TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

クリスマスロマンス

 それは、とあるイベント会社が企画した、とあるホテルでの演奏会。
 開催はクリスマスのイブと当日の2日間。窓からは宝石箱をひっくり返したような夜景。静かに流れるヴァイオリンの調べ。それらを楽しみながらの豪華なディナー。恋人同士限定の特別な時間。
 ヴァイオリンを弾くのは、世界的に有名なコンクールでの優勝経験を持つヴァイオリニストの月森蓮。奏でられるのはこの時期にふさわしい名曲の数々と甘い愛の調べ。
 そんな演奏会で俺、土浦梁太郎は何故か月森の伴奏をしていた。


 それは本当に偶然の出来事で、友人の結婚式に出席するためにこのホテルを訪れた日に、この企画の打ち合わせをしていた月森と数年振りに再会した。
 久し振り、と挨拶は交わしたものの元々仲が良かったわけではないし、お互い別の用事で時間もなく、それ以上の会話に進まないままその場であっさり別れた。
 それから一週間くらい後だったか、会ったことも忘れかけた頃にまた偶然、別の場所で再会した。今度はお互いゆっくり話す時間はあったのだが、だからと言って懐かしい思い出話に花が咲くわけでは全然なく、ここでも挨拶とお互いの近況報告程度で会話が終了してしまった。
 しばらく沈黙が続き、その沈黙がいたたまれない気分になってきたとき突然、月森からクリスマスの予定を聞かれ、演奏会での伴奏の話を持ちかけられた。

 もちろん、最初は断った。高校の頃の俺たちは顔を合わせればいつでも火花を散らすような犬猿の仲だったし、月森が留学してからの交流はほとんどなかったに等しい。それに指揮者としての道を本格的に進んでいる今、ピアノ伴奏という立場で月森と同じ舞台に立つことに少なからず抵抗があった。
 聞けば企画者サイドから伴奏の候補者は示されているらしく、ならばわざわざ俺に声なんか掛けなくてもいいじゃないかと思ったのだが、クリスマスという特別感のある日程で恋人たちをターゲットに開く演奏会ならば演奏者も男女のペアで、という企画者サイドのよくありそうな考えが、どうやら月森のお気に召さなかったらしい。
 だが、だからと言ってそれで俺を選ぶこともまた納得出来ずに疑問をぶつければ、月森から予想もしなかった答えが返ってきた。
『君となら最終的にいい演奏が出来ることがわかっている』
 その言葉に俺は断るための言葉を失った。
 仲が悪い、意見が合わない、合わせようとしない。だが、最高の演奏をしようと思う気持ちはお互い同じで、そこに至るまでの工程に一切妥協をしないのも同じ。言い合う回数以上に意見を出し合って、一番いいものを選び出し、全力で仕上げる。
 確かに、そうやって月森と共に奏でてきた曲はどれも、演奏後に不満だと思ったことも後悔が残ったこともない。あるとすれば、もっと最高なものを作り上げられたかもしれないという期待だけだ。
 そうなれば断る理由は他に浮かばず、結局のところ今に至っている。
 今日を迎えるまでにも散々言い合ってイライラもさせられたが、まるでそれが嘘のように演奏も曲の仕上がりも完璧で、夜景にも引けを取らない最高にいい音色が響き渡っている。


 1組のカップルが突然のプロポーズを成立させ、即興で曲を奏でるという嬉しいハプニングはあったが、始終幸せそうな雰囲気に包まれたまま大成功で幕を閉じた。
 その雰囲気に中てられた感はあるが、月森との演奏も思いの外、俺の気分を高揚させた。
 興奮覚めやらぬまま控え室に戻れば、月森の表情もめずらしく、目に見えて満足そうだった。
「誘ってくれてありがとうな。伴奏は久し振りで、おまけにいつもと違う雰囲気でちょっと緊張したが、すごく楽しかった」
 素直な気持ちを伝えれば月森も、俺も楽しかったとやわらかい表情を見せた。
 月森と、こんな風に穏やかな言葉を交わし合ったのは初めてだと思う。いつだって、その言葉を素直に受け取れなかったり、上手く言葉に出来なかったりで、本当の心からの言葉は声に出していなかった。
 一言多くて一言足りない今までの会話を、少しもったいないとさえ思ってしまう。
「土浦の伴奏でヴァイオリンを弾いていると、自分でも思ってみなかった音色を奏でていることがある。愛とか、そういったテーマの曲は尚更、いつもと違う気がする」
 確かに、最初に曲合わせをしたときの月森の演奏は、ある意味月森らしい、感情よりも技術が勝った固い演奏だった。だが、幾度か合わせるうちに、技術だけではない音色を響かせるようになっていた。
 そして、それは俺も同じだった。感情的過ぎると言われる俺の演奏だが、月森と一緒に奏でていると、独りで弾いているときよりももっと感情豊かな音色を響かせていた気がする。
 楽団で大勢の音色を合わせることはもちろん楽しいし、それをまとめ上げることにやりがいと喜びを感じるが、自分と相手の二つしかない音色を重ねることは、それとはまた違う楽しさや喜びを感じることが出来る。
「こういったイベント関連での演奏の機会は今までもあったが、あまり意識して弾いていたことはなかったように思う。だが今日は、クリスマスなのだと実感しながら弾いていた。それがとても楽しかった」
 本当に満足そうな顔をした月森を見ていると、俺も本当に楽しかったし良かったと思う。偶然の再会がもたらしたこの2日間を、奇跡だと言っても言い過ぎではないだろう。
「いい雰囲気で演奏出来たよな。それにあの即興、最高だった」
 練習を重ねた曲はもちろんだが、即興で月森と奏でた曲が綺麗な音色を響かせたことがとても嬉しくて楽しくて心地よかった。
「あの演奏はとても自然でよかった。それに君の機転の早さに感謝している。俺は思い付きもしなかった」
 プロポーズは、ちょうど曲が終わる間際に行われた。音色の余韻の中に彼の声が被さり、余韻が消えると会場は一瞬、無音となった。当事者だけではなく他の客も事の成り行きを見守っているような静けさの中、このまま次の曲を弾き始めてもいいのかと悩みかけた瞬間、彼女の返事が会場に響き、俺はとっさに月森を見た。俺がピアノを弾き始めないことに訝しんで振り返ることを期待した通りに月森は軽く振り返り、目が合った瞬間に幸せそうな二人を視線で示し、俺は声には出さずに口の動きだけで曲名を告げた。
「すぐにわかってくれてホッとした。あの曲はピアノの前奏が少ないからさ」
 会場内に満ちた幸せな雰囲気に、音色を添えたいと思った。だがそれにはプログラム通りの曲では合わないと思い、とっさに友人の結婚式で聴いた曲の中からそれっぽくて、でもあまり直接的ではない曲を選び出した。
「土浦と、あの曲を一緒に弾くとは思わなかったが、弾きながら、高校の頃のコンクールを思い出した」
 月森は思い出したようにつぶやき、その顔にそれまでとは少し違う笑みを上らせた。
「ヴァイオリンロマンスか?」
 俺たちが通っていた星奏学院には音楽にまつわる色々な逸話があったが、その中の一つがヴァイオリンロマンスと呼ばれる、コンクールの参加者同士が結ばれたとかいう話だった。詳しくは知らないが、そのきっかけになった曲こそが、偶然にも俺がとっさに選び出した曲だった。
 初めて合わせた曲で、こんなにも心地よく弾くことが出来たことは初めてだった。何を意識することなく、ピアノとヴァイオリンが溶け合うようにひとつの音色を奏でた時間はまさに至福といっても過言ではなかった。
「高校の頃はくだらないと思っていたが…」
 そう言って、月森は微かに笑みを浮かべた。
「今日は、音楽がもたらす奇跡を信じてみてもいいかもしれないと、そんな風に思った」
 真っ直ぐに、俺を見つめてくる月森の表情はいつもと違う。そこに笑みを浮かべている以上に、どこか違う雰囲気を纏っている。
「月森…?」
 呼びかけに答えはなく、月森はゆっくりと俺へと近付いてくる。そして、ふわりと空気が動く気配を感じるほどに近付き、柔らかな髪が頬を撫でていった。
「メリークリスマス、土浦。君と過ごした2日間は、とても幸せな時間だった」
 耳元でそっとささやかれ、覚えず顔が赤くなっていく。言われた言葉は特別なものでもなんでもなく、わざわざこんな風に秘密めいたやり方で伝えてこなくても…と思った瞬間に、更に顔が赤く、熱くなっていくことをはっきりと自覚した。
 違う。これは月森にとって特別な言葉なんだ。だからこそこんな風に、他に誰が聞いているわけでもないのに俺にだけ聞こえるように伝えてきたんだ。
 赤くなった頬に髪ではない柔らかな感触が掠め、近付いてきたときと同じようにゆっくりと離れていく。いつにない近い距離に、心臓は妙にうるさい鼓動を始めた。
「お前…中てられ過ぎだろ、それ…」
 どう反応していいのかわからなくて、いつも通りの悪態が口を吐いて出て行く。でもそこに、いつもみたいな勢いがないことも自覚していた。
「そうかもしれないな。だが俺は、信じてみることにしたんだ」
 何を、と聞く前に、音楽がもたらす奇跡という、月森が言った言葉を思い出した。そして今宵はクリスマス。ヴァイオリンロマンスとか音楽がもたらす奇跡とか、そんなことが起きるにはもってこいのシチュエーションだ。
 やっぱり中てられているんじゃないかと思ったが、月森の言葉とその言動に顔を赤くして鼓動を高鳴らせてしまった自分も人のことは言えない。そして、自分の中のどこにも嫌悪感がないことに気付いてしまえば、更に何も言えなくなってしまった。
「とりあえず、今日の成功祝いに食事でもどうだろうか」
 どこか真剣な顔で告げられたその誘いの言葉に、これはどういう意味なんだろうかと考える。直接、何を言われたわけでもなく、本当に言葉通りに成功祝いの打ち上げと捉えるべきなのか、それとももっと深読みしたほうがいいのか。
 だが、この2日間を奇跡だと思ったことも事実。月森の言動に胸を高鳴らせたのも事実。誘われたことを嬉しいと思っていることも事実。それならば、それがどんな意味であれ俺から断る理由はどこにもない。
「そうだな。まぁ、どこもかしこも混んでそうだけど…」
 いつも通り一言多かった俺の返事に、月森はそれでも嬉しそうに笑っていた。

 演奏会が成功して嬉しいから。恋人たちの幸せそうな雰囲気に中てられたから。今日はクリスマスだから。
 だからきっと何が起こっても不思議ではないんだと思いながら、俺は月森と並んでイルミネーションに彩られた街の中へと歩き出した。



クリスマスマンス
2014.12.22
コルダ話85作目。
初めて書きましたのクリスマス話です!
でもまだL&Rな二人…。
この後のお食事会、そしてさらにその後が気になります!