TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

勿忘草8

 いつものように焦燥感で目を覚まし、目の前に広がる微かにぼやけた天井をじっと睨みつけた。
 心臓は不快なほど早く打ち、それを落ち着かせようと目をつぶり大きく息を吸ったタイミングで、バン、と何かを叩くような音が聞こえ、ハッとして音のする方へと目を向けた。
 隣には土浦が眠っている。ここ最近は背中を向けられていることが多かったが、今日は軽くこちらを向いていた。まだ夜明け前の薄暗さと近視ゆえのぼやけた視界でその表情はよく見えなかったが、なんとなく様子がおかしい。
「……っ、…、……っ」
 何か言いたそうに口が動いているようだが、声は聞こえない。何かにすがろうとしているのか、その手はシーツを握ったり離したりしている。ぼやける視界が落ち着かなくて急いでメガネに手を伸ばし、土浦を覗き込めば辛そうな顔でうなされていた。
 一瞬、目の前の状況が、俺の脳裏に別の映像を浮かばせた。
 薄暗い部屋、ベッドの上、シーツを握り締める手、薄く上気した、その表情……。
「ぅ……」
 だが、小さく、それでも俺の耳に届いた土浦の声で現実に引き戻される。俺は今、何を考えていた? 違うだろう、目の前にいる土浦は辛そうな顔でうなされている。
「土浦?」
 そっと声を掛けてみるが、目を覚ます気配はない。
「土浦、大丈夫か。土浦」
 少し強めに声を掛ければ、まぶたがピクリと震えるのが見えたが覚醒にはいたらなかったようで、まだ辛そうな表情をしている。揺すってでも起こしたほうがいいだろうかと手を伸ばして触れたその瞬間、身動ぐように顔を背けられた。
「や……」
 そして発せられた言葉に、心臓がヒヤリとすくみ上がる。さっきよりもはっきりと聞こえたその声は、拒否を示す言葉と同じ響きだ。
 動揺したまま動けずに土浦を見ていればもう一度まぶたが揺れ、微かに濡れた瞳がその下から現れた。
「月、森…」
 震える声で名前を呼ばれ、返事をしたいのにまるで喉がカラカラに渇いているようで声が出てこない。
「っ…」
 途端、土浦の目が淋しそうに、悲しそうに揺れ、まるですがるような瞳にじっとみつめられた。
 何か言わなくてはと思うのに動揺したままで声が出ず、動くことも出来ずにいれば、シーツを掴んでいた土浦の手がほどかれ、ゆっくりと俺へと伸ばされた。
「月森…」
 さっきよりもはっきりとした声で名前を呼ばれ、そして伸ばされた手は、俺の腕をぎゅっと掴んできた。
「やっと届いた…」
 ホッとしたような顔で俺を見つめてくる土浦に、動揺は更に強くなる。さっき、うなされた土浦を見て浮かんだ映像がまた、チラチラと頭を過る。
「思い、出したのか…?」
 土浦の表情に淡い期待が浮かび上がり、やっとのことで出した声は震えていて、はっきり言葉になった自信がない。抱き締めたい衝動よりも拒否される恐怖のほうが勝って、動くことも出来ない。
「……え…?」
 見上げる視線のままに首をかしげたその表情は妙に幼く感じるもので、だがすぐにハッとしたように掴まれていた腕が離されてしまった。
 動揺するように揺れる視線と離れた手は土浦が俺を恋人としては認識していない証拠で、衝動に負けなかったことは正解だったと思う。そしてこの体勢は更に動揺させるだけなのだろうと、妙に冷静な考えが浮かんだ。
「だいぶうなされていた。大丈夫か」
 淡々と事実を告げながら体を起こして土浦から離れれば、声にはならなかった本心が痛みを伴って全身に広がっていく。だが、この数日で慣らされてしまったのか、どこか諦めにも似た気分も同時に味わっていた。
「夢を、見ていた」
 土浦は真っ直ぐに俺を見たまま、ぽつりとそうつぶやいた。
「ついさっきまでは覚えていたはずなのに、どんな夢だったか思い出せない」
 思い出せない、という一言が、俺の心に重くひっかかる。夢の話だと分かっているのに、記憶のことを言われているようで、心が締め付けられるように痛い。
「うなされていたということは嫌な夢だったんだろう。忘れてよかったのではないか」
 言いながら、自分の言葉にも傷付いた。土浦が思い出せない記憶は、土浦にとって嫌なことだったのだろうかと、そんな風に思えてしまう。
「だが…忘れちゃいけなかった気がするんだ。なんか、そんな気がする」
 起き上がった土浦はさっきよりも真っ直ぐに、まるで俺の中に何かを探そうとするかのようにじっと俺を見ていた。
 土浦は真実を知りたいと思っているのだろうか。俺は土浦に真実を告げるべきなのだろうか。覚えていないその記憶の間に俺たちが歩んできた、きっと今の土浦が覚えているあの頃の俺たちからは想像もつかないような日々を告げる勇気が、俺にあるだろうか。



2020.8.9up