入院までのいきさつ
2000年1月 胸のしこりに気がつく。
でも 超ペチャパイの私は仰向けに寝ると
胸はほとんど 平な状態になって乳腺に
直接 手が触れるようで これを≪しこり≫と
思えば あれもこれも ≪しこり≫に思えてくる。
2000年2月 風邪をひいてかかり付けの
内科の先生(女医さん)の所へ行った時に
胸の≪しこり≫を診てもらった。
「悪性のものではないと思うけれど 安心のため
区の乳がん検診を受けてみたら?」と言われる。
2000年6月 区の乳がん検診を申し込んで受ける。
Kクリニックにて 先生ご自慢の最新式のエコーの機械で受診。
右に2つ、左に1つ しこりがあるがどれも
典型的な乳腺症で心配はない、とのこと。
エコーを見ながらの説明によると・・・
私のしこりは 綺麗な楕円形をして乳腺の上に
浮いた状態で写っている。これが ガンだと
ヤツ頭みたいにゴツゴツした形で 乳腺の中まで
浸潤した状態で写ると言う。
確かに 私のしこりたちは 綺麗な楕円形で
乳腺の上にポカッと浮いているように見えた。
しかし 念のため3ヶ月後にもう一度 変化がないか
どうか診せてください、と言われた。
お風呂に入る前 鏡で自分で必ずチェックしてみた。
☆ 左右が対称かどうか
☆ 皮膚がへこんでいたり、ひきつれてないかどうか
☆ 指でつまむとえくぼができるかどうか
☆ 乳頭から異常分泌があるかどうか
いづれもあてはまるものはなく 乳腺症と思って
3ヶ月をすごしていた。
2000年9月 Kクリニックでもう一度エコーを受診。
すると 右の一箇所 気になるところがあるので
大きな病院でマンモグラフィ(乳房のX線撮影)を
撮る事を勧めると言われる。紹介状をもらって
お茶の水にある病院に行く。
マンモグラフィは2人の女性のレントゲン技師が
やってくれた。 乳房を上下、左右に板ではさんで
レントゲンをとるのだが 超ペチャパイをはさむのに
苦労している。こちらが恐縮してしまうぐらい・・
しばらくすると結果が出て 左右の胸の2枚のレントゲン
を見ながら医師から説明を受ける。
医師said
「左はこんなに綺麗でしょ。でも 右は白い細かい
点々がありますね。これは 石灰化といって 乳がんの
はじまりなのです。乳管全体に広がっているので
乳管をとってしまうことを勧めます。」
確かに素人の目でも明らかに左右の写真の違いはわかる。
左は綺麗(?)だが 右には白く細かい点々が
ちらばっている。これは ガン細胞が栄養がなくて
死んだ死骸のようなものらしい。
これが 第一回目の≪がんの告知≫だったわけだが
意外と冷静で ふ〜ん、そうなの〜と言う感じだった。
とりあえず 家族に相談してみますと言って家に帰った。
驚いたのは主人。 セカンドオピニオンを
聞いてみようと 知り合いの外科の先生の紹介で
乳腺外科の先生に診察してもらう手はずをつけた。
2000年10月3日 M医師に診てもらう。
触診、マンモグラフィ、エコーともう一度一通り
検査をした後に細胞診をする。
M医師said
「右は確かに石灰化しているけれど石灰化=ガンではないし
それより左の乳頭の下のしこりのほうが気になる。」
??? レントゲンで見る限りでは綺麗だったのに???
10月7日 43歳のお誕生日 結果を聞きに行く。
左右両方とも ガンとのこと。
しかも 右より左のほうがタチが悪そうだとのこと。
かかり付けの内科の女医さんもKクリニックの先生も
お茶の水の病院の先生も 誰一人左の≪しこり≫のことは
問題にしていなかった。
M医師が言うには 指が覚えていて 触診だけで
だいたいはわかるそうだ。
とにかく悪者っとわかったからには 早いところ退治して
しまったほうがいいでしょ?と M医師。
温存療法を推進している先生ではあるけれど 私の場合は
全部とってしまうことを勧めるとのこと。
もともとがないのだから お情けで少し残してもらっても
全部とってしまっても 大差はないわと思い、
10月11日入院、12日乳房切除手術を決断。
さぁ それからが忙しかった。お産以外 入院の経験もなく
家を空けたこともない。主人、中三、中一の息子、渡り廊下を
経て隣りにいる義父、 男ばかりでどうやって2週間を
過ごすのかしら?
レトルト食品や冷凍食品を買っておかなきゃ。
洗濯機、乾燥機、食器洗い機の使い方も教えなきゃ。
ゴミの曜日と出し方も・・・
制服のYシャツも買い置きしたほうがいいな。
学校の担任にも お話しておいたほうがいいかしら。
退院してくるのは10月下旬、衣替えもしておかなきゃ。
暖かい寝具もださなきゃ・・・
私の様々なお約束もキャンセルして、入院の仕度も
しなければいけないし・・・
感傷的な気分におちいる暇もなく 目まぐるしいままに
入院の日を迎えた。