TeaParty ~紅茶のお茶会~

『世紀末のお茶会』

「放課後の思い出」1888Hit ティルダムさまへ♪

 たまにふと思い出す事がある。
 きっと彼は忘れているだろう出来事を…。


「あ、地震…」
 座った椅子からなんとなく揺れを感じた桂は図面を書く手を止めた。
「危ない…。変な線を書いてしまうところだった」
 桂は書きかけの設計図を見つめ、安心したようにつぶやいた。
「けっこう揺れたな。最近は地震が多くて、仕事中は困るな」
 そんな風につぶやき、桂はまた設計図に線を引き始めた。
 もくもくと作業を続けていた桂の手が、何かを思い出したように止まった。
「地震といえば…」
 つぶやいて、そして思い出して小さく笑った。
「そういえば、あんな事があった…」
 いままで真剣だった桂の表情が一瞬優しくなった。その眼差しの変化に、桂自身、気が付いただろうか。

☆☆☆

「何故俺がが一人でやらなきゃいけないんだ!」
 少し先の教室からそんな声が聞こえ、桂は足早にその教室に向かった。覗き込んでみると、プリントの山に悪戦苦闘している一人の生徒がいた。
「やっぱり坂本先輩だ…」
 桂は声でその人物の予想はついていた。その予想が当たっていたから、思わず小さくそうつぶやいた。
 坂本はそんな桂の事には気付かず、プリント相手に闘っていた。
「どうしてこう、要領が悪いのかな、この人は…」
 桂は何度かこんな状況に遭遇した事がある。その度、声をかけようかどうか迷った。
「お手伝いしましょうか?」
 桂は結局そう声をかけた。いつも、結局は声をかけてしまうのだ。
「おお、手伝ってくれるのか?」
 振り向いてそう言った坂本の顔には期待がありありと表れていた。
「ええ」
 桂は短く答えると思わずその顔を見つめた。今日こそは…そんな僅かな望みを込めて。
「いやぁ、助かった。実は困っていたのだ」
 明るくそんな風に言う坂本の言葉からは、その望みが叶えられたかどうかは分からなかったけれど、まずは作業の方が先、と思い桂はプリントへと手を伸ばした。
「これ、どうすればいいんですか?」
 まずは指示を仰ごうとそう声をかけた。
「ああ、ページの順に並べるんだ」
 至極簡単な説明だな…そう思いながらプリントの内容を見てみれば、どうやら文化祭のしおりらしく、桂の頭の中にふと疑問が起こった。
 今日は委員会の集まりはないはずだし、なんでこの人1人でやっているんだ?
「ちょっと放課後残っていただけなのに、何で俺がやるはめになるんだか…」
 その疑問は坂本の文句を言うようなつぶやきであっさりと解決した。
「文句を言ってても作業は進みませんよ。それより誰か他に残っている友達とかはいないんですか?」
 作業自体はとても簡単な事で、それほど手もかかりそうになかったけれど、とりあえずそんな風に聞いてみる。
「きっとこの時間はみんな部活だろうな」
 坂本はあっさりと答えた。
「そうですか…。じゃ、とにかく片付けちゃいましょう」
 桂がプリントを並べやすいようにと机を動かしているとその後ろから坂本が声をかけた。
「要領がいいな」
 桂が振り返ってみると、感心したように見られていて、ちょっとびっくりする。
「感心してないで手も動かしてください」
 けれどその坂本がただ立っているだけなことに気が付いて、思わず口から出た言葉は強いものになってしまった。
「ああ、そうだな」
 悪びれた様子もなく坂本は答えてやっと手を動かし始めた。
 その後2人は何もしゃべらず、ただ机を移動させる音だけが教室の中に響いていた。
「それじゃ、俺は後ろから並べていきますから、前から並べていってください」
 机を並び終えて、桂はまた坂本に声をかけた。
「ああ、わかった」
 そう素直に返事をした坂本の顔が、なんだか安心したような表情になって桂は少し首をかしげた。
 今まで何度かこういう状況で手伝って、桂から指示を出すとたいてい始めは文句を言われていたのだ。それなのに今日は一回も桂の行動に対して文句を言ってこない。おまけに安心したような表情すら見せられて、なんだか拍子抜けというか、なんというか。
 そして並び替えの作業が始まると、また表室の中は静かになった。

 作業時間おおよそ20分。すべてのプリントを並び終え、ふぅと桂はため息を付いた。
「おお、早いではないか」
 坂本は満足そうにそう言っている。
 その時の桂の心中と言えば、坂本先輩って要領悪すぎ…の一言で、全体の3分の1は桂が並び替えたものだった。
 別に坂本の並び替える作業が遅いわけでもなく、それほど要領が悪いわけでもない。つまり桂はてきぱきと動かないと気がすまない性分で、作業が人一倍早かったのだ。
「ありがとう、助かった」
 坂本がお礼を言ったその瞬間。
「わっ!」
 そう叫んだ坂本の声と、床が揺れたのはほぼ同時だった。
「地震?」
 どちらかといえば、揺れよりも坂本の声に驚いた桂はそうつぶやき、そしてなんだか自分の腕が重いことに気付いた。
 ふと自分の腕を見れば、座り込んでいる坂本がしがみついていた。
「きゅ、急に揺れたからびっくりした」
 坂本は桂の袖口をつかんだままそうつぶやいた。目は真剣で、少しだけ涙目になっている。
「坂本先輩?」
 桂はそんな坂本に声をかけた。
「あ!」
 その声にはっと我に返った坂本は、ぎゅっと握りしめていたその手を離し、思い切り立ち上がった。
「危ないっ」
 急に立ち上がった坂本の身体は、その勢いのままバランスをぐずして倒れそうになった。それを寸でのところで桂が支えた。
「大丈夫ですか?」
 その腕の中に抱えられている状態になった坂本は、じたばたと暴れた。しがみついてしまっていた事と、今の状況とに軽いパニック状態になっていた。
「暴れると危ないですよ…」
 桂は坂本がきちんと立っている事を確認すると、その腕をゆっくりと離した。
「す、すまない…」
 坂本はなんと言っていいのかわからなくて、でも口からはそんな言葉が出てくる。
 どういう意味でですか?そう言いそうになって、けれど桂はその言葉を飲み込んだ。
 聞いてどうするっていうんだ…。
「地震、苦手なんですか?」
 聞けずにいたその質問の変わりに、ふと疑問に思った事を桂は口に出した。
「実は…そうなのだ…」
 坂本は小さな声でそう言った。しがみついてしまった手前、ごまかしようがないと思ったのか素直にその弱点を認めたのだ。それに、少し気弱になっていたせいかもしれない。
 桂はその素直さと、その弱点が意外に思えて、次の言葉が出なかった。
「しかし…迷惑をかけてしまったな、見ず知らずなのにすまなかった」
 次に坂本の口から出た言葉で一瞬とまっていた桂の思考は覚醒した。
「見ず知らず…?」
 桂のそのつぶやきは小さくて坂本の耳には届かなかったけれど、その表情の変化には気付いたらしい。
「本当にすまなかった」
 真剣に坂本は謝った。
「…!」
 どういう意味でですか?
 桂の頭の中には再度その言葉が浮かんだ。たぶん坂本が謝っているのは、地震に驚いてしがみついてしまった事と、バランスを崩した自分が支えられた事に驚いて礼より先に逃げを打とうとしてしまった事に対してだ。それは桂にも分かる。いや、充分すぎるほど分かってしまった。
 違う、そんなんじゃない…!
「別にたいした事ではないですから、気にしないで下さい」
 でも、桂はそう言った。そういう他に、何を言っても通じないのは分かっていたから…。
「そうか…」
 少し安心したように言われ、桂の心境は複雑だった。

 結局、一緒に帰る事になったその帰り道、桂は坂本が残っていたちょっと意外な事実を知る事になった。

☆☆☆

「地震が怖くて、高杉先輩の事待っていたなんて…」
 桂は思い出して小さく笑った。
「でも、俺にそう打ち明けた事も、地震が苦手だって知ってるって事も、坂本さんは覚えてないんだろうな…」
 再び図面に視線を戻した時、その視界に電話が映った。
「…」
 何かを思いついたようにペンを置いて立ち上がると、桂は受話器を上げた。
『千太郎~』
 ワンコールもかからないでつながった電話から、少し情けない声が聞こえ、桂の表情に自然と笑みがこぼれる。
「どうしたんですか?坂本さん」
 問いかける桂の声は、とても優しかった。



放課後の思い出
2003.3.18