TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

たゆたう熱におぼれる夏 *

「練習するんじゃなかったのかよ…」
 空調の効いた部屋に二人きり、ついでに言ってしまえばシーツの上、というかつまりベッドの上。
「練習もするさ」
 言いながら涼しげな笑みを浮かべた月森の顔が近付いてくる。
 恋人同士の二人がベッドですることなんて、選択肢は限りなくひとつに近い。
「さっきまでへばってたくせに…」
 口ではそう言って呆れた顔を向けながら、それでも近付く月森を甘受するのは、俺もそれを望んでいるから。
 唇が触れ、たまらなく幸せだと感じるこの瞬間が好きだ。

 一緒に練習しようと約束していた月森と、久し振りに外で待ち合わせをした。
 待たせるつもりはなかったが不運にも途中で電車が止まり、予定よりも15分くらい遅れてしまった。
 連日のように続く暑さに、涼しいところで待っていてくれと連絡していたメールには、カフェで待っていると返事がきていた。
 ゆったりとした雰囲気の店内にあって、遠目に見てもすぐにわかる凛とした、まるで外の暑さなんて関係なさそうに見える後ろ姿はやけに目立つ。
 故に集まる数多の視線は、全身から発せられる無言の近付くなオーラできれいに一蹴しているからすごい。
「悪い。遅くなった」
 そのオーラを無視して声を掛ければ、月森は不機嫌を隠しもしない表情で振り向いた。
「いや、大変だったな」
 掛けられた言葉で、不機嫌の原因が待たされたことではなさそうだとほっとしたが、ならばどうしてこんなにも不機嫌そうなのだろうと思う。
「電車が止まったついでに電気も冷房も止まってさ。5分くらいだったけど、めちゃくちゃ暑かった」
 疑問はとりあえず置いておき、ついさっきまで陥っていた状況を説明すれば不機嫌顔は更に増し、眉間にシワまで寄せられた。
「大丈夫だったのか?」
 その声に、軽い話のつもりだったが過度に心配させてしまっただろうかと思う。月森はいつだって人の言葉を真剣に受け止め過ぎて、いまだに言葉選びの加減がわからないときがある。
「この暑さで冷房が止まるなんて、想像したくもない」
 だが、続いた言葉に、そうでもなかったのかもしれないと思い直す。本当に、月森の思考は時々読めなさ過ぎる。
「満員電車だったら、もっと暑かったかも」
 だから更に冗談めかしてそう言えば、月森は更に眉間のシワを増やしたから、俺は思わず笑ってしまった。
「君はよく笑っていられるな」
 さっきは、暑さなんて関係なさそうだと思ったが、それは雰囲気だけで実のところ暑さにはあまり強くないってことを思い出した。不機嫌な原因はたぶん暑さのせいだ。
「部活で外の練習も多かったし。それに、夏生まれだしな」
 対する俺は、それが理由になるのかどうかはよくわからないが、夏は好きだし、暑さも得意なほうだ。
「夏はヴァイオリンにも影響が出やすいから、余計に気を使う」
 確かに、楽器は気温や湿度の影響を受けやすく、ピアノが置いてある俺の部屋も空調には気を付けている。楽器のために部屋を快適にすればするほど、外の暑さ寒さが身体に堪えるようになるから、悩ましい問題だ。
「今年は特に暑いしな」
 暑いという言葉を口にすれば、月森の顔がまた不機嫌になる。本当に暑いのは苦手らしい。
「だが、ずっとここにいるわけにもいかないな。そろそろ出よう」
 意を決したように、それでもまだ不機嫌顔のまま月森が立ち上がる。
 別に時間的な制約があるわけではなかったが、たぶん、集まる視線がそろそろうっとうしくなっているのだろう。

 話しながら外へ出れば、容赦ない陽射しが照りつける。だが、さっきの口振りのわりに、月森は涼しい顔をしている。
 隠しもせずに思い切り不機嫌な表情を見せるのは誰かと対峙しているときだけで、それ以外はあまり表情を変えることもない。主に女性を惹き付ける整ったその外見は、ものすごく悪い言い方をしてしまえば、人を騙す一因となっている。近づくなオーラでさえ、逆に更なる魅力となるからすごい。
 そして口を開けば正論を容赦なく並び立てるから、ギャップが悪い方に働いて誤解をさせ、なんでもそつなくこなしてしまいそうな表情や態度がそれに拍車をかける。高校の頃の俺は、その最たるものだった。
 月森の本質を知ってしまえば、ちょっと表現が不器用なだけということがわかるのだが、それをまったくもって気付かせない無意識の完全武装は、人から見られることが身近にあり過ぎた弊害なのかもしれない。
 まぁでも、月森には悪いがそのまま誤解をさせていてくれと思っていたりすることは内緒だ。ライバルはこれ以上増えてほしくない。

 そんな涼しげにさえ見えていた月森の顔だったが、家に着いたときには不快というより、辛そうな表情へと変わっていた。
 熱中症とまではいかなくても、不調をきたしているのは間違いなさそうだった。
「大丈夫か?」
 とりあえずスポーツドリンクを飲ませてベッドに寝かせた月森の頬に触れてみれば、伝わる体温はいつもより少し高く感じた。冷房を入れて部屋は涼しくしたが、そう簡単に身体は適温にならないのだろう。
 普段の体温はどちらかといえば高い方ではなく、月森が暑さに弱い要因はそこにもあるのだろうか。
「すまない」
 答える声も少し弱かったが、着いた頃に比べれば幾分か顔色はよくなっている。だが、大丈夫という言葉が返ってこなかったところをみると、まだ調子はよくないのだろう。
「気にするな。ゆっくり休めよ」
 触れたままだった手に、月森の手が重なってきて、そのまま緩く握られてしまった。
「もう少しだけ…」
 そうつぶやいて、月森は目をとじる。
 普段、こういった接触はほとんどなく、外に出ればまったくない月森から見せられた態度にほだされて、俺はその手をほどけなくなってしまう。それに触れたのが、それが体温を確かめるという理由だとしても、俺の方が先だったことを思い出せば、弱った月森を無下にすることなど更に出来なくなる。
 月森の手のひらと頬と、少しだけ上がった気がする自分の体温と、その微妙に違う温度に翻弄されながら、俺は見慣れた天井を意味もなく見上げていた。

 そしてどのくらい経ったのか。
 そろそろ首が痛くなってきたなと思ったタイミングで握られた手を急に引かれ、危うく月森の上に倒れ込みそうになるのを、逆の手をベッドに着くことで回避した。
「っぶないなぁ」
 目の前には、すっかり顔色は良くなり、揺るぎなく真っ直ぐな視線を向けてくる月森の顔がある。
「せっかくの君との練習時間をつぶしてしまったな」
 その近さのまま、俺の文句など気にも留めていなそうな言葉が返ってくる。そのいつもの様子に、俺は少し安心した。
「たいしてつぶれてないだろう。具合はもう大丈夫か?」
 声も表情もいつも通りなことは解っていたが、それでも一応、言葉でも確かめておこうと思うのは、月森の表情から読み取れる情報が少ないからだ。付き合いが長くなったとはいえ、無意識の完全武装を見破るのは、まだ少し難しい。
「あぁ。大丈夫だ」
 言いながら、月森の目が少し細められ、口角がわずかに上がる。普段はあまり見せることのない笑みの表情に、それが目の前過ぎるからこそ、ドキリとさせられる。
 そして、握られたままだった手がゆっくりと離され、体勢を直そうと浮かせた瞬間に、今度は手のひらから指を絡めるようにして握られてしまった。
 さすがの俺も、この体勢で間近で真っ直ぐに見つめられれば、月森の意図は読み取れる。
「練習するんじゃなかったのかよ…」
 さっきは練習時間がつぶれたとか言っていたくせにと心のどこかでは思いながら、絡められた指を絡め返す。それだけで十分、俺の意思は伝わるだろう。
「練習もするさ」
 その思いを違えずに読み取った月森は、涼しげな笑みを浮かべた顔を近付けてくる。
「さっきまでへばってたくせに…」
 口ではそう言って呆れた顔を向けながら、俺も月森との距離をつめる。落ちる瞼とは逆に、唇はゆっくりと開いていく。
 唇が触れた瞬間、身体中が幸せな気持ちで満たされるのを感じる。だがそれは始まりに過ぎなくて、もっともっとと心が叫ぶ。
 幸せだから、嬉しいから、好きだから、もっと欲しい。

「君の中は、熱いな」
 熱に浮かされたような月森の声が、熱に溺れた俺の耳に届く。
 とろけそうな笑みに彩られた月森の表情が、俺の心も身体もドロドロにとかしていく。
 触れる肌が熱い。まとわりつく空気が暑い。背中とシーツの間に熱が溜まり、俺は身体を浮かせて目の前の熱にしがみつく。
 ポタリ、ポタリと落ちてくるその汗が、どちらのものかもうわからない。
「あ、つぃ……もっ……とぉ」
 熱い、暑い、熱い、でもまだ足りない。もっと、もっと、更にもっと。
 もうそれ以上、何も考えられない。
「だがこの熱は、本当に心地いい」
 遠くなる意識の中、月森の言葉だけがとても鮮明だった。


たゆたう熱におぼれる夏
2019.9.16
コルダ話96作目。
夏にアップしたいと書き始めたのに
1年越しで夏というより初秋となりました。