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どうして留年したのか?どうして留年したのか?

どうして留年したのか?
その答えは多分、人それぞれだと思う。

だけれど、留年・留年決定を体験した者にとっては
どうしても気になるところだと思う。
私の場合は、一つの答えが見えた。

それは「目標を持ち続けて学校へ行かなかった事」である。

勿論、初めは目標を持って入学した。
中にはただ何となく・・・という方もいると思う。

今まで留年決定に至るまでの経緯を書いた。
そこから見えるのは、どんどんと目標を失っていく自分だった。

泡沫(うたかた)の楽しみに溺れ、油断して、少しずつ
「何の為に学んでいるか」が見えなくなっていた。

私の「英語を学ぶこと」に対する価値観は既に崩れていた。

もっと突き詰めていうと、
「英語を専攻して学ぶこと」に対する価値観の暴落。

あと2年、英語を専攻として学び
社会人として生き抜くというビジョン。

これが、全く見えてこない。

はっきり言ってしまえば、英語は誰にだって使える言語。
専攻して、文法や文化を研究すれば身につくだろうが、
その情熱も、今は全くないといっていい。

英語を学ぶ事は好きだ。
これからも英語を学ぶだろう。専攻としてではなく。

専攻して学ぶ先が・・・やはり見えないのである。

計算をした。

どのみち、あと2年ある。
この2年、如何に過ごすかで将来が見える。

そこで、私は七カ年計画を見直した。
もっと大きな意味で、七ヵ年計画を見た。

「あと2年、大学へ行って卒業する」事だけが、
全てではないのだ。

そう、どのみちあと2年ある。
あと2年で、出来る事は何だろう?

私は、ありとあらゆる専門学校の資料請求をした。
2年で卒業できる、専門学校もあるじゃないかと。
しかし、専門学校に対する不安もある。

学歴社会は今も存在するのだろうか?

私は存在すると考える。
未だに大学で人を見てしまう人間は多いし、
学歴で人を判断する事は、日常に存在する。

しかし一方で、専門知識の基礎を身に付けた
専門学校生が、四大卒よりも使えるという話もある。

柔軟に考えてみた。

学歴・履歴書に書く欄・年齢。

それぞれ留年をしたり、退社を繰り返したり、
年齢が高かったりするディスアドバンテージは
一本道を通ってきたヤツ以外には必ずあるものだ。

それを踏まえたうえで、どんな個性で自分を売るか。
そう考えれば、人生だって面白いゲームみたいなもんだ。

私は、大学を中退する事を決意した。
専門学校へ行く事にした。専門分野も絞った。

同時に、2年半勤めていたバイトも辞めることを決意した。

収入が無くなる。
それによって今までの生活水準通りには生活できない。

持っていた車の破棄。高い買い物も出来ない。
欲しいものがあっても買えない。食費・交際費は最低限。

それでも、良いと思った。
自分の出来上がった殻から出られないヤツはダメだと思った。
常に前進。それだけを考えて。

大学を経て、新しい形の「七カ年計画」が始まる。

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