TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

好きとか愛してるとか

「土浦」
 放課後の練習室、ヴァイオリンの音が止んだと思っていれば名前を呼ばれ、楽譜と鍵盤から目を離して振り返れば、俺の予想よりも近い場所にいた月森が俺のことを見下ろしていた。
 椅子に座る俺と立っている月森のその距離のせいで俺は自然と月森を見上げる恰好になり、だが顔を上げて月森を見ることはなんだか気恥ずかしくて、視線だけを月森に向けた。
 対する月森は真っ直ぐに俺を見ていて、目が合った瞬間にその表情を崩した。
 月森は基本、人のことをちゃんと真っ直ぐ見て話す。揺るがない自分の意見をちゃんと持っているから、どんな言葉も真っ直ぐに伝えてくる。今も、表情はいつもと違うが、視線は真っ直ぐに俺だけを見ていた。
 そう、いつもと表情が違う。違い過ぎる。ニコニコ笑っているわけではないが、ものすごく嬉しそうな表情で俺のことを真っ直ぐ見ている。
「なんだよ」
 そんな表情を見せられた俺はなんだか妙にいたたまれないような、なんと言ったらいいのかわからない気分になって、相変わらず視線だけを月森に向けたまま短い言葉を投げてみる。
 だが月森も相変わらず真っ直ぐ俺を見ているだけで話し出す気配はなく、俺は更にいたたまれない気分になって、そっと視線を少しずつ下げていった。
 目から鼻、鼻から口と下がっていく視線が赤いアスコットタイを通り過ぎる頃、視界の端を月森の手が掠め、あっと思う間もなくその手に俺の頬は触れられていた。
「学院ではやめろって言っただろ」
 瞬間、俺は椅子を滑るように身を引き、下げた視線を睨むものに変えて、今後は顔を上げて月森と目を合わせた。
 対する月森は少しだけ驚いた表情を見せたものの、すぐにまたあの嬉しそうな表情を俺に返してくる。
「二人きりなのに?」
 中途半端なところで止まっていた月森の手はもう一度ゆっくりと俺に近付いてきて、今度はその手が触れるその前に掴むことで阻止した。
「窓から見えるだろう」
 掴んだ月森の手は俺よりも少し体温が低く、その温度を知っているからこそなんだか掴んでいられなくて手を離せば、まるでその瞬間を待っていたかのように、今度は月森から指を搦められてしまった。
 掴むのとは違う。繋ぐのとも違う。指だけではなく、何か別のものまで一緒に搦め捕られたような錯覚に身体が熱くなり、手のひらから伝わる月森の体温の低さを余計に意識させられてしまう。
「そうだな」
 俺の言葉に同意を返すくせに、月森は手を離そうとしない。搦められているとはいえ別に力は加えられていないから解くことは出来るはずなのにそれも出来なくて、せめてもの抵抗に睨んだままの視線に力を込めれば、月森の笑みは何故か更に深くなっていった。
 何を言うわけでもなくじっと見つめられている状況はただただいたたまれなくて、それでも負けてなるものかと視線に込めた力だけは抜かずに月森を睨み返せば、月森の笑みは深くなるばかりの堂々巡りとなる。
「なんだよ」
 このセリフ、さっきも言ったよなと思ってもそれ以上の言葉は思い浮かばず、そして言ったところで答えなんか返ってこないんだろうと思いつつも口に出せば、それまで軽く搦めるだけだった指が、明確な意思を持って俺の手を包み込んできた。
「土浦が、愛しくてたまらないんだ」
 そして予想だにしなかった言葉を返されて、熱が一気に上がる。
「傍にいるだけでも幸せだが、傍にいれば触れたいと思ってしまう。だが、君の嫌がることはしたくない」
 学院ではやめろと言ったのに触ってんじゃないかと、そんな言葉が頭を過っていくのに声にはならない。最後に告げられた言葉よりも、最初に告げられた言葉を処理するだけで頭の中はいっぱいいっぱいだ。
 普段は見せない顔、思いもよらない言葉、それらに対する適切な対応策を、残念ながら俺は持ち合わせていない。
「嫌、だろうか?」
 搦め捕られた手が、ゆっくりと月森に引き寄せられていく。ダメだと思うのに、声が出てくれない。
「土浦…」
 引き寄せられた手に、俺の名を呼ぶ月森の吐息がかかる。その次に何をされるのかわかっていてもどうしても手を引くことが出来ず、せめて視界を遮断したくてぎゅっと目をつぶれば、予想を裏切ることなく指先に月森の唇を感じた。
「ダメ…だ…」
 瞬間、あえかな声がやっと口を吐いて出ていく。
 月森に対する文句の言葉なんて考えなくてもスラスラと湧いて出ていたはずなのに、たった一言を口に出すのがやっとになる日が来るなんて全く想像していなかった。
「愛し過ぎて、どうにかなってしまいそうだ」
 人から向けられる好意に興味なんてない奴だと思っていたのに、貰った手紙さえもその場で捨てられるほどの冷血な奴だと思っていたのに、好きとか愛してるとか、そんな言葉を口にする月森なんて、想像しようと思ったことすらなかったのに。
 ちゅ、っと小さな音を立てて、もう一度、月森の唇が指先に押し付けられる。搦められた指の冷たさと、触れる唇の熱さとに挟まれて、意識は指先だけに集中しているから怖くて目も開けられない。
「嫌か?」
 俺の答えが嫌ではないことをわかっているような、さっきよりも幾分か上から目線な聞き方が癪に障る。目をつぶっているから見えないが、きっとさっきよりも嬉しそうな表情をしているんだろうと予想してしまう自分の思考に腹が立つ。
「学院ではやめろって言っただろ」
 それでもやっぱり、いいとは答えられなくて、そっと目を開けて視線だけで月森を見上げながら、俺はまた同じセリフを繰り返す。
「土浦、その顔はさっきから反則だ。ダメだと言うのなら、煽らないでくれ」
 月森の顔に、何かに耐えるようなものと、それでも隠しきれない欲望のようなものが混在し、俺は咄嗟に目を逸らした。
 月森の言うその顔がどんな顔なのか俺にはわからないが、月森が今、どんな状態なのかはわかる。そして、月森が俺に向けるその顔に、俺も煽られてしまう。
「ここじゃなきゃ…」
 いいと、続けた言葉はほとんど音にならなかったが、それでも月森は俺の言葉を聞きもらさなかった。
「家に行こう…」
 搦めた指は更に強く握られ、そして俯いた耳元には欲を孕んだ月森の声が囁かれ、ぞくぞくとした何かが身体の中を駆け抜けていく感覚が堪らない。
 俺はぎゅっと指を搦め返し、月森の肩口に顔を埋めるようにして小さく頷いた。



好きとか愛してるとか
2015.10.24
コルダ話89作目。
微妙に押せ押せな月森君と
上目遣いなちょっぴりタジタジ土浦君。
相変わらずな二人でお送りしました…。