前田の算数

前 田 の 算 数  実 践 事 例
総合的な学習の時間「俳句づくり」

 
おもしろい



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1、俳 句 の 魅 力
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

俳句の魅力@ - 感受性が育つ -

「子供に俳句づくりなんて、難しいのでは…」
そんなふうに思われがちである。
しかし私は、子供のつくった俳句こそおもしろいと思っている。
プロのつくった俳句にも負けない魅力が、子供たちの俳句にはあるのである。
例えば次の俳句は、うちのクラスの子供たちが、「つらら」を見てつくったものである。


 冬の朝 車につららのあごひげだ

 つららはね かいじゅうの歯にそっくりだ


 子供ならではの感受性が、微笑ましく感じられる。
 芭蕉も、「俳句は3尺ほどの小さい子供にさせなさい」と言っている。
 子供たちは、俳句をつくる魔法の力をもっているのである。
 こういった子供ならではの感受性を、大切に育てていきたい。
 つららを見て何も感じずに通り過ぎるのと、「あごひげみたいだな」「かいじゅうのきばみたいだな」と感じるのでは、人生の豊かさが違ってくると思うのである。
 俳句をつくることによって、どの子供たちにもそなわっている感受性の種を、意識化させていきたいと考えている。

俳句の魅力A - 言語感覚が豊かになる -

 俳句には、「言語感覚が豊かになる」という魅力もある。
 例えば日記を書く時、自分の書いた文を何度も見直す子供は、一体どのくらいいるであろうか。あまりいないのではないだろうか。
 しかし、俳句なら、子供たちは自分のかいた俳句を何度も推敲する。
 余分な言葉を切り取って素敵な言葉を付け足したり、頭とおしりを交換したりと、夢中になって言葉の工作をするのである。
 何しろ、たった17音である。
 推敲するのが面倒でない。
 また、たった17音の中に自分の思いを表現しようとすると、いろいろな工夫をせずにはいられないのである。

 俳句というと、きまりごとが多く、不自由な印象を受けがちである。
 しかし私は、この17音という条件があることこそ、俳句の魅力だと考える。
 原稿用紙を渡して、「さあ自由に思いを書いてごらん」と言ったからといって、自由な発想は生まれない。
 17音という条件があるからこそ、子供たちは、その中で何とか自分の思いを表現しようと、様々な工夫をするのである。
 そして、1つ1つの言葉にこだわり、言語感覚が豊かになっていくのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1、俳 句 の 指 導
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1) 七五調のリズムを味わう

 子供たちに、俳句がもつリズムのよさを存分に味わわせたい。
 それには、理屈抜きで、名句を繰り返し音読させるのが1番の方法だと思う。
 暗唱させてしまうのもいいだろう。
 暗唱しようと投げかけると、子供たちの音読へのやる気もアップする。

 俳句を音読していると、センスのいい子は俳句に合わせて手拍子を始める。
 俳句には、自然に体でリズムを感じたくなる心地よいリズムがあるのである。
 私は、この俳句の七五調のリズムを、音楽でいう「8(エイト)ビート」だと捉えている。
 例えば、「古池や蛙飛び込む水の音」 を音読する。
 大抵の人は「古池や」と言った後、無意識のうちに3泊の休符を入れるのではないだろうか。
 5文字と3拍の休符で、合わせて8ビート。
 この8ビートのリズムが、日本人にぴったり合うのである。

 だから、私は子供に指導する際、多少の字余りや字足らずにこだわらない。
 むしろ、音読した時のリズムのよさにこだわる。
 子供たちには、自分の作った俳句を音読させている。
 大切なのは、8ビートにうまくのっていることだと考える。

(2) 『自分だけの発見』を俳句に表す

 はじめのうちは、17音でリズムよく俳句をつくることに夢中になり、それだけで満足する子供たち。
 しかし、慣れてくるにつれ、よりよい俳句をつくりたいという願いを持つようになる。
 では、よい俳句とは一体どんな俳句なのだろうか。
 私は、「自分だけの発見」のある俳句が、よい俳句と言えるのではないかと考える。

〜授業の風景@〜
※ 先輩の教員に教えたもらった授業を参考にしての実践

 子供たちに2つの俳句を見せて、「どっちがいい俳句だと思うか」問いかけた。


 A 花火がね 夏の夜空にきれいだな

 B 花火見る 弟の目が 赤青黄


 最初は、大多数の子供たちが「Aの俳句の方がいい」と答えた。
 しかし、理由を言い合う中で、Bの俳句を選んだ子の理由が、みんなの心を揺れ動かした。
 その理由とは、
 「Aの俳句には、当たり前のことばかり書いてあるよ」
 というものである。
 「当たり前」ってどういうことなのだろう。
 みんなで「当たり前」だと思う言葉をさがしてみた。


 「『夜』は当たり前、花火は夜に決まってる」

 「『空』は当たり前、花火は空に決まってる」

 「『夏』は当たり前、花火は夏に決まってる」

 「『きれい』は当たり前、花火はきれいに決まってる」


と、どんどん当たり前の言葉が見つかっていった。
そうした「当たり前」の言葉を、次々に消していくと…、結局、Aの俳句は全部消えてしまったのである。


 A 花火がね 夏の 夜空に きれいだな


 反対に、Bの俳句を見てみる。
 Bの俳句には、「当たり前」のことではなく「自分だけの発見」がかいてある。
 そんな俳句は素敵である。
 「よい俳句をつくりたいが、よい俳句とはどんな俳句なのだろう」と漠然としていたた子供たちに、俳句を見る視点が1つ定まったのである。

〜授業の風景A〜

 「自分だけの発見」のある俳句。
 そんな視点が定まってから、子供たちの俳句は少しずつ変わってきた。
 しかし、「分かる」のと「できる」のは違う。
 「自分だけの発見」を見つけるのは、なかなか難しいものである。
 そこで、時には、穴埋め問題で遊ぶ時間を設けた。
 穴埋めなら、誰もが手軽に楽しめる。

 (     ) くるりとパーマをかけている

 

 ( )の中に言葉を入れてみる。
 「お父さん」「お母さん」と入れるようでは30点。
 当たり前でつまらない。
 ライオンが などと動物を入れるようなら80点。
 なかなか面白い発想である。

 ちなみに、この俳句は、全国学生俳句大会の入賞作品で、( )の中に入っていた言葉は、「ブロッコリー」である。
 うちのクラスで出てきた傑作の答えは、「わらびがね」であった。
 「ブロッコリー」「わらび」、どちらも、人じゃないところが面白い。
 「ははーん」「なるほど」と思える作品である。

 さて、次の問題。
 正解例を聞くと、子供の感性に「ははーん」とうならされる。

@ 雪だるま(     )をつけて お友だち

A 秋の夜(     ) 笛をふく  

B 夏休み たいくつそうな(     ) 

C 先生になりたがる(     )夏休み

D かしわもち 弟三つ 姉 (     )


<正解例>
 @名前  Aしょうじの穴  Bランドセル
 C母  D一つ
(Dは、どんな数字を入れるかで、 兄弟関係が赤裸々に…)

〜授業の風景B〜
 ※ 参考文献
 「保護者参観授業を持ち上げる国語科とっておきのネタ」 野口芳宏 横田経一郎 編著


 この穴埋めクイズは、名句の鑑賞でも使える。
 篠原梵の俳句を穴埋めクイズを使って鑑賞した。


 葉桜の中の無数の(   ) さわぐ (篠原梵)


 子供たちは、まずリズムに着目して「2文字だぞ」ということに気づいた。
 ぱっと思い浮かぶのは、「葉が」「実が」「 虫」 などの言葉である。
 しかし、どれも当たり前の言葉だということに気づいていった。
 名句なのだから、もっと素敵な言葉が入るはずだと考えたのである。
 ちなみに、篠原梵の作品では、「」 が入る。
 そんな俳句を知った上で葉桜を眺めてみると、どうだろう。
 本当に空がさわいでるように見えて、感動する。
 こんな感動を大切にしたい。


〜授業の風景C〜

 ただ「自分だけの発見を見つけましょう」とだけ言っているだけではいけない。
 どういう目で見たら「自分だけの発見」を見つけられるのか、その着眼点の例を示してやることも大切である。
 例えば、生き物を観察して俳句を作る際には、次のような着眼点を示した。


@ 生き物の顔を観察してみる。
   例 「水底を見てきた顔の小鴨かな 内藤丈草

A 生き物の目で見てみる。

   例 「鳥帰るところどころに寺の塔 森澄雄

B 生き物と話してみる
   例  「青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介

C 生き物に変身してみる
   例  「着膨れてなんだかめんどりの気分 正木ゆう子

D 生き物を人に例えてみる
   例 「水馬のどこか侍ふうである 仁平勝


 その他にも、次のような着眼点を、名句と共に提示した。


E 数字を使ってみる。
   例 「仏壇に西瓜一個は多すぎる 雪我狂流」
F 自分なりのオノマトペを使う。
   例 「へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男」
G せりふをそのまま俳句にする。
   例 「渡り鳥見えますとメニュー渡さるる 今井聖」
H リフレインを使う
   例 「あめんぼと雨とあめんぼと雨と 藤田湘子」

 次の俳句は、これらの着眼点を武器に、うちのクラスの子供たちたつくった俳句である。




 かなへびが秋空ながめねむたそう (@生き物の顔を観察してみる)

 バッタがねぼくを大きく見上げてる (A生き物の目で見てみる)

 すすきのほこっちへおいでとゆれている (B生き物と話してみる)

 スキーぐつはくとガシャガシャロボットだ (C生き物に変身してみる)

 風ふいてすすきのおしゃべり始まった (D生き物を人に例えてみる)

 遠足であせが百つぶ流れてく (E数字を使ってみる)

 タラリラランおどる秋桜バレリーナ (F自分なりのオノマトペを使う)

 ありくるなそのプチトマトぼくのもの (Gせりふをそのまま俳句にする)


 
(3) 気持ちを書かずに気持ちを表す

 夏休み石ころけとばしもう終わり (3年生)

 上の俳句は、以前担任していた子供がつくった俳句である。
 この俳句に、気持ちは書いてない。
 しかし、「石ころけとばし」という言葉からどんな気持ちが想像できるか、子供たちに問いかけると、黒板がいっぱいで書ききれないほどの意見が出てきた。
 子供たちは、黒板を見ながら、
「17音の中に、こんなにいっぱいの気持ちが詰まっているんだね」
と驚いていた。

 たった17音の中から無限の想像が広がる、そんな俳句は素敵である。

 
 マラソンで二位 ゆりの花わらってる

 マラソンで二位 ゆりの花しおれてる


 上の2つの俳句には、気持ちが書いてあるわけではない。
 しかし、2つの俳句からは、それぞれ正反対の気持ちが伝わってくる。
 その時の気持ちによって見えてくる景色は変わるのである。


(4) 友だちの俳句を鑑賞し合う

 友だちの俳句を鑑賞し合うことも大切である。
 うちのクラスでは、次のような手順で「句会」を催している。

 まずは「投句」。自分のつくった俳句の中から自信作を選び、八つ切り画用紙を半分に切った短冊にかく。
 次に「選句」、自分の心に響いた句を3句選ぶ。
 披講係がそれを読み上げ、点をつける。

 句会では、俳句を見る目が育ち、また、友だちから自分の句を選ばれることが励みになる。

 ちなみに、句会の後には、短冊に名前と挿絵を書き加え、教室の掲示に使っている。





 秋の句会では、川上弥生先生(富山県俳句連盟幹事・富山県現代俳句協会会長・読売新聞ジュニア俳句選者)が来られ、指導してくださった。
 川上先生のエネルギー溢れる人柄で、子供たちはたちどころに川上先生のファンとなった。
 中には「前田先生のかわりに毎日来てください」という子まで…。
 また、川上先生は書道の先生でもあり、自分のつくった俳句を習字でかくという体験もさせてくださった。
 その時にかいた習字を、いまだに床の間に飾ってあるという子供もいる。
 とても貴重な体験となった。








選句 「どれにしようかな…」


句会 「選ばれるかな…、どきどき」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 3、お わ り に
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 川上先生が子供たちに話をされた際、俳句で大切なこととして「感動」「発見」「共鳴」の3つを挙げられた。
 「感動」「発見」「共鳴」、この3つが、子供たちの心を豊かにしてくれると、私は信じている。

前田の算数 TOP