うとやっぱり嬉しい。オレはそんな二つの思いを感じながら受話器を置いた。

 とりあえず部屋に戻ろうと階段に足をかけたその時、店の戸がカタンと音を立てた。オヤジだろうと思いそのまま数段、歩を進めたけれど戸が開く気配が感じられない。
 涼介さんのわけは、まだないよな、今、電話切ったところだし・・。そう思いながら踵を返したオレが手をかける前に戸はもう一度音を立てて開いた。
「え・・。なんで、だって今・・」
 その扉の向こうに立っていたのは、誰よりも逢いたいと思っていた涼介さんだった。オレは思わず時計と電話と、そして目の前の涼介さんを交互にひとつずつ確認してしまった。
「本当は逢いたくて、すぐそこまで来てたんだ」
 目の前に、本当の涼介さんが居る。そしてその声は受話器越しなんかじゃなくて、直接オレの耳に届いた。
「オレも逢いたかった・・。ずっと、ずっと逢いたかった」
 涼介さんに逢ったら言おうとしていた言葉が、何も考えずにオレの口から飛び出していた。
「オレ、涼介さんのこと、好きです」
 いつもなら直視できない涼介さんの顔を、オレはじっと見つめていた。なんだか夢のようで、今なら何でも言えそうな、何でも出来そうなそんな気さえした。
「涼介さん・・」
 オレがその名を呼んで一歩踏み出したのと、涼介さんがオレの事を引き寄せるように抱きしめてくれたのはほぼ同時だった。
「拓海・・。本当に?」
 確かめるような、でも嬉しそうな。だけど顔が見えなくてどんな感情なのか確信が持てない声を、オレは涼介さんの腕の中で聞いていた。
「好き・・」
 オレは涼介さんが言った言葉の意味を考えるよりも先にそう答えていた。
「待ったかいがあったな」
 くしゃりと頭をなでられるような感触が心地よい。そして抱きしめられた腕の中も本当に心地よくてなんだか安心できた。
「拓海。オレは迎えに来たんだけど、このまま連れ出して大丈夫か?」
 ゆっくりと、そんな言葉がオレに向けられた。
「え?迎えに?」
 一瞬その言葉を考え、オレは思わず顔を上げて尋ねるように返事を返してしまった。逢いに来てくれたのだと思っていたから。だから・・。
「さっき言っただろ、迎えに行くって。幸い配達もないようだしな」
 そして、さっき電話で言われた言葉を思い出す。あの時不思議に思った質問はこのためで、そして電話を切る前の涼介さんの言葉は確かに“逢いに”ではなく“迎えに”だった。
 とたん、オレは身体中が熱くなるのを感じた。
「オ、オレ・・」
 言われた言葉と、その言葉に込められた涼介さんの想いと、そして今の今までオレがとっていた行動が急に恥ずかしさになって込み上げてきた。
「ん?」
 短く促すようなその問いかけは更にオレの熱を上昇させた。想いを言葉にするというのは、思った以上に恥ずかしかったんだ・・。
「・・好きです・・」
 そして、何を言いたいのか分からなくなった頭よりも口が先に動いていた。
「オレも好きだよ。愛してる」
 更に抱きしめられ、オレは涼介さんの想いを痛いほど感じていた。そして涼介さんからその言葉を聞いたのは、あの告白の日以来だった。涼介さんは本当に待っていてくれたんだ。オレの気持ちがちゃんと言葉になるまで、ちゃんと言えるまで。
「涼介さん・・涼介さん」
 早く答えていればもっと早くに手に入ったはずの幸せをオレは噛み締めるように涼介さんの背中へと腕を回した。
「このままさらってどこかに閉じ込めてしまいたいよ・・」
 冗談のように、だけどちょっと真剣な声で言われ、オレは恥ずかしくなりつつ、でもなんだか嬉しかった。
「オレ、涼介さんが来るのを待ってるだけじゃイヤですよ?」
 そして、そんな風に答えてみる。オレだってこのまま涼介さんを離したくないと思うから。忙しくて逢えない涼介さんに、本当はいつだって逢いたいと思うから。
「そうだな・・。でもとりあえず今日はこのままここから連れ出すかな」
 そしてゆっくりと抱きしめられた腕が離れていった。離れたぬくもりが、少し淋しい。
「支度は?」
 言われて、オレは支度をしに部屋へと戻った。
「すぐに戻ってきます、待っててください」
 窓のカーテンを閉め電気を消し、ズボンのポケットに財布と家の鍵を持ってオレはまた階段を駆け降りた。
 目の前に立つ涼介さんの手がスッとオレの方に伸ばされる。
「拓海」
 そして呼ばれた名前がなんだか本当に嬉しくて、オレは走ったままの勢いでその腕の中へと飛び込んで行った。

 満天の星空の下、オレは涼介さんの隣に立ってその空を眺めていた。さっき部屋から見ていたよりも更に広く見えるその星空は怖いとさえ感じた。
「寒い?」
 吸い込まれそうな空に圧倒されたのか、オレは無意識に自分の両腕を抱えるようにして震えていた。
「いえ、」
 そうじゃなくて・・と続けようとした言葉はふわりと廻された涼介さんの腕のぬくもりを感じたとたん止まってしまった。そしてそのまま、否定も肯定もできなくなる。
「人肌というのは暖かいな」
 廻されていただけだった腕が背中から抱きしめるものに変わった時、涼介さんはそう言ってオレの肩口に顔をうずめてきた。
 背中から伝わるぬくもりと、そして頬に触れる涼介さんの髪。
 逢いたいと思った人がすぐ傍に居て、そしてその人に触れているのだという幸福感がオレを満たしている。
「空の二人も、今日は逢えたのかな?」
 天の川を隔てた二人の、今日は年に一度の逢瀬の日。
「オレは年に一度だなんて我慢できないな」
 直接耳元で言われ、オレは顔が赤くなったのを感じた。
「でも涼介さん、いつも忙しいじゃないですか」
 年に一度とまでは少なくないけれど、それでもこの先、逢いたい時に逢えるとは言えないような気がする。
「それでも逢いたいと思うから、逢える時はいつでも拓海に逢いたいよ」
 そう言った涼介さんの腕の中に、オレは更に抱きしめられた。
「オレ達は年に一回しか逢えなくなるほど他のことをサボっているわけではないからな」
 その言葉に俺は少し笑ってしまった。
「確かにそうですね」
 今オレ達が逢えないのは忙しい毎日を送っているからで、決して他の事をおろそかにしているからではない。逆に、他の事にも一生懸命だ。
「じゃあ、オレ達は逆って事にしませんか?」
 ふと思い付いてオレはそう言った。
「今、逢えないのはこの先ずっと一緒に居る為?」
 オレが言おうとしたことを、涼介さんは先回りして聞いてくる。
「ずっと、一緒に居てくれますか?」
 その問いに、オレはまた問いで答えた。
「一緒に居たいと最初に願ったのはオレだからな。この先ずっと離れるつもりも離すつもりもないよ」
 その声は後ろからだったけれど、真っ直ぐにオレへと向けられていた。
 この気持ちがあれば大丈夫。きっと、絶対、大丈夫。
「絶対ですよ?」
 言って、涼介さんの顔が無性に見たくなった。けれどなぜか怖い気がして振り向けない。
「あぁ」
 返された言葉は返事だけの短いものだったけれど、とても強い意志をその一言の中に感じた。
「涼介さん・・」
 オレは本当に涼介さんの顔が見たくなって首だけ振り返った。
「拓海・・!」
 抱きしめていた腕がオレを身体ごと振り返らせ、そして真正面から抱きすくめられてしまう。身体中で、そして心も全て、涼介さんを感じている。
「オレは逢いたいという気持ちを、これ以上もう我慢したくないんだ」
 涼介さんの声は、すごく真剣だった。
「だから、拓海も我侭を言ってくれ。拓海が逢いたい時に、オレは逢いに来るよ」
 腕の力を緩め、オレの顔を覗き込むようにそう言った涼介さんの表情は本当に優しくて、かっこよくて。嬉しくて嬉しくて、そしてちょっぴり恥ずかしい。
「そんなにオレを甘やかしちゃダメですよ」
 オレは涼介さんの背に腕を廻しながら、照れ隠しのようにそうつぶやいた。
「でも、ずっと一緒に居てくださいね」
 今、忙しいのは変わらないけど、この先だってきっと忙しいのだろうけれど。だけどずっと一緒に居られるのならば、そんな事たいした事じゃない。
「ずっと一緒に居るよ」
 オレの言葉に、涼介さんはぎゅっと抱きしめて答えてくれた。
 満天の星空の下、オレは逢いたくて焦がれていた涼介さんにぎゅっとしがみついた。

逢いたい人、とても逢いたい人。
焦がれて、望んで、想いが揺れて。
一緒に居たいと、切実に願う。
ずっと、ずっと。
傍に居て、傍に居させて・・。



星空の下で
2001.8.8