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前 田 の 算 数 実 践 事 例 |
5年 「図形の角」(内角の和) |
帰納から演繹へとつなぐ |
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1、は じ め に
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★いきなり演繹的は不自然
内角の和の学習では、その内容を教えるだけでなく、帰納的な考え方や演繹的な考え方を体験させることが大切だと、よく言われる。
「帰納的な考え方」とは、いくつかの具体例を調べ、そこに共通する一般的なきまりを見いだす考え方である。
「演繹的な考え方」とは、すでに正しいことが明らかになっているきまりを基にして、新しいきまりを見いだす考え方である。
三角形の内角の和を求める際には、いろいろな三角形の内角の和を調べ、それが180度であるというきまりを見いだしていく。(帰納的な考え方)
四角形の内角和の和を求める際には、三角形の内角の和が180度であるというきまりを基に、四角形の内角の和が360度というきまりを見いだしていく。(演繹的な考え方)
つまり、三角形では帰納的に、四角形では演繹的に、というわけである。
そのことに異論はない。
ただ、三角形で「帰納的」に考えていた子供たちが、いきなり四角形で「演繹的」に考えるというのには、少し無理があるように思う。
子どもにしてみれば、三角形の時に使った帰納的な考え方を四角形でも使おうとするのが、自然である。
三角形の内角の和の学習から、四角形の内角の和の学習への「つなぎ目」の部分を、時間をかけて丁寧に扱ってもよいように思う。
★つなぎ目の思考過程
三角形の内角の和が180度だと学習した後、四角形の内角の和を求めるには、次のような思考の過程が必要になる。
「三角形の内角の和にきまりがあったから、四角形の内角の和にもきまりがあるのではないだろうか」(類推的な考え方)
↓↓
「長方形や正方形の内角の和が360度だから、一般的な四角形の内角の和も360度ではなだろうか」(類推的な考え方)
↓↓
「三角形の時のように、いろいろな四角形の角を切って貼り合わせ、360度になるか、試してみよう」(帰納的な考え方)
そうして、四角形の内角の和が360度であることを確かめ、満足した上で初めて、「他の方法(演繹)で説明出来ないか」という問いに立ち向かえると思うのである。
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三角形→「帰納的」
四角形→「演繹的」
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2、授業の実際
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★四角形の内角の和は、きっと360度
三角形の3つの角の和が180度であることを確かめ、今日は、どんな勉強をすると思うか尋ねた。
当然、子供たちは、四角形について考えていくのだろうと予想する。
「では、四角形の角の和にもきまりがあるのかな。」
と投げかけ、
「きまりがあったとしたら、どんなきまりだと思う。」
と尋ねた。
多数の子が
「4つの角をたすと、360度になると思う」
と予想した。
理由を尋ねると、
「長方形や正方形の角の和が360度だから、その他の四角形もそうなると思う」
といった理由。
特殊な形(長方形、正方形)から類推しているのである。
そのうち、子どもから
「他の四角形でも試してみようよ」
という声があがった。
三角形の内角の和を求めた時のように、角を切り取って貼り合わせ、確かめてみようというのである。
そこで、教師が画用紙にランダムに4本の線をひき、四角形をかいてみせた。
そして、4つの角を切り取って、貼り合わせた。
確かに、ぴったり360度になる。
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★でも、なんか変な気がする
ところが、ここで、たけしが
「なんか、変な気がする」
という声をあげた。
思いを詳しく語ってもらうと、
「三角形は角が3つで180度だった。
四角形は角が4つで360度。
角が1つ増えただけなのに、角の和は2倍になってる。」
というのである。
たけしの疑問に対し、別の子が、
「三角形の角は、こうでしょ。
でも、四角形の角は、こうなって、一つ一つが大きくなるでしょ」
と、手を使いながら説明した。
その説明に、みんなからは「なるほど」というつぶやきが聞こえた。
しかし、たけしは、まだ腑に落ちない様子であった。
「僕も、四角形の角の和は360度だとは思う。
でも、やっぱりなんか変だと思う。」
というのである。
そこで、
「四角形の4つの角の和が360度になることを、分かりやすく説明しよう」
と子供たちに投げかけ、その際、三角形の内角の和が180度であることを利用して説明するように指示した。
この日は、自分なりの考えをつくり上げるところまでで時間になった。
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3、お わ り に
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下手くそな板書について言い訳をしたい。
板書を、左3分の1しか使っていないのには言い訳がある。
実は、当初の計画では、課題提示から、自力解決、話合い、まとめまでを1時間で行う予定だったのである。
しかし、予想以上に導入が盛り上がり、導入だけで30分弱の時間を費やしたため、予定を変更した。
課題提示と自力解決だけでこの日を終え、次の日に話合いとまとめをしたのである。
もう一つ、反省すべきは、学習課題である。
想定外のたけしの発言を受け、子供たちには「説明しよう」という課題を投げかた。
しかし、板書には、当初予定していた「求めよう」という課題を書いてしまった。
後から考えれば、「四角形の4つの角の和が360度になる理由を説明しよう」という学習課題にすべきだったと反省している。
三角形は「求めよう」という課題でいけるが、演繹的な考えを引き出すには、「求めよう」では無理だと思うからである。
四角形は、「説明しよう」という課題でいった方がよいのではないだろうか。
言い訳はこのくらいにする。
しかし、やはり、四角形の内角の和の学習は1時間では足りない気がする。
帰納的に考えていた子供たちが、演繹的な考え方に切り替わるには、時間が必要なのだ。
最初から2時間かけるつもりで授業を計画すればよかったように思う。
今回のたけしの発言は、想定外に出てきたものであり、追試できることではない。
しかし、似たような疑問を抱く子どもはいるはずである。
「説明しよう」という課題にもっていく策は、ありそうな気がする。
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