それではインタビューの前に、Inetについてエヴァを軸に私見を述べさせて頂く。これが当時の状況を理解する一助となれば幸いである。
エヴァ前夜
Inetの商業利用が本格的に開始されたのが1994年であった。当時の標準的なプラットフォームはPC-98シリーズであり、Windows3.1の普及度は今一つといった状況であった。そうした中でTCP/IPベースの通信環境をエンドユーザが整えるのは至難の技であった。インプレスのInternetMagazine創刊が1994秋だったが、その中で紹介されているWin3.1用TCP/IPスタックWinsockは英語版であり、その設定は難解を極めた。何故なら当時のパソコンユーザは、そもそも英語版のソフトウェアを使う事に慣れていなかったし、TCP/IPという未知の概念を獲得するのに必要な情報が余りにも少なすぎたのである。この状況が変化するのにはWindows95の登場を待たなければならなかった。
当時Inetの利用者は、常時IP接続環境でUNIXを使っていた人間が殆どで、続けてそうした経験を持つ人達がDialUp環境の構築を始め、それに遅れて、根性のあるパソ通経験者が参入してきた。ここで問題として持ち上がってきたのが「ネチケット」問題である。junet時代、利用者の殆どは電子メールが目的であった為、newsは閉じられた穏やかなコミュニティを形成していた。junet上では、知り合いとの連絡手段である電子メールが主な利用目的で、不特定多数でディスカッションするnewsの利用は言わば余録だったと言える。ここに不特定多数でのディスカッションを主目的とするBBSの利用者、つまりパソ通組が参入する。文化背景の違う2集団が1つの場所に押し込められた場合、必ず悲劇が起こるのは歴史の通りである。互いに相手を「口の利き方も知らん若造はwebでも見とれ」「俺達のスタイルに難癖付けるジジイ」と考えているのだから上手く行く筈がなかったのである。そもそもjunet時代、newsへの新規参入者の量はそう多くなかった為、参入者は注意されて畏まったものであるが、この時代にそうしたやり方では対応できなかったのである。こうして対立の構図を露にしながら1995年秋を迎える事になる。
また、この頃のHPは当たり障りのない自己紹介ページが殆どで、HP制作者は、何をやったら良いのかを未だ模索している状況だった。その上、ブラウザの日本語化も完全ではなく、先行してHPを作り出した大学、研究機関関係者が英語のページを作っていた為、一般人がHPを作る事は敷居が高く感じられた。ついでに言えば、WISYWIGなHTMLエディタなんてものも無かったので、HTMLファイルを作る為には、テキストエディタでタグを編集する必要があり、TeX系を触った事の無い人には取っ付き難かったと思われる。尚、当時、国内発信で最も良く見られたHPは「料理の鉄人」のページだったと言われている。当然、英語のページだったのだが、食文化の貧弱な英米で好評を博したらしい。
因みにMacは一部お金持ちの道具であったので触れていないが、PCよりはTCP/IP環境が整備されていた。しかも英語版のソフトウェアを使用する文化もあった為、接続性は高かったのではないかと思われる。残念な事に私は貧乏だったので、詳細を知る立場にはいなかった。
エヴァ本放送
1995秋、エヴァ本放送が開始される。放送開始当初、視聴率は低迷したと言われている。但し、HPを作りたいと思っていたパソコンヲタク、環境のあった理工系の学生のかなりの部分がアニメヲタクでもあった為、幾つかのエヴァ系HPが産声をあげた。そうした最初期のエヴァ系HPは、HPのネタを探していた潜在的なHP制作者を掘り起こし、連鎖的にエヴァ系HPを増やしていった。環境面から言えば、Win95の発売により、エンドユーザのInet接続性が大幅に向上し、エンドユーザの本格的なInet利用が始まった事も追い風になったと思われる。
本放送当時のエヴァ系HPの2大潮流は、解説系とキャラ系であり、解説系が先行し、キャラ系が後から爆発的に増えたと記憶している。解説系に関しては余り記憶が無いので、キャラ系ページに関して述べる事にする。最初、キャラ系2大HPと位置付けられていたのが「綾波レイの部屋」(現在、伝言板のみ)「惣流・アスカ・ラングレーホームページ」(現在、閉鎖)である。全てのキャラ系HPは、ここに原点があると考えて良いと思われる。少なくとも「ヒカリちゃんのページ」はそうである。この2大HPに続く形で、他のキャラに関するHPも立ち上がっていった。この頃の傾向として、既にHPのあるキャラで新規にHPを立ち上げる事が敬遠されたという傾向が見られる。それぞれのHPの出来が良かった事もあるだろうが、見る側が「あるだけで幸せ」だった事、HPのネタに関して早い者勝ちといった感があった事に強く起因していると思われる。
こうしてキャラ系HPが隆盛を極めていた1996年2月19日、キャラ系HPをセカンドインパクトが襲う。fj.rec.animationにおける、キャラ系HPでの取り込み画像の使用が違法であるとの指摘によって、ほぼ全てのキャラ系HPが一時閉鎖を余儀なくされたのである。fj.rec.animationでは、過去にCGコンテストを行った際に、主催者が版権の使用許諾を行った上で開催した経緯があったらしいのだが、新規参入組がその様な事実を知るはずもなく、同人誌などが灰色のまま発行されているのと同様の感覚でHPを公開していたのである。HP制作者側に、ガイナックスの暗黙の了解を得ているとの認識があった事もあり、fj.rec.animationでは泥試合の様相を呈していたが、fjでの議論から結論は出ないと判断した岩田氏、長久を中心に、HP制作者の集まりを立ち上げ、ガイナックス側と交渉しようという動きが起こった。それと平行してガイナックス内部でもガイドラインを作成する動きが見られ、1996年4月17日にガイドライン公開となった。同時期にサンライズ、パイオニアLDCの版権物に関するInet上での使用許諾に関する動きもあり、それぞれ成果をおさめている。こうした問題は3年経った現在も解決策が確立されたとは言い難い。これは権利者側が、ファン活動を阻害したくないとの認識を持っているからだと思われるが、そうだとすればInet上のファン活動に未来はあると信じたい。
エヴァ本放送後
本放送終了直前にキャラ系HPが一時閉鎖された事も手伝ってか、1996春から夏にかけて、新規エヴァ系HPはキャラ系を中心に爆発的に増加した。レイやアスカのページが群雄割拠を始めたのもこの頃であり、CGIによるチャットの利用が広く浸透するのともあいまって、HP制作という側面が薄れ、ユーザ参加型のHPという色を濃くしていった。チャットの利用者によるコミュニティが形成され、OFF会などの活動も活発化した。これはエヴァ系だけでなく、Inet上の一般的な傾向でもあり、Inetがコミュニケーションの道具としての可能性を発揮し始めたと見る事が出来る。こうした背景もあり、西村氏の呼びかけによってエヴァ系HP制作者による箱根OFF会(1996/7)が催される。関東一円のみならず、名古屋、京都からも参加者を集めたこのOFF会は、以降、エヴァ系HP制作者、関係者40人を集めた駒場OFF会(1996/11)、浅間OFF会(1997/3)、京都OFF会(1997/8)、再度箱根OFF会(1997/10)と開催される事になる。
また、エヴァ系HPの新たなジャンルとして小説系が現れるのもこの時期である。詳細に付いてはインタビューなどに譲るが、以降、小説系は着実に勢力を拡大し、現在のエヴァ系HPの主流となっている。小説系の興隆は、キャラ系の衰退と組み合わさっている事に注目して、本CD-ROMの収録作品を読むのも一興かと思う。