TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

渇望

 風が通る程度に開けられた窓の隙間から、ピアノの音が漏れ聴こえてくる。
 その音色に誘われて、窓へと近付けばピアノを弾く真剣な後姿が見えた。
 頬が緩んだのを自覚しないまま、演奏の邪魔にならないように腰を下ろして目をつぶる。
 頭上から聴こえてくる旋律は、情熱的でありながらどこか愁いを帯びている。
 その弾き方に反発しながらも、その音色に、その旋律に魅かれてやまない。
 深い悲しみの淵へと誘われて心が揺れ、そっと騒ぎ出す。

「土浦…」
 ピアノの愁いある余韻が残る練習室内に、その空気を破るかのように声をかける。
「月森…いつから居たんだよ」
 一瞬だけ見開かれた瞳が、すっと細められて笑みの形を作る。
「ほんの少し前だ。演奏の邪魔をするつもりはなかったからここで聴いていた」
 その距離が近付くほどに心は騒ぎ、あふれんばかりに揺れる。
 二人を隔てていた窓が思い切り開かれ、目の前の笑顔に心臓が高鳴りだす。
 突然襲われたその衝動のまま腕を引き、いつも以上に見上げる位置にある唇を合わせる。
「っな、っん」
 ほんの一瞬、触れるだけでそれを開放し、けれど去り際にチロリと舌を這わした。
 崩しかけた体勢を立て直しながら、軽く睨むような視線が送られる。
「なんだよ、急に」
 明確な理由が思い浮かばなくて、曖昧な笑みで返す。
 ざわざわと不快な音を立てて揺れる心が、いつまでたってもやまない。
「どうしたんだ、本当に」
 困ったように向けられる瞳を見つめ、困ったような笑みを作るその唇に視線を落とす。
「土浦が…」
 言葉の続きは紡がれないまま、風にさらわれていく。
 見上げる距離がもどかしい。
 抱きしめられない距離がもどかしい。
「梁太郎が、足りない」
 この腕の中に仕舞い込んで、離したくない。
 真っ直ぐに捕らえていた瞳が、小さく揺れる。
「わかりにくいんだよ、お前」
 赤く染まった顔が背けられ、ためいき混じりのつぶやきが微かに耳に届く。
「片付けてくるから…」
 ピアノへと戻ろうとするその姿から目が離せなくて、動作のひとつひとつに目が奪われる。
「おい、窓、閉められないだろ」
 声は聞こえているのに、意味を理解できずにただただ見つめる。
「ったく。しょうがないな」
 指先に、熱が触れる。指先から、ぬくもりが伝わる。
 唇に、柔らかなそれが重なる。
「続きは、後でな」
 窓が閉まり、振り返った後姿は廊下へと姿を消す。
 通り過ぎていく風に、触れたぬくもりが奪われていく。
 その熱を逃がさないように触れた指先も唇も、未だ揺れる胸の奥も、切なさに震えだす。
 ちりちりと焦げるような甘い痛みが、身体中に広がっていく。
 心が訴える物足りなさを満たしたくて、正門前へと小走りに向かった。


 望みのままにかき抱き、願いのままに口付ける。
 満たしたい衝動と、満たされる心。
 ぬくもりが熱さに変わり、そしてまたぬくもりへと戻る。

「梁太郎…」
 乱れた前髪をかきあげ、そっと口付けを落とす。
「……ん…、蓮…」
 ゆっくりと上がる瞼の下で、未だ焦点の定まらない濡れた瞳が何かを探すように揺れている。
 その目元から頬を包むように触れればため息のような吐息が漏れ、その瞳が閉じられた。
 目元に、頬に、そして唇に触れるだけのキスを落としていくと、くすぐったそうに笑っている。
 ざわめく心と甘い痛みは消え、満たされた想いがじわじわと身体中に染み渡る。
「ったく、こっちの身にもなれよな…」
 不意に苦笑い気味な視線が送られ、少し掠れた声でそう告げられる。
 言われたその言葉の意味がわからなくて首を傾げると、その苦笑いは呆れたような表情に変わる。
「お前、気付いてないのかよ」
「何のことだ」
 更にそう言われても何のことだかわからない。
「気付いていたらこうはなってないか…」
 盛大なためいきとともに吐き出された言葉は独り言だったのか、自分だけ納得したような顔をしている。
「だから、何のことだ」
 眉間に皺が寄ったことを自覚しながら問い質すと、不意に首へと回った腕に引き寄せられた。
「足りなくなるほど、ためこむなってことだよ」
 耳元で囁かれたその言葉に、その声に、まるで血液が逆流したかのような気がした。
 引き寄せられたことでもう一度重なった身体が、やけに熱く感じる。
「梁太郎…」
 抱きしめ返して口付けると、答えるように絡まってくる舌も熱い。
 ゆっくりと味わってから名残惜しげに離すと、意志の強そうな瞳で見つめられた。
「こっちの身にもなれって言っただろ」
 そう言いながらもまた引き寄せられて、唇が重なる。
 まだ足りないと、しきりに心が叫んでいる。

 その瞳に恋焦がれ、その熱に浮かされて。
 胸震わせるその吐息も、紡ぎ出されるその声も。
 誰にも決して譲らない。誰にも決して触れさせない。
 閉じ込めて、閉じ込められて。
 囚われたのは、さて、どっち?



渇望
2008.9.11
コルダ話27作目。
無自覚なつっきーに兄貴なつっちーで。
えっと…。あーるえるぢゃないですよ。