前田の算数
前 田 の 算 数 実 践 事 例 | ||
4年 「計算のきまり」 | ||
授業は、ねらいを明確! 手立てはシンプルに! | ||
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1、「聞く」が最大の手立て ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時として、緻密に準備した授業よりも、 準備をしていない授業の方が、うまくいくことがある。 ある時、授業参観で、2つの算数の授業をすることになった。 1つは、「面積(複合図形)」の授業、もう1つは、「計算のきまり」の授業。 授業前日、「面積」の授業の方はしっかり準備したものの、 そこで力尽きてしまい、 「計算のきまり」の授業準備を一切しないまま、授業参観当日を迎えた。 ところが、授業の蓋を開けてみると、 準備していなかった「計算のきまり」の授業の方が、 盛り上がったのだから、不思議である。 授業の後、その理由を考えてみた。 振り返ってみると、 「面積」の授業は、自分が準備したレールに乗せようとしていたのに対し、 「計算のきまり」の授業は、子どもの発言をよく聞いていたように思った。 何しろ、手立てを1つも用意していないので、子どもの発言だけが頼みの綱である。 必死で子どもたちの発言を聞かざるを得ない状況だったのである。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2、「計算のきまり」の授業 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 授業では、次のような図を提示し、 「1つの式に表そう」と投げかけた。 そして、子どもが自力解決をしている間、 「その子の思いが読み取れる、そんな式を書いている子はいないかな」 と見て回った。 そんな子を取り上げて、話し合おうと考えたのである。 もし、そんな子が見つからなかったら、おしまいなので、必死で見て回る。 すると、運良く次のような式と出会った。 「1×2+3×2+5×2+7」という式である。 「2」と書いてもよいところを、わざわざ「1×2」と書いているのだから、 そこに、きっとその子の思いが込められているに違いない。 その子を第一指名し、話し合いを行った。 |
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式を提示すると、すぐに、 「2って書けばいいのに」 というつぶやきが聞こえた。 「その方が時間がかからないよ」 というのが理由である。 このつぶやきをきっかけに、 「2と書けば楽なのに、どうして、わざわざ1×2と書いたのだろう」 という学習課題が生まれた。 |
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話し合いでは、 「数えたり、足したりしたんじゃなくて、 かけ算で求めたってことを表したかったんじゃないかな。」 「左右対称になっていて、 右と左が同じ数のペアになっているってことを 表したかったんじゃないかな。」 「例えば、2+6+10+7だと、どうやって数えたのか分からないよ。 1、3、5、7と数がきれいに並んでいることを表したかったんだと思う。」 「1×2って書いた方が、どこをどうして2になったのか、 何が2個あるのかが、分かりやすいよ」 といった意見が出て、みんなの考えが深まった。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3、ねらいを明確に!手立てはシンプルに! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2つの授業を振り返って、思うことがあった。 授業は、ねらいだけが明確で、 そこに辿り着く過程には、 遊びの余地がゆったりとある方がいいのかもしれない ということである。 この授業の場合、 「式は考えを表すことができる」 ということを子どもに伝えたかった。 しかし、そのための手立ては、準備していなかったので、 とにかく子どもの考えを必死に聞いた。 それが、結果として吉と出たのだろう。 よく、研究授業の本時よりも、前時や次時の方が授業がうまくいくことがある。 「ここを本時にしておけばよかったなあ」と後悔したことが何度もある。 逃した魚は大きいというのもあるだろうが、 遊びの部分の多さも、理由なのかもしれない。 前時や次時の授業では、 その単元についての教材研究はしっかりできている。 ねらいも明確になっている。 そのため、子どもの発言のよさを捉えることができる。 その上で、手立ては本時よりもシンプルで、遊びの余地が多い。 だから、子どもは自由に発言でき、授業がうまくいくのではないだろうか。 「ねらいは明確に!手立てはシンプルに!」である。 |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4、多様な考えって? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、話は変わるが、 この授業から、考えさせられたことが、もう1つあった。 それは、「多様な考えとは何か」ということである。 この授業では、 「1×2+3×2+5×2+7」についての話し合いに時間を割いたため、 全体の話し合いでは、結局3つのやり方しか紹介できなかった。 その他のやり方については、近くの席の人と、紹介し合って授業を終えた。 全体の場で扱ったやり方は、たった3つしかなかったのだが、 私は、それでよかったと思っている。 多様なやり方を紹介できなかった変わりに、 「1×2」に対する多様な思いを引き出せたからである。 「多様な考え」とは何なのだろうか。 私は、多様なやり方が出るよりも、 出てきたやり方について、多様な思いが出てくる授業の方が、 いいように思う。 取り上げるやり方を精選し、 そこに込められた子供の考えの背景を、 多様に引き出したいものである。 |
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