TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

この空に誓う

 久し振りにウィーンから帰国した俺を出迎えてくれたのは、ターミナルに飾られた大きな笹飾りだった。
 元々こういった行事には聡いほうではなかったが、しばらく日本を離れていて更に行事に疎くなっていたらしい。帰国日が7月7日だとわかっていたのに、その笹飾りを見るまでは今日が七夕だったことに気付いていなかった。
 七夕という年に一度の逢瀬の日に帰って来たことは偶然だったが、俺はそれを偶然で済ませたくないと思わずにはいられなかった。

 土浦に逢いたい

 出逢いは2年生の春。
 同じコンクールの出場者というそれ以上でも以下でもない関係から始まり、お互いの気持ちを確かめ合って恋人へと昇格したときにはもう、俺はウィーンへの留学を決めていた。
 高校の卒業も待たず、2年生の途中で留学してからもう半年以上が経った。この半年の間の俺たちと言えば、月に数度のメールを送り合うだけだった。
 本当は毎日逢いたいし、話をしたいし傍に居たい。それが叶わないのはお互いわかっているから、必要最低限の連絡を取り合うことに留めているのかもしれない。
 だが、留学をしてから一度も、声すら聞いていないのはやっぱり淋しい。

 東京での用事を済ませ、俺の足は自宅へ帰るという目的以上の思いで横浜へと向かった。
 空は雲に覆われ、まだ夕方というには早い時間だというのに辺りはぼんやりと薄暗い。
 七夕の日が晴れだったという記憶はあまりない。7月7日といえばまだ梅雨の時期で、雨は降らなくとも空は雲に覆われていることが多かったように思う。
 それでも今日の空は青空も太陽もちゃんと見えていた。このままならば夜は星が見えるかもしれないと小さな期待を抱いていたが、それは時間と共に増えた灰色の雲によってあっさりと打ち砕かれた。
 それはまるで二人が逢うことを阻んでいるかのようだ。
 見上げた空には雲しか見えず、その雲は複雑な模様を作り出していた。

 俺は真っ直ぐに土浦の家へと来ていた。
 今日、帰国することを土浦には伝えていない。逢わずに帰るつもりはなかったが、ちょうど期末試験の日程が近いであろうことは経験上わかっていたから余計な気を遣わせたくなくて伝えることが出来なかった。
 でも今日が七夕なのだと思い出せば、ちゃんと約束しておくべきだったかもしれないと少し後悔する。
 何度か上がったことのある土浦の部屋を見上げてみても外からでは中の様子をうかがい知ることは出来なかったが、そこに人影が写る様子はなさそうだった。

 とにかく連絡をしてみないことには何も始まらないと鞄から携帯電話を取り出せば、その瞬間に小さな振動が手のひらに伝わる。
 開いて確認すればそれは土浦からのメールで、短い言葉と共に写真が一枚添付されていた。それはさっき見上げた空とよく似た複雑な模様が切り取られた一枚で、俺はもう一度、空へと視線を送った。
 土浦の部屋のその向こう、ちょうど見上げた方向に写真と同じ形をした雲が見えた。土浦も見上げたのであろう空を、俺は今、自分の目で見ている。
 この空が日本と繋がっていると思いたくてウィーンで眺めた空ではなく、同じ時間の同じ場所の空を俺は見ている。

 それが今、たまらなく嬉しい

 その気持ちを伝えたくて、それよりも何よりも、今ここにいることを伝えたくて携帯電話へと視線を戻す。メールの確認画面から電話の発信画面へと切り替え、発信ボタンを押そうと思うのに何故か指が動かない。
 今ここで通話ボタンを押せばすぐに土浦と繋がることはわかっていた。もちろん早く逢いたいし早く声を聞きたい。それなのに、どうしても通話ボタンを押すことは躊躇われた。
 そんな気持ちのままもう一度空を見上げれば、さっき見上げたときとは少し、その姿が変わっている。この空が完全に変わってしまう前に、同じ空だと思えるものを残しておきたい。俺はそう思って操作途中だった携帯電話の機能をカメラに切り替えた。
 一枚撮って、それを添付して土浦にメールを送ることにする。
 同じ空を見ていると、そう書けば俺がここにいることもきっと伝わるだろう。

 だから早く帰って来い

 しばらくすると遠くから、こちらへと近付いてくる足音が聞こえてきた。聞き間違うことなどありはしないその走ってくる足音はとても懐かしく、そしてとても嬉しい。
 視線の先にある曲がり角を今か今かと見つめてしまうのは、その道が土浦の使う通学路だということを知っているからだ。
 そしてその姿を捉えた瞬間、愛しさを隠しきれない自分を自覚した。
 逢うことの出来なかったこの半年が、俺にとっては本当に長い時間だったのだと実感させられた。

「おかえり」
「ただいま。…ってそうじゃなくて、月森、お前なんでここにっ」
 走って微かに上気している顔を見つめながら声を掛ければ土浦の笑顔が返され、次の瞬間には思い出したように驚き顔を向けてくるのもまた、土浦らしくて嬉しくなった。
「土浦に会いに来た。七夕だからな」
 帰国した理由は違うが、今、土浦に逢いに来たことは嘘ではない。
 そして逢いたいと思う気持ちは本当に、嘘偽りのない俺の本心だ。

「年に一度じゃ、俺は満足できないぜ」
 強気な、けれどどこか土浦らしからぬその言葉に、俺は心に小さな痛みを感じずにはいられなかった。
 逢いたいとか淋しいかそんな気持ちを言葉に出して言われたことはなく、でもそれはずっと口に出さなかっただけなのだと気付かされた。
「それは俺も同じだ。だから土浦に会いに来たんだ」
 俺も、逢いたいという気持ちを言葉にしたことはなかった。傍にいられない道を選んだのは俺なのだから、それを口に出してはいけないような気がしていた。でも今この気持ちを伝えないで、一体いつ伝えるというのだろう。
「俺も、会いたかった…」
 少しでも傍にと一歩近付けば、土浦はそう答えてくれた。
 抱き締めたい衝動を抑えそっと手を握り締めれば、絡めた指から土浦の温かな体温が伝わってくる。

 繋いだこの手を、離したくない

 短冊に願いを書くならば、きっと俺はこう書くだろう。
 それは願いというより、俺の誓いなのかもしれない。俺は一生、この手を離す気などないのだから。
 今は逢いたくても逢えないけれど、いつかきっと、俺たちはいつも隣を歩いているだろう。
 それはまだ叶わないけれど、だからこそ感じるこの幸せを噛み締めながら、俺は繋いだ手に力を込めた。



この空に誓う
2010.8.7
コルダ話58作目。
今日は七夕…って思って7月7日に書き始めたけれど、
書き上がらなくて8月の七夕アップとなりました。
「同じ空を見ている」のL視点話です。