前田の算数

合唱指導のコツ
合唱の指揮は誰でもできる
歌声がよくなればそれでオッケー

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 歌声がよくなれば、それが最高の指揮
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 難しく考えることないのになぁ。
 そんなふうに思うのである。

 学習発表会で合唱を歌う際、
「音楽が苦手なんで、指揮なんかできません」
「指揮って、どうすればいいのか分かりません」
という先生がいる。

 きっと、そういう先生は、オーケストラの指揮者なんかをイメージして、「あんなふうに振らねば」と、勝手に無理だと思い込んでいるのだろう。
 あるいは、指揮を教師のパフォーマンスショーか何かと勘違いして、「かっこよく振らなきゃ」と、思い込んでいるのかもしれない。

 しかし、我々は、教員であって、プロの指揮者ではない。
 要は、子供の歌声をよくできればよいのである。
 指揮を振るかっこうなんて、どうでもよいのだ。
 歌声がよくなれば、それが、最高の指揮なのだと、私は思う。
 プロの指揮者を真似る必要なんてないのである。

 それなのに、どうも「音楽」ってなると、何だか尻込みして難しく考えてしまう。
 でも、そんなに難しく考えることなんてないのである。




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 教育現場なりの指揮のやり方がある
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 音楽の授業で、合唱指導を参観したときのことである。
 授業の最後に通して歌う際、担任の先生が次のように言われた。

 「今日は3つのことを重点的に練習しました。
 今からみんなで歌いますが、先生はその間、3回手を挙げます。
 先生が手を挙げたら、練習したことを思い出しましょう。」

 その先生は、子供が歌っている間、じっと子どもたちの顔を見つめ、3回手を挙げただけだった。
 私は、それだって立派な指揮だと思った。
 子供が学んだことをしっかりと意識して歌っていたからである。
 その歌声が素敵だったからである。
 何も優雅に腕を振り回すばかりが指揮ではない。
 歌声をよくできれば、それがよい指揮なのだと、私は思う。

 もちろん、プロの指揮者となれば、話は別だ。
 初対面の人を相手に、指先一つで歌声を変える必要があるだろう。
 しかし、我々が教員である。
 指導と指揮がセットになっているのだ。
 教育現場には、教育現場における、教育現場なりの指揮のやり方があるはずである。

 
 
ステップ@
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 まずは、子供の顔をみる
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 それでは、教育現場なりの指揮ってどういうものなのだろうか。
 教育現場なりのやり方を考えていきたい。
 音楽の素人でもできる指揮のやり方である。

 指揮をする上で、まず大切にすべきこと。
 それは、「子供の顔をみること」だと、私は思う。
 
 子供の顔を見るだけで、子供の歌声は1割増しになる。
 そう私は思っている。
 そんなふうに言うと、「たったそれだけのことで?」と驚かれる人もいるかもしれない。
 しかし、本当は知っているはずである。

 例えば、体育館に集まり、卒業式練習をするときがある。
 全校で合唱の練習をする際、大抵の先生は、自分のクラスの子供の顔を見て回る。
 どうして見て回るのだろうか。
 実は知っているのである。
 先生が見てるときと、見てないときで歌声が変わることを。
 だから、見て回るのである。
 音楽は苦手で分からないと思い込んでいるけれど、実は経験から知っているのである。
 無自覚にやっているのかもしれないが、それだって、立派な指導である。

 極論をいえば、もしも、腕をしばられて顔だけで指揮をするのと、覆面をかぶらされて腕だけで指揮をするのと、どちらかを選べと言われたら、私なら迷わず、腕より顔を選ぶ。
 腕だけで指揮はできないが、顔だけで指揮をすることならできる。
 それほど、指揮において、子供を見ることが大切だと思っている。

 ちょっと音楽をかじった先生の中には、
 「右手で拍を振って、左手で曲想を表現しましょう」
 と言う人もいる。
 なるほど、たしかに、そうできる人はすればよい。
 しかし、教員全員が無理してする必要はないように思う。

 そもそも、小学校の合唱曲で、テンポが変わる曲なんてほとんどない。
 最初と最後の合図さえ出せば、拍を振らなくても曲は通る。
 よっぽど拍がずれたときだけ、振ってやるので構わない。

 それよりも、子どもたちの顔をしっかりと見ることの方が大切なように思う。
 笑顔で子供の歌声を見守り、気を付ける箇所では、目力で訴える。
 うまくできれば、そっとうなずく。
 そうするだけで、子供の歌声はうんと変わる。

 無理する必要なんてない。
 最初と最後の合図だけを出し、歌の間は子供の顔をみる。
 まずは、そんな指揮から始めてみるのもよいと思う。

 
 
ステップA
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 子どもたちの息を操る
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 顔で指揮ができるようになって、もう一歩ステップアップしたくなったら、
 次は、「歌声の出だしをそろえること」を心掛けるといいと思う。

 それでは、歌声をそろわせるには、どうすればよいのか。
 簡単なことである。
 それをなぜか、「音楽」となると、途端に難しく考えようとしてしまう人がいる。
 しかし、本当は知っているはずである。

 例えば、みんなでそろえて手を叩かせるとする。
 「せーの」という声を出さずに、ぴったりそろえたいとしよう。
 そんなとき、どうするだろう。
 きっと多くの先生は、子供たちと一緒に叩く動作をするのではないだろうか。
 急に叩く動作をしても、そろわない。
 叩く前に手を開き、リズムをとるのではないだろうか。

 どの先生も、経験から知っているのだ。
 そろえるときには、先生が同じ動作をしてみせるのが基本だと。
 そろえるときには、「ドン」の前の「よーい」が必要だと。

 歌声だって同じである。
 歌声をそろえるには、その前の息を吸うタイミングをそろえればよい。
 指揮者も子供と一緒に息を吸い、一緒に声を出す動作をしてみせればよいのである。
 
 5〜6人の子供なら、これでぴったりそろうだろう。
 しかし、合唱となると、もっと人数が多い。
 だったら、その動作をもっと大きくしてやればいい。
 たったそれだけのことである。
 息を吸うときに、それに合わせて手のひらを上げ、声を出すときにポンと空を叩く。
 そうすることで、多くの子供にタイミングを伝えることができる。

 息の吸い方にもいろいろな種類がある。
 フレーズとフレーズの隙間に素早く吸わないといけない箇所もある。
 一拍かけて、ゆっくりたっぷり吸うべき箇所もある。
 だけど、そんなに難しく考えることはない。
 教師が実際に歌って、どんな吸い方をすればよいのか、試しておけばよいのである。
 そして、自分が吸うスピード、自分が吸う量に合わせて、手を動かせばいい。
 速く吸うなら腕を速く動かし、たっぷり吸うなら大きく動かす。
 そうするだけで、子供たちの息を吸うタイミングがそろう。

 子供たちの息のタイミングを自由自在に操れるようになれば、それだけで素敵な指揮者だと思う。

 
 ステップB
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 曲想を指揮で思い出させる
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 さらにステップアップしたいなら、歌声に曲想をつけられるようになるといいと思う。

 どうやって曲想をつければいいのか。
 それだって、知っているはずである。
 応援合戦で大きな声を出させたいとき、どうしているだろう。
 何らかの身振りを入れながら指示をしているのではないだろうか。
 隣の教室の迷惑になるくらいに子供がうるさくなって、声を小さくさせたいとき、どうしているだろう。
 何らかの身振りを入れながら指示をしているのではないだろうか。

 指揮だって同じである。
 大きな声がほしいときには、身振りで示したり、大きく指揮を振ったりすればよい。
 小さな声がほしいときには、身振りで示したり、小さく指揮を振ったりすればよい。
 普段、教育現場でやっていることをすればよいだけである。

 もう少し細かいディテールをつけたいなら、例えば、軽い感じの声がほしいなら、上の方で小さく振ればよいし、重い感じの声がほしいなら下の方で大きく振ればよい。

 それよりも、もっと細かなディテールをつけたいなら、それは、専門的な話になってしまう。
 自分で工夫するもよし、詳しい先生に相談するもよし。

 だけど、心配する必要はない。
 我々はプロの指揮者ではない。
 指揮だけでなんとかしないといけないわけではないのである。

 曲想をつけるのは、練習の時間でいい。
 そう割り切れば、楽になる。
 先生の指揮を見て、子供たちが、
「あ、ここは弾むように歌うんだった」
「あ、ここは掛け合いを意識するんだった」
と思い出せばよいのである。
 指揮だけで曲想をつけようとすると苦しくなるが、教えた曲想を思い出させようという程度なら、気持ち楽になる。

 細かいニュアンスを伝えるのではなく、教えたことを思い出せせるのが目的。
 そう考えると、教師の指揮は、プロよりも大げさになるかもしれない。
 でも、かっこ悪いなんて気にする必要はない。
 要は、子供の歌声がよくなれば、それでよいのだから。

 

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 大切なのは、どう歌わせたいか
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 1番困るのは、
「どうやって指揮をすればいいですか」
という漠然とした質問である。

「こんなふうに歌わせたいんだけど、そんなときには、どう振ればいいですか」
といった相談なら、一緒に考えることができる。
 しかし、どう歌わせたいかという思いがないままに、どう振ればよいかと聞かれても困ってしまう。
 こう歌わせたいという思いがないなら、振らなきゃいいのに。
 そう思ってしまう。
 別に振らなくたって、歌は成立するのである。

 教育は、ねらいがあって、そこに手立てが生まれる。
 合唱指導の場合、数ある手立ての中の1つが、指揮の振り方なのだ。
 「こう歌わせたい」という「ねらい」がなければ、「こう振ってみよう」という「手立て」など考えようがない。

 そもそも、教育者である以上、「子供をどうしたい」「そのためにどうする」が議論にのぼるべきであって、教師のショーパフォーマンスをどうしようなんて、議論すべきことではない。

 そう考えると、これは、指揮の話というよりは、教育観、授業観、といった話になってしまうかもしれない。
「教師はこうしなければならない」という特定の型にばかり縛られている先生がいるような気がする。
 それよりも、「子供をどうするか」が大切なように思う。
 極論を言えば、子供がよくなりさえすれば、教師の手立ては、何だってありなのだ。

 話を指揮に戻そう。
「指揮って難しい」
「どう振ればいいのか分からない」
 そう思っている人がいる。
 しかし、その一番の原因は、実は技能的なことではないのかもしれない。
 もしかすると、そもそも「子供の歌声をどうしたい」という思いがないことが、原因なのではないだろうか。

 楽曲を分析し、子供の実態を捉え、どんな歌声にしたいのかを明確にもつ。
 そのためには、教師のかっこうなんて気にしない。
 そうすれば、指揮なんて、難しく考えることはないのになぁと思う。

 
 
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