TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

祝福の時間

『土浦…』
 懐かしい声に呼ばれたような気がして、俺はゆっくりと目を開けた。

 目を開けたのに視界は暗く、まだ夜中なのだろうかと考えたところで身体が妙な痛みを訴えてきた。
「いてて…」
 動けばその痛みは増し、だがそのままの体勢でいるのも辛くて少し顔を上げれば、目の前は白と黒の世界だった。
「中途半端なところで音が止まったと思っていれば…」
 白と黒が鍵盤だと認識したと同時に聞こえた声に振り向けば、そこには呆れ顔の月森が立っていた。
 その状況がいまいち飲み込めずにまばたきを繰り返しながら手繰った記憶の糸により、少しずつ色々なことを思い出してきた。

 夏休みを利用しての渡航を思い立ったのは7月に入ってからで、その行き先は自然とウィーンになった。
 そこが音楽を目指す者ならば誰もが憧れる都市であることも理由のひとつだったが、そこに月森がいるからという個人的な理由が勝っていたことは否定出来ない。
 月森がウィーンへと留学してからのやり取りといえば月に数度の電話とメールくらいだった。
 その中でなんとなく夏休みの予定を聞けば日本へ帰ってくる様子はなく、それならば俺が逢いに行ってやろうとそんな風にも思った。
 夏休みに入ってすぐ俺はウィーンへと旅立ち、彼の地へと降り立ったのが昨日の夕方だ。
 そこから今に至るまでのあれこれを一気に思い出し、俺は思わず呆れ顔で見つめてくる月森を睨んでしまった。

 空港で月森と待ち合わせ、そのまま月森の部屋へと向かった。
 案内された月森の部屋は必要最低限のものしか置かれておらず殺風景だったが、それが妙に月森らしくて落ち着くことが出来た。
 長い空の旅と時差で身体は疲れを訴えてきていたが、初めて感じる空気と雰囲気、そして期待感に気分は高揚していた。
 おまけに久し振りに聞く電話越しではない月森の声や間近で見る月森の眼差し、触れる体温の熱さに煽られてしまえば気持ちを止めることなど出来ず、俺は自分から月森へと触れてしまった。
 だから時差ボケだけではない身体が訴えてくる疲れは月森の所為だけとは言えなかったが、もう無理だと言った俺の言葉を無視した責任はあるだろうと思わずにはいられない。

 途中からは記憶もあやふやで、気付けば月森の腕の中で朝を迎えていた。
 どうしたってその行為による負担はこちらのほうが大きく、身体への疲労が溜まってしまうことは避けられない。
 だからピアノを弾きながら寝てしまうという、普段ならば考えられない失態を見せることになってしまった。
 だが、なんだかんだ言っても月森に逢えたことは嬉しいし、こんな風に傍にいられることもやっぱり嬉しいと思う。
「誰の所為だよ…」
 どうしてもなくならない気恥ずかしさ半分で文句の言葉を口に出せば、月森は俺の所為ではないと言わんばかりの涼しい顔を返してきた。
 その表情で会話が出来るのも傍にいるからこそで、こんなやりとりさえも愛おしいと思ってしまうあたり、俺はだいぶ月森にほだされているらしい。

 わざとらしく大きなため息を落としながら月森を見上げれば、どこか遠慮がちに手が伸ばされた。
「久し振りに君に触れたんだ。仕方ないだろう」
 どうやら俺が考えているよりは反省なり後悔なりの気持ちはあるらしい。指先だけで頬に触れてくるその態度に、思わず笑みがこぼれてしまうことは止められなかった。
「それに、あんな風に誘われたら我慢など出来ない」
 だがそのストレートな物言いと自然と近寄ってきたその距離に、俺は思わず椅子の上を滑るように身を引いてしまった。
「お前、一言多いんだよっ」
 月森がわざわざ言葉に出さなくてもいいことまで伝えてくることはわかっているはずなのに、いつまで経っても慣れることがない。
 赤くなったと自覚のある顔を隠したくて俯けば、微笑んだのであろう気配を頭上に感じた。

 引き寄せられるように抱き締められれば身構えてしまうものの、その腕から逃れる気は最初からない。
 結局、いつだって俺は月森の強引さを許すふりをして、その強引さを心のどこかで望んでしまっている。
「ずるいよな、お前…」
 聞こえないように小さな声でつぶやけば、それでもその気配を感じたらしい月森に顎を捉えられ、上を向かされてしまう。
「逢いに来てくれて、ありがとう」
 真っ直ぐに見つめられながら伝えられるその言葉はやっぱり恥ずかしかったが、それ以上に嬉しいと思うからそっと背中に腕を回すことでその気持ちを伝えた。

 月森に逢うのは久し振りとはいえこんな態度を取るのは初めてで、慣れない土地であることや今までにない二人の距離感に、俺は少し素直になっているのかもしれない。
「お前が夏休みも帰らないとか言うから、逢いに来てやったんだ」
 だから文句の言葉も交えつつ、本当の気持ちも言葉にして伝えた。
 帰国しないであろうことは予想がついていたから別に文句はない。ただ、ほんの少しだけ、もしかしたらという期待はあった。
 この日程でウィーンに来た理由を、明日が何の日かを、月森はわかっているのだろうか。

 月森越しに見えたデジタルの時計は、今日の日にちと今の時間を示している。
 夕方になってもまだそれほど傾いていないこの太陽が沈み、真夜中を過ぎて日付が変われば俺の誕生日だ。
 傍で祝って欲しくて、少しでもいいから一緒に過ごしたくて、俺はウィーンまで来てしまった。
 逢いに来てやったわけではなく、俺が月森に逢いたかったんだ。
 だがそれを言葉に出すことなど出来ず、明日になっても気付いてもらえなかったら文句を言ってやろうと思いながら月森へと体重を預けた。

 ふいに抱き締めてくる腕が緩んだと思えば月森の手に頬を包み込まれ、触れるだけの小さなキスが落ちてきた。
 突然のことに目をつぶる暇などなく、小さな音を立てて唇が離れてやっと、俺はひとつ瞬きをしたくらいだった。
「誕生日、おめでとう」
 微笑んだ月森から発せられたのはその一言で、俺は意味がわからず瞬きを繰り返した。
 それが明日なら意味がわかる。だが、今日であることの、そして今、急にこのタイミングで言われたことの意味は何も思い付かない。
「俺も日本時間に合わせてみた。誰よりも先に俺へと伝えてくれた君のために」
 まさか勘違いしているのではないだろうかと疑念を抱いた瞬間、月森はその答えを教えてくれた。

 今年の月森の誕生日には、俺が真夜中に電話を掛けてその言葉を伝えた。
 逢って直接、顔を見て言えない代わりに、誰よりも一番におめでとうと言いたくて俺は月森のいるウィーンの時間ではなく日本時間で誕生日を祝うことにした。
「覚えていて、くれたんだ」
 気付かなかったら、なんて思った自分がなんだか恥ずかしくなる。

 きっと月森は、この時間になるのを待っていたんだろう。
 そう思えば本当に嬉しくて、でもそれにどう言葉にしていいのかわからなくて瞬きを繰り返しながら月森を見つめていた。
「当たり前だろう。他の誰でもない、君の誕生日なのだから」
 紡がれる甘さを含んだ言葉がくすぐったい。あまり見せることのない、微笑むようなその表情が妙に照れくさい。
「ありがとう」
 俺はそんな気持ちを隠すように目をつぶり、勢いに任せて月森へとキスを返した。

 触れてくる手を、あたたかいと思う。
 抱き締めてくれる腕を、本当に嬉しいと思う。
「月森…」
 俺の名を呼ぶその声をもっと聞きたくて、俺は抱き締め返しながらその名前をそっとささやいた。

「土浦、おめでとう。そして、ありがとう」
 耳元でささやかれた優しいその声に、俺はゆっくりと目を閉じた。



祝福の時間
2011.7.25
コルダ話66作目。
つっちー、お誕生日おめでとう~♪
今年の月森君誕生日話から3ヵ月後の設定で書いてみました。