TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

いちばんの言葉

 ウィーンに留学して1ヶ月。
 この街はどこにいても音楽が溢れている。
 俺自身、日本にいるときよりも、音楽に触れている時間が自然と長くなっていることを感じていた。
 授業もレッスンも、苦に感じることは何もない。
 慣れない生活に戸惑いはあるものの、それ以上に充実した日々を送っている。
 だが、どうしても埋めることの出来ない、足りないと感じてしまうものがひとつだけあった。

 どこを歩いても、そこに土浦の気配はない。
 溢れかえるその音楽の中に、土浦の奏でる音色は聴こえてこない。
 ないとわかっていても、俺は無意識に土浦を探してしまう。

 逢いたい。触れたい。その声を、音色を聞かせてほしい。

 たった1ヶ月。
 まだそれだけしか経っていないというのに、ぽっかりと穴が開いたような物足りなさを感じてしまう。
 そんな自分の感情に、俺は困惑していた。
 こんなこと、今まで誰にも感じたことがない。
 留守がちな両親にさえ、ここまでの感情は抱いたことがないような気がする。
 
 だから俺は、自覚せずにはいられない。
 それが土浦だから、俺はこんなにも切実に求めてしまうのだと。


 どうしても、本当にどうしても土浦の声を聞きたくて、俺は携帯電話を握り締めていた。
 ウィーンと日本には8時間の時差がある。
 壁に掛けられた時計の針はまだ夕方の時間を指しているが、日本ではもう真夜中をとっくに過ぎている。
 さすがに電話を掛けてもいい時間だとは思えず、ディスプレイに名前と番号を表示させるだけに留める。

 ウィーンに着いたその日に電話を掛けたきり、土浦に連絡をしたことはなかった。
 土浦からの連絡も特になく、だから何時なら、何時までなら掛けても大丈夫なのかを俺は知らなかった。
 いつなら土浦に繋がるのかさえも知らないのだと、俺は今更ながらに気付く。
 思わず苦笑いをこぼし、そしてため息を落とした。

 ただ、声を聞きたいだけ。
 それだけのことがこんなにも難しいのだと、俺は考えたことなど一度もなかった。

 二度目のため息と共に携帯電話を閉じれば、そのタイミングで手のひらに小さな振動を伝えてきた。
 逆の動作でもう一度開けば、そこには今までずっと見つめていた土浦の名前が表示されている。
 それが土浦からの着信なのだと気付くまで一瞬の間があり、俺はあわてて通話ボタンを押した。

『久し振り…って程でもないか。元気か?』
 電話越しに聞こえる土浦の声に、それ以外の音を遮断したくて俺はそっと目を閉じた。
 視界が遮断されると、聞こえる土浦の声が鮮明になったような気がした。
「いや、土浦の声を聞くのはとても久し振りだ」
 それは考えるよりも先に、言葉となって口に出ていた。
『何、言ってんだよ』
 慌てたように返ってきたその声に、少し照れたような土浦の表情が心に浮かんできた。
 赤く染まった頬に触れたくて手を伸ばすが、空を切るだけで何にも触れることが出来ない。
 目を開けて電話越しだという現実を改めて認識し、俺は土浦に気付かれないようにため息を落とした。

「今、日本は真夜中だろう」
 大丈夫なのかと思わず尋ねてしまったが、大丈夫ではないと切られてしまったらどうしようと思う。
『まぁ、遅い時間ってことは確かだが、大丈夫じゃなかったら掛けたりするわけないだろう』
 けれどそんな心配は、土浦の明るい笑い声がきれいに振り払ってくれた。
「それならいいが、わざわざこんな時間にどうしたんだ」
 せめて声を聞きたいとは思っていたが、その声から電話が掛かってくることは疑問に思ってしまう。
『心当たりはないのか』
 質問に別の質問で返され、俺は自分の中に心当たりを探してみたが思い付くものはなかった。
 それとも俺が土浦の声を聞きたいと願っていたことが遠く離れた土浦に伝わったのだろうか。

『その様子だと忘れているみたいだな』
 返事を探していると、少し苦笑い気味にそう言われてしまった。
「いや、まさか俺が君の声を聞きたいと思っていたから、というわけではないんだろう」
 何かを答えなくてはと思って今の気持ちを声にすれば、電話の向こうでガタリと大きな音が聞こえた。
『お前…なんだよ、それ。普通、そういうことは口に出さないだろう』
 続いて、まるで怒るような口調の土浦の声が聞こえてきた。
 だがそれは紛れもない俺の本心で、怒られるようなことを言ったつもりは全くない。

「土浦の声を聞きたいと思っていたんだ。そんなときに掛かってきたから本当に嬉しかったんだ」
 だから俺はそれを素直に口に出して土浦に伝えた。
 言葉が足りないと、土浦に何度も言われていたことを思い出し、それが妙に懐かしく感じられた。
『それは俺も同じだ。俺だってお前の声を聞きたかったし、お前に言いたいことがあったんだよ』
 どこか叫ぶようなそんな言葉が聞こえて、俺は思わず握り締めた携帯電話を見つめそうになった。
 もし土浦が目の前にいたら、俺はその顔を見つめていただろう。
「言いたいこと…?」
 そして、俺はきっと土浦に触れていただろう。

『今日は24日だろ。だから…!』
 聞こえた土浦の言葉に、壁に掛かったカレンダーへと目を向けた。
 今日は確か4月23日だったと思い、日本ではすでに24日になっているのだと気付いた。
「俺の、誕生日…」
 だからこんな真夜中の時間に電話を掛けてくれたのだと思えば嬉しくて、そして同時に胸が痛くなった。

 逢いたい。触れたい。土浦に、逢いたい。

 それが叶わない場所に来たのは俺の意思で、そんな感情を抱くであろうことは承知していたはずだった。
 夢と感情は天秤に掛けるものでもないが、結果的に俺は夢を選んでいる。

『本当は初めての誕生日だから会って直接、言いたかったんだ。でもそれは無理だってわかってるから…』
 電話越しの声が、少し震えているように感じて更に切なくなる。
『だからせめて俺が一番に言いたかった。だからそっちがまだ23日のうちに掛けたんだ』
 土浦の気持ちが本当に嬉しかった。
 普段はあまりその気持ちを口に出してくれないから、言葉で伝えてくれたのは本当に嬉しい。
「ありがとう、土浦」
 切なさはなくなったわけではなかったが、それは土浦からもたらされたあたたかさにそっと包まれた。

『誕生日おめでとう、月森』

 その言葉が、その気持ちが、俺にとっての一番のプレゼント。
 そっと目を閉じ、心の中で土浦を抱き締める。
 来年もまたその言葉を言ってほしいと、俺は土浦の耳元でそっとつぶやいた。



いちばんの言葉
2011.4.24
コルダ話64作目。
つっきー、お誕生日おめでとう~♪
今年は誕生日に間に合わせましたよ!