時々日記: 2003.7.16-7.31

 出発
 2003.7.17(Thu)
ようやく本番用の音源をミックスダウンしてMDに録音。前日リハではMDが使えないらしいのでCDにも焼いて準備しておく。新曲の歌詞もとりあえずプリントアウト。
 夕方に新幹線で名古屋へ移動し、実家で一泊。妹が買ったばかりのミノルタの超小型デジカメを見せて貰う。ポータブルMDプレーヤーよりも小さい。いいなぁコレ。

 前夜
 2003.7.18(Fri)
朝、実家を出発して名鉄から金山乗り換えでJR東海道線を鈍行の旅。とはいえ新快速だから豊橋まではかなり速いのだが。豊橋−浜松は列車本数が少なく快速列車も各停。10:38浜松着、富士行き普通に乗り換えて東海道線をだらだら東上。
 その間、ポータブルMDでライヴ音源を何度も聞いてイメージを反芻していた。実はこの期に及んでもまだ新曲の唄い方のイメージが固まっていない。どうしてもBメロのイメージが固まらなくて。今回は完全にコード進行が先行で後からメロディを乗せていったのだが、作ってからものすごく唄いにくいモノを作ってしまったことに気が付いた(苦笑)。さてどーしましょ。

12:33富士着、沼津行きに乗り換え12:55沼津着。さらに1駅区間だけの列車(新幹線連絡かな?)に乗り換えて13:04三島到着。すぐに新幹線ホームに駆け上がり13:10発の「こだま」に乗車。ここから自由席1680円で東京へ直行。東京に着いたのは14:06。実はここまで接続が良すぎて全然メシを食べてない(苦笑)。そのまま移動、タカハシ氏と鶯谷で待ち合わせることに。やがてタカハシ氏・Nさんと合流して、とりあえずタカハシ邸へ向かう。そういえばタカハシ邸が昨年建て替えられてから初めて行くことになるな。以前は何度か泊めて貰ったりしたが。
 しばらくタカハシ家で休憩。そのあと1階でギターなどの準備をしているとW田さん到着。17:30を過ぎてから徒歩でリハーサル会場の台東区生涯学習センターへ。今年2月に実験ツアーで使わせて貰った場所である。今回は今日と明日午前のリハーサルをここの音楽室や練習室で行うことに。今日使うのは練習室でマイクもなく音源もCDラジカセしかないのだが防音構造はきちんとしているので気兼ねなく音が出せる。あとからAOIさんと弥生猛さんも合流。CDラジカセを使って練習したが、やはり1曲目のBメロで四苦八苦する状態に。今日はこのあともAOIさん宅で ひとり壁練状態だろうな…。
 21時にリハ終了、施設内のバーミヤンで夕食。そのあと鶯谷から山手線・常磐線(営団千代田線)経由で金町のAOIさん宅へ。4月の引っ越し時にはまだ居なかった犬・蒼ちゃんの出迎えを受けた。お風呂を借りた後、持参したiBookで新曲の詞の直し。明日はこれで行きましょう。

 2年ぶりの緊張
 2003.7.19(Sat)
目が覚めてからは、ひたすらギター抱えて壁練。ようやくBメロの唄い方のヒントを得た。弥生さんのクルマにてリハ会場へ移動。今日は音楽室を使うのでマイクもMDも使える。11時までリハーサルを行い、ギターは弥生さんのクルマで、出演者はタクシーで秋葉原へ移動。いよいよ本番が近づく。

昼過ぎからセッティング・リハーサル開始。しばらくするとタカハシの教え子の中学生の女の子達が早くも会場へ集まってきた。で、俺のリハーサルの番になったのだが、MDからの出力やエレアコからの出力でトラブルが頻発、ずいぶんと時間がかかってしまった。シールドを交換して治まったりと決して俺の責任ではないのだが、ここで随分と時間を取ってしまってなんだか申し訳ない気分に。このせいもあり、やや開演を遅らせてスタート。俺の出番はタカハシ・ソロに続く2番目。

1. Plug & Play
 懸案の(笑)新曲。前夜まで詞を直し唄い方で四苦八苦している新曲を1曲目に持ってくるのもどうかとは思うが(汗)どうしても今回はここから始めようと思っていたので。リズム体とコード進行を先に作り込んでから後でメロディを作り詞を乗せたという作り方は初めて。今回はきっちりクォンタイズしたりベロシティを揃えた上で同一メロディの部分はコピー&ペーストで作るなど意識的に単調にして手作り感を削いだのだけど、もうすこし基本となるリズム体を練り込んだ方が良かったかなぁ。
 詞はサイバーな世界と現状を意識しつつ、性的な意味合いをかなり含ませて色々と解釈できる多義的なモノを書こうと数年前から考えていて、その部分はかなり達成できたのではないかと思う(タカハシ生徒の中学生たちに聴かせて良かったかどうかはともかく…)。現段階ではこの方向でイイと思っているが、まだ詞・曲ともにもっと練れそうな部分はあるだろうし、次に演る時は過去の「Next Door」などのように全然違う仕上がりになっているのかもしれない。
2. 眠れない夜に
 2000年の東京ライヴでも演った曲。この時は打ち込みの音にギターを合わせて唄ったが、今回はまったくのギター1本で演ってみることにした。実は打ち込み無しのギター1本で一人で演るのはこれが初めて。ここも新たな試みではあり、ある意味いちばん緊張した部分ではある。この曲を作った頃から詞についてはほとんど手を加えていないので澱みなく唄えるのだが、問題はやはりギター。打ち込みがない分、どうしてもテンポが走り気味になってしまうし、そもそもギターがヘタなのできちんと音が出ていなかった。もっとギターを練習しなくちゃなぁ。
3. Summer Days
 これも2001年の東京ライヴでも演った曲。前回とほとんど変更はないが、細かいところは色々と手を加えている。この曲のアレンジを作った頃からアレンジに対する意識や手法がかなり変わってきて、個人的には転機となった一曲だった。そろそろ元バージョンの公楽荘内輪向け「遊ぼう。」用新アレンジも作りたいところだが。
4. いつか言える(Ver.3)
 この曲を人前で唄うのは4年ぶりになる。1998年に初めてライヴに出演して人前で唄った自作の曲がこれで、翌年一部メロディと詞を追加してTOCCHAN&RYOKAN(with Andy)でも演った(Ver.2)。それ以後、唄う気が起きずいわば封印状態だったが、今回あらためて唄う気になったキッカケは、以前この曲を最初に作った頃デモテープを長崎の土人さんに送ったことがあり、今年の春に長崎に行って彼女と会った時に「りょーかんちゃんのあの曲が好きで、今でも時々聴くんよ」と言われて猛烈に恥ずかしくなったことと、今年2月に実験ツアーの際にあいびすさんから頂いた98年ライヴの試作DVDの自分の出番を(覚悟を決めて)観て「もう一度きちんと演らねば」と思ったことによる(滝汗)。
 「Summer Days」の時もそうだったが、以前に作った曲を「今ならこう作る」という感覚で全く別のアレンジでリメイクする作業はけっこう楽しいし、以前はスキルや機材の限界から頭の中のイメージに実際のアレンジが追いつかなかったことでも、今ならかなり近づけることができるようになったと思う。
 詞も一部変更した。最初に作った頃とは少し違う箇所に重点を置いて唄いたいという気持ちからである。作った頃に自分の中に強く存在していた追いつめられた重苦しさはかなり消えて、別の方向へ向けて唄うようになれたと思う。だから唄い方もかなり意識的に変えている。エンディングが何かの曲に似てるとか言わないように(笑)。
 ライブでは最後をフェードアウトさせずに終えたが、音源のシーケンスの方はフェードアウト用にかなり長めにエンディングを作っており、この部分を利用して、更に少し音を追加してInstrumentalを作り、退出時にかける曲とした。前回のライブでやってみた試みが気に入ったらしい(笑)

 …MDの操作時などにトラブルは出たものの、ともあれ歌詞をすっとばすこともなく終了。しかしやっぱ緊張はするなぁ。途中のトークで話したかったことの1/3はすっかり忘れてました。やはり慣れは必要。次は期間を開けずにやりたいと思ったり。

その後はずっと客(時々スタッフ)としてじっくり聴くことができた。eELtのNさんの爽やかな歌声も、リーダーのソロのステージも、W田さんの昔と変わらないクサいトークも(^^;)久しぶりに聴くことができたし(最前列でたかさんがW田さんのトークの相変わらず振りに滅茶苦茶ウケてた…)。風呂さんも今日のライヴの為に曲まで用意してきて流石であった。

予定より少し押して18:40頃にライヴ終了。すぐに片づけ・撤収に入り、付近の店で打ち上げ。客として来た筈のたかさんも加わって盛り上がりました。今日は2次会はなくお開き。弥生さんのクルマで移動し、今夜は風呂さんもAOIさん宅で宿泊。さっそく風呂さん、蒼ちゃんと遊んでいましたが、後で俺がiBookを開いてネットを見ていると北朝鮮情勢の話になり、ネットで幾つか記事を検索。まさかソレが翌日に繋がるとは(笑)。

 屋形船
 2003.7.20(Sun)
今日は夕方からAOIさん主催の屋形船オフ会。午前中は弥生さん・K大佐と3人で松戸にできたばかりのバンダイミュージアムへ。ガンダムミュージアムのスタッフの服はやっぱ連邦軍かジオン軍系の制服コスプレにして欲しいわ…。そのあと弥生さんは別の用事に向かい、K大佐と2人で新橋からゆりかもめでお台場へ。まず向かったのは船の科学館。もちろんお目当ては工作船である(^^;) これがのすごい待ち行列で、此処はディズニーランドの人気アトラクションか?というくらい。これで工作船グッズとかあったら結構売れるのかも(やめんかい)。工作船見学は無料なのだが、折角だし船の科学館や宗谷船内も見ることに。

そのあとフジテレビで「踊る大捜査線 湾岸ミュージアム」を見学。これもフジテレビが今開催している「お台場冒険王」がすごい人数で、待ち時間が長かった…。お陰で、サザンオールスターズの秘宝館に行く時間的余裕はなくなり、東京テレポートからりんかい線に乗って新木場で営団有楽町線に乗り換え、待ち合わせ場所の月島には時間ギリギリで到着。
 今年はカタノ艦長・タカハシ氏・K大佐・N先生など公楽荘/ライヴ関係者が多い。タカハシは風呂さんのライヴでサポートするつもりでギター持参。そういえば風呂さん+タカハシを聴けるのは久しぶりだなぁ。近年ではかなりレアなライヴになりそう。
 船が出発して暫くすると昨年同様「船頭」と称する方から風呂さんそっくりの声で挨拶が。「本日はこの「万景峰号」にご乗船頂きありがとうございます…」(以下とても危なくて書けません)。昨日風呂さんが尋ねていたことが随所に織り込まれた危険な挨拶であった(^^;;) そのあと風呂さん登場。タカハシ氏がギターサポートでほとんどアドリブでリードを務めた。料理も美味しく、今年はオーナーのオゴリで蟹まで出ました。来年は蟹まるごとプレゼントか!?
 

 西へ
 2003.7.21(Mon)
一度起きた後また寝てしまったりで午前中はだらだら。お昼はクルマで亀戸まで出掛けて餃子を食べ、亀戸天神に参拝したり。新幹線で帰るラテン系関西人氏を駅で見送り、亀有で研究室の土産に「両さんサブレ」を買い、AOIさん宅へ帰投。
 夜は品川までクルマで送ってもらい、駅前の「牛角」でAOIさんと弥生さんと3人で夕食、そのあと2人に見送られて「ムーンライトながら91号」に乗車。これは従来の定期「ながら」救済便としてシーズンに運行されていた全車自由席の臨時電車が今夏から全車指定席になったもので、車両も従来の急行型165系から特急型183系に変更されている。そろそろ全廃が近い165系より「あずさ」「かいじ」全面置き換えで余剰が多い183系に余裕があるせいだろう。いずれ「ムーンライト九州」も客車から485系に置き換えられたりするかなぁ。
 この列車の登場を知った時は185系を回すのかと思ったが、弥生さんに言わせると「185系を関西まで走らせたら西では快速(117系)に使う電車が東じゃ特急に使っていることがバレてしまう」からJR東日本が使わせないだろうとのこと(笑)。まぁ確かに185系は117系ベースに設計されたのは本当らしいですけど。ともあれ23:55に品川を発車。隣の席には誰も来ず、ぐっすり眠れた。

 カッコよすぎです。
 2003.7.25(Fri)
北島の100m・200m両方での世界記録での金メダルは物凄いことなのは言うまでもない。平泳ぎの場合、他の種目に比べても100mと200mで要求されるものの違いが大きいと言われる。それをきっちりと2つとも世界記録で達成したのは コンピューターで解析して徹底的に効率的な泳法を追求してきたことと、それを実行しうるだけの体力と冷静なペース配分を維持できる精神力の強さであろう。
 もともと平泳ぎは日本人が得意としてきた種目ではあるが、その初期は潜水泳法やドルフィンキックという技を編み出してのもので、その度に禁止されてきた歴史がある。(現在は潜水できるのはスタート時とターン時のひと掻きひと蹴りのみ、昔の平泳ぎのルールは左右対象の泳法で泳ぐというだけで、現在のバタフライの泳法が認められていたが後年ドルフィンキックは禁止され代わりに新種目バタフライが作られた)。平泳ぎほどルールの厳しい種目もなく、一時は頭の一部が常に水面から出ていなければダメだったし、片手タッチも反則になる。今回の北島の二冠と世界記録はそういったルールの裏をつくものでなく正攻法で速さを求めた結果だから凄い。特に200mについてはペース配分まで計算し尽くし冷静に泳いだ結果という印象を持った。

しかし北島の二冠達成よりも遙かに驚いたのは男子100m自由形でポポフが勝ったこと。だってポポフって11年前に同じ会場で行われたバルセロナ・オリンピックの100m自由形の勝者なのよ。しかも31歳。俺と同じやないの。それが世界記録保持者のファン・デン・ホーヘンバンドや200m以上なら敵なしの20歳ソープを抑えて勝っちゃうんだから。
 トップスイマーの年齢は非常に若くピークも短いというのが常識とされてきた。20歳を過ぎたらもうベテランの域というのが常識的で、女子だと中学生で日本記録なんてのはよくある話だった。もっとも中学生でトップになった女子選手の多くはその後生理が始まるせいか体質や体型が変わってしまい意外に伸び悩んで消えてしまうケースが多いが(岩崎恭子が典型的な例かな)。それでも大学生の女子選手はもうピークを過ぎているという印象が強かったなぁ。
 ところが最近はトレーニング理論が進化したお陰でトップクラスの力をを維持したまま選手寿命が延びる傾向にあり、20歳どころか20代後半でもトップ争いをする選手が増えている。今回メダルを取った日本選手でも20歳の北島以外はみな25歳前後だし、そもそも今回の日本代表には高校生すらいないんだそうだ。選手のほとんどが中高生だった11年前のオリンピックの時とは大違いである。
 それにしても、やはり31歳ポポフの(しかも100mでの)勝利は驚異的である。ファン・デン・ホーヘンバンドとソープという、ここ数年の水泳界最大のスターを従えて表彰台の頂上に登る彼の姿につい「カッコえ〜っ」とテレビを見ながら呟いてしまったのだった。

…しかし、専門外の200m個人メドレーに出てきて決勝に残ること自体が凄いんだから、中継のアナウンサーよ、同じレースでソープに先着した森を「日本人で初めてソープに勝った男」と呼ぶのはやめようよ…(^^;;;)

 バタバタ
 2003.7.30(Wed)
打ち上げの翌日から入院されていた教授が一時退院で研究室に来られるということで学会発表のエントリーなど相談。やはりアンケート調査はすることになり、8月中にまた実験ツアーに出ることになりそう…。
 そのあと公楽荘の宿泊の栞を印刷。なんとか明日郵送できる…。

 おいそがし
 2003.7.31(Thu)
朝イチで栞を郵送。そのあと公楽荘関連でトラブル発生、艦長と相談。その対応に追われつつ、午後からは研究室の面々で学研都市へ。うちの研究室主催の少人数ゼミ(学部1回生対象)の一環で住宅メーカーS社の研究所の見学に研究室の学生も参加することになったので。流石バブルの頃に作られた研究所、規模も設備もものすごかったです…(笑) 明日も見学のため大阪に出る予定。…栞とさだ研会誌はできるのか?(滝汗)