TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

バースデープレゼント

『明日、一緒に練習しないか』
 夏休みに入ったある日、月森からそんな誘いの電話がきた。
 なんで急にという疑問は過ぎったが、特に用事も予定もなかったし、今ではもう言い合うだけの犬猿の仲ではないのだから断る理由もなく、俺はその誘いに応じた。
『良かった。ありがとう』
 電話越しに聞こえた安堵を示すその言葉にまた微かな疑問は生じたが、あまり気にせずそのまま会話を続けてから電話を切った。

 次の日。
 待ち合わせの5分ほど前に昨日の電話で決めた場所に着けば、月森は先に待っていた。
 姿勢のよい立ち姿は周りの空気まで変えてしまうようで、梅雨明けの蒸し暑い陽射しの中だというのに、張り詰めた静謐な雰囲気に包まれていた。
「土浦」
 その雰囲気を壊してしまうような気がして近付くのを躊躇ったタイミングで月森はこちらを振り返り、声を掛けられた。
「悪い、待たせたか」
 小走りに近付けば、今来たところだと定形な言葉が返ってきた。月森の表情から何がわかるわけでもなかったが、なんとなくもう少し前から待っていたような気がした。
「学院に行く前に楽譜を見に行きたいんだがいいだろうか」
「もちろん構わないぜ。俺も新しい曲に挑戦してみようかな」
 学内コンクールがきっかけで更に本格的にピアノを弾き始めた今、これまでとは違う曲を弾いてみたいと思い始めていた。俺の好みとはまったく違う傾向の曲を弾く月森と一緒に楽譜を見に行けば、何か新しい曲に出会えそうな予感がした。

「いくつか選んでみたがどうだろうか」
 楽譜選びを月森に相談すると、しばらく楽譜棚を真剣に見ていた月森が、選んだ楽譜を持って来てくれた。
「あぁ、サンキュ。そうだな…」
 俺は月森が選んだ楽譜の中から、弾いたことがなく、家にも楽譜はなさそうな2曲を選んだ。
「これにする。たぶん、俺が1人で見に来たら選んでないだろうな」
「だが、土浦の演奏にこの曲は合うと思う。いつか聴かせてくれ」
 そう言った月森の表情が少しやわらかくなったような気がして、俺も釣られるように笑顔でOKの返事をした。
「土浦はピアノソロの曲以外は弾いたことがあるのか?」
「そうだな。家にある楽譜は基本ピアノ符だし、それ以外はあんまり気が向かなかったから今までは弾いたことなかったけど、好きな曲は沢山あるし弾く機会があればって今は思ってる」
 コンクールで伴奏のピアノを聴いて、他の楽器と合わせることも面白そうだと思った。
 その後も楽譜を眺めながら月森と色々な話をした。聞かれたりこちらから聞いたり、それまでの月森との会話とはだいぶ違うものだったが、それが思いの外、楽しかった。

 お互い買い物を済ませてから学院に向かえば練習室の予約はすでに取られていて、聞けば夏休みに入ってからも月森は毎日、練習をしに来ていたらしかった。だからどうして今日に限って俺を練習に誘ったのだろうと疑問に思う。
「なんで急に俺を誘ったんだ?」
 昨日から何度か感じていた違和感のようなものがここに来て一気に大きくなり、俺はその疑問をとうとう口に出した。
「君の誕生日が、今日だと聞いたからだ」
「…え?」
 疑問に対する意外過ぎる答えを聞いて、俺は思わず間抜けな声を発してしまった。誕生日、そうか、そういえば今日は俺の誕生日だったのだと思い出す。
「え、だからなんでだ?」
 理由を聞いても疑問は解消されず、むしろ増したような気がして聞き返せば、月森は真っ直ぐこちらを見ていた視線をゆらゆらと逸らした。
「君の誕生日を、祝えたらいいなと思ったんだ」
 月森にしては歯切れの悪い言葉という以上にその言葉の意味が分からなくて、そうしたところで答えは見つからないとわかっていても思わず月森を凝視してしまった。
 なんでとかどうしてとか嘘だろとか疑問の言葉が頭の中をグルグルして、だけど月森は相変わらず目を逸らしたままで、それに対する明確な答えは何も返ってこない。
 しばらく沈黙が続き落ち着いてくると、何もそんなに驚くことでもないんじゃないかと思えてきた。俺たちが犬猿の仲だったことは確かだが今は仲が悪いわけでもなく、別にただ誕生日を祝いたいと言われただけじゃないか。
「あー…、その、なんだ。えっと、うん、ありがとう」
 何をどう言ったらいいのか思い付かないまま口を開いてしまったからしどろもどろになってしまったが、やっと答えるべき言葉を声に出して言うことが出来た。
 そんな俺の言葉に月森は逸らしていた視線を驚いたようにこちらに戻し、さっきまでとは反対に凝視されて今度は俺が気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
「お前が誕生日とか言い出すとは思わなかったからちょっと驚いた」
 月森の視線がなんだかいたたまれなくて、何か言わないと恥ずかし過ぎてどうにかなってしまいそうで、目は逸らしたままボソッとつぶやいた。そして心の中で、でも、と思う。驚いたけど、嫌だとは思わなかった。むしろ嬉しいとさえ思い始めていて、気恥ずかしさが膨れ上がっていく。
「君の誕生日に俺には何が出来るだろうと考えていたから、さっき、楽譜選びを相談されたときは嬉しかった」
 目を逸らしていたから、月森がどんな表情でその言葉を口に出したのかはわからない。だが、俺に向けられている視線はずっと感じていて、その声音からも嬉しさがなんとなく伝わってきて、俺はもうどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
「それとは別に…。土浦、これを受け取ってもらえないだろうか」
 何を見ていいのかわからなくて視線をウロウロ彷徨わせていると、月森は鞄の中から出したものを俺に差し出してきた。
 視線をそれに向ければさっき買い物をした店の袋だった。目の前へと差し出されたそれを思わずといった感じに受け取れば、月森はその顔に嬉しそうな笑みを浮かべた。月森はこんな風に笑うのだと頭の中で認識した途端、凝視されたとき以上になんだか恥ずかしくてどうしようもない気分に襲われた。
「開けてもいいか?」
 とりあえず何か気を紛らわせることをしないとと考えて、まずは中身を確かめようと袋の中を覗いてみた。そこには特に包装されているわけではない楽譜がそのまま入っていて、月森の短い了承の言葉を聞いてからその楽譜を袋の中から取り出した。
「いつか君と合わせてみたいと思っていたんだ」
 その言葉の通りヴァイオリンパートも一緒に書かれた楽譜だったが、これはヴァイオリン用の曲ではなく、ピアノとヴァイオリンのための曲だった。
「俺と? それにこの楽譜、俺に伴奏をってわけじゃ、ないよな?」
 目を逸らしていたことなど忘れて月森に視線を向ければ、月森もまた少し照れくさそうな表情で俺のことを見ていた。
「君のピアノとともに奏でてみたいと思った。君の誕生日に俺の望むものをプレゼントするというのも変な話なのだが…」
 その言葉に、これは月森からの誕生日プレゼントなのだと思い出す。月森はこの楽譜を買うために寄り道をしたというのだろうか。いや、待ち合わせの時間を考えれば先に寄って来ることも可能だろうし、それより前に買っておくことも出来たはずだ。それなら、急に思い立ったってことか?
「迷惑、だっただろうか…」
「え、そんなことはないけど、でも、驚いたっていうか、お前が俺と合わせたいなんて言い出すとは思わなかったし、それで楽譜をプレゼントされるとはもっと思ってなかったし…」
 疑問が顔に出てどうも難しい表情をしていたらしい。月森の顔があからさまに曇っていくのがわかって、俺は慌てて否定した。月森との会話で月森が不機嫌そうな顔を見せることなんか慣れているしいつもはそんな顔ばかり見せられているというのに、なぜか今はそんな顔を見たくないというか、させてはいけないようなそんな気がした。
「俺も初めて君の演奏を聴いたときには合わせてみたいなど思わなかったが、今は土浦とならまた違う演奏が出来るような気がしている」
 さっき楽譜を受け取ったときに見せられたのと同じような笑みを向けられ、俺はまた俯くように視線を逸らした。
「驚き過ぎてなんかどうしたらいいかわかんないんだけど」
 心でつぶやくはずだった言葉が、気付けば口からこぼれていた。ホント、どうしていいかわかんない。というか、なんだかものすごく、嬉しくてたまらない。
 月森に、一緒に合わせてみたいと言われたことが、それを誕生日にプレゼントしてくれたことが、嬉しそうな笑みを俺に向けてくることが、柄にもなく嬉しくて、なんだか心が浮かれている。
「驚いているけど、すごく嬉しい」
 だから俺は、この気持ちを声に出さずにはいられなかった。こんなこと、月森に対して思うなんて考えられなかったっていうのに、全然、俺らしくないって思うのに、嬉しい気持ちを隠せない。
「喜んでもらえてよかった」
 たぶんまた、月森はあの笑みを浮かべているだろう。それに俺は、どんな顔を返せばいいっていうんだろうか。
「誕生日おめでとう。いつかこの曲を一緒に弾ける日を楽しみにしている」
 更に付け加えられたその言葉に、深く考える必要なんてないんだと思った。俺も素直な気持ちを返せばいいんだ。
「あぁ、俺も楽しみにしてる。ありがとう。っていうかさ、今から一緒に練習しようぜ、この曲」
 早くピアノを弾きたいと思った。早く、この曲を弾いてみたい。
 月森と一緒になんて、少し前の俺の中では考えられなかったのに、今はそれを楽しみだと思っている。きっとすんなりうまくは合わせられないだろう。でもそれはそれで楽しみだし、やりがいもあると思える。
 そんな風に思えるようになっているってことは、俺も少しは成長しているってことか。
「あぁ、そうだな」
 そう言って嬉しそうな笑みを俺に向ける月森に、俺も笑顔を返した。



バースデープレゼント
2014.8.11
コルダ話84作目。
土浦君お誕生日おめでとう~♪
今年も誕生日には全然間に合わずでごめんなさい…。
この二人はまだ、L&Rです…。