9月

『奇跡も語る者がいなければ』
  ジョン・マグレガー著、真野泰訳
 イングランド北部にある一つの通りで、住民それぞれが繰り広げるささやかなドラマ。「私」が語るパートと、住民それぞれが語るパートが交互に繰り返される。読んでいるうちに、「私」パートは現在、他のパートは過去であることが分かる。そしてある「事件」がどのようなものでったか見えてくる。細部が積み重なって、モザイク画のような小説。どうということない日常なのだが、見方を変えれば一つ一つは奇跡なのかもしれない。文体に特徴があって最初はちょっと読みづらかったが、淡々としている。

『もののはずみ』
  堀江敏幸著

 著者が購入した様々な物についての随筆。といっても高級品やブランド品ではなく、他人から見たらガラクタのような骨董品た雑貨類だ。私は物に対する関心やこだわりはあまりない方なので、著者がついつい雑貨を買ってしまう気持ちはちょっとわからないのだが、その物に対する著者のまなざしが暖かい。文章はシンプルなんだけど芸があるというか、著者の文体や好みを面白がる本かもしれない。

『木のいのち木のこころ<天・地・人>』
  西岡常一、小川三夫、塩野米松著
 法隆寺最後の宮大工・西岡常一とその弟子・小川三夫、そして小川が主宰する鵤舎で修行する若者達へのインタビューをまとめたもの。職人の世界って面白い。効率悪いように見えるが、100年200年のスパンで見るとちゃんと合理的になっている。が、こういうやり方をこの先も続けるのは、大変難しいはず。インタビューからは将来に対する悲壮感もちらりと見えるのだが、それでも前向きだ。「人間も木も同じですね。一人一人性格が違いますし、それに応じて育て方も違うんです」等、含蓄のあるお言葉がいっぱい。すごいことをやっている人達なのに、欲が感じられないのもまたすごい。

『インディゴの夜』
  加藤実秋著
 本業ライター、副業ホストクラブオーナーの高原晶(女性)が、なぞめいた店長を始め個性もまちまちなホスト達と、事件解決の為渋谷を駆け巡る。石田衣良のIWGPシリーズとちょっと似たノリ(根っこが真っ当な所も)だが、著者も主人公も女性だからか、ナルシズムは薄い。個人的には池袋より渋谷の方に馴染みがあるので、知っている場所がぞろぞろ出てきて嬉しかった。中編集なのだが、どれもちょっとコミカルで軽やかな作風が楽しい。マンガやTVドラマにも向いていそう。

『虹果て村の秘密』
  有栖川有栖著
 麻耶雄嵩作品の後で読んだら心が洗われたよ・・・!有栖川先生はいい人だなぁ(という願望を込めて)!田舎の別荘に遊びに来た少年少女が出くわした殺人事件。と言ってもそれほど生臭くはない。オーソドックスな児童向けミステリといった佇まい。謎があり、少年少女が探偵役で、サポートしてくれる理想的な大人がいて、ちょっと説教も交えている。とてもきちんとしたミステリなのだが、きちんとしている分インパクトは弱いかもしれない。ともあれ、あとがき「わたしが子どもだったころ」を含め、良心的。ちゃんと子供向け(笑)でした。

『壜の中の手記』
  ジェラルド・カーシュ著、西崎憲他訳

 不思議というより珍妙と言うにふさわしい短編集。変です。奇談ではあるのだろうが、「んもー。おじいちゃんたらまたホラ話ばっかりして!」と息子の嫁に叱られそうな感じの話。アバウトさというか、大雑把さがあって、繊細さやロマンティックさは薄い。そのかわりブラックユーモア(しかも割と直球)はいっぱい。「破滅の種子」なんて、落語みたいだもん。そんな中で、「豚の島の女王」が哀しく恐ろしくて印象に残った。

『ラブレーの子供たち』
  四方田犬彦著

 古今東西の文学に登場する、もしくは文学者が愛した料理を再現し、食し、作家の人となりに思いを馳せようという企画をまとめたもの。食もまた人を語るのか。作るのがすっごい大変そうなものも多々ある。そうか、実際に作るとこうなるのか・・・。アピキウスによる古代ローマの饗宴から、吉本隆明の明らかに貧乏そうなソース料理まで、バラエティに富んでいる。人間の中でも、作家は食に対する熱意の強い人が多いような気がするが、気のせいか。美味しそうだと思ったのは、ラフカディオ・ハーンのクレオール料理と、マルグリット・デュラスの豚料理。レシピがないのが残念・・・と言っても、レシピがあっても自分じゃ作らないだろうけどね(料理嫌いなんで)。カラー写真も含め、大いに楽しんだ。

『ピアニストを撃て』
  デイヴィッド・グーディス著、真崎義博訳
 何か多田真由美の漫画っぽいような・・・。社会的にアウイトサイダー(というかダメっぽい)人がぞろぞろ出てきて破滅へとだだ滑りな所とか、男はヘタレで女は優しい所とかね。場末のバーでピアノを弾いているデヒの元に、ギャングに追われている兄が現れ、彼も巻き込まれることに。うらぶれた人達の物哀しさと愚かさに満ちているが、だからこそ愛さずにはいられない。個人的にはかなり好きな作品かも。フランソワ・トリュフォー監督による同名映画の原作小説。

『No.6(1)』
  あさのあつこ著

 講談社の児童書ラインから出ているけれど、むしろホ●イトハートとか、そんな感じですよ。さくさく文庫にしちゃった方が売れそうなのにー。厳重に管理された近未来都市No.6に住む少年・紫苑は、逃亡者「ネズミ」と出会う。そして2人の運命が動き出す・・・はずなのだが今巻では殆ど話は進まない。正直新鮮味のない話なのだが、あのあさの先生のことだから、この先あんなイベントやこんなイベントが発生するに違いない!と2巻以降へ期待をつなぐことにします。

『ジーキル博士とハイド氏』
  R.L.スティーヴンソン著、田中西二郎訳
 あれー、こんな話だったけー。あらすじについては言うまでもないような有名作品だが、ちゃんと読んだのは初めて。もとハイド氏が大活躍する話だと思い込んでた。それにジキール博士視点じゃないのね。今読むとさすがに新鮮味はないが、当時は新しかったんだろうなぁ。短い話だが、真相が明らかになるまでのテンポが妙にゆっくりとしている気がする。時代のせいか。ところで、スティーヴンソンてすごく病弱な人だったんですね。解説を読んで初めて知った。

『薬指の標本』
  小川洋子著

 ひー!恐いよ!こんな愛いらないよ!お客の大切なものを標本にする「標本室」で働いている私は、標本技師に靴をプレゼントされた。彼の望みは、私がその靴をはき続けることだった。その靴は足に吸い付くようにぴったりで・・・。外部も、自分自身さえもどんどん薄くなっていくような、濃密な恋愛。しんとした空気は美しいが、息苦しい。10代の頃に読んだら、わーロマンティックーとか思うかもしれないが(いやそれはないか)、今読んだらおっそろしいだけです。「私」の意志がどんどん希薄になっていく感じがするのが気持ち悪い。な、何故逃げないの!窒息死しそうで耐えられないわー。

『アーモンド入りチョコレートのワルツ』
  森絵都著

 ピアノ曲にちなんだ3編。子供が成長する、何かが決定的に(しかしささやかに)変化する瞬間を描いていて、口あたりが良い・・が、するっと喉ごしなめらかすぎて、心にひっかかるものがない。正直、物足りなかった。大人になっちゃったのね私・・・と思ったものの、これは子供の頃に読んでも物足りなかっただろうなー。こういう瞬間てあるだろうなとは思うのだが、共感する所がない。この手の話は、共感できないと結構厳しいな・・・。もうちょっとざらっとした触感が欲しい。あえて言うなら、少女マンガ化できそうな「彼女のアリア」が良かったかな。「彼女」との最後の会話が、ユーモアがあっていいなと思った。

『マンガの深読み大人読み』
  夏目房之介著
 マンガのルーツから近年の海外マンガ事情まで、幅広く取上げたマンガ評論集。幅広いだけに、ちょっと内容がバラけてしまった感はあるが、それぞれ面白かった。特に東アジアでのマンガ事情は興味深い。あちらは版権の概念が薄いんですね・・・。あと、「巨人の星」「あしたのジョー」関係者へのインタビューは、全部掲載できなかったのが残念でならない。何か読んでいるとわくわくしてくるのよー。何か別の機会に全部読みたいけど、無理だろうなぁ。作る側の熱意や、当時の盛り上がりが窺われる。

『警視の不信』
  デボラ・クロンビー著、西田佳子訳

 警視キンケイドシリーズ8作目。キンケイドと部下で恋人のジェマは、とうとう一緒に生活することに。そしてジェマはキンケイドとの子供を妊娠中(しかしそれぞれ前のパートナーとの子供、ついでに犬猫もいて、いきなり大所帯なのだった)。今回はキンケイドは活躍せず、警部補ジェマが骨董の町ポートベロで起きた美人妻殺人事件を追う。著者が女性なだけあって、働く女性の心理がわざとらしくない。どこの国でも、女性が警察(と限らず組織の中で)で、しかも地位を得て働くのは難しい。部下になめられたり横槍が入ったり、余計な気苦労が多くてジェマに同情しつつもうんざりしてしまった。今回は女性の哀しさ、親子の哀しさに焦点が当てられていたので、女性であるジェマが中心に配置されたのだろう。キンケイドは優しくて理解のある理想的な男性ではあるけど、引越しした当日にパーティーに出席することにしちゃうあたり、ちょっと無神経だったかも。そしてこれにイライラしてしまうジェマの気持ちも、イライラしてしまう自分への嫌悪感もすごくわかる(笑)。

『日本映画の21世紀がはじまる』
  阿部嘉昭著
 ’01〜’04までの日本映画評論集。前書きによれば、最近の若者は映画評論を読むのを好まず、監督・俳優へのインタビューやルポの方を好むそうだ。私は製作現場や出演者のことにはあまり興味はないので、意外だった。映画評論の面白さは、自分が見たことがない映画を知るだけでなく、既に見た映画を他人の目で再体験できる所にあると思う。自分はつまらないと思っていた映画でも、そういう解釈のしかたがあったのか!と発見していくのが楽しい。そういう体験をしないと勿体無いと思うのだが。著者が誉めている映画の中でも、私は(世間的にも)あまり評価できないものもあるが、その差異こそが面白いと思う。しかし「MOON CHILD」にこんなに好意的な評論は初めて読んだよ(笑)!他、『たそがれ清兵衛』論には改めて発見する所が多かった。あの作品の非山田洋二的な雰囲気はそういう理由だったのかと。

『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』
  関口苑生著

 平成11年までの乱歩賞作品を取上げた、文学評論集。ミステリ論というより、社会動向がいかに反映されたかにスポットを当てている。文学はどのジャンルであれ、時代の影響を受けざるをえないということがよくわかる。特に乱歩賞は、途中から商業的な側面が強くなったから、余計に時流を読んだ作品が集まる傾向があるのかもしれない。所で、関口の評論は大抵、筆がのってくるにつれ私情丸出しになっていく傾向があると思う。どんどん冷静さを失っていく過程が面白い。そして秀作・名作についてはそれほど字数をさかないのだが、ダメ作品に対してはわざわざダメ部分を引用してダメさを説明するのね。わー大人げなーい。ちなみに、本書に取上げられている作品の中で私が読んだのは桐野夏生『顔に降りかかる雨』(’93)、藤原伊織『テロリストのパラソル』(’95)のみ。乱歩賞って、あんまり面白くないイメージがあるんだよなー。間口が広すぎるのかな。

『マラソン・マン』
  ウィリアム・ゴールドマン著、 沢川進訳

 ちょっと妄想気味の大学生リーヴィの青春小説ぽく始まるのだが、何故か殺し屋「シラ」のエピソードが交互に挿入される。2人のエピソードが交差すると一挙にサスペンス小説に変身。入り口と出口が違うような、しかし読み終わるとちゃんとリーヴィの成長物語として読めていたという不思議な小説だった。後半、サスペンス色が強くなるにつれ、何故かファンタジーぽいというか、妙な浮遊感が出てくる。アナザーワールド突入みたいな感じでこれも不思議。そして終盤は大変気分が盛り上がった。構成が上手いというよりも、圧倒的な力に対して無謀とは分かっていても格闘する青年の姿に燃える。色々(肉体的に)痛そうな描写も多かったけど。

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