TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

はじまりの一歩

 月森蓮という人物を知ったのは学内コンクールが始まってからだったが、それよりも前から噂話は聞いたことがあったのだと思い出したのは、その噂話と同じ場面に出くわしたときだった。
 月森に声を掛けたら嫌な顔をされたとか、告白したらすげなく振られたとか、渡した手紙をその場で捨てられたとか…。
 噂と全く変わらない状況を目の当たりにして、ああ、そういえばこんな感じの噂話を聞いたことがあったなと思い、あれは月森のことだったのかと思い至った。
 噂話で聞いたときはどんな奴だよとあまりいい気はしなかったのだが、それが月森のことだと知ったときには思わず納得してしまっただけで、月森を更に嫌な奴だと思うことはなかった。
 断るにしてももう少し違う言い方があるんじゃないのかとか、流石にその場で手紙を捨てるのはどうなんだと思いはしたが、挨拶を交わしたくらいでキャーキャー騒がれるのは意味が分からないし、よく知らないのに告白とかされても嬉しいというよりは困惑するだろうと、ほんの少し同情してしまったことがマイナスポイントにならなかった理由のひとつのような気がする。
 まぁ、月森に対する心象は会った頃から悪かったのだから、それ以上、下がることがなかっただけなのかもしれないし、どんな噂が流れて広まろうと、月森がどんな態度をとろうが、そんなことは全く気にもしていなかったというのが本当のところだったのかもしれない。

 コンクールがきっかけになり、それまで少し離れたところにあった音楽がまた身近なものになると音楽科の生徒とも話をする機会が増え、同じコンクールのメンバーだった月森とは余計にその機会が増した。
 元々、意見が合わなかった月森とは言い合いになることが多く、その会話が有意義になるなんて思ってもいなかったが、そういう考え方もあるのだと考えさせられることが少しずつ増えていった。
 それでもやっぱり俺の月森に対する印象はよくなったわけでもなく、付き合いづらいとさえ感じていたのだから、その日、月森に言われた言葉には心底驚いた。

「君のことを、もっと知りたいと思う」

 そう言った月森の表情に普段との違いは見つけられず、どういった感情から出た言葉なのか俺には全然わからなかった。
 月森が冗談を言うような性格ではないことはそれまでの会話でわかっていたし、だからその言葉が嘘ではないのだと理解出来たのだが、あまりにも急に言われたその言葉の理由はまったくもって思い付かず、俺は困惑するばかりだった。

「俺にそう思われることが不快だというのならば言ってくれ。二度と口にはしない」

 その困惑がありありと顔に出ていたのだろう。月森はそう言葉を続けた。
 知りたいと言われただけで、それを不快だと思うほど俺だって心が狭いわけじゃない。だが、月森の言葉を、どういう意味で受け取ればいいのかわからないから、迂闊に返事が出来ない。
 思わず月森をじっと凝視してしまったのだが、当の月森の表情はさっきからずっと変わらない。その態度と、淡々と告げられた潔い言葉に、ふと、月森が告白されたときにとった態度を思い出した。
 向けられた好意に対して迷惑だと思えばはっきりと断る。捨ててもいいからと言われて渡された手紙は本当に捨てる。
 月森の言葉はいつだって真っ直ぐで明確で、そしてその選択は清々しいほどに簡潔だ。

「別に嬉しいとは思わないが、だからって不快とまでは思わないぜ」

 ここで俺が不快だと答えたら、月森は自分の感情さえもバッサリ切り捨てるんだろうと、そう思った瞬間に俺は答えを返していた。それは本心だったが深く考えて発した返事ではなかった。

「ありがとう」

 俺の返事に対し月森は、なんと微かな笑みの表情を向けてくるという反応を返してきた。そして更にお礼の言葉付きだ。
 瞬間、月森の言葉の重さを実感する。月森は本気だ。月森の言葉には、一切の裏も思惑も何もない。
 俺の言葉も確かに本心ではあったが、その言葉はあまりにもあいまいなもので、お礼を言われるようなことを言ったつもりはない。だが月森は、俺のあいまいな言葉でさえ真っ直ぐに、その言葉通りに受け取っている。だからこそ、お礼の言葉が出てきたのだろう。
 いや、俺は知っていたはずだ。月森の言葉にも行動にも曲がったところなんてなくて、ひたすら真っ直ぐだということを。
 だから知らなかったんだ。気付こうとしなかったんだ。月森にだって感情があるってことを。月森の言葉には言葉以上の、もっと深い意味が隠れているってことを。

「断られる覚悟はしていたんだ。君に嫌われている自覚はあったから…」

 嬉しいような、そのくせどこか淋しそうな、困ったような、複雑な感情をにじませた表情を月森は俺に向けてきた。
 初めて見せられる月森のそんな表情に、俺はどんな表情を返せばいいのかと困惑しながら、月森の言葉を心の中で反芻した。

「それは俺も同じだ。月森には嫌われてるって思ってたから、その、…驚いた」

 嫌われていると思っていた。いつだって意見はぶつかり合っていたし、月森の表情が好意的だったことなど一度だってなかった。
 わかりにく過ぎるんだと、そう思った瞬間に月森のことを知りたいと思った。
 俺は噂で聞く冷たい態度の月森しか知らない。無表情で淡々と正論を突きつけてくる月森しか知らない。本当の月森を知りたい。そして俺のことも、月森に知ってほしい。
 知りたいと言ってもらえて嬉しい。だから迷惑だなんてこれっぽちも思っていない。もう二度と月森にそう思ってもらえないなんて嫌だ。自分に向けられた月森の想いを、たとえそれがどんなに小さなものでも、俺は手放したくない。
 まるで湧き上がってくるように気持ちがあふれ出し、俺は自分で自分に狼狽した。

「お互いさま、ということか」

 俺の狼狽は顔に出なかったのか、月森はさっきと同じように微かな笑みを浮かべた表情で俺を見ていた。
 無表情の月森しか知らなかった俺にはその表情はまるで別人のようにも思えるが、それは俺が知らなかっただけなのだろう。
 こんな表情の月森を知っているから、月森に対する告白が後を絶たないのかもしれない。冷たい態度を返されるのが常だとしても、もしかしたら自分だけには違う態度を返してくれるかもしれないと、そんな微かな望みに賭けているのかもしれないと思った。

「改めて、よろしく」

 その言葉とともに月森の右手が目の前に差し出され、握手を求めているのであろうその手の形を、俺は思わずじっと見下ろしてしまった。
 サッカー部の試合などで握手はしたことがあるが、それは形式的なもので、こんな風に改めて出されるとすぐには反応が出来ない。それが月森の手だと思えば、なおさら動けなくなってしまう。
 ああでも、ここで俺が手を出さなければ月森はあらぬ誤解をしてこんな風に手を出すことをしなくなるんだろうと、この短時間のやり取りで学んだ月森の行動を予想して、俺は意を決して右手を差し出した。
 触れた月森の手から、俺よりも少し低い体温が伝わってくる。
 軽く握られ、そして離れ、俺はゆっくりと自分の手をもとの位置に戻す。意識してするような動作ではないはずなのに、なんだか動きがぎこちなくなってしまうのはどうしてだろう。

「改めてとか、なんだか恥ずかしいな」

 なんだか妙に恥ずかしくて、それを誤魔化すように茶化した口ぶりで声に出してみたら、もっと恥ずかしくなってきたような気がして月森から目を逸らした。
 月森に触れた右手にはまだ感触が残っているようでそれもまた恥ずかしさに拍車をかけ、どうにかしたくて制服の裾をぎゅっと握りしめたが、恥ずかしさも感触もなくなってはくれなかった。

「君と弾いてみたい曲があるんだが…いいだろうか?」

 少しだけ沈黙の時間が続き、月森がふと思い出したようにカバンから楽譜を取り出した。
 話題が変わったことに少しほっとしながら、差し出されたそれを無言で受け取った。パラパラとめくっていけばメロディが頭の中に流れ始め、弾いてみたいと、そう強く思った。

「じゃ、楽器店に寄って行かないか? 一緒に弾くんだろ。楽譜、一緒に買いに行こうぜ」

 閉じた楽譜を月森に返せば軽く首をかしげるような仕草を返された。
 月森には遠回しな言い方では伝わらないんだと思ったらなんだかおかしくて、今度はちゃんと言葉にして誘ってみれば、嬉しそうな表情を返された。
 月森がこんな表情をするなんて、本当に知らなかったよなと思う。こんな表情を俺に見せてくれるのだと思うと、なんとなくすぐったいような嬉しいような不思議な気分になった。

「楽器店に行ったら君がよく弾く曲を教えてくれ。君のことをもっと知りたいんだ」

 最初に無表情で告げられた言葉よりもずっと深く、その言葉は心に響いてくる。
 その言葉はやっぱりどこか俺を恥ずかしくさせるのに、それ以上に俺も月森のことを知りたいと思う気持ちが湧いてくる。
 噂話の中の月森ではなく、俺が直接話して、触れて、感じた月森を知りたいと思う。

「月森もな」

 相手を知りたいとそう思う気持ちのその先なんて俺にはわからないが、これは何かの始まりの一歩なのかもしれないと、ふとそんな風に思いながら、俺たちは並んで歩き出した。



はじまりの一歩
2015.8.22
コルダ話87作目。
まだくっつく前の二人。気になり始め?
月森君は無自覚なだけだと思いますけどね!