TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

其れは林檎落ちるよりも速く

 たくさんの楽器の音色が溢れる学院の中で、ふと耳に届いたヴァイオリンの音色。
 聴こえるどの曲よりも完成度は高く、よく言えば楽譜に忠実な、安定した演奏だ。
 音楽科でヴァイオリンを弾く生徒全員の演奏を聴いたことがあるわけではないが、そんな風にヴァイオリンを弾く人物は、今のところ一人しか思い浮かばない。
 もう少し感情が伝わるような演奏をしてもいいだろうにと思いはするものの、まぁ、そうじゃないところがあいつらしいかと思う。
 お手本のようなその音色に誘われて、俺は練習室の窓が並ぶその場所へと自然に足を向けた。目的の音色が聴こえる窓の前で立ち止まれば、そこには思い描いていた月森の後ろ姿があった。
 その立ち姿もまるでお手本のようだから、ある意味すごい。
 すごいとは思う。巧いことも認める。だが、どうしてもその音色も演奏も好きになれない。それならば嫌いだと言ってしまえば話は簡単なのに、だが何故か嫌いにもなれない。なれないからこうやって、この音色を聴きに来てしまう。
 そんなことを考えていると、不意に月森の演奏が止まった。
 俺は無意識に月森のことをじっと見ていたのだと気付いて、思わず窓の下に隠れるようにしゃがみ込んだ。そこから気配を窺うが月森が窓の外を見に来る様子はなく、俺はほっとしながら壁にもたれ掛かるようにして座った。
 程なくして月森の演奏は再開されたが、それはさっきの続きではなく全く違う曲で、どちらかといえば技巧的な曲を好む月森のイメージとは違う曲だった。
 練習室の窓の下、俺はその演奏をじっと聴いていた。目をつぶって神経を集中すれば、聴こえてくるのは月森のヴァイオリンの音だけになる。
 月森の演奏に、その音色に、訳も分からず胸が高鳴っていく。
 聴こえてくる音色は、それまで聴いてきた月森のものとはどこか違う。まるで誰かに語りかけるような、何かを伝えようとするような、そんな音色だと思える。
 そんな相手が月森にもいるのだと、だからこんな音色を奏でているのだと、そう気付いた瞬間に胸の高鳴りは何故か激しい痛みへと変わった。
 この音色は俺に向けられたものじゃない。俺に向けられるわけがない。そんなことわかっているはずなのに、それがどうしようもなく悲しい。
「土浦…」
 不意に名前を呼ばれて顔を上げれば、窓から身を乗り出すようにこちらを見ている月森と目が合い、瞬間、頬を涙が伝う感触に俺は慌てて顔を伏せた。
 ヴァイオリンの音色が止んだことに気付かなかったことにも驚いたが、涙があふれていたことにものすごく動揺した。その顔を見られたのかどうはわからなかったが、月森に何かを言われる前にとにかくこの場を立ち去りたくて立ち上がれば、一歩を踏み出すよりも少し早く月森に腕を掴まれて驚きにまた振り返ってしまった。
 涙のせいで視界がぼやけることを悔しく思う間もなく掴まれた腕が強い力で引かれ、目の前が淡い白に埋め尽くされる。抱き締められたのだと気付いて驚きに涙は止まり、それなのに驚き以上に悲しさがあふれてきて月森を突き放せば、驚きの次に見せられたのは何故か泣きそうな表情だった。
「すまない…」
 だがその表情は一瞬にして消え、月森は俺を窓際に残したままヴァイオリンの元へと戻り、まるで何事もなかったように淡々と片付けを始めた。その後ろ姿を見つめていればまた悲しくて心が切なくなる。
「月、森…、月森っ!」
 なんでとかどうしてとか、そんなことを考えるよりも前にその名前を叫べば、たった数歩を走ってきた月森にさっき以上の力で強く抱き締められた。
 月森の演奏を聴いていたときと同じように胸が高鳴る。この胸の高鳴りは、俺の気持ちが月森へと向かっているからだ。
 素直に自分の気持ちを認めれば、抱き締められているその腕から演奏以上に月森の気持ちが伝わってくるような気がする。
 それを嬉しいと、幸せだと思う。
 だから俺は腕を伸ばして、引き寄せるように月森を抱き締め返した。



其れは林檎ちるよりも
2012.12.11
コルダ話77作目。
練習室の窓というシチュエーションは大好きです!
そしてくっつく瞬間という設定も大好き!!