Motor Sports 最終更新:2001.1.10
Formula 1:
 そういえば、見始めてから随分たつなぁ。僕が小学校に上がるか上がらないかという頃、1975年前後かな? 世はスーパーカー・ブームの真っ最中であり、ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ512BB、ランチア・ストラトス(アリタリア航空カラーのWRC仕様車がめちゃくちゃ格好良かった)ロータス・エスプリ(映画「007/私を愛したスパイ」で潜水艦に変身してたなぁ)といったスーパーカーが憧れであった。国産車ではニッサン・フェアレディZが断然の存在。トヨタ2000GTは既に歴史上の名車だった 。
 そんな中、1976年に富士スピードウェイで初めてF1日本グランプリが開催されたワケだが、この時みんな仰天したのがティレルの伝説の6輪車マシン、P34であった。(当時は「タイレル」と読んだ。日本GPの時だけマシンに「たいれる」とひらがなでロゴが張ってあったらしく、フジテレビ中継のオープニングで出てくるCG画像は嘘ではないんだそうだ)
 他に覚えてるのはニキ・ラウダのいたフェラーリ312T2、ジェームス・ハントが乗るマクラーレンM23、JPSカラーの黒字に金文字が綺麗だったロータス72あたりかな。グラウンドエフェクト・カー出現直前の時代で、今とは違ってチーム毎にマシンの形状や思想の違いがすごく大きくて、でもどちらも速かったりして格好良かったなぁ。今と違って方法論が確立されていなかったとも取れるが、個性が分かり易くて好きだった。フェラーリとタイレルは子供向けの玩具にもなって結構売られていた。(たしかウチにもあったな)

 77年の日本GPでG.ビルヌーヴ('97 F1チャンプ・ジャックの父)のフェラーリ312T2とピーターソンのタイレルP34が接触して宙を舞い、立入禁止区域に入り込んで観ていた観客が死亡して翌年から日本GPが開催されなくなった頃からスーパーカー・ブームも下火になった。(そういえば当事者の2人のドライバーとも、後にレース中に事故死してるんだよなぁ…)
 この後、国内ではF2で星野一義と中嶋悟の激闘が何年も繰り広げられたらしいが、この時代についてはよくは知らない。F1グランプリも、日本ではTBSが数戦のみ細々と中継していただけだった。
 そして1983年にホンダがF1に復帰して86年に最強エンジンの座を手に入れ、翌87年には中嶋がF1フル参戦、そして鈴鹿で日本GP開催、フジテレビによる全戦中継で、一気にF1ブームが起こる。そしてF1ブームを完成させたのがアイルトン・セナであった。後は皆さんご存知の通り。
 中嶋の引退、ホンダの活動休止、そしてセナの衝撃的な死で、ブームはすっかり沈静してしまったが、ここ数年のウィリアムズ・ドライバー(D.ヒル、J.ビルヌーヴ)VS. M.シューマッハのタイトル争いはそれなりに面白かった。

 98年シーズン、マクラーレン・メルセデス・ベンツ+ブリヂストン・タイヤ+ハッキネン+クルサードは強かった。シーズン中盤からマシン性能で劣るフェラーリ/シューマッハが作戦や天気やFIA(!!)を味方に付け追い上げたが、結局は日本GPでシューマッハのアクシデントもあってハッキネンが8年目にしてタイトルを獲得。個人的には、アンチ・シューマッハだし、ハッキネンの場合、苦労の末ついに来たチャンスを掴んだ訳で、ほんとに良かったと思う。今のマクラーレンのカラーリングも綺麗で好きだし(グラデーション塗装してるんで、クラッシュするとかなり金かかりそうだが)。99年は「速いが壊れる」マシンに手を焼きながら、チームの作戦ミスで勝てるレースを落としながらもハッキネンが連続チャンピオンを達成。

 98年タイトルを逃したフェラーリだが、99年はM.シューマッハの負傷欠場はあったものの、マクラーレンの取りこぼしが多かったお陰でかろうじて16年ぶりのコンストラクターズタイトルを獲得。今年あたり成績次第ではまたお家騒動が起きそうな気がすると思っていたのだが(90年にもう一歩でタイトルを取り逃がした翌年、一転して大不振で迷走にハマり込んだ時のように)、2000年は絵に描いたような理想的な展開でダブルタイトルを獲った。これで妙なフェラーリ贔屓のFIAの流れが止まればよいが…。
 フェラーリというチームは名門でファンが多くて、金と名声にあかせてトップドライバーやエンジニアを強引に分捕ってきたり統括団体(FIA)が味方で規定を変えさせたり…、と、日本の某G球団と構造的に似ているとよく言われるが、お家騒動の繰り返しという面を考えるとG球団とT球団の悪い面ばかり集めたような性格のような気がする(とまで書くと言い過ぎか?)
 2000年に復帰したBMWやホンダの復帰に加えて、この後あのトヨタが遂に参入してくる。F1もいよいよ大メーカーによる争いの場になるのかもしれないが、ここ10年ほど、大メーカー同士の激烈な争いの場となったカテゴリーはすべて短命で消滅している(SWC, DTM-ITCなど)のが気がかり。

WRC, プロトタイプ, GT…:
 個人的には、高校の頃からWRC(ラリー)やル・マン等のレースも関心を持って見ていたが、F1以外のレースも情報が入りやすくなったのはやはりここ6、7年の事のような気がする。
 97年から本格的に再挑戦を始めたニッサン(R390)に続き、98年はトヨタもル・マンに挑戦したが、そのマシンTS020を見て仰天した。これって完全にCカーぢゃないの? いったい何処が市販前提のGTカー? 規定の裏をかくのがレースとはいえ、これは酷すぎると思う。なにしろトランクスペースがコクピットの中にある上、その中には燃料タンクが積んであるのだ…。もう少し、ZやGT-R、或いはスープラを意識した外形にするだけでも印象はだいぶ変わるだろうに…。
 確かに、この先鞭をつけたのは「911」を名乗りつつ全然911でない、911GT1を作ったポルシェや、それに追随したメルセデス・ベンツCLK-GTRだったのは確かだけど(マクラーレンF1 GTRも市販車としては異常なスーパーカーだが、それでも相当数を生産した市販車をベースにしているから、これが正しいあり方だと思う)、ニッサンとトヨタは外観も形式すらも全く市販車にない車を投入してきた訳で、今年からポルシェもフルカーボン・ボディの、市販なんて到底無理なマシンを出してくるようだし(それでも名前は911)、このままではル・マンはともかく、FIA-GT選手権(特にGT1)はWSCやITC(DTM)同様すぐに姿を消してしまうような気がする。金かけすぎの大メーカーが悪いのか、規定を定めるFIAが阿呆なのか…(FIAの対応のまずさについては、F1についてもいえるが)
 で、98年のル・マン24時間。序盤のまるでスプリントのようなトヨタとメルセデスの争いには仰天した。「こりゃ3時間でどっちも潰れるな…」と思っていたら案の定ベンツは1時間で2台とも潰れ、トヨタも2台がトラブル。まるでCカー時代のプジョー905が登場した頃を思い出す光景だった。
 ところが意外、トヨタTS020の1台が終盤までトップを独走、「まさかデビュー・ウィン…!?」と思ってみていたら結局残り1時間というところで突然のリタイア。去年の日産もそうだったが、やはり初年度で勝てるほど24時間耐久は甘くないのだろう。一方、2年目のニッサンR390がトラブルフリーで全車完走、星野/景山/亜久里が表彰台。これは良かった。とにかく終盤まで上位が同ラップ数のル・マンなんて初めて見たし、昨年は面白かった。
 99年はニッサンはプロトカー部門へ転向、トヨタは優勝を目指せる体勢できたものの、結果はPPを獲った車をはじめ2台がリタイア、しかし右京・土屋・鈴木の日本人ドライバーによる車が堂々の2位、あっさり昨年のニッサンを上回ったが、F1の準備のためWRCとともにこの年限りで撤退してしまった。勝ったBMWもF1に専念するためワークスから撤退、2000年はメルセデスもポルシェもワークス体勢をとらず、唯一のワークス体勢をとった初登場のアウディがあっさり優勝。どうもトヨタはタイミングを間違えたような気がする…。

 国内に目を向ければ、JTCC(全日本ツーリングカー選手権)が終焉、スーパーツーリングカー選手権が始まるらしい。これは、フレームを共有化して製造コストを下げ、フロント/リアだけ各メーカーの量産車っぽい形にしてしまう、という、大昔のシルエット・フォーミュラを彷彿とさせるレースらしい。不況下の状況でスポンサーも集まらず各チームとも苦しい故の試行錯誤なのだろうが…、うーん。
 そもそもJTCCが始まったのも、2ドア車・4WD許可の中で登場したR32スカイラインGT-Rがあまりに強すぎたために、それを追い出すために車両規格をFIA基準に合わせて4ドア・2WDにして始まったのだった。活躍の場を追われたGT-Rは全日本GT選手権やル・マンに活路を求めるが、GTといってもマクラーレンやポルシェに敵う訳がなく、ル・マンは結局2年で撤退、本格的GTマシンを製作するしかなかったのだ。


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