『音色のお茶会』
風に乗って
屋上で譜読み中、すぐ近くから聴こえてきたのは月森のヴァイオリンの音色。月森は俺の存在に気付いていないらしい。俺は気付かれないようにひっそりと息をひそめ、耳を澄ませてその音色に聴き入る。
楽譜通りで上手いけれど感情のない演奏と評価していた月森のヴァイオリンは、最近、違う音色を奏でるようになった。
甘くて優しくて、ほんの少し切ない。
月森の演奏なんて嫌いだと思っていたはずなのに、聴いていたいと思う音色になった。出来るなら、月森の音色に俺のピアノを合わせてみたい。
何が月森を変えたのか、月森は何を思ってヴァイオリンを弾いているのか。
考えるだけで、何故か胸が痛くなる。聴いていたいと思う気持ちと同じくらい、聴いていたくないと思ってしまう。
思わず耳を塞いだところで、すぐ傍の音を遮断することなんて出来ない。大声で叫んでしまいたい衝動を抑え、ギュッと目をつぶる。
そんな俺の存在なんて気付いていないであろう月森は、相変わらず人の心を締め付けるような演奏を続けている。
せめて目の前にピアノがあったなら、月森のヴァイオリンに合わせることも出来ただろうか。
空で奏でてみたピアノは、けれどきれいに重なってはくれない。合う訳がないのだと、そう思って手を止める。
本当はわかっている。月森のヴァイオリンを聴いていたいと思う理由も、月森の音色に胸が痛くなる理由も、何もかも全部わかっている。
月森が奏でる音色を好きになってしまったから。
そして音色以上に、月森自身を好きになってしまったから。
だが、言葉にすることも、口に出すこともきっと許されないそんな想いなんて、気付いたところで無意味だ。
だから俺は気付かないふりをする。今まで通り、気に食わないやつなんだと心に嘘を吐く。
つぶったままの目を開ければ、月森の演奏は終盤に差し掛かり、その音色は穏やかに風と戯れている。
もしもこの音色が誰かのために奏でられているのなら、俺は聴いていなくなんかない。だが、今、この音色を一番近くで聴いているのは俺で、たったそれだけのことに優越感にも似た気持ちがあることも否定出来ない。
俺は月森の音色を遮断するのではなく、それ以外を遮断したくてもう一度、目をつぶる。
今はただ、月森が奏でる音色だけに浸っていたい。
例えそれが偽りで錯覚で、ただの願望なのだとしても……。
静かでありながら閉塞感のない場所で弾きたくて、屋上へ向かいヴァイオリンを弾き始めた。
どう弾くべきかなどと考えずとも弾けるはずのその曲に、最近、厄介な伴奏が混ざってうまく弾けない。
いや、むしろ先生方や周りからの評判は良く、褒められるようになった。だが、自分では納得のいく音を出せていないと思ってしまう。
厄介な伴奏は、土浦が奏でるピアノの音だ。
感情的で自己主張が激しく、伴奏には不向きなその音色が俺の音を侵食する。合わせたくなどないのに、俺のヴァイオリンは土浦の伴奏に合わせて歌い出す。
頭の中で描く自分の音色とは、全く違う響きが耳から聴こえる。
その大きな隔たりに、俺は自分の音を見失う。
いっそのこと、実際に土浦が伴奏していればいいと思う。そうすれば、俺は土浦の音に惑わされずに自分の音で弾けるだろう。
土浦がいないところで、土浦に翻弄されていることが本当に腹立たしい。
だが、俺は弓を止められない。もっと、ずっと、こうしてヴァイオリンを弾いていたい。
土浦のピアノ、俺が奏でるヴァイオリン、俺が奏でたいヴァイオリン、全部が混ざって頭の中では不協和音になっているのに、そうなることが分かっているのに、俺はヴァイオリンを弾いてしまう。
俺が奏でるヴァイオリンの音色を、土浦はどう評価するのだろうか。
いいと思うのか、悪いと思うのか、どうとも思わないのか。
いや、俺はどうして、土浦の評価を気にしているのだろうか。
余計なことを考えているうちに曲は終盤に差し掛かり、変化した旋律にヴァイオリンの音色も変わる。
相変わらず頭の中では不協和音が奏でられているというのに、俺のヴァイオリンが紡ぎ出す音色は風と戯れるような軽やかさで鳴り響いている。
屋上に吹く風は、俺の音色をどこまで運ぶのだろうか。
土浦のもとへ運べ。そして俺の音色を否定してくれ。
お前らしくないと、そう批評してくれればいい。 土浦に否定されれば、俺は自分の音色を取り戻せる気がする。
いや、否定などしてくれるな。これは君のピアノに合わせた演奏なのだから。
最後の一音が風に紛れて消えたとき、俺の心に新しい感情が生まれたことを自覚した。
風に乗って
2016.10.23
コルダ話91作目。
結果的に両片思い話。
屋上というシチュエーションとか、
両片思いとか自覚とか無自覚とか、
パターンなのはわかっているけどやっぱり好き。
コルダ話91作目。
結果的に両片思い話。
屋上というシチュエーションとか、
両片思いとか自覚とか無自覚とか、
パターンなのはわかっているけどやっぱり好き。