TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

バレンタイン イブ

 それは2月13日の放課後。
 日野の策略によりバレンタインデーのチョコレート作りの手伝い役に駆り出されてしまった俺、土浦梁太郎は家庭科室で女子に囲まれていた。
 たぶん、他の男子生徒からしたら羨ましい状況なのかもしれないが、俺の感想といえば嬉しくもなんともなく、むしろ羨ましいなら変わって欲しいと思うくらいだ。
 チョコレートを溶かす段階で湯煎ではなく直火にかけようとしているのを見れば貰う側に対して同情せずにはいられず、ちゃんとしたものを作れるように指導しなければいけない俺に課せられた役目は思ったより重いのだと気付き、気分はそれ以上に重くなった。
 手を出しては意味がないだろうと口だけで説明するつもりだったが、どうしても手本が見たいと言われ、仕方なくトリュフを作ることになっていた。
 これ、作ってどうしろっていうんだよ…。
 明日はバレンタインデーで、日本では女から男に想いを伝える日で、俺は一応、貰う立場で、だが貰いたい女子がいる訳ではない。
 好きなやつがいないわけではない。ないのだが、その相手も貰う立場であるという時点でこの想いは伝えようがない。
 こういったイベントでは勝ち組であろうその相手である月森の顔を思い浮かべたが、その表情が嬉しくなさそうにしかめっ面へと変わっていくのが想像出来てしまうほどに、こういったイベントに興味がないことも知っていた。ましてや男からチョコレートを貰っても嬉しくもなんともないだろう。
 別に渡す気も告白する気もないけどな。
 渡されることのない運命を辿ることがわかっていながらも出来上がっていくトリュフを眺め、せめてここで作られた俺以外のチョコレートは、ちゃんと想い人の元へと届きますようにと柄にもなく願ってしまった。

 ラッピング用品を買いに行くのだという日野たちとは家庭科室で別れ、俺は一人、帰路についた。
 なんだかんだと遅くまで残っていたせいで校内を歩く生徒はほとんどいない中、どうしてこういうときに限ってという悪いタイミングで月森にばったり会った。
 思わず鞄を持つ手に力が入ってしまったのは、今、目の前にいる月森に渡せるはずもない、出来上がったばかりのトリュフがその中に入っているからだった。
「今日も練習か?」
 目が合っただけで不機嫌な顔はお互い見せなくなったが、にこやかな表情を見せるほどにはまだ至っていない。それでも、会話くらいは普通に交わすし、同じ方向へ向かうのがわかっていれば、なんでもなく並んで歩くくらいまでには進展していた。
「あぁ。君も……君はずいぶんと甘い香りをさせているな」
 たぶん、練習かと続くはずだったのであろう言葉がどこか不機嫌そうな声音の言葉へと変わり、俺は思わず制服を鼻へと近付けたが自分ではよくわからない。
「あぁ、家庭科室にいたからな…」
 甘いと言われて思い付くのはチョコレートの匂いくらいで、だがその理由を説明するのはなんとなく躊躇われて簡潔かつ曖昧な返事を返せば、不思議そうにこちらを見る目が『どうして家庭科室に?』と声もなく語っていた。
「だから、チョコを作っていたっていうか、手伝わされていたっていうか…」
 明日がバレンタインデーだと気付いてない可能性もあるのだと思いながらそう告げれば、案の定、気付いてなかったのか一瞬、不思議そうな顔をしてから、あぁと小さくつぶやいた。
「明日はバレンタインデーか。だが、どうして君が?」
 素朴な疑問だというのはわかるが、真面目な顔できちんと言葉にして聞かれてしまうと返答に困る。元々、誰かにあげるために作ったのではないにしても、どこかに渡したいと思う気持ちはあって、その相手に聞かれているというこの状況が答えを詰まらせる。
「俺は別に…。さっき、手伝わされたって言っただろう」
 俺がそれなりに料理をすることは月森も知っているはずで、だからあまり詳しく説明させるなと思うのだが、月森相手にそれは無理なのかもしれないとも思う。
 なんとなく気まずい空気が流れ、やっぱりタイミングの悪いときに会ってしまったと心の中でため息を吐けば、月森はまだ何かを聞きたいのかじっとこちらを見ていた。
「なんだよ…」
 整った顔というのはこんなとき本当に心臓に悪い。別に顔を好きになったわけではないが、それが好きな人の顔なら尚更だ。
 その視線に耐えられないことを誤魔化すように、言いたいことがあるなら早く言えとそう促せば、しばらく考える素振りを見せた後で月森はやっと口を開いた。
「君はその、誰かから貰って…、いや、なんでもない。忘れてくれ」
 めずらしく言い淀んだその言い方に思わず月森をじっと見てしまえば、言わなければよかったとでもいうように視線が逸らされた。
「貰うわけないだろう」
 どうしてそんなことを聞いてきたのかわからなかったが、貰っていないという事実はどうしても告げておきたくて、忘れてくれといった言葉は聞かなかったことにした。
 自分宛のチョコレートがあの場で作られていたどうかはよくわからないが、もしもそういう意味で渡されたとしても受け取ってはいなかっただろう。
 そして俺が手伝ったあのチョコレートの中に月森宛のものがあったのかもしれないと思えば、微かに胸が痛んだような気がした。
「手伝わされたのを貰っても仕方ないし、たぶん、俺が作ったチョコのほうがうまく出来てたっぽいしな」
 冗談めかしてそう言ったのは、強く否定してしまった言葉と胸の痛みを誤魔化したかったからだったが、自分のその言葉にふと思い付いて鞄の中のトリュフをいくつか取り出した。
「食べてみるか?」
 深い意味を込めないで月森の前に差し出せば、逸らされていた顔が驚きの表情で戻ってきた。
 渡せないと思いつつも材料と一緒にラッピング用の箱も買っていたが持ってはきておらず、無造作に銀紙で包んだだけのそっけない見た目だが、味とトリュフ自体の見た目には自信がある。それに、変にラッピングされているよりこのほうが、月森も手を出しやすいだろう。
「これは、土浦が作ったのか?」
 驚き顔のまま尋ねられ、なんでもない顔で頷いてみせたが思った以上に緊張しているらしく、まるで心臓が耳の側にあるような錯覚を覚えた。
 少しの間があり、この微妙な時期にチョコレートはやっぱり拙かっただろうかと手を引っ込めようとした瞬間、月森は俺の手の中からひとつ、トリュフを持っていった。
「いただきます」
 小さくそうつぶやいて口へと運ばれていくそれを思わず目で追いかけて、ハッとして視線を逸らした。
 それはまるで何かを期待するような視線だったように思え、月森に気付かれて嫌な顔をされるのは避けたかった。
 1日早いとはいえ月森にチョコレートを渡せたことを嬉しく思い、1日早かったからこそなんでもなく食べて貰えたのかもしれないと思った。
「甘いな…。でも、とても美味しい」
 そんな言葉とともにほころぶような笑みを見せられ、一瞬にして顔へと熱が集まったことを自覚した。
 それはよかったとか、俺が作ったものだからなとか、思い付く台詞はあるのに声に出せず、微笑んだままの月森の顔から視線をはずすことも出来なかった。
「もうひとつ貰ってもいいだろうか」
 月森はそんな俺を不審がることもせず、そして返事も待たずに差し出したまま固まっていた俺の手の中からトリュフをもうひとつ持っていった。
 月森はなんでこんなにも嬉しそうに食べているのだろうと疑問は湧いてくるが、その答えは全く出てこない。唯一わかることといえば、俺はそれを嬉しいと思っているということだけだった。
「土浦?」
 一向に返事を返さない俺をさすがに不思議に思ったらしい月森に声を掛けられ、俺はその声と思ったより近くにあった月森の顔に跳び跳ねそうなほど驚いてしまった。
「あっ」
 瞬間、思わず引いた手からトリュフが落ちそうになり、そのトリュフごと俺の手は月森の両手に包まれてしまった。
「気を付けてくれ」
 手袋をした月森の手から、伝わるはずのない体温が伝わってきたような気がしてまた熱が上がっていくのを感じた。
「お前が急に声掛けるからだろう…」
 自分の態度を棚に上げて思わずそんな風に言ってしまうのはもう癖のようなもので、一人で勝手にドキドキして顔を赤くしている自分が情けないし、些細なことに翻弄されてしまうほどに好きになっているのだと気付かされることがなんだか悔しかった。
 暗い帰り道でよかったと思う。お互いの距離は近いが、赤くなった顔はさすがにばれそうにない。
 そっと離れていった月森の手に淋しいようなほっとするような気持ちを抱きながら、手のひらに残っている数個のトリュフを眺めた。
 渡せるはずなどなかったそのチョコレートを月森に食べてもらうことが出来た。気持ちは渡すことが出来ないが、今はもうそれだけで十分だ。
 そう思って鞄の中にしまおうとすれば、今度はその腕を月森に掴まれてしまった。
「君はそのチョコレートを…その、手伝った子たちにもあげたのか? これから誰かに、あげるのか?」
 暗くて月森の表情はよくわからないがその声が真剣であることは伝わってきて、だからそれほど強く掴まれたわけでもないのに、その手を振り解くことが出来なかった。
「誰かにって…別に誰にもあげてないしあげる予定もないし…。家に持って帰れば家族の誰かが食べるんだろうけど…」
 答えながら、月森の行動と言葉に何かを期待しそうになってしまう。そんなことはあるわけがないと思うのに、そうだったらいいのにとあり得ないことを考えてしまう。
「何だよ、そんなに気に入ったのか? めずらしいな」
 だからその期待を封じ込めようと精一杯の皮肉を込めた声を出そうと努力したが、それがうまくいった自信はあまりない。
「確かにとても美味しかった。だがそれ以上に、このチョコレートを誰にも食べさせたくない」
 月森はそんな皮肉めいた言葉にさえ真剣な言葉を返してくる。
 止めてくれ。これ以上、俺を期待させないでくれ。
「なんだよ、それ…」
 崩れてしまいそうな理性を食い止めようと月森から離れようとするが、今度は腕をぎゅっと掴まれてしまう。だからせめて真っ直ぐに向けられている月森の視線から逃れたくて顔を逸らせば、掴まれた腕を不意に引かれてバランスを崩しそうになった。
「なっ…」
 一歩踏み出して倒れるのを踏み止まらせたが、上半身は月森へともたれかかるような状態になってしまっていた。月森はそんな俺を更に引き寄せ、それが当たり前であるかのように抱き締めてくる。
「土浦の作ったチョコレートを独り占めしたいと思うこの気持ちを、君はどう思うだろうか…」
 問い掛けている割にはまるで独り言のような言葉を、わざとなのか偶然なのか耳元でささやかれ、俺は腕の中から抜け出そうと頭で考えるよりも前に身体が動けなくなってしまった。
 月森は今、なんて言った?
 だが聞き返す勇気などなく、その言葉が信じられなくて、思考まで停止してしまう。
「深い意味などないのだとわかっていても、今日がバレンタインデーの当日ではないのだとしても、土浦からチョコレートを貰えたことを俺は嬉しいと思っているんだ」
 そう言うと、月森は掴んでいた手も抱き締めていた腕も解いて一歩離れていった。俯いた視界に、月森の靴がやけにはっきりと映った。
「本気、なのか?」
 目は自然とそれを追いかけ、頭が考えるよりも先に言葉が出ていた。 
「俺が、これはバレンタインデーのチョコだって言ったら、お前はそういう意味で受け取るって言うのか?」
 顔を上げ、手のひらに残ったトリュフをもう一度差し出した。
「あぁ」
 短いが何の間も躊躇もなく告げたれたその返事と、わざわざ手袋を外して触れてきた両手から伝わる体温と、真っ直ぐ揺るぎなく向けられる視線に、これは夢でも幻でもなく現実なのだと認識させられた。
「このチョコレートを全て、貰ってもいいだろうか」
 俺の手を、まるで大事なものでも捧げ持つかのように両手で包み込み、月森は俺の返事をじっと見つめたままで待っている。
「やらない…」
 その視線に耐えられなくて俯いて、俺は手の中に銀紙の包みを隠した。
「月森がそういう意味で受け取るって言うなら、これはやらない」
 触れる月森の手が、俺の言葉に反応して離れていく。
「渡せないって、そう思ったから、だから今日、深い意味なんてないんだって、そう言い聞かせてお前にやったんだ。お前がそういう意味で受け取るって言うなら俺は、俺は…」
 伝えたい言葉を、だがうまく言葉にならない想いを伝えたくて顔を上げれば、離れてしまったと思った月森の手が、もう一度俺の手を握り締めてくれた。
「俺は土浦の、このチョコレートに込められた気持ちが欲しい。そして俺の気持ちを土浦に返したい」
 優しく握られた手に、小さな音を立てて月森の唇が触れた。
 それは思ったよりも熱くて、思った以上に俺の胸を高鳴らせ、思いもよらない涙があふれそうになった。
「明日、ちゃんと持ってくる。だから、バレンタインデーのチョコレートも気持ちも、当日に貰ってくれ…」
 恥ずかしくて真っ直ぐには見つめられなかったが、月森がとても嬉しそうに微笑んだことだけは、その気配で伝わってきた。
「あぁ、楽しみにしている」
 ちらりとその顔を盗み見れば、嬉しそうな微笑みのなか、俺をみつめている目が本当に優しくてドキリとした。
 月森でもこんな表情をするのだと初めて知り、そんな表情をさせているのが俺なのだと思えば恥ずかしくて嬉しくて、だがやっぱり恥ずかしくて顔に熱が上がっていく。
 そしてついさっきまで片思いだと思っていたこの気持ちが両想いに変わったのだと気付いて、更に恥ずかしくなった。
 なんだ、この急展開…。
 恥ずかしくて、顔が熱くて、それなのに月森はなんでもない顔で嬉しそうに笑っているのがなんだか悔しくなってくる。
「そろそろ帰ろうぜ…」
 だからそう言って先に歩き出す。帰り道の途中だったはずなのに、俺たちは一体どれだけ立ち止まっていたのだろう。
 握り締めたままだったトリュフをそっと鞄に戻せば、何もなくなった手に月森の手が絡んでくる。
 そのさり気ない仕草にまた顔が熱くなったような気がしたが、気付かない振りで俺もそっと絡め返した。



バレンタイン イブ
2012.2.14
コルダ話71作目。
LRのバレンタインです♪
でも前日話…なので、当日はご想像にお任せです^^
そしてアップは当日になってしまいました^^;