TeaParty ~紅茶のお茶会~

『世紀末のお茶会』

「5時過ぎの恋人」1234Hit みなるさまへ♪

 その日俺の携帯が鳴ったのはちょうど出先で仕事を終えた帰り道だった。
「はい、緒方です」
 発信者の番号はとても見慣れたもので、俺は急いで電話に出た。
『あ、緒方君。僕だけど、今大丈夫?』
 聞き慣れた優しい声が俺の耳に届いた。
「ちょうど仕事終わったところですから大丈夫ですよ」
 今日は直帰の予定にしてあったから、後は家に帰るだけだった。
『仕事終わったのか…。実は今日、急な仕事が入ってしまってね。帰りが少し遅くなりそうなんだ』
 高杉さんの声は、すまなそうな残念そうな、そんな感じだった。
「残業ですか?…じゃあ、夕飯は?」
 俺はちょっと残念に思いながら、それでもそうと悟られないように聞いた。
『たぶん8時までには終わると思うから家で食べるよ』
 家で食べる、と聞いて俺はうれしかった。
「じゃ、俺、支度して待ってますね」
『ありがとう。また終わったら連絡入れるよ』
 高杉さんのその言葉もなんだかすごくうれしかった。
「わかりました。それじゃ、仕事頑張って下さい」
『ありがとう。それじゃ…』
 電話を切って、俺はちょっとだけため息をついた。ほんの少しだけなのに、一緒にいられる時間が減ってしまったのが淋しく感じた。
 けれどそれは仕方のない事。俺だって仕事で帰りが遅くなることはたくさんある。
 待つっていうのも、それはそれでなんだかうれしい気もするし…。
「残業でお疲れの高杉さんのために、頑張って夕飯を作るとしますか!」
 俺は買い物をして家へと帰った。

「あとは、高杉さんの帰りを待つだけだな」
 俺は椅子に座って時計を見た。ちょうど7時半になろうとしているところだった。
 8時までには、と言っていたから、そろそろ連絡が来る頃だろう。
「まだかなぁ…」
 俺は何となくつぶやいて電話を見つめていた。
"プルルルルー"
 見つめること約10分。電話のベルが鳴って俺はすぐに立ち上がった。
「もしもし」
 ワンコールで俺は受話器をあげた。
『あ、緒方君?』
 電話口から聞こえたのは高杉さんの声だったけれど、心なしか沈んだような感じに聞こえた。
「高杉さん?どうしたんですか?」
 俺は心配になってすぐにそう聞いた。
『ちょっと大きなミスが見つかってね。もうしばらく帰れそうにないんだ…』
 声が沈んでいたその理由は、高杉さんの言葉ですぐにわかった。
「そうなんですか…」
 俺は何と言っていいかわからず、一言だけそう言った。
『僕のではないから余計にわからなくてね。ま、でも終電までとかそんなにはかからなそうだからいいんだけどね』
 ちょっと苦笑いな感じで高杉さんはそう言っていた。
「それはまた、大変なことになってしまったんですね…」
『そうなんだ。遅くなりそうだから先に食べて休んでいていいからね』
 高杉さんの言葉はとても優しかった。
「待ってますよ。だから、頑張ってきて下さい」
 その優しい言葉に俺が返せることといえば待っていることぐらいだから、俺はそう答えた。
『ありがとう…。でも、無理はしないでくれよ』
 やっぱり高杉さんは優しい。
「はい。高杉さんも無理しないで下さいね」
 俺はそう答えて電話を切った。
"ピルルルルー、ピルルルルー…"
 と、その瞬間、今度は俺の携帯が鳴って少しびっくりした。
 誰だ、今頃…。そう思ってディスプレイを見て、俺は再度びっくりした。
「ハットリコーポレーション!?」
 俺はすぐに通話ボタンを押した。

「なんだか不思議な感じだ」
 俺は目の前のビルを眺め、思わずつぶやいた。
 まさかこんな時間にこの場所に来るなんて思いもしなかった。
「でも、びっくりさせることは出来るな」
 何となくわくわくしながら俺はビルの中に入った。
「すみません。カメヤマ商事の緒方と申しますが…」
 入り口の警備員に用件を伝え、俺は歩き慣れたこのビルの中を目的地に向かって歩いた。
「あ、緒方さん」
 俺の少し先の部屋から出てきた人物が、俺を見つけてそう声をかけてきた。
「すみません、こんな時間にわざわざ持ってきていただいて」
 彼は小走りに俺に近づくと、そう言ってすまなそうに頭を下げた。
「気にしないで下さい。おかげで楽しくなりそうですから」
 俺は資料を渡しながらそう言って笑った。
「え?」
「あ、いや、こっちの話です。資料、それで良かったですか?」
 不思議そうな顔をされ、俺は慌てて話を仕事に切り替えた。
「これですよ。良かった、これでひとつ仕事が片付きます。本当にありがとうございました」
 嬉しそうにそう言われ、俺もなんだか嬉しくなる。
「それじゃ、頑張ってください」
 俺はそう言ってその場を後にした。俺にはもうひとつ、行く場所があるのだ。
 ハットリコーポレーション。俺と高杉さんとの出逢いの場所。
 この時間にここにいるのは初めてだった。
 俺はもうひとつ持って来た荷物を抱え、足早に高杉さんの元に向かった。

 入り口からそっと覗くとちょうど高杉さんの背中が見えた。周りに人はいない。どうやら一人で残業のようだ。
 都合がいいな、と思いながら俺はそーっと高杉さんに近付いた。
「あとは…、これだけだな」
 独り言をつぶやき、ため息とともに一休憩に入った高杉さんの背後から俺は声をかけた。
「お疲れ様です」
「お、緒方君!?」
 振り返った高杉さんは驚いた顔をしていた。
「どうしてここに…」
 高杉さんは本当に不思議そうな、信じられないという感じの表情で俺を見ていた。
「へへー。差し入れ持って来ました」
 俺は笑って荷物を差し出した。
「わざわざ?」
 荷物を受け取りながら、高杉さんは再度驚いた顔で俺の事を見ていた。
「そうです!って言いたいんっスけど…実はついでがあったからなんですけどね…」
 俺にとっては資料を届けた事の方がついでだった感じもしなくもなかったけれど。
 ちょっと苦笑いな俺に、高杉さんは優しい笑顔を向けてくれた。
「うれしいよ。ついででも何でも、緒方君が差し入れを持って来てくれた事がね」
 まっすぐな視線でそんな風に言われ、俺はなんだか顔が赤くなったような気がした。
「ありがとう」
 その言葉と一緒にそっと高杉さんの手が伸びてきてドキッとした。
「た、高杉さん…っ」
 しかし俺は引き寄せられ、次の瞬間にはもう唇が触れていた。
"ちゅっ"
 触れただけだったけれど、そんな音が聞こえて俺の顔は一気に真っ赤になった。
「ありがとう」
 そして頭をなでるようにクシュクシュと触りながら抱きしめられ、照れる反面嬉しく思ってしまう。
「まったく…」
 結局俺の口から出た言葉はそれだけで、それ以上は本当に何も言えなかった。

 それから高杉さんの仕事も順調に進み、俺の差し入れも食べ、2人で家へと向かった。
「たとえ残業でも、いつもこうなら楽しいんだけどね」
 電車の中で高杉さんはそんな風に言って俺の事を見ていた。
「ははは。そうっスね」
 俺は笑いながらそう言った。
「それにしてもあの時間に資料持って来いだなんて、相当切羽詰ってたってことかな」
 俺がハットリに行くことになった理由に対し、高杉さんはそんな風に言った。
「ま、おかげで俺は高杉さんを驚かす事が出来たんですけどね」
 電話で用件を聞いた瞬間、俺はすぐにひらめいていた。
「本当に驚いたよ。全然気配を感じなかったからね。それに…」
 高杉さんは一旦言葉を切ってジッと俺の事を見ていた。
「それに、なんですか?」
 だからそう聞いた俺に対する高杉さんの眼差しが変わった。
「ずっと一人で淋しかったからね」
 高杉さんの眼差しはとっても優しい。だから、外でこの瞳に見られるのはすごく弱かった。
 だからさりげなく視線をそらしてしまった。周りの人に変に思われてしまう。
「俺も…」
 少しの間無言になってしまい、思いきって口を開いた時、肩に少し重みを感じた。
「高杉さん?」
 そらした視線を顔ごと高杉さんに向けると、うとうとと舟をこいでいた。
「疲れてるんですね…」
 小さくつぶやいて俺はそっと座り直した。それまで肩に当たっては戻り、当たっては戻り、を繰り返していた高杉さんの頭が俺の肩の上でそのまま止まった。
 俺はなんとなく俯いて寝たふりをした。顔を上げているのはなんだか恥ずかしい。あまり混んではいないけど、ここは電車の中なのだ。
 そしてさっき言いかけた言葉を思い出して、自分でなんだか恥ずかしくなった。もし言っていても高杉さんは聞きそびれてしまったであろう言葉を、心の中でつぶやいた。
『俺も、実は淋しかったんです…』
 今の状況が少し恥ずかしい気もするけれど、高杉さんのぬくもりと、俺の頬に触れるサラサラとした髪の毛の感触が、とっても穏やかで幸せな気持ちにさせてくれた。

「今日も一日、お疲れ様でした。残業もご苦労様です」
 ソファーに座り、少し疲れたように目をつぶっている高杉さんに、俺はそっと声をかけビールを差し出した。
「ああ、ありがとう」
 ゆっくりと開いた目が優しく俺の事を見つめていた。
 その眼差しにさっきよりも優しさを感じるのは、やっぱり家のなかだからだろうか。
「早く休んだ方がいいですよ。疲れたまってるんじゃないですか?」
 電車の中での事を思い出してそう言ったけれど、逆に俺のほうが恥ずかしくなってしまって、それを隠すように俯いたままソファーに座った。
 俺の言葉に高杉さんから返事はなく、俺はそっと顔を上げて高杉さんを見た。
 なんとなく意味ありげに、高杉さんの視線は俺に注がれていた。
「緒方君の隣だったら、疲れも吹き飛ぶんだけどな」
 高杉さんは満面の笑みでそう言った。
「・・・////」
 なんとなく予想はついていた事だったけれど、直接言われるとやっぱり照れる。
「ダメかな?」
 そしてそんな風に訊ねられ、ダメだなんて言える訳ないし、言う理由もない。
「ダメな訳、ないじゃないですか…」
 それでもそう答えるのがなんだか気恥ずかしくて思わず小声で返事をしてしまう。
「良かった」
 そう言いながら高杉さんは俺の隣に座り直した。ソファーが少し沈んで体制を崩しかけたところを高杉さんに引き寄せられてしまう。
「お」
 俺は飲みかけのビールをテーブルの上に置き、引き寄せられるままに高杉さんの肩口に顔をうずめた。
 少し向きが違うけれど、さっきの電車の中での状況とちょうど逆の状態になった。
「さっき、耕作の肩、気持ち良かったよ」
 髪をクシャっとすかれ、そんな事を言われるとうれしくて幸せで…そして恥ずかしくなってしまう。そしてこんな時に呼ばれる名前は、なんだかとってもくすぐったい。
「いつでも、貸しますよ」
 俺はそう言ってそっと腕をまわした。
「うれしいな」
 高杉さんが笑っているのが肩口から伝わる。
 ゆったりと、優しい時間が流れている。
「耕作」
 ふいに名前を呼ばれ顔を上げると、俺を見つめる高杉さんと目が合った。
 数秒、視線が絡み合い、そしてそれが口付けに変わる。触れるだけだったり、深くなったり…。
「耕作」
 時折、名前を呼ばれてドキッとする。
「洋一郎さん…」
 そして、その名前を呼ぶ事にも…。

「耕作…」
 優しいぬくもりに包まれた心地好い気だるさの中、優しい声に呼ばれて俺は閉じていた目をゆっくりと開いた。
「すごく優しい笑顔で俺のことを見つめる高杉さんの顔が目の前に見えて、なんとなく慣れない恥ずかしさを感じた。
「さっき肩を貸してくれたお礼に…」
 一旦言葉を止めた高杉さんの腕が、そっと俺の頭の下に滑り込んできた。
「高杉さん?」
 俺はなんだか分からなくてその名を呼んだ。
「お礼に、腕枕はいかがでしょうか?」
 優しい眼差しと優しい笑顔と、そして優しいその言葉。
「あ…/////」
 俺は瞬間、顔が熱くなった気がした。
 高杉さんの視線は俺の返事を待つかのようにずっと俺に注がれている。
「もったいない位ですよ」
 俺はそう言って高杉さんに笑顔を向けた。
「それは良かった」
 言葉とともにそっと抱きしめられ、俺も抱きしめ返した。
「おやすみ」
 耳元でそっとささやかれた言葉。
「おやすみなさい」
 俺は返事をし、その優しいぬくもりの中で眠りの世界へと落ちていった。



5時過ぎの恋人
2000.8.9