TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

花火

夜空に広がる大輪の花火は、俺に一年前の出来事を思い出させた。



 それは高校2年の夏で、その頃の俺は月森と言い合いばかりを繰り返していた。
 演奏を聴けば文句を言い、目が合えば喧嘩するという、最悪な状態だった。その音色が完璧であればあるほど、負けまいと思う悔しさから文句の言葉が増えていく。冷静なのか感情がないのかいつでも冷めた瞳をしていることが無償に気に障り、俺はイライラする感情をぶつけていた。
 そんな言葉や態度とは裏腹に、俺は月森の音色にも本人にも惹かれ始めていた。揺るぎない意志の強さとその技術と信念から生まれる音色に、俺の心は捉われていった。
 気のせいだと思った。そんなことある訳がないのだと否定した。けれど月森と会う度に、喧嘩をする度に、月森に対する気持ちがだんだん大きくなってきていることを自覚せざるを得なくなっていた。

 そしてその気持ちがすでに後戻り出来ないところまで膨れ上がってしまったとき、言い合っている最中の売り言葉に買い言葉で、思わず告白してしまうという大失態を犯してしまった。
 言ってしまった言葉はなかったことには出来ず、冗談では済ませてくれそうにない状況と、冗談では済ませたくないという俺の本心に、続く言葉は何も出てこなかった。
 けれどその場の雰囲気がいたたまれなくて、俺は無理やり会話を終わらせて月森から逃げた。
 途端に寄せられた眉間の皺とか、呆れたように俺を見る目とか、そんな見たくもない、けれど簡単に予想の出来た表情ばかりが目に焼きついて離れない。

 それから俺は月森を避けるようになった。
 コンクールも終わっていたから会わなくてはいけない状況になることもなかったし、元々、月森に会う機会は多くはなかった。
 学科によって校舎が違う学校というのはありがたい。普通科の俺が音楽科の校舎に行く必要はないし、あとは人の多く集まる場所さえ気を付けていれば、会う確立はほとんどないと言っても過言ではなかった。
 だから早く夏休みに入ってしまえばいいと思っていた。
 本当はこんな気まずい雰囲気のまま夏休みを迎えてしまうことがいいこととは思えない。それがただの逃げだということもわかっているし、このままでは状況が悪化していくことは明白だったが、今はどうしてもあの月森の表情を見ることを避けたかった。
 普段は無表情のくせに、嫌悪感だけは隠しもせずに向けてくる。
 今、月森と顔を合わせれば、向けられるのであろう表情はわかりきっている。ぞっとするほど冷めた瞳を想像するだけで、背筋が凍りつきそうだった。
 けれど、月森の違う表情を見たいと、違う表情を俺にも見せて欲しいと、こんな状況になってもまだそう思っている自分が嫌になる。

 結局、一度も会わずに夏休みを迎えた。
 ホッとしたと同時に、月森との関係を修復することは不可能になったのだと、俺はそう思った。
 いや、俺たちの関係を変えることが出来なくなったのだと、そう言ったほうが当たっている。修復するも何も、元々仲が悪かったのだから直しようがない。
 だから俺はコンクールが始まる前の、お互いのことを知らないときに戻っただけなのだと、自分に言い聞かせた。出会う前ならば、仲の悪さなんて関係ない。
 けれど、俺の心にはまだ月森への気持ちが残っていた。それは日に日に増していく一方で、それまで以上に否定することが出来なくなっていた。
 それでもいつか忘れる日が来るのだろうと、俺はどこか冷めた気分で月森への気持ちを胸の奥底に仕舞い込んだ。

 月森のことを忘れるために、俺は毎日ピアノを弾いていた。
 弾くことに没頭してしまえば、思い出す音色など気にならなくなった。けれど、いや、だからこそと言ったほうが合っているかもしれないが、我に返る瞬間が怖かった。
 月森の音色は、俺の心を捉えて放さない。
 仕舞い込んだはずの感情が、いとも簡単にあふれ出して止めることが出来ない。
 ピアノに没頭して忘れ、音色に呼び起こされるように思い出す。毎日毎日、そんなことを繰り返していた。

 堂々巡りを繰り返す俺に転機が訪れたのは、その夏一番の暑さを叩き出した日だった。
 その日はピアノを見ることも嫌で、家に居れば当たり前のように聞こえてくるピアノの音から逃れたくて出掛けた。
 泳げる訳ではなかったが、俺の足は自然と水の涼を求めて海へと向かっていた。けれど海から吹く風は湿っていて、汗と混ざって不快にシャツを濡らす。
 それでも家に居るよりはましで、申し訳程度に陽射しを遮ってくれる木の下で、俺はただぼんやりと水面を見つめて過ごした。

 一体どれくらいの時間をそうやって過ごしたのだろうか。
 水面に反射しキラキラと揺れていた陽は傾き、海を赤く染めながらゆっくりと沈んでいく。
 陽が沈んでもまとわりつくような暑さは変わらず、いつもより多い人混みにその暑さは増したような気がした。
 家に帰ろうと歩き出せばその人混みは更に増え、気付けば俺は一人、人の流れに逆らうように歩いていた。どうしてこんなに人が多いのだろうと考えていれば、遠くから花火大会の開催を知らせる放送が流れてきた。
 そういえばと思い出しても遅い。このまま流れに逆らうべきか、どこか抜けられそうなところを探すか、それともこの流れに乗ってしまうか。考えている間も人は増え続け、俺は結局、逆らったまま歩き続けた。
 ようやく人混みから出てホッとしたのも束の間、少し先に見覚えのある後ろ姿を見付けて思わず足が止まった。
 夏休みが始まる前から会わないように避けてきた月森がそこに立っている。
 気付くなと、そう願った瞬間に振り返る。

 目が合った途端に、この暑さとは対照的な寒さに身が震えた。
 それは向けられるのであろう表情に対しての反応だったが、月森は一瞬、驚いた表情を見せただけで、あとはいつもと変わらない表情でこちらへと歩いてきた。
 俺はただ立ち尽くしたまま目の離せなくなった月森を見ていたが、あと一歩という目前まで来たとき、反射的に一歩後ろへと下がった。
「土浦」
 感情の読み取れない声が耳に届く。
 無意識にもう一歩下がり、俺は月森から目を逸らしてその場から逃げようとして、失敗した。
「土浦。君はまたそうやって逃げるのか」
 強い力で握られた腕が、冷たく言い放たれたその言葉が、痛い。
「俺からも、自分からも」
 突き付けられた月森の言葉に何か言い返したいのに、それはどれも真実だから返す言葉が見付からない。
 踏み出すはずだった足をその場にゆっくりと下ろす。けれど月森を振り返ることは出来なかった。

 不意に、掴まれていた腕が離されて自由になった。
 腕は俺の元へと戻らず、中途半端な高さで宙に浮いたまま止まったままだ。変に力が入っているらしく、どうしたら動かせるのかと考えないとその腕を下ろすことが出来なかった。
 もう逃げる気などなく、けれど振り向くことも言葉を発することもまだ出来ず、俺はただ地面の一点だけを見つめていた。
「土浦、俺は―――――」
 何かを言いかけた月森の言葉に、すぐ側で上がった花火の音が重なる。
 けれど何か、聞き逃してはいけない何かを聞いたような気がして、俺は思わず振り返っていた。
「なに…」
 真っ直ぐにこちらを見ていた月森と目が合い、その向こうで2発目の花火が夜空に広がった。
「君の音色は何故か心に残る。そして、君自身も。俺は土浦を、嫌いな訳ではないんだ」
 散った花火のいくつもの光が空へと溶けていくように、月森の言葉は俺の心にゆっくりと溶け込んでいった。


 そして一年後の今、俺は月森の家で一緒に花火を見ている。
「自分の部屋から花火が見られるって、贅沢だな」
 窓を開ければ、ほんの少し遅れて花火の音も聞こえてくる。夜風はまだ蒸し暑かったが、去年ほどではない。
「少し小さくなってしまうのが難なんだが。それでも人混みの中で見るより静かでいいんだ」
 そう言いながら花火を見ている月森の横顔をそっと見遣る。
 こんな風に、月森と一緒に過ごす時間が来るとは、一年前には想像出来なかった。思わず口に出してしまった想いを、ずっと後悔していくのだと思っていた。
 でも今、俺の隣に月森が居ることが当たり前になっている。
「どうした」
 俺の視線に気付いた月森が振り返り、当たり前のように引き寄せられる。
「いや…」
 俺は小さく首を振って、花火へと視線を戻す。ちょうど、大きな花火が上がったところだった。
「俺は土浦が好きだ」
 不意に告げられた言葉に思わず驚いてしまったが、あの日と同じように、その言葉は俺の心に溶け込んでいく。
「俺も、月森が好きだ」
 遅れて聞こえた花火の音にその言葉は重なってしまったが、きっと月森には伝わっただろう。
 抱き締めてくる腕の力が強くなり、満たされた心があたたかくなる。


一年前に見たあの花火を、俺は一生、忘れない。




花火
2009.8.21
コルダ話49作目。
L←R話に見せかけて、実はLR話です。
1年間でとても甘々な二人に…。