前田の算数

算 数 コ ラ ム
困った時の秘策
授 業 の ち ょ い 技

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 秘策があれば、焦らない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 研究授業で若い先生がカチカチになる姿を見かけることがよくある。
 子供が予想外の反応をしようものなら、焦りこちらにまで伝わってくる。
 その気持ちは、よく分かる。
 その子の話にうなずきながら、別の脳みそでは、その後どうやって展開しようかを考えなければならない。
 焦るのも無理はない。

 しかし、もっと楽にかまえてもいいと思うのである。
 とかく、真面目な先生ほど、何とかしなければと思いすぎて、あせってしまう。
 私だって、20年近く教員をやっているが、瞬時に小洒落た切り返しの言葉なんて、そうそう浮かばない。
 20年やっててそうなのだから、若い先生は安心していいと思う。

 しかし、ベテランの先生は焦らないではないか。
 そう、思うかも知れない。
 多分、ベテランの先生は、困った時の何らかの秘策をもっているのである。
 意識的なのか、或いは無意識なのかは人それぞれだろうが、それまでの経験から「こんな時にはこんな対応」という、ある程度の法則ができあがっているのだろう。
 困ったら「あの秘策」を使えばいいや。
 そういう気持ちで授業に臨むから、安心して子供の話を聞ける。
 きっと、そういうことなのだろう。

 実は、私にも、困ったときの秘策がある。
 困ったときの策なので、たいした策ではない。
 しかし、そんな策を知ることで、ちょっとでも気楽に授業をしてもらえたら、幸いである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 秘策は、子供に委ねること
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  私の場合、どう切り返していいか分からなくなったら、子供に放り投げてしまう。
「○○さん、△△って考えたんだって」
 そう言って、子供たちの顔をじっと見回す。
 そうすると、誰かが、何かを言ってくれるものである。
 困った時には、教師の力ごときで何とかしようとせず、子供に委ねればいいと思うのである。

 なんだ、そんなことか。
 そう思った方もいることだろう。
 しかし、案外、当事者になると、何とか自分で気の利いた問い返しをしようと、躍起になってしまうものなのだ。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 事例「平行四辺形の面積」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  私が、5年「四角形の面積」の授業をした時のことである。
 研究授業のために、本時と同じ授業を隣のクラスで授業をさせてもらった。

 そこでは、下図のような教材を扱った。
 
 名付けて、ぐにゃぐにゃ四角形。
 ボール紙で作った辺の4すみを鳩目で止めたものである。
 辺の長さはそのままに、長方形や平行四辺形に形を変えることができる。

 この教具で、長方形と平行四辺形をつくってみせ、
どちらが大きいと思うか
子供たちに問いかけた。

  

 ここでは、7割ほどの子が「同じ」と答え、残りの3割が「長方形」と答え、議論になると予想していた。
 しかし、授業のふたを開けてみると、30人中。29人が「同じ」と答え、「長方形」と答えたのは、たった1人だった。
 これで議論になるのだろうか。
 不安がよぎる。

 まずは、「同じ」と答えた子に理由を尋ね、子供が
「辺の長さが同じだから」と答える。
 それは、想定内の答えである。

 そして、いよいよ勝負の時。
 「長方形」と答えた1人に、その理由を尋ねた。
 その子だけが、頼みの綱なのだ。

 ところが、その子の理由は、
「なんとなく。見た目で。」
というものだった。

な、な、な、なんとなくとは・・・。
どう展開したらよいのか、全く策が浮かばない。
そこで、秘策である。

 「○○さんは、なんとなく、長方形が大きいって見えたんだって」
 そう言って、ゆっくり子供たちの顔を見回した。

 すると、誰かが何か言ってくれるものである。
「きっと、平行四辺形の方は、ぐにゃっとつぶれているから、そう見えたんじゃない」
「でも、縦につぶれているけど、その分、横にはみ出しているよ」
といったつぶやきが聞こえてきた。
 そのつぶやきを取り上げ、二つの四角形を重ねてみせた。



 それを見た子供たちから、
「あれ・・・、ちょっと待った」
「先生、考えを変えてもいいですか」
といったつぶやきがあがった。
「やっぱり、平行四辺形の方が小さい」
というのである。
 平行四辺形のはみ出た部分を、動かしてくっつけると、長方形になるはず。
 それは、青い長方形よりも小さいというのである。

 何とか、たった1名から、逆転勝利をおさめた。
 子供って、信じて委ねると、力をもっているものなのだ。



 





 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 子供を信じる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 研究授業では、まな板の上の鯉にさらされる。
 いわば、自分の教育技術について、やいのやいの言われる場である。
 気の利いた切り返しで、局面を打破したいものである。
 しかし、そんな中で、子供を信じて、子供に委ねらるかどうか。
 子供と共に心中する覚悟があるか否か。
 そこが、緊張するかどうかの分かれ道のように思う。

 
TOP