TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

緑の森に捉われて4

 そして季節は廻り、2年生へと進級した春。
 不定期に開催される学内コンクールへの出場者として月森は選ばれた。
 異なる楽器で競われる変則的なルールのコンクールだとしても、それは月森にとって、ただの通過点に過ぎなかった。
 参加するならば、ただ優勝を狙うのみ。そしてそのために、練習を重ねるのみ。
 それは同じヴァイオリンでの参加者が増えても変わらない考えだった。
 だから、この先もずっと、その考えは揺るがないと思っていた。

 その日も月森は練習室でヴァイオリンを弾いていた。
 第一セレクションで演奏する曲を決め、規定の時間内に収めるための編曲を進めていた。
 全て弾くからこそ、全て聴くからこそ意味があるのだと思うその曲を、短くするという作業は少し納得がいかない。
 削りきれない部分が多過ぎてなかなか進まない編曲作業に一息入れようと、月森は窓を少し開けた。
 瞬間、流れ込むように入ってきた風に乗って耳に飛び込んできたピアノの音色。
 それは悲しみが溢れ出してきそうなほどに感情的で月森の好む音ではなかったけれど、まるで射抜かれたかのような痛みに胸が震えた。
「これは…」
 懐かしさとも感動とも違う、けれど心に残る、否、深く刻み付けられるような音色だった。
 好きではない音色なのに、なぜか魅了される。もっと聴きたいと、心が叫ぶ。
 この感覚は、何かに似ている。
 そう思った途端、不意にピアノの音が鳴り止んだ。
 開け放した窓から顔を出し、並んだ練習室の窓が開いている部屋を探す。
 春とはいえまだ暖かいともいえない気候の所為か、他の音が練習の妨げになる所為か、窓の空いている部屋はひとつしかなかった。
 まるで何かを確かめるかのように練習室を出ると、月森は窓が空いていたその部屋へと足を向けた。
 ドアにはめられたガラス窓の向こうにグランドピアノが見えた瞬間、心の奥に鳴り響いた警鐘を聞いたような気がした。
 けれどその警鐘に耳を傾ける前に、月森の目は練習室の中に居た人物を捉えていた。
 ピアノの傍らに立つ、普通科から同じヴァイオリンでコンクールに追加参加となった日野香穂子、その目の前で宙に浮かぶ、リリと名乗った小さなファータ、そしてピアノに座る、深い緑の髪が月森の目に映った。
 途端、一度経験したことのある胸のざわめきが蘇る。
「――――!」
 鳴り響いた警鐘の意味を、月森はそこで初めて理解した。
 鍵をかけ固く閉ざしたはずの心は、まるで抗う暇もあたえられないままあっけなく開かされた。
 それは、どれだけ閉ざしていても忘れられないほどの影響力のある存在だったのだという事実を、月森に突きつけた。
 練習室の中、何かを話しているであろう3人から目を逸らすと、月森は自分が使っていた練習室へと戻った。
 扉を閉めると、まるで足の力が一気に抜けたかのようにその場へしゃがみこむ。
 1年近く経った出会いの場面が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
 その声が、その表情が、ずっと閉じ込めてきたはずの気持ちが、まるで波が押し寄せてくるかのように思い出された。
「日野さんの、伴奏者なのだろうか…」
 そして、ついさっき聴いたピアノが、その人の奏でたものなのだと気付いて顔を上げた。
 弾いていた曲は伴奏用の曲ではなかったが、状況からはそう考えられた。
 好きな音色ではなかった。でも自分の心を捉えて離さなかった。その音色が誰かの伴奏をするのだと思うと、なぜか心が痛かった。
 サッカー部であろうと思っていたその人がピアノを弾いていた理由よりも、それが素人とは思えないほどの技術だったことへの疑問よりも、自分を捉えた音色の持ち主が、自分の心が捉われたその人だったという事実が、今の月森の気持ちを大きく支配していた。
「何故、彼なんだ…、どうして今なんだ、どうして今更……」
 抑え込んでいた感情が溢れ出してしまったというのに、その行き先もわかっているのに、どうしたらしいのかわからなくて戸惑う。
 進むべき道が、向かうべき未来が、まるで大きな壁に立ちはだかれたかのようで見つけられない。
 けれど開いてしまった扉を閉めることも、溢れ出た感情を抑えることも、もう出来そうにない。
「――……っ」
 それでもまだ抑え込もうとするかのように、月森は自らの身体をぎゅっと抱き込んだ。


 翌日、更に追加となった7人目のコンクール参加者の名前が掲示された。
 普通科2年5組 土浦梁太郎
 その名前を見た月森には、それが昨日、練習室で見たその人なのだという、一種確信めいた予感が浮かんだ。
 それは何の根拠もなかったが、無意識にその実力を認めていたからなのかもしれない。
「土浦梁太郎」
 その名を口に出せば、まるで昔から知っていた名前のようにすっと心深くに沁み込んだ。
 森の広場での出会いから1年。ずっと知らなかった名前をこんな形で知ることになろうとは思ってもいなかった。
 これは運命なのだろうか、それとも…。
 掲示板に貼られたその紙を、そこに書かれたその名前を、月森はまるで睨むような視線で見つめていた。


 そして、コンクール参加者の顔合わせという名目で集められた音楽室の扉を開けた瞬間、月森は自分の予感が正しかったことを知った。
 目の前に、まるで出会いの場面を再現するかのように緑の髪の人物が立っている。そして月森の気配を察してその後姿が振り返る。
 二人の視線が、重なった。
「君もコンクールの参加者か」
 予感と確信を事実にするために、月森はそう尋ねた。
「普通科から参加しちゃいけないとでも言いたいのかよ」
 思い出す表情とは対照的な、不機嫌な気持ちを隠しもしないような強い視線が月森に向けられた。
「いや、普通科からの参加となればそれなりに弾けるのだろう」
 その表情に、その言葉に、月森は静かにそう答えた。
 二人は出会ってしまったのだ。1年前のような偶然ではなく、音楽という共通の繋がりを持ったコンクールの参加者として。
 それが運命だというのならば、逆らいはしない。
 月森はそう思った。
 その存在に、その音色に自分が捉われたのならば、逆に自分の存在で、自分の音色で彼を捉えて離しはしないのだと。
「選ばれたからには、音楽科に劣るような演奏をするつもりはないぜ」
 土浦の視線が更に強くなる。それに負けない視線を、月森も返した。
 何かを探り合うかのように二人の視線が絡む。
 その視線に感じたのは、胸の高鳴りだったのか、警鐘だったのか。
 二人の時間は今、動き始めたばかり…。


緑の森に捉われたのか。

緑の森が捉われたのか。

捉われたら出られない。

捉えたら離しはしない。

永遠に、俺だけのもの。



緑の森に捉われて
2008.10.25
コルダ話31作目。
二人の出会い捏造話を書いてみました!
まだL→Rっぽいですが、どうなるのかしら~。