TeaParty ~紅茶のお茶会~

『峠のお茶会』

「独り占めの休日」

 今日は涼介に逢える。拓海は朝から少しうきうきとしていた。
 本当に久し振りの待ち合わせ。
 忙しい涼介にやっと時間が出来て、逢おう、と電話が来たのは昨日の夜の事。学校もバイトもお休みで、何の予定もなく過ごすはずだった休日が、急に嬉しい一日へと変わった瞬間。
 朝からずっと一緒にいられると思うとなんだかうれしくて、朝の配達もいつも以上に急いで帰ってきた。早く帰ってきても約束の時間が変わる訳ではないけれど、気持ちが急いてしまう。
 一緒にいられる時は、少しでも長く一緒にいたいと思う。1分でも、1秒でも。
 拓海は部屋の窓を開け、迎えに来てくれるはずの恋人のことを待った。

 いつの間にか聞き分けられるようになっていたそのエンジン音が聞こえたのは、約束した時間のちょうど20分前。
 拓海は急いで窓を閉め、ポケットのお財布を確認しながら部屋を飛び出した。
 階段を駆け下りて外に出ると、目の前にたばこをくわえた文太が立っていた。
「オレ、出掛けてくるから」
 そう言って、拓海は返事も聞かず止まりもしないでそのまま走って行った。

 外の風は少し冷たくて、だけどそんなこと気にならない位、拓海は緊張していた。心臓がドキドキいっていて、飛び出してしまうのではないかと思ってしまう程だった。 
 そのくらい嬉しくて、拓海は車が来るはずの方向をじっと見つめていた。
 ちょっと早く出て来過ぎたかも‥。そんな風に思いつつ、でもじっと部屋で待ってるなんて出来なかっただろうな、とも思う。
 なんだか拓海は一人で恥ずかしくなって、顔が火照ってくるのを感じた。
 あと少しで、涼介さんに逢える‥。

 待ちに待ったその白いFCが拓海の目に飛び込んできて、拓海の心臓はひときわ大きくはねた。
 滑るように、その車は拓海の前に止まった。
「拓海」
 ドアを開け、涼介はゆっくりと拓海の前に立った。
「おはよう」
 涼介は笑顔とともに、拓海にそうささやいた。
 そんな涼介に思わず見惚れてしまいそうになり、拓海はじっと見つめながらその声を聞いていた。そして次の瞬間、今度は顔を赤くして俯いてしまった。
「拓海?」
 未だ慣れないようなその態度がちょっと淋しくもあり、でもそんな拓海の全てが愛しくて、涼介の表情は自然と優しくなった。
「おはよう、ございます」
 やっと少しだけ顔を上げ、拓海は小さくつぶやいた。
 目の前に涼介がいるという、ただそれだけなのに緊張してしまう自分が恨めしい。
「寒いのに、外で待っててくれたのか?」
 こんなに冷たくなってる‥。そう言いながら涼介は拓海の頬にそっと触れた。
「音が聞こえたから‥」
 涼介の手から伝わるぬくもりに、今度は内側からカッと熱くなるのを感じながら拓海はそう返事をした。
「嬉しいよ‥」
 ここが道じゃなかったらな‥。思わずそんなことを考えながら、涼介は拓海に笑顔を向けた。
「立ち話じゃ冷えるだけだな。とりあえず乗って」
 言って涼介は助手席に回り、俯いたままの拓海を車内へと促し自分も運転席に座った。

 朝の日差しが車内いっぱいに差し込んで、それだけでなんだか暖かかった。
 どこに向かうわけでもなく涼介は車を走らせていた。出掛けるには絶好な天気。けれど涼介は行き先まで決めていなかった。
「今日はどこに行こうか?」
 目線は前を向いたまま、心だけを拓海に向けて涼介は訊ねた。
「えっと‥。涼介さんはどこがいいですか?」
 何となく追っていた外の景色から視線を涼介に変え、拓海は少し考えるように首を傾げてそう言った。
 涼介はいつも行き先を決めないで拓海に逢いに来ていた。それは二人で一緒に決めたいから。それでも結局、涼介が決めることが多くなってしまうのは拓海が少し遠慮がちなせい。ちょっと残念でもあり、だけど拓海の気に入りそうな場所を選ぶのも涼介は楽しかった。
 人がいっぱいいるような所は二人ともあまり得意じゃないから、静かな自然がたくさんあるような所へ行くことが多かった。
 そうやって涼介が選んだ場所を拓海が気に入らなかったことは絶対なくて、それどころかまた行きたいと思うような所ばかり。
 涼介は今日の行き先をいろいろと考えた。
「時間もあるし、少し遠出しようか」
 今日は1日全部空いているからちょっとくらい遠くに行ってもゆっくりと過ごす時間がある。
「遠出ですか?」
 答えて、拓海は少し考えるような素振りを見せた。
「嫌か?」
 そんな拓海に涼介は問いかけた。いつもならこんな風な返事はしない。だから少し違う拓海の態度が涼介には気になった。
「嫌って訳じゃないですけど‥。遠出したら涼介さん、疲れるじゃないですか」
 運転は涼介さんなんだし‥。小さくそう言いながら拓海は隣に座る涼介の横顔を見つめた。
 いつも忙しい人。だから、たまの休日に疲れさせたくないというのが拓海の正直な気持ちだった。
「好きな事だからな、全然大丈夫だぜ」
 涼介には、拓海の心遣いがすごく嬉しかった。そして愛おしいと思う。だからどんなことでも拓海に関することならばそれを嫌とは思えなかった。
「拓海と過ごせるだけで疲れなんかどっかに行ってしまうよ」
 これが、涼介の正直な気持ち。
「何、言ってるんですか」
 言われた拓海は顔を赤くして俯いた。
 こんな風に自分に向けられる涼介の優しさが、拓海にはもったいないくらいに思えてしまう。
「本当の事だからな‥」
 言って涼介が笑顔を向けても拓海は俯いたまま。そんな拓海の態度が可愛くて、涼介は小さく笑った。
「でも本当に、今日はどこに行こうか」
 少しからかいたいと思う気持ちを抑えつつ、涼介は目の前の景色をまぶしそうに見つめた。
「遠くなくて、のんびり出来て、あと‥」
 そっと顔を上げ、遠慮がちに拓海はしゃべりだした。
「あと?」
 一度とぎれたその言葉の先を促すように、涼介はそっと聞き返した。
 拓海は一瞬開きかけた口をまた閉じて小さく首を振ると、ふんわりとした笑顔を涼介に向けた。
「オレはどこでもいいです。涼介さんとゆっくり過ごせたら、それが一番いい」
 拓海はゆっくりと、そう答えた。
 ささやかな拓海の願い。それはどんな言葉よりも涼介を幸せにするものだった。
「拓海‥」
 嬉しくて、涼介は拓海の名を愛しげに呼んだ。
「涼介さん‥」
 向けられたその笑顔に拓海の頬はうっすらと赤く染まった。
「今日は、どこにも行かなくてもいいか?」
 信号で止まったその時に、涼介は拓海を真っ直ぐに見据えてそう言った。
「え?」
 言われて、あまりに急なセリフにその意味が分からなくて拓海は首を傾げる。
「ずっとオレの腕の中だけにいてくれるか?」
 言って、涼介は青になった信号に合わせて視線を前に戻した。
「‥っ!」
 涼介のその言葉に拓海の顔は見る見るうちに真っ赤になった。
 今、涼介さんはなんと言った?それって、それって‥!えー。・・などと拓海が頭の中をぐるぐるとさせているのを涼介は顔を向けないでちらりと盗み見た。ぼんやりと見えるその表情はいつもとあまり変わりなく見えて、けれど真っ赤に染まったその顔が拓海の心を語っていた。
「ふっ」
 涼介は拓海に気付かれないように小さく笑った。
「涼介さん‥」
 つぶやいた拓海は半分涙目で、そんな表情を見た涼介の心はちょっと複雑だった。
 冗談では、済まなくなったな‥。というのが今の涼介の本心で、だけど拓海の気持ちを最優先で考えたくて、だけど我慢が出来なさそうにも思える。今度は涼介が頭の中をぐるぐるさせる事になってしまった。
「なんで、なんで涼介さんはなんでもなさそうにそういうこと言えるんですか」
 涙目で訴える拓海の言葉と表情に涼介はけっこう余裕のなさを感じた。ヤバイという声が、どこからともなく聞こえてくる。
 その位、拓海は何ともいえない表情で涼介の事を見ていた。
「拓海・・」
 つぶやいたその声はちょっと掠れていて、その声とどうしようもない何かに突き動かされたように、涼介は急ブレーキで車を道の端へ止めた。
「オレの本心だからな。拓海以外、何も望まない」
 涼介は拓海の事を真っ直ぐに見つめた。
「涼介さん・・」
 怖いとすら思えるようなその涼介の視線は、けれど拓海にその想いを伝えてきた。真っ直ぐに、揺るぎなく・・。
 拓海の中で、何かがはじけたような気がした。
「オレ、今日すごく朝から浮かれてたんです」
 拓海はポツリと、しゃべり出した。
「涼介さんに逢えるって、久し振りに涼介さんと逢えるって・・」
 ずっと逢いたかったから。少しでも早く、少しでも長く。拓海は涼介への想いでいっぱいになっていた。
 そんな拓海の事を優しく見つめる涼介は、シートベルトをはずしながらゆっくりと拓海に手を伸ばした。
「だから・・」
 拓海はいったん言葉を切った。・・切らざるを得なかった。
「だから?」
 そっと触れるだけの口付けの後、涼介は触れるか触れないかの距離でささやいた。
「だから、今日はずっと涼介さんの傍にいさせて下さい」
 言って、拓海はゆっくりと目を閉じた。
「オレの、腕の中だけにいて・・」
 祈るようにささやいて、涼介は拓海の唇に自分のそれを重ねた。
「・・ん・・・・」
 零れ落ちるような甘い小さな声と、涼介の背中に回されたその腕が、拓海からの答え・・。
 今日は、ずっと、ずっと・・。


独り占めの休日
2001.1.20