TeaParty ~紅茶のお茶会~

『峠のお茶会』

「二人の距離」

  ここからどの道に進むのか。
  選びたい道はすでに決まっている。
  後は、一歩、前に進むだけだというのに・・。

 二人の間に、会話は殆どなかった。
 せまい車内で、相手の存在だけが唯一で全て。
 遠いわけでもなく、でも近いともいえないその距離は、けれど縮める事も出来ない。
 まるで今の二人の関係をそのまま表したような、そんな距離。
 ちょっと手を伸ばせば相手に届くのに、何か話したいのに、声を聞きたいのに。
 二人は同じ所に留まったまま、その先への道をただ見つめていた。

「雨が降ってきたな」
 エンジン音だけが聞こえていた車内に、ゆっくりとした涼介の声が響いた。
「あ、ほんとだ・・」
 少し眠そうにさまよっていた拓海の目線は外の景色に焦点を合わせ、涼介の言葉を確認した。
「予定が少々狂ったな」
 涼介は小さく笑った。雨が降るのは、もう少し遅くなるという予報だった。
「どこに行かなくてもいいですよ、オレは・・」
 拓海は自然にそう答えていた。
 その言葉に涼介は驚いたように拓海を見つめ、けれど運転中の為、その視線はまたすぐに前を向いてしまう。
「ゆっくり話をするのも悪くないな」
 その言葉とともに、涼介は行き先の変更を考えた。

 会話が始まったことで、それまでのなんとなく乾いた感じの雰囲気が、暖かな、優しいものに変わった。
 たわいのない、そんな会話が交わされていく。
 時々二人の表情に笑みが混ざり、声もまた、明るさを増した。
 好きだ、と言って、好きです、と答えて、そこから始まった二人。
 お互いを知れば知るほど惹かれて、想いが同じ事を実感する。
 それなのに、まだ一歩先へ進む事が出来ない。
 交わされる会話の中で、心の奥の言い出せない言葉が頭の中を掠める。
 そして。言うべきか否か、心が揺れる。

「これから家に来ないか?」
 一度途切れた会話を再会させたのは、涼介のそんな言葉だった。
「うちって、涼介さんの?」
 考えるような、不思議そうな、そんな表情で拓海は涼介を見つめた。
「外は雨だしな。車の中よりはゆっくり話が出来るぜ」
 涼介は相変わらず前を向いたまま、言葉だけを拓海に向ける。
「そうですね。でも・・大丈夫ですか?」
 微笑み、そう答えた拓海の言葉に涼介は一瞬何を問われたか考え、思い当たって、あぁ、と小さくつぶやいた。
「家には誰も居ないからな。両親は仕事だし、啓介も出掛けているからな」
「あ、そうですよね。うちはいつでもおやじがいるから・・」
 なんだかすごく恥ずかしくて、拓海は俯いてしまった。
 涼介はその表情に小さく笑うと、走り慣れた道をゆっくりと走った。

 涼介の部屋に案内された拓海は、その床にぺたりと座っていた。
 あまりの広さにあっけに取られ、玄関からこの部屋までの道のりは、まるで迷路のように感じられた。
「なんか・・すごい」
 無意識につぶやいて、拓海は1つため息を付いた。

 二人文のコーヒーを淹れた涼介は自分の部屋に戻る途中、家に招き入れた時に見た拓海の表情を思い出して笑った。
 普段ぼんやりとした表情の拓海が驚いたように瞬きを繰り返すその仕種は、涼介にとって新鮮だった。
「まだ知らない事だらけだな・・」
 つぶやいて、涼介はドアを開けた。

「ありがとうございます」
 自分の目の前にコーヒーカップが置かれ、拓海は小さくお辞儀をするように涼介に言った。
 でも少し怒ったようないじけたようなそんな表情を涼介に向けている。
「まだ怒っているのか?」
 テーブルの真向かいに座っていた涼介は、そう言いながら拓海の傍に座り直した。
 急に二人の距離が縮まる。
「怒っている訳じゃ、ないですけど・・」
 拓海はその近さに顔を赤くして俯いてしまう。
「けど?」
 それ以上近づく事も離れる事もせず、涼介は拓海の途切れてしまった言葉を促すようにささやいた。
「・・笑われて、ちょっとショックです」
 俯いたまま、ぼそっと小声で拓海は答えた。
「悪かった」
 すぐに返ってきたその言葉にゆっくりと顔を上げれば、自分を見つめている涼介の目が合ってしまい、拓海はまた俯いてしまった。
「オレ、そんなに変な顔してました?」
 さっき、ドアを開けたと同時に笑い出した涼介を思い出し、拓海の顔はさらに赤くなった。
「別に変な顔なんてしてなかったぜ」
 涼介は俯いたままの拓海の頬に、そっと触れた。
 突然の事に驚いて拓海は身じろぎをした。
「可愛い表情はしていたけどな」
 視線だけ上げれば涼介のやわらかい笑顔が自分に向けられていて、拓海の心臓は大きく跳ね上がった。
 こんなに近くにお互いを感じた事はまだ数回しかなくて。1度知ってしまったらそれよりもっと近くに感じたくて・・。
「拓海」
 涼介は優しくその名を呼び、力いっぱいつぶっている目元へと唇を寄せた。
「あっ」
 その感触に小さく声を上げた拓海の、その唇が開いた瞬間を涼介は見逃さなかった。
「んっ!」
 触れるだけではなくて、深い口付け。一度触れてしまうとお互い離れられなくて、もっともっとと求めてしまう。
 同じだけ惹かれ、同じだけ求め・・。そしてゆっくりと、名残惜しげに離れた。
「涼介・・さん」
 少し潤んだ瞳で涼介を見つめ、拓海はその名を呼んだ。
「拓海」
 涼介は答えてその身体を愛しげに抱きしめる。
 もう一歩先へ・・。二人の心は同時に揺れた。

 涼介はその腕の中に小さな寝息を立てる拓海の身体を抱きしめ、ゆっくりと髪をなでた。
 部屋の中、未だやまない雨音だけが静かに響いて、そんな二人を優しく包んだ。
「拓海」
 涼介の口から、自然に拓海の名がこぼれた。そのことがなんだかうれしくて涼介は小さく笑った。
 起こしたい訳ではない。ただ、その名を呼びたかっただけ‥。
『涼介さん‥』
 何度も拓海に呼ばれた自分の名前。その声を思い出し、涼介はさらに愛しさを込めて抱きしめた。

 肌に触れるぬくもりと優しい声に、拓海の意識はゆっくりと戻り始めた。
 包み込まれるようなその温かさの中へ、拓海はしがみつくようにして涼介の胸へと顔を埋めた。
『すごく、安心する‥』
 その安堵感に、拓海は微笑んでさらに顔を埋めた。

「拓海?」
 身じろぐような反応をした拓海に、涼介は優しく呼びかけた。
「‥ん‥?」
 その声に小さく言葉を返したけれど、拓海の意識は完全には戻っていなかった。
 涼介はそれ以上声をかけず、拓海の前髪を掻き上げるように梳いた。
「‥あっ」
 涼介の、その手のぬくもりに拓海の意識は急に浮上しゆっくりと瞼を開いた。
「えっと‥」
 少しかすれた声で拓海はつぶやいた。意識は戻っても状況が分からなくて、ぼんやりとした目を涼介に向けた。
「大丈夫か?」
 涼介は掻き上げた前髪をそのままに、拓海の額に小さくキスを落とした。
「‥!」
 瞬間、全ての意識と記憶が戻り、なおかつ涼介の顔が本当に目の前にあることに気付いて拓海の顔は真っ赤になった。
 隠したくても涼介の手のせいで俯くことが出来ない顔を、拓海は両手で覆い隠した。
「拓海」
 そんな拓海の行動と表情が可愛くて、涼介の口からは自然と笑みがこぼれた。
「拓海。顔、見えないぜ」
 涼介の言葉に拓海は首を振って答えた。
「拓海」
 涼介はもう一度名前を呼んで、拓海の手の甲にそっと唇を寄せた。
「ひゃっ」
 ぎゅっと目をつぶっていた拓海は突然の感触に驚いてぱっと目を開けると、同時にその手を引っ込めた。
「やっと顔が見えた」
 拓海のとった行動は、その赤い顔を涼介に見せることになってしまう。
「……」
 優しい笑顔を向けてくれる、そのうれしそうな涼介の表情に、拓海は何も言えなくなってしまった。
「辛かったか?」
 拓海の目尻に残る赤くなった涙の跡を見つけ、涼介はそこに優しくキスをした。
「そう言うことは、聞かないで下さい‥」
 恥ずかしくて、本当に恥ずかしくて、首を振りながら拓海は小さな声でつぶやいた。
 涼介は謝る代わりに拓海をそっと抱きしめた。
「愛しているよ」
 そして、想いを込めて耳元にささやく。
「オレも‥大好きです」
 涼介の背に自分の腕を回し、つぶやくように答えた拓海の声は小さかった。
 抱きしめる涼介の腕に少し力がこもったことで、拓海の言葉が涼介にちゃんと届いたことを教えてくれる。
「涼介さん」
 その名を呼んで、拓海はさらにしがみついた。
「どうした?」
 優しく髪をなぜ、優しく問いかける。
「距離、縮まったかな‥」
 問うような、確かめるような、独り言のような拓海のささやき。
「そうだな」
「良か‥った‥」
 すぐに返ってきたその言葉に、拓海は安心して微笑み、瞼を閉じた。
「拓海?」
 腕の中に感じる吐息が急にゆっくりになったのを感じ、涼介はそっと呼びかけた。
「うん‥」
 半分くらい無意識に少し短く返事をする拓海の瞼は完全に閉じられてしまっている。
「おやすみ、拓海」
 少し無理をさせてしまったかもしれない‥。そう思いながら涼介は優しくささやいた。
 そんな涼介の言葉を聞いて、拓海の身体からことりと力が抜けた。程なくして規則正しい吐息が拓海の口から漏れた。
「おやすみ」
 もう一度ささやいて、そっと抱きしめて、涼介もその瞳を閉じた。

 二人は今、同じ道へ一歩踏み出したばかり。
 これからも、一緒に。


二人の距離
2000.10.23(最終校正11.9)