TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

忘れられない1日

 渡したいものがあるからと、そんな電話で月森の家に呼ばれた。
 今日は7月25日、俺の17歳の誕生日だ。
 月森は何の日かわかっていて俺を呼んだのか、それともただの偶然なのか。俺は月森の家へと向かいながら、ずっとそんなことを考えていた。
 学院内で開かれたコンクールで初めて出会い、言い合いと対立を何度も繰り返し、そしてお互いの演奏を認め合った。
 奏でる楽器は違ってもいいライバルになれると思っていた俺に月森はそれ以上の意味で告白をしてきて、俺は月森のその言葉で自分の気持ちを自覚した。
 それはまだつい最近のことで、だから別に何かを期待しているわけじゃない。ないが、気持ちはどこか浮き足立っている。
 月森が俺の誕生日を知っていたのならもちろん嬉しいが、もし知らなくて偶然だったとしてもそれはそれでやっぱり嬉しいと思う。
 まさか自分がこんな風に思うことになるなんて、一年前の今日には想像すらしていなかった。
 子供の頃に感じた誕生日のワクワク感とはまた違うドキドキした気持ちが、まるで俺の全身を支配しているような気分だった。

 なんとなく落ち着かない気持ちのまま、俺は月森の部屋にいた。
 飲み物を持ってくるからと月森は部屋を出て行き、一人残されると静かな部屋に自分の心臓の音だけが響いているような気になった。
 壊れてしまうのではないかというくらいに心臓が高鳴り、空調の整えられた部屋だというのに意味もなく顔が熱くなってくる。
 そういえば外が暑かったかどうかすらよく覚えていない。夏だし晴れていたし絶対暑かったはずなのに、そんな気温や陽射しの強さなど考えている暇がなかったのだと気付けば、俺の顔は余計に熱を帯びていった。
「待たせてすまない」
 自分の気持ちに自分で動揺していればいつの間にか月森が戻ってきていて、俺は必要以上に驚いた態度で月森を迎えてしまった。
「え、あ、いや、そんなことは…」
 しどろもどろな返事を返しながら、顔だけではなく全身が熱くなっていくのを感じてしまう。
「部屋が暑いだろうか…それとも冷房が効き過ぎているか?」
 月森はグラスの乗ったトレーをテーブルに置くと、不意に俺へと手を伸ばしてきた。ひんやりと冷たい手が頬に触れ、その冷たさが頬との温度差を伝えてくる。
「顔が赤い…」
 わかっている事実を真顔で告げられれば恥ずかしく、それがまた顔を赤くする原因になってしまう。
「いや、だからこれは…」
 月森の言葉からすると、月森には俺の恥ずかしさも緊張もあれこれと考えてしまう思考も全然わかっていないのだろう。だからといってそれを懇切丁寧に説明することなど余計に恥ずかしくて出来る筈もなく、察してくれと願うこともまた、無理な話なんだろうと思う。
 いや、察していたらそれはそれでもっと恥ずかしいからそれもやっぱり勘弁だ。
「そんなことより、用件はなんだよ」
 触れる手から逃れるように俯き、どうにも居た堪れない気分で話題を変える言葉を早口で告げれば、月森の手はゆっくりと離れていった。
 逃げたかったはずなのに、恥ずかしかったはずなのに、離れてしまえばなんだか淋しい。
 そして月森がその場から立つのが俯いた視界に映り、それは小さな痛みを俺の胸へと伝えてきた。
 視界から月森の足が完全に消えて思わず顔を上げれば、数歩移動した月森はすぐに踵を返し、何事もなかったようにまた同じ目線の高さへと戻ってきた。
「これを君に渡したかったんだ」
 そう言って目の前に差し出されたのは小さなリボンの付いた紙袋だった。
「今日は土浦の誕生日だろう。プレゼント、というほどのものではないんだが…」
 思わず月森の顔を凝視してしまえば、無表情に見える端正な顔が少しやわらかなものへと変わっていて、その目は真っ直ぐに俺のことだけを見ていた。
「受け取ってくれないだろうか」
 どうやら思考を手放しかけていたらしい俺の耳に月森の声が届き、俺は慌ててその紙袋へと手を伸ばした。
「ありがとう。俺の誕生日、知ってたんだ…」
 ここまで来る道中にずっと考えていたことに答えが出て、偶然ではなかったその事実が思った以上に嬉しかった。
「開けてもいいか?」
 受け取ったその紙袋はなんとなく覚えのある厚みと重さと大きさで、早くその中身を確認したくて尋ねれば、月森は嬉しそうな顔で頷いてくれた。
 過剰な包装はされていないそれを出来るだけ丁寧に開ければ、そこには2冊の楽譜が入っていた。
 予想通りといえば予想通りのその選択に思わず笑みが零れ、だがその楽譜を見て俺は少し驚いた。1冊はピアノ曲の楽譜、そしてもう1冊はヴァイオリン曲の楽譜だった。
「君の誕生日なのだからピアノ譜を贈ろうと思いながら選んでいたんだが…。君に弾いてほしい曲もたくさんあって、でもそれ以上に俺は同じ曲を共に奏でることを願ってこの楽譜を選んでしまった。だからプレゼントというよりは俺のわがままになってしまうのかもしれないが…。それでも、受け取ってくれるだろうか?」
 少し不安そうな顔を見せ、月森は楽譜を持つ俺の手にそっと触れてきた。
 途端、ずっと高鳴ったままだった自分の鼓動を意識させられたが、それと同じ速さの鼓動が触れる月森の手からも伝わってきた。
「俺と、一緒に?」
 まだお互いに対する気持ちが今と正反対だった頃に一度だけ、けんかを吹っかけるような言葉の延長で一緒に弾いたことはあった。それはお互いにひどく自分勝手な演奏で、お世辞にもいい演奏などとは到底、言えないものだった。
 それ以来、月森と一緒に演奏したことは一度もなかった。
「君と二人でひとつの音色を作ってみたい」
 今なら、今の俺たちなら、一体どんな音色を奏でられるのだろうか。
「俺と土浦にしか奏でられない音色を聴いてみたい」
 真っ直ぐな言葉から、触れるその体温から、見つめる眼差しから、月森の気持ちが痛いほどに伝わってくる。それが俺の心を、身体を、甘くさせる。
「ありがとう…」
 嬉しくて思わず楽譜を胸に抱え込めば、その楽譜ごと月森の腕の中に抱き締められた。
 月森から伝わるのはさっきより少し早めの鼓動で、俺の心臓はたぶんそれよりも早い速度で高鳴り続けていた。
「ありがとう。凄く嬉しい…」
 こんなに近くで月森を感じるのはどうしようもなく恥ずかしかったが、それでもこの気持ちをちゃんと伝えたくて、俺は月森の服をそっと握り締めながら気持ちを声に出した。
 楽譜はもちろんのこと、月森の気持ちが本当に嬉しい。その気持ちが、本当に何よりの贈り物だと思った。
「今度、ピアノの連弾もしてみようぜ…」
 二人で奏でる音色は、どんな風に響くだろう。
 この先、一体どれだけの曲を一緒に弾くことが出来るだろう。
 そのすべてが、考えるだけで愛おしくてたまらない。
「早く、合わせてみたいな」
 そう思って声に出せば、月森の腕はそれまで以上の強さで俺を抱き締めてきた。
「もう少し…こうしていてもいいだろうか」
 月森にしては少し遠慮がちな声が聞こえ、俺はどっちを望むだろうと心の中で考えてみる。
「俺も…」
 だが、考えるより前に、俺の腕は月森のことを抱き締めていた。
 それ以上の言葉は恥ずかしくて続かなかったが、今日くらいは素直になった方がいいような気がする。
「ありがとう…」
 月森の声を耳元で聞きながら、忘れられない1日がまた増えたことを嬉しく思った。



忘れられない1日
2012.7.25
コルダ話75作目。
つっちーお誕生日おめでとう~♪
月誕とは打って変わって初々しいお話になりました^^