TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

小さな記念日

 部活を終えた帰り道。
 夏休み中は教室へ寄る必要もなく、部室から直帰出来るにも拘らずわざわざ遠回りしてまで音楽科棟の校舎裏から正門前へと向かったのは、たぶん小さな期待。
 もしかしたら、練習室にいるかもしれない。いたら、話をすることが出来るかもしれない。
 それが今日だからこそ、叶って欲しいと思う。
 そんな、小さな期待。

 夏休みが始まる少し前、俺は月森に告白された。いわゆる、恋愛感情という意味でだ。
 コンクールを経て俺たちの関係は普通の同級生くらいにはなっていたが、友達や親友を飛び越えてまさか告白されるだなんて思ってもみなかった。
 出会った当初のような嫌悪感はもうない。俺とは違い過ぎる音楽性も認められるようになった。人間性にちょっと難があるとは思うものの、別にそれを否定するほどではない。
 奏でる楽器も目指すものも違うからいいライバルくらいにはなれるだろうと思っていた俺とは全く違う想いで、月森は俺のことを見ていたらしい。
 そんな月森の想いに対し驚きはしたものの、嫌だとか変だとか、そんな風には不思議と思わなかった。だからと言ってその想いを素直に受け取ることも出来ず、俺はまだ明確な返事を返していない。
 そして返事も自分の気持ちもうやむやのまま夏休みが始まり、それは偶然に会うことのない日々の始まりでもあった。
 元々毎日会っていたわけではないが、学院にいても同じ敷地内にいるかどうかすら分からない状況は初めてで、それが妙に俺を不安にさせた。
 だから毎日、気が付けば月森のことを考えていた。何をしていてもどこにいても、考えるのは月森のことばかりだった。
 頭の中も心の中も月森でいっぱいになってやっと、俺は自分の気持ちを自覚することになった。

 練習室の傍まで来ても、窓はどこもぴったりと閉められていて楽器の音は何も聴こえてこない。
 コンクールの練習で利用していた頃は開け放した窓から音色が洩れ聴こえていたが、さすがに気温も湿度も高いこの季節に窓を開けて練習するような物好きはいないらしい。
 夏休み中だというのに練習室の利用率は高く、そのひとつひとつの窓を怪しまれない程度に覗いていけば、窓の数も残りわずかになったところで目当ての人物を見つけた。
 と言うより、目が合った。
 月森は、後ろ姿か横顔ばかりを見せていた生徒の中、ひとりだけこちらを向いて立っていた。
 ヴァイオリンではなく楽譜を持っていた月森は窓際まで歩み寄って来たかと思えばなんの躊躇いもなく窓を大きく開け放した。
「土浦。今日は部活か。暑いのに大変だな」
 そして思わず立ち止まってしまっていた俺へと声を掛けてきた。
 その表情には、微かな笑みが混ざっている。
「え、あ、あぁ…」
 我ながら間抜けな返事をしてしまったと思う。
 月森に会えるかもしれないと期待しながら探していたにも拘らず、いざ見つけたときにこの様というのは一体どういうことなんだろうか。
 いや、まさか急に目が合うなど考えてもいなかったから、驚きのほうが勝ってしまったのだろう。
「そうか。もう帰るのか?」
 月森の視線は時間を確認するために右手に付けられた腕時計へと向けられ、俺の視線もそれを追ったが時計の針は見えるわけもなく、俺は慌てて自分の時計へと視線をずらした。
 夏だというのに陽に焼けていない肌の色に、何故か妙にドキリとした。
「あぁ、今から帰るところだ」
 そんな気持ちを誤魔化すように慌てて返事をすれば、時計を見ていた月森の視線が俺へと戻ってきて更に心臓が高鳴った。
 そうしてまた俺は自分の気持ちを自覚させられる。
「じゃあ、俺、帰るから…」
 会いたいと、話をしたいと思っていたのに、いざこうやって顔を合わせていると変に意識して言葉が続かなくなってしまう。
 練習を続けてくれとか邪魔をして悪かったとか思い付く言葉は色々あって、でも本当はもっと話をしていたいとか今日だからこそ聞きたい言葉があったのだとか心の中にはもっと違う言葉も色々あって、だがそれはどれも口から出せずに俺は踵を返した。
「土浦、待ってくれ」
 歩き出そうと一歩踏み出すその前に名前を呼ばれて思わず振り返れば、窓から身を乗り出すようにして必死な顔で呼び止める月森がそこにいた。
「もし時間があるなら、少し話をしていかないか」
 真っ直ぐに俺を見たまま告げられたその言葉に、いつもは澄ましているとさえ思わせるその表情がどこか慌てた様子を見せていることに、俺はそのまま帰ってしまうことなど出来るはずもなかった。

 外の暑さとは打って変わって練習室の中は程よく冷房が効いている。
 けれど緊張からか、それとも思わず走ってきてしまったからか必要以上に体温が上がっていて、俺にはまだ暑いくらいに感じた。
 そして練習室に二人きりというこの空気が、俺を更に緊張させた。こんなことくらい今迄だってあったはずなのに、今日は一体どうしたというのだろうか。
「話って、なんだよ」
 だから沈黙に耐えられなくてしゃべり始めた俺とは対照的に、月森はただ穏やかな笑みで俺のことを見ていた。
「土浦に、連絡を入れようと思っていたんだ。そうしたら君が窓の外にいて、少し驚いた」
 月森からは俺の質問とは少し違う答えが返ってきたが、それは俺が予想していた答えとも少し違っていた。
「そして、嬉しかった」
 なんとなくいつものくせでピアノの椅子へと座っていた俺に、立ったままだった月森がゆっくりと近付いてくる。
「俺を探しにきたのだと、そう思っても構わないだろうか」
 嬉しそうな顔で俺の行動を見抜いたようにそんなことを言われ、手を伸ばせば簡単に触れられるような距離間に、緊張はピークに達してしまう。
「なっ…、そんなわけ…」
 ない、と続くはずだった俺の言葉は、それが本心ではないからか最後まで言い切ってしまうことが出来ずに止まる。
 それさえも見抜いているかのような月森の視線が俺に向けられていることが耐えられなくて、俺は俯くように視線を逸らした。
「それより、俺に連絡って、用件はなんだよ」
 誤魔化すように言葉を探せば、さっきから注がれたままの視線が更に優しくなったような気がした。
「誕生日おめでとう、土浦」
 そして頭上から、思っても見ない言葉が告げられる。
「え…」
 驚きに顔を上げれば、更に一歩近付いていたらしく月森の顔が思ったよりもすぐ近くにあった。
「今日は君の誕生日だろう。だから電話でもいいから君に伝えたいと思っていたんだ。だが、直接言えてよかった」
 そう言って、目の前の顔が優しく微笑みかけてくる。
 今日だから、俺は月森を探していて、今日だから、月森は俺に…。
「…っ」
 それを嬉しいと思ってしまったことが恥ずかしくて、一気に顔が赤くなったのを感じて俺は月森の視線から思い切り顔ごと逸らして俯いた。
 言わなくてはいけない言葉があるのもわかっていたが、それを声に出すことが今の俺には出来ない。
「帰るところを呼び止めてすまなかった」
 黙ったまま俯いていれば、すぐ傍にあった月森の気配がそっと離れていく。
 それを淋しいと感じてしまったことはもう自覚するまでもないことで、だからこそ俺は思い切り顔を上げた。顔の熱は引くどころか更に増す一方で、それはやっぱり見られたくないと思うが、今は離れてしまいそうな月森を追うことに必死だった。
「あ、ありがとう。知ってるとは思わなかったから、ちょっと驚いたが、う、嬉しかった」
 思ったことをそのまま言葉にしていけば妙に恥ずかしくて、語尾がどんどん小さくなっていくと同時に顔もまた俯いていってしまう。
 でもそれは紛れもない俺の本心で、今日が自分の誕生日だからこそ月森を探していたのも、誕生日を言葉だけでも祝って欲しいと思っていたのも事実だ。
 そして俺の中にはもうひとつ、言葉にしていない想いがある。
「嬉しいついでに、この前、言われたことも嬉しかったって、言っておく」
 俯いたままの小さな声でそう告げれば、月森がハッとするように息を飲んだのが気配で伝わってきた。
 何が、なんて言えなかったが、きっと月森なら気付いてくれるだろう。
「え、土浦、今、なんて…。いや…」
 そしてまた一歩近付いてきたのだと思った瞬間にはもう、俺は月森に抱き締められていた。
「聞き間違いでも構わない」
 月森は俺を、どこにそんな力がと思わせるような強さで抱き締めてくる。
 突然の行動に焦りながらも、聞き間違いだったらこの行動はまずいだろうとそんなことを考える俺もどこかにいて、俺は強張っていた身体の力をそっと抜いた。
「もう一度、言えよ…」
 そうすれば、今度こそちゃんと返事が出来る。
 あのときはまだ気付いてなかった想いを、今なら、今だからこそ、ちゃんと答えられる。
「土浦が、好きだ」
 その腕の力を少し緩め、けれどまだ俺を抱き締めたまま、月森は真っ直ぐに俺へとその気持ちを伝えてきた。
「俺も、月森が好きだ」
 言葉にすれば、想いは更に深くなったような気がする。
 そして、本当に嬉しそうな顔をした月森が目の前にいて、俺にとってそれは、最高の誕生日プレゼントだった。

 部活を終えた帰り道。
 夏休み中は教室へ寄る必要もなく、部室から直帰出来るにも拘らずわざわざ遠回りしてまで音楽科棟の校舎裏から正門前へと向かうのは、約束があるから。
 練習室にいることは知っているし、それが俺を待っていてくれるのだということも知っている。
 偶然に逢うことのない夏休みは、必然的に逢える夏休みへと変わった。
 それが、俺たちの日常になっていく。
 そんな、小さいけれど幸せな毎日。



小さな記念日
2010.7.25
コルダ話57作目。
つっちー、お誕生日おめでとう~♪
でもお誕生日色は弱いお話だったかも…?