One Day  時々日記:2005.3.16-3.31
 誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は 地雷と番犬と腰に機関銃 ドイツ製でもダメでしょう

 俺本人のいちばん長い日
 2005.3.16(Wed)
日付が変わった頃はまだ全く方向性が見えず。このまま逃げることも本気で考えた。この期に及んで解析の再検討というのはどう考えても常軌を逸している訳だが、かといって問題のある状態のままで発表することもしたくないし。問題のある部分の解析をひたすらやり直し。
 朝5時頃になってようやく一つの方向性を見つけることができた。というか結論にまとめていく部分のストーリーの一大転換といっていい。残り数時間で図表を全部作りきれるのか?という問題はあるものの、ともあれPowerPointにオブジェクトで貼り込んであるExcelグラフの作り直しを急いで行い、PowerPointスライドに載せる説明の内容やアニメーション動作順序を修正、そのあと写真の差し替えのためPhotoshopで作業。巨大ソフトばかり使う上に作業ファイル自体がデカいためiBookからは頻繁に「起動ディスクの空き容量がない」という悲鳴アラートが出たが、いまから全部立ち上げ直している時間もないので上書き保存だけは頻繁に行いつつ作業続行。
 そして7時、なんとか完成を見た…。結果的には素人目にもキレイな結論にすっきりと仕上がってしまったのだが、時間ギリギリでよくこの落とし処ににまとまったものだ。この6時間は何かが降りてきて俺に取り憑いたとしか思えない集中力と奇跡だったような気がする。

いったん着替えるため下宿に急いで戻り、シャワーと髭剃りだけ済ませてスーツに着替え、30分で再び研究室へ。そういえば発表時に読むための原稿を全く作れなかったが、今回はPowerPointスライド内容が完全に頭に入っているから原稿無しでもなんとかやれるだろう。問題は過度に緊張しないことだけだろうと思う、というか自分に言い聞かせ、iBookや要旨集、出展企業にお貸しする機材などを持って自転車で総合人間学部のある吉田南キャンパスへ。考えてみれば自転車で通える学会というのもなかなかあるものではない。前回は飛行機だったしなぁ。この差は凄い。もっとも、そのお陰で当日ギリギリまで発表資料作りを粘れたという点と、地元でなければ他の仕事も入らずもっと発表準備に専念できたのにという言い訳の両方がいえそうだが(汗)
 8時から会場スタッフの説明。各会場には専攻の学生1人+バイトで募集した学生2人が入った。僕がずっと座長の隣で時計係をすることになり、発表開始後10分で鈴を1回、12分で2回、14分30秒で連続して鳴らす役(1人の持ち時間は15分で30秒は交替時間)。残りの学生さんが会場入口での受付&パソコンのプロジェクター接続関連のサポートを交替で行うことに。特に僕はこの会場で発表も行うので、今日・明日はずっとこの部屋にいることになる。会場となる教室に入り、プロジェクターを起動して準備。また、1階ロビーに出て出展企業の担当者の方に機材を預け、ついでに現在打ち合わせ中の件について少しだけお話をして戻る。
 8:45頃から徐々に参加者が会場に入り始める。最初の座長は某総研のHさんで、僕が研究室に入った時にM2で随分お世話になった方だからお互いに話しやすく安心かも。Hさん自身はじめての座長、しかも朝イチということで若干緊張されていたが、二人で意見が一致したのは「此処、一体どこ?」 とても京大の教室じゃねぇ(笑)。

9:00から発表が始まる。座長は3〜4人の発表で交替していく。Hさん以外も知っている人や先生が座長のことが多いので、その点では安心する部分とかえって緊張する部分と。発表を聞いている間に、自分の発表の中で要旨集に載せたグラフを使っていない事に気が付いた。外したのには理由があったのだけど、その理由などを説明していない訳で、その説明をしないといけないよな、ということで昼休みに発表資料に追加することに。朝に地下のナチュラルローソンで昼食を買っておいたので、昼食時間中に突貫工事だな…。
 11:45に午前中の発表が終わり、スタッフ控え室に入ってiBookを開け、発表資料の修正。ダメ出しを喰らい大幅に作り直す前のファイルを別名にして残しており、そこに必要なグラフが残っていたので修正作業自体は意外に早く終わらせる事ができた。通しで動作確認を行い、一応の発表練習を行って会場に戻って一人おにぎりを食べる。
 午後からの最初の座長も以前からの知り合いの方で、その間に僕の発表もあるのでその間の代理スタッフの件も含めて打ち合わせ、14:00から発表再開。14:15には代理のスタッフに時計係を託して次々演者席に移動し、iBookを起動、モニタを接続して待機。僕の前に発表する2人は同じ研究室の学生で解析手法にも共通する部分があるので、どういう説明をするのか聞いた上で自分の発表時の参考にした(全く同じ説明を何度もする必要はないし)。そういうことをこの段階で考えられるというのは、いま思うと余裕があったのかもしれない。

14:45から自分の発表。最初に「今日・明日とこの会場で時計係をしておりますが、この時間だけ発表者として参加させて頂きます」などと挨拶した辺りで、前日までのパニックぶりがウソのように落ち着いていた。読み上げ用の原稿をまったく用意できなかったが、逆に「原稿を棒読み」にならず自分の言葉でスライドと会場内の聴衆を見渡しながら説明できた方が今回に関しては大きかったな。たぶん今迄の学会等での発表でいちばん上手く発表できたような気がする。勿論それでも緊張はするので噛んだりつっかえて言い直したりした部分はあるけど。
 少しだけ制限時間オーバー気味で発表終了。質疑応答で出た質問にも今回はうまく対応できていたと思う。ホッとしたというよりも今回は少しだけ勝利感を持ちつつ終える事ができた。ホント、今日は何かが取り憑いていたとしか思えない。

その後、ふたたびスタッフに戻り、17:45に本日の発表終了。片付けをして本部に戻り、解散。いちど研究室に戻って、そのあと帰宅。やっと終わった安堵感と、前日までの状況を思えば万々歳な出来にちょっとだけ喜びをかみしめつつ、帰りに買ってきた超長期熟成ヱビスビールにて乾杯。そのまま19:30頃には電気も消さずに爆睡した模様で、気が付いたら25時だった…。そこからもういちど寝直し。

 宴は何処へ
 2005.3.17(Thu)
今日も朝から学会スタッフのため7時起き、8時に大学へ。今日・明日の発表は午前中だけで、今日の午後はシンポジウムや記念講演会、夜は懇親会。懇親会はスタッフ仕事は入っていないけど、デジカメを持って行くしカメラ係のバックアップになるだろう。
 今日も同じ会場で同じ部門(自分が発表した部門でもある)の担当だから、発表そのものが自分の関連している分野でもあるのでずっと興味を持って聴ける。よその分野の発表会場に回されていたら寝ていたかも(笑)。ただ、聴くのに一生懸命になって時々時計を見忘れそうになった(苦笑)。ちゃんと気が付いて仕事はしたのでトラブルにはなっていないけど。

昼前に今日の発表は終了、そのあと研究室に一旦戻り、昼食を取って午後から講演会へ。こちらの会場は時計台を一部改築して建設された百周年記念ホール。やはりカメラ係のバックアップとして撮影しながら聞くことに。そのあと一度研究室へ戻る。雨が降っていてちと難儀した。

18時前に研究室を出て河原町御池の京都ホテルオークラ(旧・京都ホテル)へ。此処が今回の懇親会会場で、クロークに荷物を預けて会場に向かうと既に円形テーブルに名誉教授など先生方が座って談笑されていたので、偉い方には座って頂き、あとはいつもの立食形式のバイキングかと思っていたら…、なんと此処はロビーで、隣に巨大な会場があった。しかも全員分の椅子も。400人くらいの懇親会だからかなり巨大。ディナーショーか芸能人の結婚式かと見間違うくらいの規模(笑) 昨日最初の座長だった先輩のHさんと二人でビビり「これ、どこに座るかで人間関係とか力関係とか出るなぁ…」という話になったあとHさんが「せめて"松""竹""梅"くらいに分けておいてくれたらいいのになぁ…」というのにウケてしまった(笑)。まぁ正面の舞台近くの席は名誉教授など招待客用になっていたけど。僕とHさんはいちばん入口に近い席を確保。こちらはカメラ係もあるから席だけ確保して後はデジカメで色々と撮っていた。先日急逝されたうちの研究室の教授が今大会の大会実行委員長だったので、本来なら壇上で挨拶などもされていた筈だったな…ということを、昨年8月の札幌での懇親会の時の締めの挨拶をされていた時のことを思い出しつつ考えていた。

 最終日
 2005.3.18(Fri)
学会3日目。もっとも今日は午前中だけで終了するし、発表も昨日までに比べると少ないので使わない部屋も出てくるため分担の変更。今日はパソコンのプロジェクター接続関連のサポートと入口受付を交替で受け持った。実は京大総合人間学部の新棟、吹き抜けを囲む形で回廊のような廊下があり、その南北に教室があるのだけど、消防法かなにかの都合上で(吹き抜け構造は煙突効果のため火災時に危険な上に防火扉も設置できない)、この回廊部分と吹き抜けは上に半透明膜の屋根こそあるものの側面は壁がなく(鳥よけのため細かい線は張ってある)、外気が入り込んでくるため非常に寒い。昨日・一昨日とここの担当だった人は大変だったろうな…。
昼前にすべて終了。本部に戻ったあと、企業出ブースに向かい(研究室から貸し出していた)機材の返却を受け取り、研究室へ戻る。後かたづけをしていたら夕方過ぎに。
 さて、やっと終わりだ。このあとの三連休、少しくらいはゆっくりしたいなぁ。

 光りモノ三昧
 2005.3.21(Mon)
連休中は半年以上ぶりにガンプラ作っていた。いつものようにMGではなく、8月にK大佐から頂いた限定品のメッキバージョンHGUC。ハイザックなんか作りかけのまま半年以上放ったらかしだった訳だよなぁ…。
 限定品は「Zガンダム」登場MSの4体で1セットのもので、このうちハイザックとガンダムMkII(ティターンズカラー)が連休中に完成。メッキバージョンだから溶剤が使えないため、塗装どころか継ぎ目消し処理もできないし、ティターンズのマークIIはほとんど真っ黒だからスミ入れしても意味ないし、ほぼ完全に素組み状態なので、(HGだからパーツ数もMGより遙かに少ないし)完成も早い。これが通常のHGUCやMGだったら手間かけて作るし、工程が多いと集中力の問題もあるから一日中作ってもいられないから時間がかかるのだが。あとはリックディアス(赤)とZガンダム(なぜか全身真っ黒)が残っていてリックディアスは一部手をつけたけど、残りはいつ作れることやら。それにMGのリックディアスやハイザックもそろそろ手間かけて作りたいんですけど…、そういうのは学位が取れてからかなぁ…。

 いったい何を認定されたのだろう
 2005.3.23(Wed)
修士課程および博士後期課程の学位授与式。まぁ卒業式である。修士課程は人数も多く(現在の京大理系の研究科の場合、学部よりも定員が多いくらいだ)研究科ごとに総代がでて総長から学位記を渡されるのだが、博士後期課程は全員が氏名を呼ばれて一人づつ学位記を渡されるので式の席次も指定されているそうだ。
 博士号は博士後期過程で取得する場合と論文審査による取得があり、審査はぼ毎月、授与式は隔月で行われるのだが、やはり学位取得後の進路が関係して3月の授与が多く500人を超える。つまり3月に博士号の学位を取る場合、寒い体育館で500人を超える全員の学位記を渡し終えるまでの長〜い授与式になる訳で…。それ以外の月の授与式は時計台あたりの部屋で少人数で行われるらしいから、そちらで取れないものかと考えてしまう(ま、早く取得後の行き先が決められるかどうかが最大の問題だけど)。

僕の学位は諸事情によりもう少し先になることと思うが、うちの研究室のもう一人のDCの学生U君は無事に学位を取って4月から研究室を離れる。僕も博士後期課程の最低年限は在籍し教授から指導を受けていた、ということで「指導認定」というものがなされた。これは博士号の学位とは全然違うモノで、「博士後期課程に所定の年限在学し所定の研究指導を受けその成果につき認定されたことを証する」んだそうな。文系の研究者の場合は博士課程を終えてもすぐに博士号が出ることは少なく、たいていはこの指導認定を得た段階で卒業し「単位取得中退」となる。つまり僕も今すぐに退学届を出すと「修士課程修了」ではなく「博士後期課程単位取得中退」という最終学歴になるのだが、これは理系の場合あまり有難みのある学歴ではなく、学位を取っていないと認めてもらえない世界。
 ということで、その「学修証書」の授与は各専攻ごとで行われる修士課程の学位授与(ここで専攻長の先生から一人一人に学位記が渡される)会場で同時に行われるとのことで、会場となっている部屋に向かい、修士の学生が学位記を受け取った後に呼ばれて「学修証書」を頂いた。学部や大学院の学位記はA2サイズ?位のでっかいモノで京大オリジナルの透かしまで入った紙を使った立派なモノだが、学修証書はA4サイズの簡単な様式のもの。早くあの学位記を貰えるように頑張らないとなぁ。

 卒業
 2005.3.24(Thu)
卒業式。京大農学部にとって現在の6学科に改組されてから最初の卒業生を送り出すことになり、このため昔の10学科時代に学科ごとに作られた同窓会が機能しづらくなってきた(うちの研究室が所属する学科の場合、10学科から3学科7コース制になった後も研究室の所属的には旧学科がそのまま1つのコースに対応していたので今迄存続してきたが)ため、昨年まで卒業式後に旧学科の同窓会主催で行われてきたパーティーがなくなり、代わりに急遽、新学科の教員主導でうちの学科だけ卒業祝賀会が昼から行われた。カメラ係も兼ねて出席したのだが、少なくとも先日の学会の懇親会よりは食べた気がする(汗)。卒業式だから当然、着物や袴姿の女の子の写真もずいぶん撮れたが…いや部外者には見せませんから(苦笑)。途中、いろいろなディレクションが入ったこともあってヘンな写真がずいぶん増えただけのような気が(^^;;)

夕方から木屋町二条の店で研究室の追い出しコンパ。2月中旬に教授が入院し末に逝かれるという非常事態の中で、みんなで頑張って卒論発表や学会をこなして来たために、誰にとっても今回はいつも以上に感慨深い年度末になった気がする。その分宴会でハジケたか?例年では考えられないくらいヘンな写真ばかり宴会で撮れてしまった(^^;;) これも絶対に人に見せられないよなぁ…。2次会などの後、帰宅は26時くらいだったかな。

 驚愕
 2005.3.29(Tue)
名古屋の実家へ帰省。学会も終わったし、もっとゆっくりしたいところだけど、31日に国際学会エントリー締切のため(そもそも「出た方がいいよ」と言われたのが4日前だ)31日には京都に戻らなくてはならぬし、そのアブストラクトを英語で考えなきゃならんので、今回もiBookを持って帰省。空いた時間に英語で考えないと。
 新幹線で名古屋へ着くと、名鉄に乗り換えて常滑線に乗る。そういえば空港開業してからはじめて帰省するが、当然ダイヤ改正もされているし空港輸送を担う常滑線が一番大きく変化している。まず名鉄の名古屋駅が「新名古屋」から「名鉄名古屋」に変更されているし、従来は本線(岐阜−豊橋)にしかなかった指定席+一般席混結の特急が空港特急にも登場し、名鉄らしからぬ新しいカラーリングの新型特急車両も登場した。快速特急・快速急行という新しい種別も増えた。…といったことは情報として知ってはいたのだが。

名鉄名古屋に着いた時、ちょうどホームには全車指定席の空港特急が停車中だった。この直後にくる豊橋行きの特急(指定席+一般席)が次の金山で空港特急(豊橋から来て金山で折り返して常滑線に入る、指定席+一般席)に接続するということで乗車、すぐに乗り換え…ようとしたら。ホームで待っていた空港特急は平日の午前中だというのに超満員。そもそも名古屋と逆方向に向かう電車がこんなに混んでいること自体がありえん(汗)。
 空港に向かう客が多いということは当然ながら荷物も皆デカい訳で余計に混み合うし、スーツケースでなくリュックを背負ったおっちゃん・おばちゃんが多いのは、あれは空港を見物に行くのだろう(笑)。とにかく物凄い混みようで、昔、朝7時台の名古屋方面行き電車に乗って河合塾に通っていた頃の混雑を思い出した。ま、常滑線の地道な線形改良の効果か、金山を出てから太田川まではものすごく速かった(気がする)けど。
 新型車両導入の影でパノラマDX5500系といった馴染みの深い車両が全廃され、また今月末で岐阜周辺の600V区間(路面電車)が全廃されるなど大きな動きがある名鉄だが、空港への鉄道輸送は関空・羽田・成田と異なって1社独占である上に都心から30分以内で着く利便さ、さらには関空などと異なって国内便もすべて小牧から引っ越してきたために輸送需要も相当にあるので、JR東海に客を奪われ放題の本線に代わって今後は空港輸送が名鉄最大のドル箱路線になるのかもしれないなぁ。

 七転八倒
 2005.3.31(Thu)
どうも今日は花粉症がひどい。今年はじめて酷い症状が出ている。鼻水が止まらない…。ま、今年は事前から相当に飛散すると言われ、実際に発症者増えている状況で、自分だけは例年より軽くここまでほとんど症状が出ていなかった(早い時は2月からダメな時も過去にあったしなぁ)ことを思うと、それなりに体質の改善はあったのだろうけど、それでも防ぎきれなかったということか。
 卒業式も終わり研究室にあった卒業生の私物も片付けられ、一方で新しく研究室に入ってくる4回生もまだ今はいないからこの時期に研究室に出てくる学生はとても少ないが、今日研究室に出ていた学生も先生も学生も事務の人も全員が花粉症だった(涙) 東京は大丈夫かなぁ…。

今日が国際学会のエントリー締切。エントリー時に発表内容のアブストラクトを300語程度で書いて送るために朝から英作文。ふだん文献を読むため英語を読むのはよくあることだけど、考えてみたら英文を書くのはものすごく久し振りのような気がする。お陰で四苦八苦。しかも先生がお休みでいなかったりするからチェックもして貰えず、夜10時頃にやっと書き上げてネットからエントリーしたが、あのアブストラクトははたして英語として成立しているのか非常に怪しい(汗)。文法とかめちゃくちゃだし中学生レベル以下かもしれぬ…。5月末には発表の可否が通知されるが、あのアブストラクトのせいで突っ返されたら、それはそれでその後のさらなる苦しみが無くなってホッとするような気も(^^;;)

JR東海もいよいよICカードによるストアードフェアシステム導入に踏み切るようだ。もっともJR東海の場合は東海道新幹線のエクスプレスカードのIC化がメインで、在来線(名古屋近郊・静岡近郊)のIC化はその付属のような印象だが。現行のエクスプレス予約の場合は携帯かPCでネット予約したあと、駅の自動切符売り場でカードを入れて指定券+領収書に引き替えて改札を通るのだが、新システムでは予約をしたあとカードを改札機にタッチすれば改札機(の通常は切符類が吐き出される部分)から指定券サイズで席番と領収書が印字されて出てくるものになるらしい。近郊区間でなく扱う運賃額が大きいから、プリペイドではなく現行通り後日まとめて引き落としのクレジットカード形式のままだろうけど。
 いっぽう在来線用ICカードは東日本のSuica・西日本のICOCAと基本は同じシステムだろうし将来的には相互利用を考えているだろう。逆に、JR東海のシステムを応用して東北・秋田・山形・上越・長野・山陽の各新幹線でもエクスプレス予約のような形のサービスが始まるかも(現行のえきねっと(東日本)やe5489(西日本)等のクレジットカードによる予約サービスは、専用カードでないせいもあるが割引率や予約・変更の簡単さなど使い勝手でエクスプレス予約に劣ると思うので)。特に山陽新幹線でもこのサービスが使えるようになったらかなり便利になると思うのだが。
 で、問題はカードの名前だが…、新幹線用のエクスプレスカードはそのままとして、在来線用はなぁ…、関西民鉄の「スルッとKANSAI」・関東民鉄の「パスネット」に対して名古屋(名鉄+名古屋市その他)は「トランパス」にするような地域だからなぁ…。Suica・ICOCAのように"IC"を織り込んだ名前にしたいだろうけど、いい名前あるかなぁ…、まさか「イコミャーカ(Icomya-ca)」になったりせんだろな(^^;;)

そんな訳で今日で年度末。明日はいつものアノ日だが…、去年は大ネタをやって波紋まきすぎた(苦笑)し、今年はいいネタも思いつかないので自粛します(笑) あ、明日東京に向かうのはホントですが。