時々日記:2001.5.16-5.31
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 口実
 2001.5.16(Wed)
小田さんの「LOOKING BACK 2」を入手。一昨日に偶然有線放送で「さよなら」を聴いたとき、サビの唄い方がオリジナルと違って違和感を覚えたことは日記にも書いたが、オリジナルのドラマチックな盛り上がりのアレンジとは異なる、きわめて静かなアレンジでコーラスもない中ではこの唄い方で正解なのだろう。個人的にはやはり「言葉にできない」が最高ですね。あ、これ武道館でのライヴ録音なんだ…。CMで使ってるスタジオ録音版は何処へ?

今日のYB−D戦は14時前に早々に雨天中止が決まったそうだが、そのあと天気が回復してDが練習をした16時頃は快晴だったらしい。横浜スタジアムのグラウンドコンディション不良のため中止、ではなく、横浜ベイスターズのチームコンディション不良のため中止、ということみたいだ(^^;) まぁ4連敗中だし現状で唯一頼れる先発バワーズで昨日はああいう負けだし、このあとG3連戦だし。…どちらも先発が足りない気がするんだが(^^;)
 先発投手陣が揃っている上にみんな最低限の責任を果たしているドラゴンズの場合、ローテーションを崩したくないため、唯でさえ現在のローテーション(野口・山本昌・武田・川上・バンチ・前田幸)から今後4週ほど週5戦のため1人(たぶん3連敗中の山本昌)落ちる上、今日のような事態では、当日の先発が翌日スライドではなく1週飛ばされることになるんだそうで、今日先発予定だったバンチが中止と聞いて怒り狂っていたらしい(^^;)

ということで山本昌とバンチは、今週中はベンチに入って中継ぎ登板もするのだろう…。けどドラって現状では中継ぎ・抑えもじゅうぶん足りてるしなぁ。先発が5回以上まで持てば、残り4回以下を正津・遠藤・岩瀬・落合・ギャラードの5人で失点を許さない展開に持ち込める訳で、先発も今のところ早々のKOって少ないし、早々にKOされたら正津や遠藤が長めに投げて穴を埋めるだけだし。
 40試合を消化してチーム防御率が2点台、エースの野口やリリーフ投手陣の何人かに至っては1点以下をキープしているというのはものすごい投手陣だと思う。優勝した一昨年よりも凄みがある。打線は相変わらずだが…。
 現在の1軍には敗戦処理用って感じの投手がいない気がする。そもそも大量得点差で追っかける展開にならないから、失点覚悟で若手を試す機会もない(^^;) 2軍にもいい若手がいるらしいんだけど。

夜、ひさしぶりに東京のHちゃんから電話があった。19日はやはり薬師寺に行くそうで、知人がチケットを余らせているそうだ。いろいろ細かい情報を教えて貰ったり、あとは某アーティアスト個人事務所に対する不満バクロ(笑)。相変わらず元気そうであるが…、ホント連絡取れないんだから、メールか携帯を持ってくれー…。(携帯を持っていない俺が言えたコトではないか…)

 あいたー
 2001.5.17(Thu)
昨日書いたようにじゅうぶんピッチャー足りてるんだから、なにも野口だけ中5日にしなくても…(T_T)。野口も前回のG戦で普段以上に疲れもあっただろうし…。それにしてもドラは元チームメイトに甘いよなぁ…。今日は種田に走者一掃のタイムリー3塁打つなど4打点、前も大豊がタイガースにいた時にサヨナラホームラン数発喰らってるハズだし、このへんの甘さが問題なんだよな。まぁベイスタが気分良くこのあとG3連戦で頑張って勝ってくれることに期待するしかないか。

 思い切ってやってみました
 2001.5.18(Fri)
Macユーザー界のアイドルの一人久保恵子さん(昔「プロ野球ニュース」にも出ていた)の写真集が出たそうで、某写真週刊誌でその一部を見たのだが…、かなりギリギリまで脱いでる…、見えそうで見えないところまで出てるぞ、って何処のこと言ってんだか(^^;) ううむ、けっこうドキドキショックかも。

朝、「特ダネ」に小田和正さんがインタビューで出ていた。「今までテレビにあまりお出にならなかったのにどうして今回は受ける気になっったんですか?」という質問に「そりゃまぁ、プロモーションです」ときっぱり。流石だ(笑) 相変わらずインタビュアーを困らせるような答え方をするというか…(^^;)
 やはり話題の中心は「さよなら」のリメイクの話になったのだけど(新聞の見出しにも出ていたし)、当時はあまり気に入っていなかったそうで、ライヴの時にこの曲だけ(ヒットした故に)雰囲気が歌謡番組みたいになってしまうことや、当時の機材の問題から決してイメージ通りに納得する仕上がりではなかったことなどが理由らしい。
 そういえば「LOOKING BACK」1が出た時のインタビューで、「愛を止めないで」の最後の部分の詞を削ったことに関連して「さよなら」についても「今だったら最後のフレーズ("外は今日も雨 やがて雪になって…")は入れないだろうな」ということを言っていたな(結局「2」では詞を削らなかったけど)。まぁ小田さんに限らず、ヒット曲に対するアーティスト自身やコアなファンが感じる違和感や不満というものは誰でもあるのだろうけど。

さて、今日・明日は薬師寺奉納さだまさしコンサート。明日は俺も行くんだけど、明日は唐招提寺でうちわまきもあるので西の京はけっこう混雑していそうだなぁ。平山郁夫が描いた玄奘三蔵院壁画はゆっくり見ていられないかもしれない。チケットを取って貰った人との待ち合わせ・チケット受け取りは西大寺駅にしたので問題ないだろうけど。

 凍れる音楽
 2001.5.19(Sat)
ということで今日は薬師寺玄奘三蔵院伽藍総供養記念・さだまさし薬師寺奉納公演に行く。12:30に京大さだ研のAくんと出町柳で待ち合わせ、京阪から丹波橋乗り換えで近鉄で西大寺へ。ここで、チケットを取って貰ったYさん(と連れの方)と14:30に待ち合わせ。チケットを受け取り、一緒に近鉄で西の京へ向かった。

西の京で下車、歩いてすぐのところに薬師寺がある。薬師寺は平均すると年に1度に近いペースで行っているが、昨年までは玄奘三蔵院は月に1日(玄奘三蔵の命日)しか開けなかったので観ることができなかったのだが、今年は平山郁夫による壁画の完成記念ということで公開されており、今回はコンサートチケットを見せれば拝観できる。
 ということで早速、玄奘三蔵院へ。ちょうどツアーでコンサートに来た団体さん相手にお坊さんが説明している最中(薬師寺のお坊さんの説明は親切である)で、一緒になって聞いていた。そのあと壁画を観た。壁画だけでなく室内の天井は「平山ブルー」と呼ばれる独特の青色で塗られていたのが印象的。床もここだけ平山郁夫の要望で御影石ではなく砂漠色の煉瓦になっている。平山郁夫は洋画の人だから、日本画の画材で描かれた絵というのは珍しいのだけど、その仕上がりは平山郁夫の世界そのものであった。

本伽藍に入ったのが4時頃で、ちょうどリハーサルが始まった頃。ステージは中門の扉を閉めて、基壇をそのまま使っており、よくあの狭いスペースにバンド6人+本人の楽器と照明を押し込めたなーという印象。
 17時までは通常通りの伽藍拝観も行われており、その中で音チェックやリハーサルを行う訳で、ステージから10mくらいの位置でリハーサルを見られた。こんなことは通常のコンサートホールでは勿論のこと「長崎から」でもあり得ないことで、リハーサルでさだまさし以外のバンドメンバーが揃って音出しをしはじめると客が集まってくるし、1曲終わる度に拍手が起きるし、「関白宣言」なんか異常に盛り上がるし、しまいにゃスタッフ(たぶんPAの和田氏)「なんだ、さだまさし居なくても盛り上がるじゃん」と言ってたのがものすごくオカシクて仕方なかった(^^;;)
 いったん17:00に伽藍から出され、玄奘三蔵院の方に向かう途中で阪大のH先生とSくん一行に遭遇。開場時間の17:45まで一緒に時間を潰した。開場後、それぞれの席へ。東京のHちゃんや京大さだ研のKくんともここで遭遇した。今回の我々の席は金堂の西隣、西塔の前で、いつものコンサートと違ってステージが低く席も後方への傾斜も無く、椅子も木製の長椅子なのでちょっと見辛い。まぁ仕方ないところだけど。

18:30に管長(住職)が登場、薬師寺について説明したあと、数人のお坊さんが出てきて「声明」(読経)をあげた。声明が終わったところで客席から大きな拍手が起きたが、「お経をあげて拍手を頂くのは珍しいことで…」と照れていたのがおかしかった(笑)。
 そのあとさだまさし登場。曲目は以下の通り。

 1.道化師のソネット
 2.案山子
 3.無縁坂
 4.精霊流し
 5.秋桜
 6.北の国から
 7.関白宣言
 8.昨日・京・奈良、飛鳥・明後日。
  (薬師寺奉納記念Special Version)
 9.最后の頁
 10.加速度
 11.惜春
 12.つゆのあとさき
 13.療養所
 14.舞姫
 15.まほろば
 16.防人の詩
<Encore>
 17.主人公
 18.最期の夢

 …と、まぁ渋い選曲。「ほとんどの曲が20年前の東大寺公演の時に既に存在した曲やないか」というツッコミはおいといて(^^;) 久しぶりに生で聴いた曲も多かった。「昨日・京・奈良、…」は生で聴いたのはたぶん初めて。出てくる人の名前がほぼ総取っ替え(オリジナルも今回もバンドメンバーの名前を使っているため)、「誰かが唄った東大寺…」のくだりを「誰かが唄った薬師寺の玄奘三蔵院伽藍総供養記念…」と唄ったあたりがSpecialの所以。
 最近のツアーではドラム専門の人がいないことが多いのだけど、今日は島村英二さんがいたので、オリジナルのアレンジに近い曲が多くて、ドラムがよく響いて良かった。ただ、さださんの声は決して調子がいいとは言えなかったかな。やはり3〜4月に体調不良で数公演を延期した後遺症はありそう。「加速度」のラストのサビの部分はかなり辛そうだったし。

帰宅は23時頃。意外と早く?帰れた。

 襲来
 2001.5.20(Sun)
午前中は昨日の疲れが抜けずだらだら。

今日はオークス。桜花賞を圧勝したテイエムオーシャンの二冠は楽勝か?と思っていたのだが、勝ったのはデザーモ騎乗のレディパステル。テイエムオーシャンは距離というよりも展開に負けたような気がする。はたして秋に雪辱できるか。

夕方になって怪しい人が拙宅にやって来た。なんでも近江舞子で用事があった後の帰りだそうで、夕飯をおごって頂く。そのあと先日のライブの土産話と先行者の話で盛り上がり完全に夜更かし…。(^^;)

 過渡期
 2001.5.22(Tue)
遂にAppleの純正ディスプレイのカタログからCRT(ブラウン管)タイプが消える。今日、17インチ液晶ディスプレイが発表され、従来からの15インチ・22インチに加えて3種類が揃ったことになる。僕の使っているモニタは先代Macの7200/120と同時に買ったAppleVision1710をG4導入後もそのまま使っているのだが、次にモニタを買い換えるとしたら液晶になるかなぁ。まだちょっと高いけど。
 Apple製品でCRTを使うモデルはiMacだけになったということになる。Appleは韓国の液晶メーカーに投資しており、次期iMacが液晶になる可能性が高くなったと考えて良さそうだ。もっとも、その時には、先日登場した新iBook同様、先代のイメージをまったく残さないものになる可能性が高いと思うが…。

その僕のモニタに表示させているデスクトップピクチャ(いわゆる壁紙)は、ここ2年ほどはネットで拾ってきた永作博美の写真7枚ほどから起動の度にランダムに表示(Macの「アピアランス」コントロールパネルに、画像ファイルまたはエイリアスが入ったフォルダごと放り込んでやると、壁紙のランダム表示ができるようになる。知る人ぞ知る裏ワザ)させてきたが、これに加えて数日前から池脇千鶴も出てくるようにした。いい写真が拾えたので。むふ。

 豪勢
 2001.5.24(Thu)
夕方から四条烏丸で、立命館に通う従妹と今日京都に来た叔母と待ち合わせ。某ホテルで夕食をご馳走して頂けるということで、中華のフルコースを頂いた。
 最初に前菜が出てきて、そのあとフカヒレスープ・海老チリ・北京ダックと続く。メインは牛ヒレのホイル包み焼き。ちょっと中華っぽくない感じだけど、これが旨い。
 けど特に旨かったのは炒飯。具は、葱と、焼豚と、卵と、あとアレは何だろ? 何かの菜を細かく微塵切りにしたものが入っていて、全体が緑色をした炒飯。あんな色をした炒飯は初めて見た。炒飯が出てきたのはメインの後で、既にかなり満腹状態だったのだが、不思議なくらいに箸(…でなくてレンゲか)が進んだのだった。

 撃沈
 2001.5.26(Sun)
クロフネによる史上初の外国産馬ダービー制覇なるかが注目された今年の日本ダービー。けど今年は俺的にはあまり気分が盛り上がらなかった。まず昨年の最優秀3歳メジロベイリーがリタイアした時点でメジロファン悲願のダービー制覇が夢と消え、三冠馬の可能性が高かったアグネスタキオンが皐月賞を勝ったあと屈腱炎でリタイアした時点で、ほぼ興味を失ってしまったのだ。
 さて、レースはテイエムサウスポーの自爆的大逃げで進み、直線で1番人気ジャングルポケットが抜け出し制覇。2着は皐月賞に続きダンツフレーム。2番人気クロフネは、やや早めに動いた時点で危ないかとは思ったが…直線に入って伸びず5着。やはり長かったか? 重い馬場状態も祟ったかもしれないが、結局みんなあの名前にダマされた感じなのかなぁ(苦笑)。「外国産馬初のダービー馬はこの名前しかいない!!」みたいな。
 もう1頭の外国産馬ルゼルも、前半いい位置に着け直線で一度は抜け出したもののバテるのが早かった。 フサイチコンコルドの弟でクロフネと同じ馬主・厩舎のボーンキングが4着と僚馬に先着。むしろ、ダービーでも着実に2着に来たダンツフレームの安定感が印象強かった。菊はどうなるのかな?
それにしても、ジャンポケは本場場入場前後で口を割っていた時は「アカンわ」と思ったが…。特にダービーはスタンド前スタートだけに。あれ、イレコミでなく単なる癖なのね、きっと。勝った後も天に向かって吠えまくってたし、ほんとヘンな馬だわ(笑)。
 とにかく、斉藤オーナー・渡辺厩舎・角田騎手という組み合わせは、95年のフジキセキ(前年の最優秀3歳、三冠確実とまで言われながら皐月賞前に屈腱炎で引退)の無念を最高の形で晴らしたことになる。だから、まぁこの結果で良かったかな、と。

でも、やはり思ってしまうのよ。
「この場にタキオンがいたら…」「ベイリーもミスキャストもいたらなぁ…」って。いや、無駄とは分かっていても。
…ま、いずれにしてもK先生は黒焦げそれは事実。

今日は大相撲の千秋楽。昨日の武双山戦で膝を怪我し、優勝どころか今日の出場すら無理と思われていた貴乃花。あの精神力を持つだけに痛さを表情には出さないものの、取組前に仕切っている間の動きは痛々しくて見ていられなかった。
 昨日の取組だが、武双山に非難があって然るべきだろう。立ち会いで1度「待った」をして、その後立った時もきちんと立っていなかった。また、まわしを相当ゆるく締めていたようで、貴乃花がまわしを取っても力が入らず効かない状況だったらしい。あれでは相撲にならない。武双山は腰が悪いとはいえ、これはアンフェアと言われても仕方ない行為ではある。
 まわしは基本的に堅く締めるもので、かつて千代の富士は水を付けてガチガチに堅く締め、相手の指が入り込まない程にしていたそうだ。こうすると相手にまわしを取られても切りやすい(千代の富士の強さの理由のひとつは、取られたまわしを瞬時に切ることにあった)

特に千秋楽結びの一番は行司の口上が長く、その間ずっと蹲踞しているために膝へのダメージはいつもより余計にある訳で、蹲踞から立ち上がった時に貴乃花の右膝がまたおかしくなったのが見て分かった位。
 武蔵丸もやりにくかっただろうが、本割りでは立ち会いがなかなか合わなかった上に、立ち会いで変化してあっけなく勝負が付いた。あの作戦で決定戦も勝って優勝していたら相当非難されていただろう。もっとも、まともにぶつかって貴乃花の膝が更に悪化したことも考えられたが。いずれにしてもあの状況下で優勝したら本人に責任がないとはいえ(強いて言えば弟弟子の武双山に、か)非難されるという損な立場ではあったのだろうけど。

どうみても貴乃花に勝ち目はないし、もう決定戦は放棄した方が後々のために…、と見ている方は思ったのだが、10分後の決定戦に貴乃花は出てきた。流石に今度は武蔵丸も立ち会いで変化せず、がっぷり組んで勝負。しかし、あの状態で上手投げで勝つとは…貴乃花、凄すぎる…。勝った瞬間、ふだん滅多に表情を変えない貴乃花が見せたあの表情は物凄かった。
 今日は小泉首相が中入り後の取り組みをずっと観戦していたようで、表彰式で内閣総理大臣杯を自ら渡したが、表彰状の文面を読み上げた後、感極まったか自分の言葉で貴乃花を讃えて観衆から大拍手を浴びた(まぁこの人が登場するだけで大歓声だが)けど、気分としては分かるなぁ。あのハプニングも歴史に残る出来事になるかもしれない。

優勝争いと怪我で思い出すのは10数年前。横綱・北勝海を大関・大乃国が1敗差で追う展開だったが、14日目の取組で北勝海が足に大怪我をしてしまった。既に直接対決は終わり千秋楽で小錦と対戦する北勝海は、怪我の事実を隠し通して土俵入りを務め、その日の取組に勝てば決定戦に持ち込めることがほぼ確実だった筈の大乃国がプレッシャーに潰されたか取組(霧島だったかな)で敗れ北勝海の優勝が決定。直後の取組では片足状態の北勝海は小錦に何も抵抗できず敗れたのだが、これは大乃国の精神的甘さを指摘するよりも、北勝海と九重部屋が一枚上手だったということだろう。ふとそんなことを思い出した。

それにしてもカブレラはすごいな…。あのスイングを見るだけでワクワクする。

今日は夜中にF1の年間シリーズでも白眉であるモナコGP。クルサードがモナコ連覇できるか?

 甘い誘惑
 2001.5.28(Mon)
昨日からキャプテン・タカハシがお仕事で奈良・京都に来ている。ので、昨晩に宿を急襲しようかとも思ったが、昨日連絡を貰ったところ、今回はちと会えなさそうだということに…。誰だ「キャプテンはどーでもいーが同行している筈のNさん(eELT)とお逢いしたい」とか言うヤツは(^^;;)
 ところが、今朝キャプテンから電話があり、禄寿庵清水まで同僚の方々と金平糖を買いに来たところで待ち合わせて、ほんの数分間だが会うことになった。同僚の方々ってもNさんは別行動だそうで逢えず…。残念。 ちなみに現在の季節限定販売の金平糖はトマトブルーベリーだが、今回は財布が寒いので断念。

 覗き見
 2001.5.29(Tue)
人のWeb日記を読むのって何だか楽しいよね。たとえば侍魂。たとえばどこでも日記(←とある有名な方の奥さんが書いてる。現在移転工事中のため過去分が読めないが)
 最近は有名人でも自分で作っているっぽいホームページで日記を書いている人も多いが、そういうところを読んでいると色々意外な事を知ったりもする。ふーむ、江口寿史はなんと4月上旬に京大のスグ近くのラーメン屋に来ていたのか(ちなみに「天下一品」ではない)。まぁ確かに「ますたに」は知る人ぞ知る、というか京都のラーメン店の源流の一つではあるらしいんだが。

俺の日記も誰か楽しみに読んでくれているのかしら。…でも親にだけは読まれたくないぞ「侍魂」の健さんみたく父親に「おう2万ヒットのうちの1人は確実に俺だとか言われた日にゃ(^^;;)

GP03S本体はほぼ完成。各部のスラスターの内部を赤く塗り、スミ入れをして仕上げ、所定の位置に取り付けた。あとはコアファイターのデカール貼りと、コクピット内のフィギュアの細かい塗り分けと、武器(ライフル・ホールディングバズーカ)の仕上げ位。
 GP03S「ステイメン」は後部が特徴的なガンダムである。メカデザイナーで現在MG・HGのリファインデザインも担当しているカトキハジメの「ガンダム」設定でのデビュー作だが、「最も美しいRX-78ガンダム」の評価もあるように、このデザインは彼でなければできないだろうとは思う。
 オーキスとのロッキングシステムを兼ねるテールバインダーを持つ外観は「羽根が生えている」ようで、これを後年更に進化させたのが「ガンダムW」OVA版のウイングガンダムゼロ(PGでも登場した)ということになるのだろうか。あれは本当に羽根が生えているが(笑)
 GP03Sがほぼ完成したので、既に百式にも手を付けつつある。百式のメッキパーツ(銀メッキの上にクリアーオレンジが塗ってある)はラッカー系シンナーや接着剤で溶けてしまうので慎重に。スミ入れはエナメル系塗料でやればいいのでさほど問題ないが、いつもより綿棒の消費が激しい…。

 御所の対決、今は昔
 2001.5.30(Wed)
今日は一日中雨天。ちと頭が重い感じ。

京大の時計台が改築」というニュースが流れた。全面改築ではなく、正面の外観はそのまま残して免震工事を施し、法経1番教室(京大で最大の講義室)や地下に生協がある建物裏側を取り壊して新たにホールを建設するのだという。
 けど、関係者は随分前からこの話を知っていた筈。京大の創立100周年は1997年だったが、それに合わせて既に時計台の改修はされており、表面の大理石を磨き直し煉瓦タイルを取り替え、正面の広場も石畳敷きに整備されたが、今回取り壊されることが決まった部分は、タイルなどの取り替えも行われず改修されないままで、それは単に「予算がなかったから」ということではなく、当時から「法経1番教室を取り壊してホールを作るため」という噂は出ていた。今日になってこの話がニュースで出たというのは、予算が決まったということなのかな?
 まぁ時計塔を含む正面の建物はそのままだから、「改築」というほど景観的にはあまり変化しないだろうとは思う。むしろ最近、景観地域のため従来は5階建までしか認められなかった建築規制の緩和によって、東西方向に長い建物(遠方から東山を眺めた時に、景観を断ち切らないように)なら8階建まで許可されるようになった為に、次々と時計台より背の高い建物が建っているのだが、その方がよほど構内の雰囲気を変えているような気がする。

今日のさだ研例会は前回に続いて狂授が登場。もっとも前回は俺の下宿に遊びに来て泊まった翌日、そのまま例会に向かったのだけど(笑)。
 今日も新人さん登場。今回は立命館の3回生の人。そういえばもう立命館さだ研もなくなってしまったもんなぁ。昔、京大さだ研とソフトボールで激闘を繰り広げたり一緒にNFライヴをやったりしたことが懐かしい。

 風の子、去る
 2001.5.31(Thu)
ドラゴンズ・李鍾範外野手の退団が決まった。明日ウェーバーにかけられ、日本または韓国での移籍先を探すということだが、おそらく韓国に帰ることになるだろう。韓国球界きってのスーパースターとして来日、1年目前半戦に大活躍しながらタイガース・川尻に受けた死球で手首を骨折し後半戦を棒に振り、チームもベイスターズに優勝を攫われた。2年目以降は不振が続き、昨年・今年はほとんど2軍暮らしだった。

李にとって不幸だったのは、優勝した99年オフに宣・サムソン両投手が退団し、それまで3人いた韓国人選手が彼1人だけになってしまったことだろう。今年の開幕から1ヶ月間大不振だったティモンズがゴメス復帰後に打ち始めたのは、英語で気楽に話せる同僚(ギャラードやバンチがいるけど、投手だから分からない部分も多いだろう)ができて精神的に開放されたことが大きかったらしい。とすれば、李も同じように、ただ一人の韓国人選手になって気楽に話せる同僚がいなくなってしまったことも大きかったのではないか。韓国で大スターだっただけに、上がらない成績やチームでの冷遇もこたえただろう。

彼が韓国時代に宣とともに在籍した韓国球界最多の優勝回数を誇るヘテ・タイガースは不況により親会社が崩壊し、宣や李の巨額なトレードマネーで息をついてきたもののチームは弱体化してしまい、間もなく起亜自動車に売却されるという。起亜タイガース(?)に李が入団するのかどうかは不明だが、ぜひ頑張ってほしいものである。
 ところで李の退団で空いた背番号「」は、もともと森野がつけていた番号だったが、99年途中に李の希望で「8」と交換し、更に森野は今シーズン途中で波留の入団により「8」を譲り「16」を付けている。やっと「7」に戻れるのかな。ドラファンにとって「7」といえば宇野勝の印象が強いが、彼を超えるスタープレーヤーはなかなか出てこないな…。打撃でも珍プレーぶりでも(笑)